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透愛と樹李──第189話
「どうして前期試験も散々だったのにそんなことばかり覚えてるんだ……」
バツが悪そうに目を逸らした姫宮が、ぶつくさとド失礼なことを言ってきた。
「うん、おまえ本当に俺のこと好きか?」
「好きだよっ、でも、君の知能が低いことと僕が君のことが天使に見えてしまうことはイコールじゃない。第一、君はあまりにも鈍すぎる。どうしてそんなに人の心の機微に疎いんだ?」
本気で、「なんでそんなに脳みそがカスカスなんだ?」みたいな顔で言われてこんにゃろ……と頬が引きつりかける。
こいつホント、外面以外でお世辞とか言えない奴だな。
「僕はいつだって君のことしか見えていないのに、僕があのクソ女のことが好きだとかわけのわからないことを言うし」
「クソとか言うなっ、由奈だ、由奈」
「僕以外の人間の名前を呼ぶな」
「アホ、呼ばなきゃ日常生活送れねぇだろ! それにおまえやたらと由奈に拘ってたじゃんっ、もしかしたらそーなんじゃねぇかなって思うだろ普通!」
「普通は思わない、それは鈍感な君だけだっ」
「俺のどこが鈍感だよ! ふ~ん付き合うの? 好きにしたら? とか人のこと突き放してきたくせに!」
「先に僕と他の女との仲を応援してるとかほざいてきたのはどっちだ?」
「うっ……そ、それは、俺も悪いとは思ってる、ケド……」
「お似合いだ、とも言われたな。あとは、もっと気楽に合コンにでも行って彼女を作れだっけ? 可愛い彼女とセックスのひとつやふたつやってこいとも言われたと思うんだけど?」
「う……だって、それは……」
その方がおまえも自由になれると思ったからであってだな。意味もなく、指をいじいじと弄ってしまう。
「あっ──ああ、そうだ! 小学生ン時、おまえ俺の私物盗んでただろっ」
言い負かされそうになったので、振り切る勢いで話題を過去に戻した。
しかし効果は絶大だった。姫宮の顔が、氷のようにぴしりと固まる。
「ほら、HBの鉛筆! あとはリップクリームとか……消しゴムとかハンカチとか、おまえ何に使ったんだよ!」
これ幸いとばかりに畳みかければ、姫宮が険しい顔で壁の時計を睨み始めた。覗き込んでも頑なに俺と目を合わせようとしない。
「言えよ、おまえ俺の私物で何しやがった。スプーンセットも逆になってたよな?」
「……君の、想像通りだと思うよ」
「え……おまえ、まさか」
わなわなと震える指で口を押さえる。てっきり、盗んだ俺の私物を真夜中に神社に持って行って、藁人形に五寸釘でも打ちつけていたのかもと想像していたが。「橘なんて!」「橘のくせに!」とか般若の形相で叫びながら。
でもそうだ、こいつは俺の使用済み靴下でオナった男だ……まさか。
「ケ、ケツに突っ込むとか、そういう……?」
姫宮ががばっと顔を上げ、今度は俺を睨んできた。
「──誰がするかそんなこと! 舐めてしゃぶりつくしただけだ!」
「しゃ……」
「心外だ」と言わんばかりの表情の男をぽかんと見つめる。開いた口が数秒塞がらなかった。
「しゃ、しゃぶりつくした、って、え……? なに、を?」
「全部」
「ぜんぶ……?」
リップクリームも、消しゴムも……スプーンセットも?
「いや、全部というのは語弊があるな。鉛筆は普通に……普通に使っただけだし」
普通に使ったってなんだよ。ノートに俺への呪詛を書きまくったとかか?
「スプーンセットが、逆になってたのは……?」
「……舐め終わってから入れ間違った」
うっわ、こいつ……うっわぁ。
そういえば透貴、夏場だから危ないってあれ捨てて新しいの用意してくれたっけな。
今だから言える。透貴、グッジョブ。
「ハ、ハンカチ、は?」
「ハンカチはしゃぶるというより擦りつけたな」
「な……なにを?」
「なにを」
「なに……ナニ、を?」
「……」
聞かなくてもわかることを聞き返してしまった──沈黙は肯定である。つまりナニを、アレしたというわけか。確かあのハンカチも後日どっかで見つかって、変だな~なんて思いながら普通に使い続けてたな──ちょっと、顔が引き攣る。
手も、ぞわぞわして指が伸びた。
姫宮が、ふんと鼻を鳴らした。
「しょうがないじゃないか、君が好きで自分を制御できなかったんだから。あのハンカチを君が学校で使用するたび、君を僕という存在で包み込めたような気がして嬉しかったんだ」
何か問題でも? とばかりに開き直った姫宮にドン引きである。
「い……いや、しょーがなくねーだろ! おまえ人の私物でナニ、いや何してくれてんだっ、僕という存在……とかそれっぽい言葉で誤魔化してんじゃねぇ! それっ……ただのちんこじゃねえかよ!」
「ちっ……君の脳内には情緒というものが備わっていないのか!?」
「ちんこをペニス呼びしてたおまえに言われたくねーわ! つかこれジョウチョとかの問題か!?」
ばんっとベッドを叩く。
むしろジョウチョがないのはおまえじゃないのか。
こそこそナニを擦り付けたハンカチを俺が使うのを眺めてたって、普通に考えてケツに突っ込むよりヤバいだろ。いや、まだマシ……なのか? ナニを擦り付けるのはケツよりも……いやいや、騙されるな。
なんにせよヤバいことに変わりはない。
「だって、君が僕を見てくれないからっ」
「おまえが、もう関わってくんなって俺のこと突っぱねたんだろーが!」
重ね重ね相手は病人だ。口はよく回るが数分前に目覚めたばかりだし、ぱっくり頭皮が避けて血だらけになっていたんだから穏便にとは思いつつ、ついつい胸倉を掴んで軽く揺さぶってしまった。
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