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透愛と樹李──第193話
「俺がまっさらなわけあるかよ。あの人にだって俺、嫉妬してたし……」
「しっと?」
そんな単語初めて知りました、みたいな顔で、姫宮は睫毛を瞬かせた。
「君が、嫉妬?」
「うん、あの人に」
「あの人って」
「……おまえの周りにいた、取り巻きの一人」
「誰。多すぎてわからない」
「ほら、アイドルみたいに可愛いって噂のだよ」
「そんな人いたっけ」
「いたよっ、飲み会の前にカフェで会った時もおまえの傍にいた……前に、俺におまえのこと殴ったって、突っかかってきた子、ふわふわしてる雰囲気でさ、でも眼力はすげぇ子」
懸命に、姫宮がその「誰か」を思い出そうとしている。彼女の名前を自分からは口にできなかった。少し、緊張もしていた。
もしも姫宮があの子の名前を覚えていたらどうしよう。
そんなことを、考えていた。
「あー……あいかわさん、だっけ」
「よしざわだ」
でも全然杞憂だった。イントネーションすらあってねぇ……ほっとした。言わないけど。
「おまえ、吉沢さんのこと好きなのかと思ってた……」
「なぜ、どんな理由で」
「だって吉沢さん、おまえに『僕が髪伸ばしたら、美月ちゃんはどう思う?』って聞かれたって、言ってたから」
「馬鹿らしい。誰に聞いたかなんて覚えてないよ、右か左にいた野菜」
「右か左……野菜……」
「でも、君が嫉妬……僕が取られると思って、不安になったの?」
「……悪ィかよ」
「ううん、嬉しい。とっても」
姫宮の顔は、本当に嬉しそうだった。
もうずっとずっと、眩しそうに俺を見ている。
姫宮のこんな顔ほとんど見たことがなかったから、少し照れる。
「……僕は君が、夏祭りの夜に僕の髪を掴もうとしてたから、もしかしたら長い方が好きなのかなって……なんで切ったんだって、君は聞いてきたし」
なんだよ、そんなことだったのかよ──なぁんだ。
「……おまえの髪、あの時掴めなかったから。ガキん頃だったら、掴めたのになって思って」
髪が長かったあの頃のおまえだったら、俺を激しく、求めてくれたのになって。
いつまでも、病人である姫宮に押し倒されているわけにはいかない。そのままゆっくりと、負担をかけないように、姫宮の肩を支えながら横に倒してやった。
大の男二人が寝転がっても余裕で余るほどの広いベッドだ。
姫宮は抗うことなく、俺の横にこてんと横たわった。
「でも今はちゃんと、触れるな……俺だって、夢みたいだよ」
こいつとこうして、向き合うことができているだなんて。
──ああ、7年前の俺に、見せてやりたいなァ。
片手でそっと、もちろん傷口は刺激しないように、姫宮の髪を撫でてみる。
姫宮が心地よさそうに眦を緩めた。丸一日シャワーも浴びていないというのに、包帯からはみ出た黒髪はサラサラだった。
美人は、風呂に入ってなくても美人のままなんだな、なんて。
そんなことを考えてしまうのは、惚れた弱みというやつだろうか。
しばらく髪を撫でつけていた手を下げて、姫宮の頬をそっと包み込んでみる。
でもやっぱり、ここはしょりしょりする。
「おまえ髭、生えてんな」
「……うん」
「顎のあたりがすげぇぞ」
「……僕はね、結構濃いんだ」
「そうは見えねぇけど。毎日つるぴかだったじゃん。女子が羨ましいって騒いでたぞ? 姫宮くんって毛とか生えないんじゃない? 王子様だからって」
ンなわけあるかと思いつつ、姫宮だったらあり得るななんて、俺も一瞬考えてしまったものだ。だってこいつめちゃくちゃ美肌だし。
ヒートん時の数日間だって、何日経ってもムダ毛の一つも生えてなかったし。
美形のαサマは他とは違うから、そういう体質なんだなって思ってたけど。
「だって、大学では君に会うから……」
「……なにそれ。ばっちりキメてたんか?」
「うん。君の前ではいつも、完璧でいたくて……」
ふわふわと、どこか夢見心地のまま口を開く姫宮は、本当にこいつはあの姫宮か? と疑いたくなる。
昨日までのこいつだったら、「君は楽でいいね、薄くて。見習いたいものだよ」なんて小馬鹿にした目で見下されていたはずだ。
そういう付き合い方しか、してこなかったから。
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