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透愛と樹李──第196話
「わ、笑うなってば」
「いや……その、バカにしているわけではなくて」
「してんじゃんか」
「違うよ。君が、あまりにも漢らしくて……驚いて、しまって、余計に……」
姫宮はまだくすくすと笑っていたが、その一言に膨れ上がっていた俺のドキドキがしゅんと萎んだ。
「……悪かったな、今は可愛くなくて」
「──え?」
「女っぽくなくて、悪かったな」
慌てて起き上がり始めた男から、ぷいっと横を向く。
「待ってくれ、どうしてそうなる」
「だって……おまえずっと、俺のこと、か……可愛いとか? 言わなかったじゃん。この7年間一度もさ」
ぼそぼそと呟く。
別に女になりたいわけじゃない。でも俺は、姫宮からの「可愛い」がずっとずっと欲しかった。食堂の一件を発端に可愛い、とは言われているが、それらは全て「過去の俺」に向けられていたものだ。
今の俺は、こいつの中の「可愛かった昔の俺」とは程遠い存在のはずだ。
折れそうなほど細い腰なんてものは持っていないし、性格上それっぽくしなをつくるなんてこともできやしない。
瀬戸ぐらい背が低ければ、少しは「ぽく」見えたのかな。
「言ってたよ」
「……え? わ」
「君ほど可愛い人を僕は知らないから」
姫宮に跨っていたため、ぐんと、上体を起こされて後ろに倒れそうになる。けれども腰を手で支えられていて事なきを得た。
首の後ろにもいつのまにか手を添えられ、抱かれた腰をさらに引き寄せられた。
「心の中では、いつも言っていた」
「こころのなかって」
「あいざわとかどうでもいいよ、僕の中のアイドルは君だけだもの」
「な……」
アイドルっておまえ。てか、あいかわとよしざわ混ざってるし。
「僕はずっと、君の名前を呼ぶたびに『可愛い』ってつけてたんだ」
「……ウソだろ、そんなの」
信じられない。だっていつも慇懃無礼な態度で呼びつけてきていたじゃないか、『橘』って。
「本当だよ? じゃあ今からでも呼んでみせようか──橘」
「……ぁ」
耳元に、唇を押し付けられる。
「可愛い、たちばな。とっても可愛い、僕の橘……」
「……っ」
「傾国の美女とはよく言ったものだよね」
「ど、どういう意味だよ」
「うん? だって仮に僕がどこかの王様で、妃である君に隣国を滅ぼしてほしいと強請られたら、きっと一晩で周辺の国を焼きつくしてしまうから。女子どもも容赦なくね」
「お、俺は、女じゃねえよ……そんなわけわかんねぇこと、強請んねぇし」
「うん、知ってるよ。君は言わない。だから僕はまだ人殺しにならないで済んでいる。それに、君を女性だと思ったことなんて一度もないよ。これはただの例えだ」
「……頭いい奴のたとえってわっかんねぇ」
「それほど僕は、君に夢中なんだよ」
うぐ、と返答に詰まった。
姫宮の口から、「君に夢中」なんてセリフが出てくるのが、あまりにも慣れなくて。
「……まだ、信じられない?」
「そ、そりゃあ」
「じゃあ、君がいかに愛らしい存在か今から数時間かけて力説してみせようか」
「え? それはいいっ、しなくていい!」
「どうして? この際だから全部言わせてよ……君のこの、小さな八重歯が好きだ」
艶っぽく伏せられた姫宮の視線が、俺の半開きの唇の八重歯に向いていることに気づいて、むぎゅっと咄嗟に口を閉じて姫宮の肩を押す。
しかし、ぐいぐい来られる。
「べっこう飴みたいな細い髪も好きだ。ずっとずっと、舐めてみたくて仕方がなかった」
「ひゃ」
そうっと、髪に唇で触れられて、びくりとする。
「ひ……めみや」
「君の、光の当たり加減でぴかぴか光る茶色い目も好きだ。君が目を細めて笑うと目尻にシワができて、それが仔犬みたいに見えて可愛くてたまらないんだ。産毛も、ふわふわしているよね。薄い色合いの睫毛も、眉毛も柔らかそうで」
「も、もーいいって……」
「こじんまりとした鼻も、赤くてつやつやの、ぽってりとした唇も……笑うと小さなえくぼができるこの口角も。そして、君の甘い匂いも……君の顔はどこもかしこもキラキラと輝いていて、いつも目が離せなくて困るんだ」
言われたところの全ての部位に熱っぽい視線を注がれて、肌が焼けてしまいそうになる。
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