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透愛と樹李──第204話
しかし、口の中に押しとどめた言葉は顔に出てしまっていたらしい。
「……言っただろう、僕は君以外どうでもいいんだって」
「でも俺にはどうでもよくない。誰がなんと言おうと由奈は俺の大事なダチだ。俺の友達を俺と同じくらい大事にしろとは言わねえよ、でも否定はすんな」
「でも、君だって性格の悪い僕が好きだって」
「好きだけど全肯定はしないし、怒らないとも言ってない」
きっぱりと言い切る。
姫宮のことは好きだが、それとこれとは話が別だ。こいつが俺の性能の悪い脳みそにいくら呆れていても、俺を好きだと、可愛いと思ってくれているのと同じように。
俺だって、譲れないところは譲れない。
譲る気もない。そうなったら共倒れだ。
「……僕が踏みつけたものと同じ靴の新品を買い与えればいいのか? それなら住所さえわかれば、あとは家政婦が」
「ざけんな」
「もちろん菓子折りもつけさせる」
「本気で言ってんならキレんぞ。謝罪ってのはものじゃない。これは誠意の問題だ」
殊更厳しい顔を作って、腕を組んで顎でしゃくる。
「おまえにとって、あの夏祭りに踏みつけた男たちと由奈は同じか? 違うだろ。そこはぜってー否定するからな。由奈、一人で泣いてたんだぜ? それなのに、俺がおまえと向き合えるようにって背中押してくれた。俺たちの恩人でもあるんだぞ」
じっと凄みを効かせていると、姫宮が重い重いため息を吐いた。
なんで僕が、面倒臭いな……と見事に顔に描いてある。でも。
「──わかったよ。君が謝れというのなら謝るし、君の友人の名前を覚えろというのなら覚えるよう努力する」
こいうマジでどうしようもねぇな、とは思いつつ。
むすっと斜め下を向いて吐き捨てた見事な不機嫌面が、今はどんなマジックだろう、可愛らしく不貞腐れているように見える。
うーん、何かに似ていると思っていたが、あれだ。
──飼い主に叱られてそっぽを向く、犬。
俺もこの八重歯のせいか、よく犬っぽいと言われているけど、こいつも大概それっぽい。犬種はなんだろ、姫宮犬? でもこいつ、気分屋なところとか猫っぽくもあるんだよなァ。
ガキン頃は子猫みたいだったし……でも今は、犬。
小さな頭と無駄のない骨格と、しなやかで引き締まった身体。スリムな長身、かつ高貴でプライドが高くて優雅な感じ。
普通の犬種じゃないよな。どっちかというと狩猟犬で──はっと、頭に浮かんだそのイメージ。
「そーか、さるーきだ!」
「は?」
「よしっ、えらいな~っ」
わしわしと、姫宮の耳の後ろあたりの髪をくしゃくしゃにしてやる。
「……なんだか、犬扱いされているようで癪なんだが」
「犬扱いしてるからな。よーしよしいい子だな~っ、どうどう!」
姫宮の眉間があからさまに寄った。マジでこいつって、かなりわかりやすいやつだったんだな。
「……いいよ。君だったらこんな扱いだって甘んじて受け入れる」
「お?」
「だから──だから、しばらく僕とキスをしないというのは考え直してくれないか?」
さっきまで不機嫌そうに歪められていた姫宮の眉が。普段はキリっと、凛々しく伸びているはずの細い眉が、やはりへにょんと下がってしまって。
「そうでなければ、三日も持たずに僕は死んでしまう……お願いだ、橘……」
こんな、こんな死ぬほどの苦渋を飲み込んでいますみたいな顔で。この世の終わりみたいな、悲しそうな声で。
アホなことを大真面目に懇願してくるバカ野郎に、ついに耐え切れなくなった。
「あっ──あは、あははっ!」
盛大に声を出しても、込み上げてくる笑いは治まらない。
俺は身体を曲げてゲラゲラと笑った。
「……なぜ、笑うんだ」
本気でわけがわかりませんみたいな顔をしている男に、さらに笑いの虫が腹の中をどたどたと走り回る。
「だって……マジで……っお、俺ら、結婚してんのに、ヤルことも散々、やってんのにさ」
バカげてる。
バカげてるけど涙腺が緩む。
うれしい、すっごく。
うれしい。うれしいなぁ。
「こ、こんなんで7年もすれ違って、バカじゃね? 俺たち……あははっ、おっかしい! つか、おまえの勢いさァ」
「──透愛」
そうっと、頬を包み込まれ、顔を覗き込まれた。
「やっと、君の笑った顔が、みれた……夢みたいだ」
──今、俺どんな顔になってんのかな。眩しいものを見るかのように姫宮が目を細めているから、なんとなく、7年前、階段からこいつに手を伸ばした時と同じ顔になってんのかなって、思って。
「……俺も、やっとおまえの前で、ちゃんと笑えた気がするよ」
いま自分の胸が、どれほど姫宮という存在にわし掴みにされているのかを伝えたくなった。
「あのさァ、ナニを擦り付けたハンカチこそこそ使わせなくたって、俺だっておまえに夢中なんだからな?」
「……もうしないよ」
「あははっ! なぁ……そろそろ信じた? 俺のこと本物だって、夢じゃねぇって」
「まだ、難しいって言ったら?」
「簡単だな」
俺は、自分から顔を寄せて。
「──信じさせてやるよ」
この身一つで守りたかった男の唇に、吸い付いた。
今度こそ失敗せず、大成功だった。
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次から新しい章です。まだ病院ですが。
次の章を書くためにこの話を書き始めました。読んで頂けると嬉しいです!
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