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ふたつの嵐──第214話

「僕よりほんの少しだけ背の高かった君と……君と笑い合って、グラウンドで追いかけっこをして、竹馬オリンピックにも参加して、一緒にサッカーをして……君とくだらないことで喧嘩をしながら一緒に登下校をして、小学校生活を送る夢を、見たことがある……愚かだよね。そんな日はもう二度と訪れない。全て僕が壊してしまったというのに」  あれ、と思う。これは。 「僕はね、誰のことも嫌いじゃなかった。誰が生きようが死のうが知ったことじゃなかったんだ。だって、全てがどうでもよかったからね。でも君だけは違った。子どもの頃は、君のことが不快だから目障りなのだと思い込もうとした。けれども結局、自分を欺くことさえできなかった……」  これ、は。 「僕は君だけに無関心であれなかった。来る日も来る日も四六時中君のことばかり考えて……君に触れたくて、君が欲しくて、君に僕を見てもらいたくて、いつしか僕の中の天秤が壊れて、暴走して、迷走して、気付いたらもう……わけがわからなくなっていた」  姫宮の表情は、硬い。 「僕は……土足で、人のココロにずかずか入ってこようとする無神経極まりない君が──好きだ」  切ない眼差しに、俺の胸もきゅっと痛くなる。そうだ、これは俺たちが決別したあの日の、やり直しだ。姫宮はあの日を、今の俺たちで積み重ねようとしているのだ。  だからわざわざ、「階段」を選んだのだ。 「好きで好きでたまらない。大好きを何度重ねたって足りやしない。この胸がつぶれてしまいそうになるほどに好きなんだ」  俺の口から、熱い吐息が零れる。 「僕のこの、醜くて歪んだ想いを、愛と呼んでもいいのなら……君を愛しているのだと、今ここで言わせて欲しい。僕は心底、君のことを愛している。君に殴られたこの頬の痣ですら、愛おしいと思うほどに」  愛、だなんて単語、姫宮の口から飛び出してくるとは思わなかった。  こいつホント、意外とロマンチストだったんだな。 「……君の、言っていた通りだね。過去に戻ることはできない。でも、今からやり直すことはできる、そう思う」  胸を押さえた姫宮が、意を決したように伏せていた睫毛を持ち上げた。 「今日というこの日から、僕は君との全てを始めたいんだ。だから──」  姫宮が、その場に跪いた。  姫宮の手には、患者衣の胸ポケットから取り出された、キラリと光る金色のものがあった。  驚いた。でもこいつ、こんな気障ったらしいことをしても絵になるななんて、そんなことを思った。違和感が微塵もねぇし。  なんだか、ドラマの撮影をしているみたいだ。  でもここは現実で、病院の最上階で、階段には誰もいない。  姫宮と俺以外は、誰も。  キャーキャー騒ぐ女子高生に、動画や写真を撮られているわけでもない。どこかの高級ホテルの最上階で、グラスに入ったワインをくるくる回しながらディナーを楽しんでいる最中でもない。  そればかりか俺が持っているのは、中にミニメンやら野菜スティックの入ったビニール袋だ。  もちろん、第三者の祝福の声だって聞こえない。  カナカナカナと、ただ夏の終わりを告げる蝉の声だけが、聞こえてくる。 「橘、透愛さん」  姫宮の声が、震えている。 「──どうか、どうか、僕と」  伸ばしたきり、行き場を失っていた左手の先を恭しい仕草ですくい取られた。  そしてしっかりと、握られる。  7年前の夏の日。  腕が外れんばかりの勢いで弾かれてしまった、俺の手を。  しゃがみこんだ姫宮の瞳は、俺の後方にある大きな窓から差し込む夕日に照らされ、オレンジ色にキラキラ輝いていた。 「僕と、結婚してくれませんか……?」  力の抜けた反対側の指先から、ビニール袋ががさりと段差に落ちる。  ミニメンの一つが、中からころころと転がり落ちた。  ──このセリフを、ガキの頃の俺に聞かせてやったらどんな顔をするかな。 「ばぁか、もうして……」  ひくりと、喉が震える。  きっと今の俺と同じように、泣いちまったかもしんねぇな。 「ば、か……もう結婚してんだろ、俺たちぃ……」

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