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ふたつの嵐──第219話
ぐしゅぐしゅと濡らしてしまった肩から顔を上げる。姫宮は穏やかに微笑んでいた。何を馬鹿なことを言っているの? みたいな顔だ。
今こいつ、とんでもないことを言わなかったか?
ええっと……始末が、なんとかって。
「おまえ、今、なんて」
「え? 始末するよって」
「だれ、を?」
「僕の運命の番とやらを」
──んんん??
流れるように言われた。
しかも当然だろう? みたいな顔をされて開いた口が塞がらなくなる。
「もちろん、実際にいればの話だけどね」
姫宮は、唖然とする俺にくすりと肩を竦めた。
「安心して? ちゃんと見つけだして殺してくるから」
「え……あ、あの」
「君が言うように、顔を合わせた瞬間に発情するのなら簡単に探し出せそうだし──だから大丈夫だよ。心配しなくていい」
ちゅ、とあやすように髪に口づけを落とされた。
「い……いや、いやいや、そういうことじゃ、なくてだな」
「どうして? 僕はお金持ちだから、世界中を飛び回れる。相手が日本人じゃなくたって必ず見つけ出すさ。むしろ日本人じゃないほうがいいかな、その方が後処理が楽だから」
「あとしょり、って」
さらっと恐ろしいことを言う男に、本気で焦る。
だってだって、姫宮の目が「マジ」なのだ。
「お……おまえが捕まって死刑とかになんの、俺、やだよ」
「君の心臓に生まれ変わるから問題はない」
涙が引っ込んだ。ついでに鼻水も引っ込んだ。
「──と、いうのは冗談として」
うそつけよ。
「僕はまだ人を殺したことはないけれど、きっと上手くやれるよ。手先は器用な方だし……それに、ことが発覚しないよう打つ手はたくさんある。使える駒の数も多い」
こつんと、おでこを合わせられた。
ゆったりと、愛おしむように髪を撫でつけられる。
まるで嵐の前の、静けさみたいに。
「……変なことをいうねと言ったのは、こういうことだよ。だっておかしいんだもの。見つけた瞬間に死んでしまう人を、一体どうやって好きになれっていうの?」
「いや、死ぬっていうか、それ……」
殺すってこと、じゃね?
「ふふ、前にも言っただろう? 僕は君の傍にいるためなら、なんだって出来るんだって」
いつのまにか、俺は姫宮の胸元に縋り付いていたらしい。
捕まれた手に、ぎっちりと指が絡みついてくる。
「君を不安にさせる存在なんてこの世にいらないもの。君の大事な人じゃないのなら、処分しても問題はないだろう? 僕の運命の番だろうがなんだろうが関係ないさ。大丈夫、バレないよう骨の一つも残さず消し去ってくるから。怖がらないで、僕を信じて」
右手を姫宮の口許に持っていかれ、ちゅ、と指先に口付けられた。
俺はそれを、目で追うことしかできなかった。姫宮の赤い唇が、痛いぐらいに網膜に焼き付く。
「そうしたら君は、なんの憂いもなく僕の傍にいられるだろう?」
「……でも、そ、それは」
人として、それは。
その先が言えなくて言い淀んでいると、姫宮の目がスゥっと細まった。
あ、と思う。この目には覚えがある。
7年前、用具室で俺を押さえつけてきた時と、ほとんど同じ目だ。
冷えた背に回されていた姫宮の右手が、そろそろと背筋からうなじまで這いあがってくる。
襟足ごと首をわし掴みにされ、姫宮の長い指が首の前まで回ってきた。
「選び放題、ね。よくもまぁそんなことを……酷い人だね、透愛は」
五本の指が、一本一本、ひたひたと。
「──僕の覚悟を見誤るなよ? 橘」
7年前と寸分違わぬ、いや、それ以上に苛烈な炎が宿る黒に、射貫かれた。
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