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第3話

「結城、お前、ちょっと酔いすぎだ。出るぞ」  ため息をつかれて、手をとって立ち上がらされた。自分の手首を掴むその手の平の体温に、また心拍数が上がる。  会計を済ませる先生を外で待ちながら、まだ少し冷える5月の夜の外気に、ふるっと身体を震わせた。 「なんだ、結城、上着持ってきてないのか。さすがにまだTシャツ一枚じゃ冷えるぞ」  そう声が降ってきて、ふわっと何か暖かいものがかぶせられた。先生のブルゾンだった。先生の匂いに包まれて、俺にはもう自制できる理性なんか残っていなかった。 「先生」  そう言って、歩き出そうとする先生の腕をとって、後ろから抱きついた。中学の頃の記憶よりは自分が成長した分小さくなった背中、それでもたくましくて広くて、しっかり筋肉のついた背中に抱きついて、火照った身体をすり寄せた。 「先生、ごめん、俺、もうだめだ」 「結城……」 「せんせ、気持ち悪い? 俺のこと」 「そういう聞き方は、卑怯だぞ」 「?」  意味が分からなくて先生の顔を見上げようとした瞬間、くるっと身体をひっくり返した先生に、つかまった。  自分がどういう体制になっているのか、わかるまでに数秒あって、そのあと俺は真っ赤になった。  ——俺、先生に、抱きしめられて、る…… 「お前のこと、気持ち悪いわけ、ないだろう」  頭の上から、先生の声が降ってくる。 「当時から、ずっと可愛いと思ってた。ここまでになるとは、思ってなかったけどな」 「ここまでって……?」 「分からせてやろうか」  そう言うと、先生の大きな手が顔に添えられて、先生の顔がドアップになって—— 「ん! ……ん、ふッ」  ——キス、してた。俺と、先生が。  一度だけじゃない、唇が離れたと思ったら、角度を変えて、また。夢の中の東野くんを除いたら、初めてのリアルキス。あっぷあっぷしているうちに、先生の熱い舌がしゅるりと入ってきて、俺の舌をなぞるから、俺も夢中で応えた。  たっぷり1分はそうしていたと思う。先生の唇が離れて行ったときには、俺はもう腰が抜けて、くたりと先生に全身をもたせかけていた。 「お前ね、そんな風に俺を煽ったこと、あとで後悔しても知らないからな」 「ぁ……え……?」  今度は俺が展開についていけない。でも、先生が俺のことを気持ち悪いと思ってはいないことが分かって、俺はほっとしていた。  先生に手を引かれるままに、俺は先生について歩く。どこを目指してるのかなんか分からなかったけど、先生といられるのなら、どこでも良かった。 「え、ここって」 「ああ、来たことないのか? ラブホ。男どうしでも入れるって、有名らしいぞ、ここ」 「せ、んせ……それって」 「やっぱり、嫌になったか? 別に、帰ってもいいぞ? 無理強いは趣味じゃない」  あくまで俺を傷つけないように、おどけた口調で俺の気持ちを尊重してくれる先生に、嫌になんてなるわけなかった。  ただ、少し歩いて酔いが覚めてきた俺は、勢いのままここまできてしまったことに、今更になって猛烈な恥ずかしさが込み上げてきて、顔を真っ赤にした。それでも、先生の気が変わらないうちに、抱かれてしまいたくて、ふるふると首を振って先生の手を握りしめる。そんな俺を見て、ニッと笑った先生は、俺の知ってる先生じゃなくて、一人の男の顔をしていた。 「わ……なんか、すげえ……」  これまでラブホに入るような場面も相手もいなかった俺は、初めてみる本物のラブホに驚嘆の声を上げていた。部屋の入り口を入ると、すぐにどかーんと大きなベッドがある。天蓋からはレースのカーテンまで下がっている。 「本当に初めてなんだな」 「だから、先生しか好きじゃないって、言った……」 「ん、ありがとう。……ありがとう、って言うのは、結城はあんまり好きじゃないんだったっけ。でも、嬉しいよ」  所在なげに立ち尽くしている俺に、荷物を下ろした先生がベッドに腰掛けて、俺を隣に手招きした。 「結城がちゃんと言ってくれたから、俺も、言うね。俺は、ゲイじゃない」  俺がその言葉に息を飲んだのが伝わって、先生が俺の手を握り締めてくれた。 「だけど、結城だけは、なんだか特別だったんだ。当時、俺もそれを恋愛感情とは結びつけて考えなかった。ただ、お前が俺だけには笑顔を見せてくれるようになったのが、無性に嬉しくて、お前のためにできることはないかって、毎日調べるくらいには、お前のことばかり考えてた」  俺も嬉しくて、けど恥ずかしくて、先生の顔を直視できない。代わりに、肩に甘えるように顔をもたせかけた。先生が、つないでない方の手で、頭を撫でてくれるのが嬉しくて、身体が熱くなる。 「お前が卒業していくときは、なんだか胸に穴が開いたような気がしたよ。それからはお前に偶然でも会えないかなって思っていたけど、お前はもう俺のことなんて忘れて元気にやってるだろうなとも思ってた。それならそれでいいかって。だけど、さっきお前に呼び止められて、すっかり大人になったお前を見て、俺の気持ちが少し変わった」 「え?」 「ドキッとしたんだ。こんなに、綺麗になったお前に、こう、胸を鷲掴みにされたみたいになった。お前が俺に好きだって、抱いてくれって言ったとき、気持ち悪いどころか、お前のことをそういう目で見てる自分に気づいたんだよ」 「でも、先生、最初、帰ろうとした……」 「誰だってそりゃ、告白されたその日にヤろうなんて思わねえだろ。まずそう言うのはちゃんと酔ってないときに、改めてデートしてからだな」 「先生、頭固すぎ」 「悪かったな、こちとらもうノリで関係が結べるほど若くないんでね」  先生がムッとした顔でそんなことを言うものだから、俺はおかしくなってクスクス笑いながら先生の頬にキスをした。 「先生はいつだって格好いいよ」 「またそういうことを言う」 「本当だもん。で、先生は、俺が我慢できなかったから、ここに来てくれたの?」 「そりゃあ、好きだと自覚したばっかりの相手にあんな風にされて落ちない男がいたら教えて欲しい」 「へへっ、嬉しい。先生から好きって言ってもらえた」  俺の指摘に先生がまたムスッとした顔をする。中学の時には見せなかった表情をこの数時間の間にいくつも見られてる気がする。だけど、と俺は不安になる。本当に、先生、俺で勃つのかな。 「ね、先生、本当に、俺のこと、その」 「抱けるかって? 少なくとも俺はそのつもりだけどな。お前も、嫌になったり気持ち悪くなったら、すぐに言え。さっきも言ったが、俺は無理強いは趣味じゃないからな」  先生は、優しすぎるから、不安になる。俺のわがままに付き合ってくれてるだけなんじゃないかって。だけど、その不安は、カチャリとメガネを外してベッドサイドに置いた先生に、全部吹き飛ばされた。

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