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7、久しぶりの登校

 翌日、俺は普通に学校に行った。晴兄に言われた通りまず職員室に行ったら、花岡先生が心配そうに駆け寄ってきてくれた。 「すみませんでした。1ヶ月も休んでしまって」 「謝ることじゃないから。元気になったなら良かった。でも1ヶ月のブランクは大きいから、これから勉強頑張って」 「はい」 1ヶ月も体調が悪かった理由を聞かれると思っていたが、意外にも先生たちは聞いてこなかった。職員室中いつも通りの雰囲気で、それが俺をほっとさせた。  晴兄は花岡先生の後ろに立って俺の様子を見ていた。その目は俺を警戒しているようで、少し胸がチクッとした。  急に連れ出すなんて、警戒されて当然だよな。もしかしたら今はもう心変わりしていて、俺とは話したくないのかも。  そう落ち込む俺とは反対に、晴兄は笑顔で意外な提案をしてきてくれた。 「1ヶ月分の授業内容ですが、俺でよければ放課後に特別授業します。どうしますか?」 晴兄が特別授業。俺のためにわざわざ時間を作ってくれることがどんな理由でも、その響きは、沈んでいた俺の気持ちを確実に浮き上がらせた。 「はっ…はい、柊先生、よろしくお願いします」 「副担任として当然のことです」 「椎名、無理はしないようにね」 「ありがとうございます、先生」 俺は花岡先生と晴兄に勢いよく頭を下げて職員室を後にした。  そういえば、晴兄と会っても始業日の時のような衝動には襲われなかった。これが欲求が満たされているということなのだろうか。  それに晴兄も、顔色が良くて安心した。そして確信した。俺たちはやっぱり相性がいいんだ。その証拠がお互いの不調の改善だ。  だから話し合って、俺が暴力的なDom(ドム)じゃないって分かってもらえれば、きっとパートナーにだってなれる。  今度は間違えないようにして、今度こそ信頼してもらえるように行動しないと。  それにはまず、5限分の授業の突破が待っていた。1ヶ月の授業進行度は、さすが特進クラスと言うべき速さだった。自分がサボっていたのが悪いのだけど、今日授業受ける必要があるのかってくらい何も分からなかった。  これは晴兄が特別授業を申し出てくれるわけだ。 「陽介ついていけねーだろ」 昼休み中、突然話しかけてきたのはニヤニヤした大貴だった。そりゃ1ヶ月も休んでてついていけるほど、俺は頭が良いわけじゃない。だから言われた通りなんだけど、大貴に言われると妙に鼻につく。前は受け流せていたのに、今はなぜかそれができない。 「うるせぇ、こんなん一瞬で追いつくわ」 「強がっちゃって。そんな可哀想な陽介に俺からのお慈悲だ、受け取れ」 そう言って大貴は数冊のノートをくれた。ノートの中身は、1ヶ月分の授業内容がまとめられているものだった。しかもわかりやすく、端的にまとめられている。 「これ、わざわざ作ってくれたのか?」 「復習のついでにな。要らなかったら捨ててもいいから」 「捨てないよ。大貴、割と俺のこと好きだろ」 「バカ言え、お前がいないと女子が寄ってこないんだ、これはいわば賄賂だな」 「何だそれ。でも、素直に嬉しい、ありがとう」 「お、おう…お前って人に感謝とかするんだな」 「俺を何だと思って…」 思えば、人に感謝を伝えるなんていつぶりだろうか。母さんにも昨日久々に伝えた気がする。  これも欲求が解消されたことでできた心の余裕というやつなのだろうか。俺はそっと胸に手を置いて、そこにある温かさを感じた。  午後の授業は大貴のノートのおかげで少しは理解できた。  5限が終わってHRも終わって、いよいよ晴兄との特別授業の時間が迫っていた。  さっきまでは落ち着いて会えるかもと思っていたけれど、時間が迫ってくるにつれて、また不安が募ってきた。落ち着いて話せるだろうか。受け答えで間違えないようにしないと、これで最後になってしまう。  俺は大きく深呼吸をして教室を1歩踏み出した。  言われた通り、個別指導室という紙が貼られた教室に行くと、晴兄はもう座って待っていた。 「お、お待たせしました」 「そこに座って、まずは話をしましょう」 晴兄は俺と目を合わせず、一点を見つめて淡々と言葉を放った。これは怒りの感情なのか、それとも俺と同じ、緊張からくる不安の感情なのか。電気はついているのに薄暗い教室の中では、一体どちらなのか判断つかなかった。  俺は晴兄に促されるまま、晴兄の前の椅子に座った。  俺が座ると同時に、晴兄は突然本題に入った。心の準備はしてきたけれど、あまりの早さにその準備はなんの意味もなさなかった。 「陽介は俺の話を聞いてどう思った」 「どうって…」 それはもちろん自分の無知を憎く思った。晴兄が自身を責めるしかない状況だった時、俺は呑気に晴兄との未来を信じていたんだ。  晴兄をNormal(ノーマル)だと偽らせているのは、他の誰でもない俺なんだ。改めて考えても、俺がやっぱり悪い、よな。  俺は晴兄の問いかけに、結局「自分が悪い」という結論に至ってしまった。誰にどんなに違うと言われようと、俺の罪悪感はずっと付きまとうことになるのだろう。  そう思ったら、鉛を乗せられたんじゃないかと思うくらい身体が重くなった。  そんな俺の思いを知ってか知らずか、晴兄は立ち上がり、手を伸ばして俺の頭を撫でてきた。 「どうせ自分が悪いとでも思ってるんだろ」 「う…うん…」 「俺もそうだよ。8年前、どうして陽介に第二性について教えなかったんだって。欲に負けて、陽介と遊ぶ延長線で、Play(プレイ)と同じことをさせてしまったことも、全部俺が悪いんだ」 晴兄は、8年前のことを静かに語り、話終わると唇を噛み締めて、俯いた。  俺はなんて言葉をかければいいか、分からなくなってしまった。  廊下を通る生徒たちの話し声や笑い声が、うるさいくらいに耳に響いて、早くしろと責め立ててきているようだった。  俺が何を言おうか必死で考えていると、晴兄が申し訳なさそうに笑って話し続けた。 「急にごめんな。こんなこと言って。俺はハイランクのSub(サブ)なんだ。相手のDomを過剰に刺激して、性質を強めるんだってさ。だから小さかった陽介が、何も知らずに、遊びの延長で俺を縛りつけた時、自分が怖くなって、陽介の前から逃げた…陽介にケアもさせないで」 俺は、晴兄と最後に会ったあの日をほとんど覚えていない。ただ断片的に、晴兄を見下ろしていたり、俺が何かを言うたびに喜ぶ晴兄の姿や擦り寄ってくる姿、そういった記憶しか、もう残っていない。  俺は縛りつけて、晴兄に何をしたんだ。聞きたい。聞かなければならない。そう思うのに、異常に喉が渇いてうまく言葉が発せなかった。  俺は口をぱくぱくとさせ、額に汗を滲ませた。晴兄はただ静かに、そんな俺の顔をじっと見つめ、切ない声で呟いた。 「あの日、俺と陽介に起きたこと、もっと知りたいか?」 俺はその言葉に、必死になって首を縦に振った。そしてゆっくりと話し始めた。始業日に聞いた端的ではない、あの日の話を。

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