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8、8年前の俺たちはー
1番好きな季節はと聞かれれば、迷わず「春」を選ぶくらい、俺は春という季節が好きだった。新しい環境への期待は、どんなに後悔を繰り返そうとも、やめることはできなかったからだ。さらに好きになったのは、「陽介」という弟のような幼馴染ができた時だった。毎日見ている彼の姿でも、春はより成長を感じられる。それが俺にとって、どんなに気持ちが高揚することなのか、きっと誰にも分かってもらえないだろう。
そんな俺の好きな「春」も、8年前の出来事をキッカケに、重たくて、悲しい季節になってしまった。
――8年前、陽介への気持ちと罪悪感を抱え込んで、俺は陽介の前から逃げた…
あの日はいつものように、学校に行き、いつものように家に帰った。そしていつものように、陽介の家に行くよう言われ、お菓子とジュースを買って陽介の家に行った。
去年、高校入学とともにもらった陽介の家のスペアキーで、そこが自分の家かのように俺は家に入る。
「あっ、晴兄だ!おかえり」
「陽介!ただいま」
玄関を閉めると、ちょうど帰ってきていた陽介が、リビングから勢いよく現れて「おかえり」と言ってくれた。それに俺は当たり前のように「ただいま」と返す。
高校生になってからは、ほぼ毎日のように陽介の家に遊びにきている。遊びにきているというよりは、「ここに住まわせてもらっている」というのが正しいかもしれない。
高校の後半から、母さんは夜も陽介の家にいるようにと言ってくるようになった。父から俺を遠ざけているのは分かっていたけれど、高校生になってからはそれがより顕著で、その間の母さんが俺は心配だった。
だけど子供の俺にはどうにもできなくて、こうして陽介の家にいることしかできなかった。
俺の両親は典型的なSとMの関係を持つDom とSub だ。父の暴力的な行為は、常に母さんに向けられていたけれど、母さんがそうなるように俺を守っていてくれたことを、子供ながらに理解していた。
それに俺は、高校での第二性検査で、ハイランクのSubだと結果が出てしまった。
結果が出た夜、いつものように両親の声を聞きながら眠りにつくと、急に父が部屋に入ってきた。
その時の興奮しきったDom の顔を、俺は一生忘れることはできないだろう。見開かれた目はギラギラとしていて、白目の部分には血管が浮き出ていた。頬を紅潮させて、ニヤニヤといやらしく笑っている。まるで、どう食べてやろうかと考えているようだった。そしてそれは、母さんとPlay している時と同じ顔だった。
どうやら俺のフェロモンにDomドムの本能が反応して、俺を襲いにきたらしい。母さんは必死に俺を逃がしてくれた。
その日を境に、父が家にいる時はこうやって陽介の家に厄介になっている。
「晴兄、今日は何して遊ぶ?」
陽介は今日もまた逃げてきた俺に抱きついて、目をキラキラさせながら、今日は何して遊ぶのかを聞いてきた。この顔は、もう何かやりたいことがある時の顔だ。
「陽介は何かしたい遊びがあるんだろ?」
「えへへ、バレたかぁ、今日も昨日と一緒のことしたい!」
「昨日と一緒のこと」と言ってはいるが、去年の冬から続く、俺と陽介がハマっている罰ゲームを要する遊びだ。「遊ぶこと」はついでで、その先に待っている「罰ゲーム」を陽介は期待している。そして俺も、ダメだと思いながら、期待してしまっている。
陽介にそんなつもりはなくても、俺は「罰ゲーム」をPlayとして認識して、毎日高鳴る胸の鼓動を抑えつけながら、陽介との「遊び」に興じているのだ。
「いつもの遊びだね。それじゃあ陽介の部屋に行こう」
今日も俺が負けて、陽介が「罰ゲーム」と言う。陽介に「おすわり」と言われて床に座り、四つん這いで歩かされ、陽介は俺に「好き」と言わせてくる。俺に抱きついて、俺の頭を撫でながら、俺の髪に自分の顔を埋める。
この心が幸せで満たされていく時間のために、俺は陽介の行為が俺のSubとしての性を刺激していることを言えずにいた。陽介のためにも、ダメなことだと言わないといけないのに、俺はいつも陽介にされるがままだった。
そして恐れていたことが、今日ついに起こってしまった。
「あー、今日も負けちゃったな」
「晴兄は負けたくて苦手なゲーム選んだんでしょ」
「あはは、バレてた?」
「毎日やってるからね」
陽介はそう言って俺に近寄ってきた。なぜか俺のニオイを嗅ぐように、俺の首筋に顔を押し当て、スンスンと鼻を鳴らしている。
いつもなら楽しそうにすぐ「罰ゲーム」って言うのに、今日は怖いくらい静かだ。
「陽介、どうした?」
「さっきから甘い香りがするんだ、晴兄から…この匂い嗅いでると、頭がぼーっとする…」
そう言って陽介は俺を押し倒し、縄跳びの紐で俺の両手を縛った。縛ったと言っても所詮子供の力だ。簡単にほどけるようなお粗末な縛りだった。
だけど俺はそれをほどけなかった。それは「陽介に縛る」という行為に、今までに感じたことのない高揚感を感じてしまっていたからだ。そして、これから何をされるのだろうと、ダメだと思いながら期待してしまっていた。
陽介は俺の腹にまるで椅子にでも座るかのように乗ると、俺のシャツのボタンを外していった。そして現れた素肌に、温かい小さな指を当ててきた。その指で俺の身体中をくすぐってきた。
「晴兄、罰ゲームなのに気持ち良さそう」
「きもちいい…よ…」
くすぐったいはずのその行為は、とても気持ち良かった。そして俺は完全に空気に呑まれていった。
そのあと意識がハッキリしたのは、陽介に首筋を噛まれた瞬間だった。首筋に走る痛みとともに、全身に痺れるような甘い快感が走った。
瞬間、俺の首筋から顔を上げた陽介を見て、俺は自分自身のSubという性に、恐怖した。
陽介の顔が、あの夜俺を襲いにきた父と同じ顔をしている。この顔は間違いなく、俺の第二性が原因だ。陽介の第二性を無理やり引き出した。陽介の父と同じになってしまう。
そう思った俺は、縛られた手を無理やりほどき、必死に陽介の下から逃げた。
「ごめん、陽介。今日は帰らなくちゃ…」
「ダメ!まだバ――」
「本当に…ごめん…」
俺は陽介の言葉も聞かず、肌けたシャツを手で持って陽介の家を飛び出した。
飛び出しても行く先はない。家に帰っても入れてもらえない。頼れる友達もいない。
俺はシャツのボタンを留めながら、トボトボと徘徊した。徘徊しながら俺は、さっきのことを思い出しては、身体中に感じる痛みに身体を震わせた。そして胸の内から湧き上がる被虐的な考えに後悔し、興奮した。
陽介に何かされたいなんて、もう考えたらダメだ。陽介が父と同じになったら、陽介の人生も、陽介の大切な人の人生も、めちゃくちゃになってしまう。
今まで通り、優しい陽介でいてほしい。優しい人に育ってほしい。思えば思うほど、俺の存在は陽介の邪魔でしかないと悟った。
だけど陽介のことを考えれば考えるほど、脳は蕩けていき、身体は反応していった。
「晴陽じゃん。こんなところで何してんだ?」
「ひろ…と…」
――そんなSub Space に入りかけていた時偶然出会ったのが、中学の時の友人、裕人だった…
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