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10、不安を取り除きたい
「晴兄、先にSafe Word を決めておかない?」
Safe WordはDom の行為が行きすぎてしまった時にDomの行動を制止させるものだ。
決められていないとSub は逆らえず、最悪命を落とす可能性がある…って習ったんだけど、晴兄は何故かピンと来ていなかった。
「決めておいた方が晴兄も安心でしょ?」
「その感覚、よく分かんないかも…」
晴兄はSafe Wordがある理由を理解できていなかった。あっても意味がないと思っているのか、どうでもよさそうに教科書を眺めている。
まさかとは思っていたけれど、晴兄は本当に8年前無理やりされて以降、誰とも関係を持つことはなかったみたいだ。
「Safe Wordセーフワードよりさ、軽くでいいからPlay して」
「ダメ。晴兄も習ったでしょ、Safe Wordは大切だって」
「そんなの意味ないって…」
晴兄は「意味ない」と言いながら教科書を置いて、俺の方に擦り寄ってきた。不意に、鼻を掠める甘い香りが漂ってきた。さっきまでしなかったその香りに、頭がクラクラした。思考が溶けていくようなその感覚に、俺は必死に頭を押さえながら、もう1度Safe Wordを晴兄に聞いた。
「Safe Word…決めよ…俺、晴兄の心配とか不安、取り除きたいだけなんだ」
「決めても、俺には使えない」
「それでも、あるとないとだと違うはずだよ…晴兄には、いき過ぎた行為を止める権利があるんだ」
必死に訴えると、晴兄は俺を触るのをやめて考え込み始めた。
考え始めてくれて正直ホッとした。あのまま迫られていたら、どうなっていたか俺には分からない。そのまま襲ってしまっていたらと思うと、心臓がバクバクして痛い。
そんな俺とは裏腹に、晴兄は呑気に決めたWord を言ってきた。
「Safe Wordは…『さよなら』」
「はは、何それ、別れ際には言うよ」
「違うな…これは酷い言葉…『さよなら』は、もう一生会わない人に伝える言葉…別れの挨拶は『またね』だろ」
晴兄の持論はすごかった。「さよなら」なんて普通に使っていたけれど、晴兄の中では「もう一生会わない人に伝える言葉」という認識みたいだ。
それをSafe Wordに選ぶなんて、よっぽど言いたくないようだ。それに、俺に言われたくないと思わせる目的もありそうだ。
「ふふ、それは絶対言われたくない」
「だろ?だからいいんだよ…絶対言わせないって覚悟ができるよな…」
そう切なそうに呟く晴兄は、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。その姿に俺は胸を締め付けられた。こんな姿は、見たくなかった。もう絶対見たくない。
そう思って俺は晴兄の手を取り、誓うために小指を絡めた。
「俺、絶対に言わせない、誓うよ。指切りしよう」
絡めた晴兄の指は男とは思えないほど白くて、ちょっと力を入れたらうっかり折ってしまいそうなほど細かった。
思えば晴兄は腕も脚も腰もとても細い。どこもかしこも、ちょっと強く握ったら、本当に折れてしまいそうで、俺はさっき強く腕を掴んだことを後悔した。
だから俺は必死に心の中で唱えるんだ。
冷静に、感情的にならないで、甘く優しく、晴兄を癒すように。同意は絶対に求めること。これは俺が俺に出す条件。
俺は何回も唱えることで心を落ち着けた。頭をクラクラさせていた甘い香りにも、次第に慣れてきたような気がする。
ふぅと落ち着けたところで俺は、晴兄Playの同意を求めた。
「軽くPlayするけど、本当にいいの?」
「あぁ、実はずっと身体が辛くて、もうどうにかしてほしいんだ」
晴兄は頬を紅潮させ、倒れ込むように俺に抱きついてきた。さっきまで気丈に振舞っていたけれど、本当に限界だったみたいだ。
「どうしてこんな…」
「パートナーになれたから、もう変な意地は張らなくてもいいって思って、そしたら予想以上に辛かった…だから早く…」
それって、もしかしなくても、俺に安心しきってくれているからなのだろうか。そうだったら嬉しい。自惚れかもしれないけれど、俺は他のDomとは違うって、晴兄が認めてくれたと言うことだ。
俺はもう1度、自分で決めた条件を心の中で唱えた。
「晴兄、嫌だと思ったらすぐにSafe Wordを言うんだよ」
「分かったから、早く…」
熱っぽいその言葉に、俺は自分が欲情したことを悟った。でもまだ大丈夫だ。自己暗示のように唱えた条件は俺の中で生きている。
俺は心を落ち着け、Command を放った。
「Kneel 」
晴兄は俺からゆっくりと離れ、そのまま俺の足元にぺたんと座った。手を前にまとめ揃えて置いて、ふらふらの身体を必死に支えていた。
でも顔が下を向いているのはいただけないな。誰とPlayしているのか、ちゃんと認識してもらわないと。
「Look 」
そのCommandに晴兄は恥ずかしそうにゆっくりと顔を上げた。その顔は確かに見られるのは恥ずかしいと思うくらい、淫らな顔をしていた。緩んだ口元からは涎が垂れていて、目はとろんと虚に俺を見つめていた。
俺のコマンドがよほど気持ち良かったのか、その姿はまるで待てを言われた犬のようだった。
「Good Boy もう2つも命令聞けたんだよ」
俺はそう言って優しく頭を撫でた。撫でると嬉しそうに目を細める顔がたまらなく可愛かった。その顔に、ほんの少しのCommandでも、晴兄の身体が楽になっていっているのが分かった。
「さあ、あとはケアをしよう」
俺は自分の欲が出る前にPlayを切り上げようとした。それくらい晴兄のフェロモンはすごかった。
だけど晴兄はまだやめたくないのか、拒むように俺の足に擦り寄ってきた。
「や…もっと、してぇ…」
「ダメ、お願いだから煽らないで…」
「やぁ…もっとぉ…」
晴兄に俺の言葉は届いていないようだった。ずっと「もっと、もっと」と言って、俺の足に頬を擦りつけている。
「晴兄もしかしてもうSub Space に入ってる?」
「もっとぉ…」
やっぱり俺の声は聞こえてない。たった2つでSub Spaceに入るなんて、よっぽど気持ち良かったんだろうね。
でもその先を求められたら、俺は正気を保っていられる自信がない。もし昔みたいに縛って噛みついたらと思うと俺は怖くてたまらなかった。
「だ、ダメだよ学校でこれ以上は…」
「ダメぇ?」
「そう、晴兄はいい子だから、我慢できるよね?」
「ん…できる…」
「Good Boy さ、俺の膝に座って」
Sub Spaceって初めて見たけど、会話が成り立ってないようで成り立つと言うことが分かった。そのことにすごくホッとした。
あのまま聞き分けてくれなかったらと思うとゾッとする。
俺は晴兄を膝の上に乗せて、優しく抱きしめた。そして背中や頭、いろんなところを撫で回した。そうしているうちに、晴兄は眠りについてしまった。
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