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13、器の限界 後編
母さんは俺だけじゃなく、晴兄も具合が悪そうだと言っていた。そんな状態での面倒なんて見て大丈夫なのだろうか。
「晴兄、体調悪いの?」
「悪くないよ。俺は大丈夫だから、陽介は自分のことだけ考えな」
「でも…」
「でもじゃない。とりあえず横になれよ」
俺は促されるままソファに横たわった。晴兄は床に座って、母さんが持ってきた濡れタオルを俺の額に乗せてくれた。そして心配そうに俺を見つめている。
せっかく楽しみだったお泊まりも、台無しになっちゃったし、母さんにも晴兄にも迷惑をかけるし、最悪だ。
急激な気分の変化のせいか、俺は心が耐えきれず、自分の意思とは関係なく、涙が溢れてしまった。
そんな俺を見たからか、晴兄も苦しそうな顔で話し始めた。
「陽介はさ、強く掴んだことを、俺に暴力を振るったって認識したんだろ」
晴兄の言った通りだ。俺は晴兄の腕にできた痣を見てそう思った。晴兄の身体に傷を付けたんだ。
「無言は肯定と捉えるからな」
何か言わないと、俺の加虐性を見抜かれるかもしれないのに、何も言葉が出てこなかった。
「陽介は自分を偽って、Dom 性を抑え込んでるんだろ」
そうだ。ずっと気付かないフリして、違うって自分に言い聞かせて、そうして抑え込んでる。
「それは陽介の心も身体もボロボロにする行為だって…陽介なら分かるよな」
分かっていても、晴兄と一緒にいるためなら我慢できると思ったんだ。
「分かっていて、我慢してたんだな…バカ」
晴兄は「バカ」と言いながら、俺の肩を叩き始めた。それから一言も喋らず、ずっと俺の肩を叩いている。叩くたびにポスポスと乾いた音が聞こえる中、晴兄の泣き声が微かに聞こえて、胸が痛いくらい締め付けられた。
好きな人を自分のせいで泣かせるって、こんなに辛いものなのかと初めて知った。
「晴兄、泣かないで…晴兄が悲しいと俺も悲しい…」
「ならもう我慢するなよ…器の限界を超えてまでも抑え込みたいお前の不安はなんだよ」
「言ってもパートナー解消するって言わない?」
「言うわけないだろ…ほんとバカ…」
俺は自分の胸の内を話すことにした。身勝手だけど、この1週間本当に辛かったから、話して楽になりたかった。
「俺ね、昔と変わらないんだ…何にも…」
「やっぱり…そうなんだな…」
「気付いてなの?」
「なんとなくだけどな、たまに何かを抑えているようだったからさ」
なんだ、気付かれてたのか。なんだかその言葉を聞いたら、重かった身体が一気に軽くなった気がした。気付いてて俺のそばにいてくれたんだ。勝手に、知られたらパートナーを解消されるって思ってたけど、そんなことないのかな。
「晴兄は怖くないの?俺がもし晴兄のお父さんや友達みたいになったらって…」
「怖いよ。正直今でもどうするのがいいか、分からないんだ…」
「やっぱりパートナーになったの、後悔してる?」
薄々、相性は悪いんじゃないかって思ってた。気持ちばかりが先走って、勝手に自分だったら大丈夫って、根拠もなしにパートナーになった。気持ちさえあれば、第二性の性質も変わるんじゃないかって、そんなことないのにな。
晴兄は今こうなって、どう思ってるんだろう。後悔、してるかな。
「後悔してるよ…」
やっぱりそうなんだ。
「あの時、絶対に暴力を振るわないって言わせて、その言葉忘れるなって言ったこと、後悔してる」
どう言うことだ…パートナーになったのじゃなくて、俺に言ったことに晴兄は後悔してるのか?
「俺の言葉が、お前を追い込んだんだろ…言うんじゃなかったって後悔してるよ」
「パートナーは?」
「それは…ごめん、俺スゲー我儘なんだ。解消するくらいなら、俺は陽介に何されてもいいくらい、陽介とパートナーでいたいって思ってる」
「ほ、本当?嘘じゃない?また逃げない?」
「嘘じゃない。もう逃げないよ」
晴兄のその言葉を聞いた時、湧き上がる感情を制御できず、俺は恥ずかしくも、子供みたいにわんわん泣いてしまった。
これは嬉しくて出た涙なのか、晴兄を縛り付けることになってしまった懺悔のものなのか、俺にはもう何が何だか分からなかったけど、晴兄とパートナーを解消せずに済んだという事実が俺に涙を流させていることだけは分かった。
晴兄もそんな俺を見て、泣いていた。晴兄もきっとずっと限界だったんだ。俺と一緒なのに、俺のことばっかり気にして、俺の欲しい言葉をくれる。
なのに俺は何も返せてなくて、それが悔しかった。
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