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18、願わくばこの先も2人でいてほしい
「母さん、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「あ、えっと…冷やしたタオルと温かいのと…あと乾いたタオル、あと水が欲しいんだけど」
陽介が顔面蒼白で手には噛み跡を付けてリビングを覗いてきた。これは晴陽くんと何かあったのだと、すぐに分かった。一緒の部屋に泊まらせるのはやめた方が良かっただろうか。
嬉しそうに話す陽介を見て、後押しになればと思っていたけれど、私は間違ってしまったのかもしれない。
「はい、タオルと水、それと絆創膏ね」
「あ、ありがとう…あ、あとさ…」
陽介は何か言いたそうに私を見て、悩ましげに口をぱくぱくしている。昔から割となんでも話してきたけれど、本当に言いにくいことに関しては、どうしても言葉にできない、陽介の癖だ。
それだけ晴陽くんとの間に何かあったことを物語っていた。
「落ち着いて。話したくないなら今じゃなくてもいいのよ?」
「いや…今じゃないと、ダメなのに、うまくまとまらなくて…ごめん」
申し訳なさそうに、陽介は俯いてしまった。先ほど夕食時に怒ったのが相当効いているのか、今にも倒れそうなほど陽介は追い詰められていた。
「とりあえずソファに1回座って、落ち着いて、とりあえず絆創膏貼りなさい」
1度ソファに座って、私は陽介の手に絆創膏を貼った。それから背中を摩って陽介を落ち着かせようと、陽介の背中に触れた。だけどその背中はあまりにも冷たくて、思わず何もできずに私は固まってしまった。
あまりの出来事に戸惑っていると、陽介がポツポツと話し始めた。
「母さん、俺って暴力的なのかな」
「さぁどうかな、今までにそう感じたことはないわ」
「じゃあさ、優しくしたいのにそれと反対のことで興奮するってやっぱり変なのかな」
難しい問題を聞かれてしまった。私たちDom の性質として『支配したい』という欲求は、必ずしも相手に尽くしたいと思うことだけではない。暴力を持って支配する人もいたり、Sub の全てを支配したいと自由を奪って閉じ込める人もいる。
Subもそれをよしとして、傷だらけで喜んでいる人だっている。本当にお互いが求めてそうなっていたとしても、周りから理解されないことも多い。家庭内暴力、強姦、いじめ、監禁、殺人、どれもお互いが良しとしても、世間一般的には犯罪だ。少数の意見なんて、理解されることはない。
昔から陽介は晴陽くんに対して並々ならぬ執着と愛情を見せていた。そして晴陽くんも。晴陽くんが陽介になんでもさせていたところを見た時は、いつか2人はパートナーになるんじゃないかとも思っていた。
陽介は晴陽くんを愛して、尽くして、守りたいものだと。晴陽くんも愛されて、尽くされて、守られたいのだと。2人の間に、暴力的な行為は全くないと、勝手に思っていた。
だけどそれは私の盛大な勘違いだったようだ。
「陽介、私は変なことだとは思わないわ。どちらも晴陽くんに対する愛情表現だと、私は思う」
陽介が優しくしたいのは、1度さよならした影響。信頼してずっとそばにいてほしいって晴陽くんに対して思っているから。
その逆もまた、晴陽くんを手放したくないところからきているのだろう。『自分のSubである』という印を、暴力で身体に刻み込むことでしか表現できないでいる。そしてそれに興奮を覚えるのは、陽介のDomとしての本来の欲求。
きっとこんなこと言われても、陽介は戸惑うだろう。だってこれじゃあ、晴陽くんと襲った子とも、晴陽くんの父親とも同じだと言っているようなものだもの。
どう伝えていいか分からず、戸惑っていると、陽介が自分の思いを吐き始めた。
「本当にそう思う?俺、晴兄に『噛んで』って言われた時、耐えられなかった…晴兄の身体に傷なんて付けたくないのに、傷付けたい『自分のモノだ』って証を残したいって、身体がいうことを聞かないんだ…晴兄は『傷付けたんじゃない、自分の証をつけたって思え』って言ってくれたけど…やっぱりダメなんだ…この先もっと酷いことをしてしまったらって思うと…苦しくて…辛くて…」
陽介は重くのしかかった第二性の欲求に耐えきれず、泣き出してしまった。
晴陽くんが『傷付けたんじゃない、自分の証をつけたって思え』って言ってくれたのは、こうやって陽介を苦しめたくなかったからなのね。その時は陽介もきっと自分の中で折り合いをつけられたのだろうけど、実際に流れた血を見て恐怖が勝ってしまったのね。
「晴兄は、こんな俺を怖がる。それで自分を責めて離れていくんだ。子供の頃と一緒。だから何回も『ずっと隣にいる』って言ってくれてるのに、それが全然信頼できない…俺は晴兄と一緒にいちゃダメなの?晴兄の重荷になってる?」
陽介はすがるように私を見て訴えかけてきた。その瞳は、とうに限界を迎えているようだった。
パートナーになって1週間、陽介はずっと悩んでいたに違いない。
もちろん晴陽くんもだ。もう大事な人を犯罪者になんてしたくはないだろう、1度離れていったのも頷ける。それでも今、陽介とパートナーになってくれたということは、少なからず晴陽くんの中で、陽介は大丈夫だという何かがあるのだろう。
「陽介、晴陽くんがそう言ったの?陽介のこと『怖い』って、『重荷になってる』って」
「い…言ってないけど…いつか言われるよ…」
「だったらなんで晴陽くんは、今になって陽介とパートナーになってくれたの?」
「そ、それは…」
「晴陽くんは陽介の重荷になるためにパートナーになったわけじゃないわ。本当に一生隣にいたい、い続ける覚悟を持ってパートナーになってくれたの。だからもう1度戻ってきてくれたのよ」
自分のSubの性質を、陽介のDomとしての性質を知った上で、晴陽くんは陽介のパートナーになることを決めてくれたのだ。でなければ、いくら好きで離れたくなくても、相手の重荷になってまでパートナーになろうなんて、晴陽くんの性格からしてあり得ない。
「晴陽くんは陽介を信頼して、今パートナーになってくれているの。なのに陽介は晴陽くんのことを信じれずにずっとこうやって悩み続けるつもり?それじゃあ陽介の身が持たないわ。そんなの晴陽くんは望んでない」
「じゃあどうしたらいいんだよ!嫌なのに、自分の欲求のために晴兄を傷付けろっていうのかよ。母さんも晴兄も、それを望んでるのかよ!」
「そうは言ってないでしょ!晴陽くんには被虐性があって、陽介には加虐性がある。それを事実として受け止めろと言っているの。行き過ぎないための躾もできるし、晴陽くんにはSafe Word もあるのに、どうして何もしないうちから決めつけてこんなところでうじうじしているのよ!」
「だって起きてからじゃ遅いじゃんか!晴兄の友達みたいに、晴兄に消えない傷を残しちゃってからじゃ遅いんだ!それに最悪殺しちゃうなんてことがあったらどうしてくれんだよ!」
「…っ!」
確かに、起きてからじゃ遅いと足踏みしてしまう気持ちは分かる。実際に晴陽くんにはそのトラウマもあるわけだし、陽介が慎重になる気持ちも分かる。自分でも分からないからこそ、最悪な結果を先に想像してしまうことも。それを今日話していたのも聞いている。
ゆっくりと解決していくことなのかもしれないけれど、それでも今目の前で死にそうな顔をしている陽介を見たら、言えずにはいられなかった。でもその結果、無責任に陽介の気持ちを煽っただけになってしまった。
私はもう何も言えず、怒りのまま立ち上がって泣き続ける陽介を、見上げることしかできなかった。
そんな暗い空気の漂うリビングに、突然乾いたノック音が響いた。
「お話中すみません。今大丈夫ですか?」
「晴陽くん…」
振り向くと申し訳なさそうに扉のところで晴陽くんが立っていた。もしかしてどこからか、私たちの会話を聞いていたのだろうか。
「えぇ、大丈夫よ…話はもう、一旦切り上げるから」
陽介ももう話せる状態じゃない。これ以上私が何を言っても逆効果だと思い、私は陽介との話を切り上げることにした。
陽介は、晴陽くんがどこから聞いていたのか気が気じゃないのだろう。あっという間に涙は引っ込み、泣きすぎて起こったしゃっくりをしながら呆然と佇んでいる。
「陽さん、リビングでこのまま陽介と話してもいいですか?」
「え、えぇ構わないわ。それじゃあ私は寝るわね、おやすみなさい」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
晴陽くんは目を細めて微笑むみ、リビングを出ていく私を見送ってくれた。リビングを出る時、私は陽介に言葉を掛けられなかった。良い方向に向くようにアドバイスできたらよかったのに、何も出てこなかった。不甲斐ない親で本当に申し訳なくなる。
この状況で、晴陽くんはこれから陽介と話すと言っていたけれど、うまく良い方向に向くだろうか。
もし感情のまま衝突して、最悪の方向に向いてしまったら…そう考えたら今日は眠れそうになかった。
――とりあえず、今は祈るしかない。2人がこの先も笑い合っていられる未来が来ますように。
そう祈りながら、私は明日の報告が良いものだと信じて眠りについた。
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