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4.甘くて、甘くて、苦いもの(9)

 授業があるわけでもないから、昼前には潤と学校を出ようと思っていた。ただ、俺は要との時間が少しでもできれば、と、思ってたのも事実。授業が終わるまで、潤と一緒に駅前ででも時間をつぶせないかと思っていた。 「鴻上先輩」  潤と校舎を出ようとしたときに、声をかけられた。 「ん?」  振り向いた先にいたのは、なんとなく見覚えのある女子。 「あ、あの、ちょっと……いいですか?」  顔を赤らめて、上目遣いで見てくる。 「行って来いよ」  さっさと終わらせて行こうぜ、とでもいう顔をしている潤に、悪いな、と、目で伝える。俺は、彼女の後をついて、校舎の裏手に向かった。 「鴻上先輩」  顔を真っ赤にして、俺に差し出されている手には、チョコレートの入っていると思われる小さな箱。彼女の必死なのが伝わってくる。 「す、好きですっ」 「……ありがとう。これ、義理チョコ……じゃないんだよね?」 「は、はいっ」  それほど数が多いわけではないけれど、断る度に、胸が痛くなる。 「悪いけど……俺、付き合ってる子いるから」  そう言えば、だいたいは諦めてくれるはずなんだ。  なのに、目の前の子の顔色が一気に変わり、鋭い声で俺を見つめる。 「それって……獅子倉くんですか」 「何言ってるの……君……」  彼女の言葉に、つい、冷たい声になってしまう。見覚えがあるのに、思い出せない。 「二年の境です。前に、一度、うちの店で話しました」  ……店。そうか。要のバイト先の子か。ようやく、彼女が誰なのか、思い出した。 「うちの店に、鴻上先輩に似てる人がいるんですよね」  青ざめた顔のまま、俺を睨みつけるように見ている。 「その人、ゲイなんですけど、獅子倉くんのこと気に入ってて、けっこう、ちょっかい出してるんですけど」  そんなこと、聞いてないぞ。できるだけ顔には出さないようにしたけれど、彼女へ向ける視線は嫌でも強くなる。 「満更でもなさそうなんですよね。獅子倉くん」  俺の怒りを煽るように言う彼女。そんなわけない、と、心の中では思っても、あの時見たあいつを思い出すと、ジワリと嫌な感じまで思い出す。 「それと……その人が言ってたんです」 「……」 「獅子倉くんが、鴻上先輩とつきあってるって」  彼女の言葉に一瞬、息が詰まる。要があいつに言うわけがない。 「……先輩」  むしろ、隠すに決まってる。自分のためにではなく。俺のために。  要は、そういう奴だから。 「獅子倉くんのこと、言わない代わりに、私とつきあってください」  彼女の眼差しの中に、青い炎が揺らめいたように見えた。 「要とは、幼馴染だし、大事な弟みたいなものなんだ。君が思ってるようなのとは違う」  今の俺が思いつくのは、彼女の言い分を否定することだけ。 「付き合ってるのは、別の子だよ」 「じゃあ、誰ですか」 「それは、君に言う必要ないよね」 「教えてくれないなら、獅子倉くんがゲイだって言いふらします」 「そんなことして、君に何のメリットがあるっていうの?第一、要を傷つけるような相手と、誰が本気で付き合うとか思うとでも?」 「……」 「それじゃ」  青ざめた彼女を残して、俺はゆっくりと立ち去る。でも、彼女からの視線を感じなくなった途端、俺は校門で待っているだろう潤のもとに急いだ。  なんとなく、あの子は、そのままで終わらない気がする。  このまま俺が卒業した後、要に何か仕掛けてくるんじゃないか、そんな心配ばかりが、頭の中をぐるぐると駆け巡った。校門の前で佇む潤に、またせたな、と手をあげる。 「どうかしたか」  こいつには、隠し事ができないのか。普段通りのつもりでも、やっぱり、どこか違うのかもしれない。 「なんか、めんどくさいことになりそうだよ」  ため息をつきながら、駅に向かう。 「さっきの子?」 「ああ」 「……話だけでも聞くか?」 「ん?」 「いや、人に話すだけでも、少しは冷静に考えられるかもと思って」 「……ああ」  チラッと隣に立つ潤の顔を見て、思う。 「お前が、友達でよかったよ」 「褒めても、なんも出んぞ?」 「いや、いいアイデア、出してくれ」  俺たちは無言になると、足早に駅近くにある古い喫茶店に向かった。

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