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5.始まりの季節(13)

 柊翔の家に行くと、おばさんが大歓迎で俺を迎えてくれた。  嫌味の一つも言われるんじゃないかと、びくびくしていた俺には、想定外のことで、おばさんが、こんなにも嬉しそうな顔をしてくれるとは思ってもいなかった。仕事から帰って来たおじさんも、おばさんに負けずに嬉しそう。俺は、こんなに幸せな気分になったのは、久しぶりだと実感してしまう。 「要くん……柊翔からも聞いてるかもしれないけど、うちに来ないか?」  真面目な顔で、俺に話しかけてくるおじさん。正直、親父と顔を合せる機会の多いおじさんのところに頼るのは、すごく気が引ける。 「君の親父さんには、了解をもらってる」 「え。」 「当然、お前たちの関係は伏せてるよ」  おじさんは、サラッと言ったけれど、その言葉が、俺を責めているような気がして、思わず顔を伏せると、唇をかんだ。 「要くんがアパートで独り暮らししているよりも、うちにいるほうが心配しないで済むだろうし」  湯呑を手にしながら、俺をジッと見つめる。 「それと……どうも、君に弟か妹ができるかもしれないんだ」 「え」  おじさんの言葉に、一瞬、頭が真っ白になる。 「相手の女性が妊娠したらしい」  親父とあの女の姿が、頭をよぎる。 「今までは、あの家には君の親父さんだけで住んでたらしいんだが、子供ができたことで、一緒に暮らすことにしたらしい」  一人で住んでいたなんて、嘘に決まってる。先輩にあたる柊翔の親父さんに、いい顔を見せたいだけだ。顔が歪んでしまうむのが自分でもわかる。でも、我慢なんか出来なかった。 「看護師の仕事は大変らしいから、早い段階で仕事を辞めるらしいんだ。そうなると、収入的にも厳しいらしくてね」  どうせ、俺にかかるお金をできるだけ抑えたいってことだろう。 「私たちは、それとは関係なく、君をうちで預かりたいと思ってる」 「そうよ。要くんのお母さんとも約束したもの」  おばさんが、おじさんの湯呑に、お茶を注ぎながら言った。 「いつだって、要くんの面倒は見るからって」  優しく微笑みながら、俺の湯呑にもお茶を淹れてくれる。二人の優しい言葉に、涙が零れそうになる。 「また、泣くのかよ」  隣で大人しくしていた柊翔が、俺の頭をポンポンと叩く。 「だ、だって」  ぐいっと涙をふくと、おじさんたちの顔を見た。 「本当に、お世話になっていいんですか」  だって、俺は、おじさんたちの大事な柊翔の未来を、おじさんたちが望んだ形とは違うものにしてしまうかもしれないのに。 「ああ。要くん、心配せずに、うちにおいで」  二人が優しく微笑んだ。  結局、俺は、柊翔が叔父さんのところに行くのと入れ違いに、おじさんたちに世話になることを約束させられた。 「引越の予定とかは、まだ決まってないんだ」  俺のアパートへ向かいながら、柊翔と二人、ゆっくりと歩く。 「たぶん、四月の初めくらいかな。入学式直前でいいと思ってるんだ。ギリギリまで、要のそばにいたい」  人通りの少ない道は、街灯の灯りがポツンポツンと浮かんでいるようだ。  柊翔は俺の手をつかむと、自分のコートのポケットに突っ込む。手の温もりが、ジワリと伝わる。 「春休みは、どこか行きたいところ、あるか?」  俺を見もせずに、前をむいたまま聞く柊翔。 「俺は、柊翔がいてくれれば、どこだっていいよ。」  本当に、そう思う。  柊翔がそばにいてくれさえすれば。ポケットの中の手が、強く握りしめられる。 「柊翔……痛いよ」  これから、柊翔が大学に行っている間、いつまで俺のことを忘れずにいてくれるんだろう。おじさんたちが俺たちを試してるって、柊翔は言った。これから二年間、離れて暮らしたら、俺たちの気持ちも離れてしまうのかな。 「ごめん」  柊翔の言う『ごめん』は、何をさして言ってるのか。単純に、強く握ったことへなのか、他のことをさして言ったのか。 「要」 「ん?」 「……できるだけ、こっちに帰ってくるから」 「柊翔……」 「二年なんて、あっという間だよ。要だって、これから勉強で忙しくなる」 「……そうだね」  今の俺にできることは、たぶん、柊翔が心配しないように、見送ってやることだけだ。  そして、俺たちの新しい生活が、もうすぐ始まる。

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