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2 絶望と希望2

 手術を受け、傷が癒えるまでひたすらベッドに縛り付けられている間、友人たちは何度も見舞いに来てくれた。そのたびに無理矢理笑顔を作り、渡されたノートのコピーの内容だって分からないまま、ぼんやりと空だけを眺め続けた。 (あー、そっか。俺、特待生だったんだ)  やっと友人たちがノートのコピーを持ってきた意味が分かったのは、手術した足を付けず松葉杖でなら歩いていいと許可が出て、その練習をした帰りだった。  ここへ運ばれてから一ヶ月が過ぎていた。  スポーツ特待生は成績を出すことが使命だ。そのために他の生徒と違って入試も学費も免除され、他の生徒よりも優遇されている。だがそれは諸刃の剣で、学校名を広めるための広告塔としての役割を担えなければ、ただの生徒と同じ扱いになる。授業に追いつけなければ留年や退学だってあり得る。 「そっか……あいつらそのために……」  友人たちが置いていったノートのコピーに目を通しても意味が分からない。当然だ、中学からまともに勉強なんてしてこなかったのだから。跳んでいればそれだけで幸せで、朝練も放課後練習も毎日のようにやっては、足りない体力を補うように授業中はずっと寝て、テストでその結果を突きつけられても笑って誤魔化し部活へと逃げていたのだから。  それと同じことを高校でも繰り返していた中西が選べる道は少ない。 「勉強しなきゃ……」  そう思っても、手に付くはずがなかった。  もう跳べないなら学校にいる理由がない。他の生徒と同じくらいの成績を取らなければ学校から追い出される。  その事実に直面して仕方ないとは思えなかった。 「それじゃあもう井ノ上に会えないじゃん!」  唯一の接点はクラスメイトというくらいだ。それを失ったらもう接点なんてどこにもない。家がどこかも知らないし、他の高校に移ったら絶対に近づくチャンスなんてなくしてしまう。  跳べなくなった今、中西にあるのは悠人に対する憧れだけだ。 「とにかく勉強しなきゃ……だよな……でもわかんねー!」  母が持ってきてくれた教科書を開いても、正直何が書かれてあるのか分からない。どうすればいいんだろうと頭を抱えても教えてくれそうな人間は周囲にいなかった。  なんせここは整形外科病棟、同室にいるのは中西と同じように部活ばかりしてきた体力自慢ばかりだ。気さくな彼らは何かと中西に声を掛けてくれるが、教科書を見た途端に「何書いてるかわかんねー」と同じ感想を口にしては自分のベッドに戻っていく面々ばかり。勉強など今までしてこなかった仲間意識は募るが頼りにはならない。 「どうすりゃいいんだよ……」  頭を抱えても教科書の内容を理解することはない。 「おーい中西、大丈夫か?」  教科書を前に苦しんでいると友人たちが見舞いに来てくれた。今日も大量のノートのコピーを手にしているのを見て、喜ばなければならないはずなのに一層青ざめてしまった。今日一日でそれだけ進んだのだと目の当たりにして落ち込む以外ない。 「どうしたんだよ、そんなひっでー顔して」 「……わかんねーんだよ、教科書」  恥も外聞もない。配られたばかりの教科書の最初のページすら意味が分からなくて泣きそうになっていると、心優しい友人たちは困ったように顔を見合わせた。 「……俺たちで良かったら教えようか?」  有り難い申し出に縋り付いたが、丁寧に教えてくれても意味が分からなかった。あんなに休み時間ずっと喋っているメンバーなのに、彼らが口にする内容が別言語にしか聞こえない。  一時間みっちりと数学の教科書の最初のページを教えて貰ったが、全く理解しない中西に彼らも途方に暮れ始めた。 「中西……お前ある意味すげーよ」  ぼそりと告げられて匙を投げられたのが嫌でも分かる。 「ごめん……」 「別に謝んなくていいから。俺たち、誰かに教えるの初めてだしな」  あはははと笑った声が心なしか乾いているように感じた。 「そう言えばさ、俺たちさっき井ノ上を見かけたぞ」 「えっ、どこで?」 「どこって、病院のエレベータでだけど。俺たちが乗ろうとしたら井ノ上が車椅子で降りてきたんだよ、なぁ」 「そういやお前に言ってなかったよな。半月前からだっけ、井ノ上がずっと休んでるんだよ。あんまり身体が丈夫じゃないって聞いてたけど、まさか入院してるなんて思わなかったわ」  入院? 同じ病院に?  今までドス暗い感情に飲み込まれそうになった中西は一気に浮上した。現金な物だと思いはするが、もう逢えないかも知れないと思っていた存在がすぐ側にいたと知って、テンションが上がらないわけがない。 「それ、本当か?」 「本当だって。車椅子に入院服着てたらすぐ分かるって。それでエレベータの中で盛り上がったもんな」  友人たちがその時にことを話しているのを耳にしながら、心臓が煩いほどに血液を送り出す音を鼓膜に響かせる。 (そっか……井ノ上も入院してるんだ)  孤高で綺麗な彼が同じ病院にいて寝食を共にしているんだと言うだけで、どこまでも頭が熱くなっていく。この下のどのフロアに入院しているのだろうか。病院中探したら逢うことができるのだろうか。もし逢えたらなんて話そう。入院していること? それとも実は憧れているんだって言えば距離が縮まるのか。  友人たちが帰っても悠人のことを考えて勉強が手に付かなくなった。何を話そう、どんな話をしよう。何に興味があるのだろう。本の話をしたら少しは会話が成立するだろうか。そんなことを眠る瞬間まで考えて、ふと思いついた。 (そうだ、勉強を教えて貰えばいいんだ!)  友人たちよりもずっと勉強ができるのは知っている。なんせいつも上位三人に入っているし、勉強できるが誰とも仲良くしない人間と認識されている。そんな悠人なら友人たちに匙を投げられた中西を救ってくれるかもしれない。 「よし決めた! 井ノ上に勉強を教えて貰おう」  もし叶ったなら一緒にいられるわけだし、ただのクラスメイトよりもほんの少しだけ距離が縮まるかもしれない。さすがに一方的に憧れていたなんて言われたらドン引きされるから絶対に口に出さないようにしなければならないが、僅かな接点があるならそれを利用しない手はない。  それからというもの、中西は時間を見つけては体力を戻してくると看護師に伝えて病院中を二本の松葉杖と共に歩き回った。  歩き続ければいつか絶対に悠人に逢える。  そんな希望を持って一週間。 「見つけた!」  人のごった返す月曜日のエントランスで、友人たちが言ったように車椅子を動かしながら売店から出てくる悠人を見つけた。

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