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5 さよならの覚悟とスケッチブック1
もう来週の約束はないだろうな。
碧は傷心のままベッドに転がった。
一輝の彼女と名乗った女性は、本当に人目を惹くほど華やかな人だった。きっとテレビに出てる人だろう。
そんな人よりも碧の方がいいなんて、嘘だ。きっとお見合い相手だからそう言ってくれるだけだって碧にも分かっている。
完璧で綺麗な兄たちと比べたら全てにおいて見劣りしてしまうことくらい、世間知らずの自分でも理解してる。ちゃんと自分のことを客観視出来ている。
ただ嬉しかったのだ。一輝に優しくされて、ちょっと夢を見てしまった。白馬の王子様のような人が本当に碧を好きになってくれたのかもと。
でも現実はそう甘くはない。
絵を描くくらいしか取り柄のない碧を好きになってくれることがあるわけがない。
「夢、見ちゃったんだよね」
こんな自分でも好きになってくれる人がいるかもしれないという、儚い夢を。
「バカみたい……」
病気があることで家族にまで迷惑をかけるような自分は、きっと重荷だ。いくらお見合い相手だって断りたくなるだろう。
だから恋人がいても仕方ない。
仕方がないけど……やっぱり悲しかった。
あの優しい人の隣が似合うのは彼女のような綺麗な人だと突きつけられ、否定できない自分が嫌だ。だって本当にお似合いだったから。碧がもっとカッコよくて、もっととびぬけた才能があったなら少しでも自信が持てたかもしれないけど、本当になにもなくて、次兄があの場で手招きしてくれなかったら消え入りたいと本気で思っただろう。
なのに、一輝は恋人の前で碧が恋人だと思ってると言ってくれた。碧と結婚したいと言ってくれた。
信じたいけど、自分は信じる確かなものをなにも持っていない。
きっと今頃一輝は後悔しているはずだ。
恋人の前であんなことを言ったのを。
近いうちにお見合いを断る連絡が来るかもしれない。
そうなったら碧は受け入れるしかない。
「それ、ちょっと悲しいな」
悲しくて今度こそ消えてしまいそうだ。
でも現実には消えることがない。ただ一輝の記憶から消えるだけ。そしてもう二度と彼に会うことがなくなる、それだけだ。
たった数回会っただけの人にどうしてここまで想いを寄せてしまったのだろう。
自分はきっと、一輝を好きになってしまったんだ。優しくてなんでも優雅にこなせて、一緒に笑ってくれるあの人を。
「……もう会えないのかな?」
寂しいけど、悲しいけど、きっともう会えないだろう。
そしてこのまま、自分の中の一輝の記憶も消えてしまうのだろう。
なぜか、それだけは嫌だった。
「そうだ」
碧はスケッチブックを取り出した。花や庭のスケッチばかりがあるそこに、描いていく。忘れないように。いくつも。
ただそれだけに専念した。
一輝からなんの連絡もないまま日付だけが変わり、碧はいつも楽しみにしている絵の授業も体調不良で休むと告げて一月近くが経った。もしかしたら両親になんらかの連絡があるのかもしれないが、碧の耳に入ることはなかった。
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