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5 さよならの覚悟とスケッチブック2

 両親も兄も、お見合いをする前のように誰も一輝のことを口にはしない。初めから見合いをした事実がなかったように振る舞われた。だから碧も聞けない。彼から連絡があるかどうかなんて。  ただできるのは、忘れないように一輝の顔を、その優しい手をスケッチブックに残すだけ。  人物画が苦手でいつも避けていたはずなのに、気が付いたら部屋にあるスケッチブックがなくなるほど彼だけを描き続けた。  学校と家の往復をして、休日はずっと部屋に籠るだけの生活を続けた。  もしかしたら、断りの連絡が来ていて、両親は碧に言いだせずにいるだけじゃないかと思い始めたころ、送迎の車から降りた碧に執事が告げてきた。 「リビングで天羽様がお待ちです」 「一輝さんが?」  驚くと同時に暗い気持ちになる。  とうとうこの時が来てしまったんだ。  正式に見合いを断るつもりだから、平日にも関わらずやってきたのだろう。  碧は鞄を執事に渡して、何度も深呼吸で気持ちを落ち着かせてからリビングへと入っていった。  久しぶりに会う一輝はあの優しい笑みを浮かべていた。あまりに優しくて、自分だけに向けられていると勘違いしてしまう、あの笑みを。 「お帰り、碧くん。しばらく連絡できなくて申し訳なかった」 「いえ……」  なにを話していいか、わからない。  早く断りの言葉を告げてくれと思う反面、少しでも長く一輝と同じ空間にいたいと願う。  矛盾した気持ちを抱えながら、ソファに座らず立ったまま彼からの言葉を待つ。  嘆息とともに一輝もソファを立った。ゆっくりと碧に近づいてくる。 「ここではなく、碧くんの部屋で話をしてもいいだろうか」  いつものように頭を撫でてくれる手が、優しい。なんで断ろうとしてる相手にこんなに優しくするんだろう。あまりの優しさに泣きそうになりながら自分の部屋へと案内する。  できるなら最後は優しくしないで欲しい。  優しくされたらまた期待してしまう。  本当はそんなに優しくしないで欲しいと叫びたい。なのに、心のどこかでこの人に優しくされたいと願っている自分がいる。叫びたいのに叫べないで心の中に気持ちをそっと隠していく。いつものように。  期待しなければいい。これ以上。  そうすれば傷つかない。それは病気と言われてきたときからやってきたことだ。我慢は慣れてる。諦めることも慣れてる。だからきっと、今日でサヨナラと言われても大丈夫だ。  重い気持ちのまま寝室へと向かった。アトリエも兼ねた二部屋続きの寝室の扉を開ける。絵ばかりを描いているせいで画材以外は勉強道具とベッドしかない部屋はとても人を招く場所になっていない。座るところもベッドか勉強机の椅子しかない。  油絵の具で汚れた椅子を勧めるわけにはいかないので勉強机の椅子に腰かけてもらい、自分はベッドに座った。  一輝から話しかけてくるのを待っていると、スマートフォンを取り出した。操作して画面を碧に見せる。

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