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8 挨拶と婚姻届と悲しい現実6

 新婚旅行だけは一輝の長期休暇が取れないため、九月までお預けだが、行先ももう決まっているので、あとは碧の卒業を待つだけだった。  既に証人欄までもすべて埋め尽くされた婚姻届けを届けるばかりとなった三月。  卒業式に参加したいと切望していたが、三月の営業部は最後の追い込みで容易に時間を作ることができない。  今年は前半期の営業成績が過去最高だっただけにあくせくする必要はないが、それでもみっともない数字で結婚などできない。  とにかく仕事に打ち込み、卒業式の翌日を待つ。  そしてとうとう、その日が来た。  一輝は浮かれながら碧を迎えに行く。区役所に届けるための婚姻届けをしっかりと握りしめ、愛車へと乗り込む。  日曜日でも婚姻届けを出すことができるのは有難い。碧をこの助手席に乗せたらもう、門限など気にせず彼とずっと一緒にいられるのだ。帰すこともなく、ひたすら自分の隣に縛り付けられる。一緒に食事をするのも寝るのも自分だけ。それが、夫の特権。  嬉しすぎて鼻の下が伸びるのを止められない。  あのいけ好かない菅原兄弟にこの脂下がった顔を見せてやりたい。  そんな気持ちで向かった菅原家では、碧が大きなボストンバッグだけを持って待っていた。 「あれ、ご家族は?」 「みんな昨日休んでくれたので、今日はお仕事なんです」  少し寂しそうだ。今にも泣きそうな碧に慌ててフォローする。 「近いしいつでも来ることができるんだから。寂しくなったら顔を出せばいいよ」 「そうだよね。いつでも帰ってきていいんですよね。良かった」  さすがに生まれ育った家を離れるのは寂しいのだろう。それは仕方ない。だが彼がこれ以上寂しくないようにするのは自分の仕事だ。いくらでも寂しさを紛らわせてやろうじゃないか。  下半身に意気込みを入れていると執事がそっと寄ってきた。 「天羽様、こちらが碧様の『病気』と『薬』に関する資料でございます。月に一度の受診をお願いします」 「……碧くんの『病気』だが、もう投薬の必要はないのでは……」 「そちらにつきましては主治医とご相談くださいませ。わたくしでは判断いたしかねます」  もっともだ。彼は医師でも薬剤師でもない。  資料だけを受け取り、碧を車に乗せる。 「では行ってきます」  いつもと同じ挨拶をする碧に、彼が生まれた時から見守ってきた執事はしわの多い目元に僅かに涙を浮かべる。 「行ってらっしゃいませ、碧様」  いつもと変わらないやり取りをする彼らの哀愁を振り払うように車を出発させた。

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