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8 挨拶と婚姻届と悲しい現実8

 まだ少し濡れている髪を撫で、細い身体をベッドに運び、起こさないようにそっと下ろして布団をかける。 「ゆっくり休みなさい」  穏やかに眠る碧の安らかな寝顔をたっぷりと堪能した後、執事から渡された書類のことを思い出した。 「どんなことが書いてあるんだ?」  封筒には病院の場所と医師名、そしてしばらく性行為の禁止が大きく書かれた紙が入っていた。 「禁止!?」  なんでだ。夫婦になったというのにやることやらなかったら意味がないだろう。  だがその説明が明細まで書かれていた。  碧が常用しているグルゴーファは発情抑制剤の中でも特殊な薬で、男性オメガだけに使用が許可された特異なものであった。ただ発情を完全に抑えるだけではなく性欲も生理現象もすべてをシャットアウトしてしまうため、服用中の身体はベータと全く変わらないものとなっている。突然服用をやめてしまうと身体が、大量に放出されるオメガ特有のホルモンに耐えきれず様々な不調を起こしてしまうため、医師の指導の下に少しずつ量を減らさなければならない。  だから、ホルモンの分泌を促進させる性行為をしてしまうと、身体に負担をかけさせてしまうので『絶対禁止』と書かれていた。  薬を完全に抜くにはおおよそ半年かけて行う、と。 「まさかの生き地獄か……」  一輝は床に手をついて落ち込んだ。こんな現実なんて知りたくなかった。  まさか全く手を出せない状況をあと半年も続けろというのか……。 「無理、絶対に無理!」  だが抱いてしまえば碧の身体になんらかの負担がかかってしまう。それは避けたい。  どうしたらいいのか……。  簡単だ。あと半年我慢し続けるだけ。  たった半年……半年も我慢できるか自信がない。もう楽しみにしすぎて下半身ビンビンにして風呂から出てきたのにまた長い時間右手だけで慰めなければいけないのか。しかも、今度は碧と一緒に暮らしながら、彼に気付かれないように自己処理を済ませなければならないなんて。 「これが因果応報ですか神様……」  今まで信じたこともない神のいたずらとしか思えなかった。  碧と会うまであんなところやこんなところで色々な人々と遊びすぎたせいだ。アルファのオーラを振り回して好き勝手やりすぎたツケが今になって回ってきたのだ。過去を顧みて深く反省しろと言われているような気持になる。 「反省します、本当にごめんなさい」  一人の薄暗いリビングで土下座する姿を月明かりがそっと見つめているだけだった。

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