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第4話

 ノエルが招き入れられたのは予想通りの特別な部屋だった。たぶんこのホテルで最上級の。  入ってすぐ右手に、ドレッサー付きのウォークインクローゼットがあったことからそれを感じる。 「バッグと上着を」  そう言ってキースが手を出したので、ノエルはスクエアバックを下ろしてブルゾンを脱ぎ、それを手渡した。  キースはそれらをクローゼットの中にしまうと、先立って奥に進んだ。  短い通路の先は広いリビングルームだった。  一番手前にはコーヒーメーカーが置かれた大きなキャビネットがあり、その向こうにモダンなライティングデスクが置かれている。  そして、部屋の中央に布張りの座り心地が良さそうなカウチ付きソファ。花が飾られたテーブルを挟んで肘掛け椅子が二つ。  横長の窓に沿うようにダイニングテーブルが置かれ、その外には実に見事なベイエリアの夜景が広がっていた。  全体がモノトーンで統一されたスタイリッシュな部屋だ。  左右が通路になるタイプの仕切り壁があるが、その向こうがベッドルームだろう。  キースはソファに腰かけ、テーブルに置いてあった煙草を手に取った。  一本抜き取って、美しい葉模様が彫刻された銀のオイルライターで火をつける。  人差し指と中指で煙草を挟んで口元に運ぶと、大きくひとつ吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。  夜景を背にしたキースの薄い唇から、ゆらりと紫煙が立ち上る。  まるで映画のワンシーンのようだ。  それをぼんやりと見ていたノエルに、キースは素っ気なく言った。 「バスルームは一番奥だ」  キースの意図を理解したノエルは落胆を隠せなかった。  ここへ来たのは、そんな即物的な理由じゃない。キースという人間を知りたいからだ。 「……そういうつもりじゃないんだが」 「なら、どういうつもりだ?」 「ただ一緒に酒でも飲んで、話をしてみたかっただけだ」 「なるほど」  キースは小さく頷いたが、ノエルに向けた表情にはどこか苛立ちのようなものが潜んでいた。 「生憎、俺はそういう関係は求めてない」 「それは」 「答えはイエスかノーだけだ」  キースがノエルの言葉を鋭く遮った。  ノエルは悔しげに口を引き結ぶ。  二者択一ならば、ノエルに選べる答えはひとつしかない。 「……わかった」  ノエルは諦めとともにベッドルームへ入った。  大きなキングサイズのベッドの横を通り過ぎて、左手にあるバスルームのドアを開ける。  黒の大理石をふんだんに使った、ラグジュアリーなバスルームだ。  ドアの正面に鏡と2ボウルタイプの洗面台があり、その左にシャワーブース、右には大きなバスタブが備え付けられている。  ノエルは履いていたスニーカーを放り出し、身に着けていた服を一気に脱ぎ捨てた。  ザーザーと熱い湯を浴びていると虚しさが込み上げてくる。  別にキースとセックスするのが嫌な訳ではない。むしろ、あの冷たさを纏う男がどんな風に自分を抱くのか知りたいと思う。  問題はそれだけで終わってしまうことだ。  体だけの繋がりではきっと足りない。  ノエルは自分がキースの心を欲しがっていることを、はっきりと自覚せざるを得なかった。 「……何やってんだか」  自嘲の言葉が水音に消えていった。            ノエルは体についた水滴を残らずタオルで拭き取って、バスローブを羽織った。  バスルームを出ると、キースは既にベッドの上に寝転んでいた。  その横に腰を下ろすと腕を引かれて、そのままベッドに倒れ込む。  ノエルは呆気なくキースに組み敷かれた。  重く長い前髪が顔を覆い隠して、キースの表情が見えない。今、どんな目をしている?  これから起こることに何の意味も見い出せないノエルがどこか上の空でいると、キースは自分を見ろとばかりに口づけてきた。  そのまま顎を指で掴むとノエルの唇が微かに開いて、キースはそこから舌を侵入させた。  キスされると思っていなかったノエルは咄嗟に反応できなかった。  キースにとって、これはきっとよくあることだ。体だけとか、一夜限り。気持ちの伴わない行為に果たしてキスは必要か。  だが、キースの口づけは驚くほど甘く深く、ノエルの官能を呼び起こした。  歯茎をなぞり舌を吸い、上顎をくすぐるように刺激すると、また舌を絡めて吸い上げる。  されるがままは性に合わないノエルが、いとも簡単に主導権を握られてしまった。  何度も角度を変えて施される口づけに呼吸が儘ならない。思うままに口内を貪られ、思考が奪われていく。 「…ん、んっ」  鼻から快感を滲ませる息が洩れて、それが更にノエルを追い詰めていった。  口の中に溜まった唾液がつうっと零れると、キースはそれを殊更(ことさら)ゆっくりと顎先から口の端まで舐め上げた。  ノエルは完全に息が上がっていた。  はあはあ、と湿った呼吸を繰り返す。  キースがにやっと人の悪い笑みを浮かべたのがノエルの目に映った。  キースは再び口づけながら、ノエルのバスローブの合わせを開いた。  部屋の隅でぼんやりと光るフロアランプがノエルの象牙色の肌を照らす。  肌理(きめ)の細かい、(すべ)らかな肌はそれだけで匂い立つようだ。  キースの大きな掌がノエルの脇腹を上下に撫でさする。  少し体温の低いノエルの肌にキースの熱が染み込んできて、それだけのことにノエルは胸の高まりを感じてしまった。  ――ああ、もう考えるのは止めだ。  どうしたって逃れることができないのなら、抵抗するだけ無駄だろう。  キースを求める欲があるのも本当。  ならば、与えられるものを享受した方が後悔はきっと少ない。  ノエルは自分からキスをねだった。  それを陥落の合図と取ったキースの手がゆっくりと下りていく。  互いのバスローブを脱がし合い、素肌と素肌を合わせると、何とも言えず満ち足りた気分になる。  キースの唇がノエルの細い首筋を辿り、鎖骨の上をちゅうと吸い上げた。            ノエルの胸をひとしきり責め立てたあと、キースはサイドチェストの引き出しからローションのチューブとコンドームを取り出した。  キースはわざとノエルの目の前でキャップを外し、手の平にとろとろの液体を押し出すと、それを長い指にたっぷりとまとわせる。  その手が下腹部に下りてきたので、ノエルはひどい羞恥に襲われながらも両足を開いて、膝を立てた。  ローションでべたついた指がノエルの蕾に触れた。そのまま皺の部分を伸ばすように、やわやわと揉み込まれる。  キースは性急に進めることはせず、ノエルの反応を見て楽しんでいるようだ。 「はぁ…」  ノエルの口からあえかな吐息が洩れた。  キースはその感触を確かめながら、口元に薄い笑みを()いた。 「固いな」 「後ろは、もう何年も使ってない…」  ノエルが正直に告げる。  仕事に集中したかったから、この数年は恋人と呼べる相手も作っていなかった。 「自分でしてなかったのか?」 「…んで、そんなこと聞く?」 「興味がある」 「…嘘くせ」  ベッドの中の睦言とは思えない遣り取りの間もキースの指が止まることはない。 「はっ、あっ…」  つぷ、とキースの指が一本、中に侵入した。  閉ざされていた入口を通り過ぎると、キースの太い指がするりと飲み込まれる。  そのまま、ちゅくちゅくと抜き挿しされて、ノエルはふるっと体を震わせた。 「あ、あ…っん」  長い間、誰も受け入れていなかった場所を刺激され、ノエルはまるで初めての時のような感覚に陥った。  そもそもバイと言っても、ノエルは受け入れる方はあまり慣れていない。自分から抱かれたいと思うことも少なかった。  耳元でどくどくと心臓の音がする。  鼓動が速い。  緊張で体が強張っているのを感じる。  自然と感覚が鋭敏になり、少しの刺激にも過剰に反応してしまった。  何故かなど、考えるまでもない。  相手がキースだからだ。  キースは男との行為にも慣れているようだ。  けれど、だからといって男が好きという訳でもないのだろう。  自慢ではないが、あんなに邪険にされたのは生まれて初めてだ。  キースは気持ちよくなれれば誰でもいいのかもしれない。そう思うと胸が痛む。  このベッドの上で、一体、何人の男や女を抱いてきたのだろう。考えるだけで胸が焼き切れそうだ。  それでも、ノエルはキースに触れてもらえるということに気持ちの昂りを抑えられなかった。  キースの指が入口を広げるように円を描く。  それを何度も繰り返して、二本目の指が挿入された。 「っあ…!」  キースの指だと二本でも圧迫感があった。  久しぶりだから、尚更そう感じるのか。  やがて単純だった動きが、徐々に意味を持つように変わっていく。  少しだけ指先を曲げ、中を探るようにしていると、ある場所でノエルの体が跳ねた。 「あっ、やぁっ…!」  体の中を電流が走り抜け、悲鳴のような声が上がる。  キースはにぃと口の端を吊り上げた。  二本の指でノエルの泣き所を押し上げる。最初は緩やかに、少しずつ力をこめて。  ぐっと押すとノエルの背中が浮き上がった。 「あぁんっ」  ノエルは自分で自分の声に驚いた。  こんな甘ったるい声が自分から洩れ出たことに頭の中が軽くパニックになる。  思わず口を両手で覆った。  なのに、キースの指が少しだけ膨らんだしこりを押すたびに、ノエルの意思とは無関係に勝手に声が零れ落ちる。 「あっ! あん、やぁ、だめ…!」  甘く煮詰めた糖蜜のようなトロリとした声。  官能と陶酔を滲ませた声が、ノエル自身の耳を犯していく。 「あ、あっ…あん、ふっ…う、ああっ」  しこりを執拗に刺激されて、全身がぞわぞわと粟立った。堪らない快感が脳までも支配していく。  ノエルの中心が頭をもたげ、その頂から透明な雫が幾筋も溢れた。  だが、三本目の指が中に収まると、ノエルは目一杯に広げられた後孔に苦しさを感じた。 「……キツいな」  キースが呟く。  ローションの滑りを借りても、すんなりとは出入りできない指にキースは僅かに眉を顰めた。  動きを止めたキースに、ノエルはたちまち不安になった。中途半端に終わるのは嫌だ。 「…やめんなっ…」  台詞とは裏腹な、哀願するような声だった。 「…痛くてもい、から…っ」  誰にも言ったことのない言葉。  一方だけが気持ちのいいセックスなんて意味がないと思っていた。  ノエルにも恋人でない相手と寝たことくらいある。それでも、いつも互いが満足できるように気を使ってきたつもりだ。  その自分が、こんな――。  悔しい、恥ずかしい、情けない。  ノエルの目尻に涙が滲む。 「……加減はしないぞ」  キースの指が再び動き出した。  やや強引に抜き挿しされると、内壁が引き攣れて痛みを伴う。  キースは途中でローションを足して、じっくりと後孔を解していった。  加減しないと言っておきながら、そこにノエルに見せてきた冷徹さはなかった。  それがまた、ノエルを切なくさせる。  やがて、ノエルの内側が少しずつ快感を拾い始めた。  一度、萎えかけたノエルの雄が力を取り戻し、溢れた先走りが会陰にまで流れ落ちる。 「んっ、あ、あん…んっ、やぁ、ああっ」  ノエルから零れる声に愉悦が混じってきたことに気づいたキースは、横に置いてあったコンドームに手を伸ばした。  上体を起こし、それを口の端に咥えるとピッと袋を破る。  ノエルはそこでようやくキースも勃っていることに気づいた。自分で興奮してくれているのかと思うと嬉しくて仕方ない。  ――それにしても。 「…デカい…」 「楽しみだろ?」  前髪の間から覗く目が細められる。  キースは手早くゴムを着けると、ノエルの両足を抱え上げ、自身の先端をノエルの蕾にあてがった。  そこから先は、確かに加減はなかった。  キースが自身の昂りを一気に捩じ込む。 「ひっ、ああぁぁっ!」  一瞬、息が詰まった。  凶器のような質量が、みちみちと音が聞こえそうなほどの力でノエルの内側を割り広げていく。  ノエルは内臓を喉元まで押し上げられるような感覚に吐き気を催した。 「ま、まてっ、まだ動くなっ」 「加減はしないと言ったろ」  キースは容赦なく、ノエルに熱い楔を打ちつけた。肉と肉がぶつかり合い、ぐちゅぐちゅと卑猥な摩擦音が響く。 「あっやだっ、あぁっだめっ、とまってっ!」  苦しくて懇願するが、キースは聞く耳を持たない。勢いを緩めることなく、激しい抽挿を続ける。 「あっあっ、やぁ…んっ、だめ…!」 「苦しいだけじゃないだろ?」 「あっ、ん、ふぁ…あぁ、やぁっ、はぁ…っ」  キースは的確にノエルの弱点をついた。  ぷっくりと膨らんだ前立腺を削るように何度も突き上げられるうちに、苦しさは小さくなり、代わりにビリビリと痺れるような快感がノエルの理性を溶かしてゆく。 「あんっ、あっ、ん、やだ、そこばっか…っ」 「嘘つきめ。気持ちいいくせに」 「や、だめっ、あ、あ、あぁっ!」 「素直に『いい』と言え」  命令するな、と言いたかったが、ノエルの口はもう意味のある言葉を紡げなかった。 「んっあっ、あっあんっ、あっ、んんっ、あぁっ、はあっああっ、もやだぁ…っ」  自分のものではないような甘ったるい嬌声が零れた。  そうやってキースに揺さぶられるたびに、ひとつひとつノエルを縛るプライドが(ほど)けてゆく。  こんなのは嫌なはずなのに。  ノエルは最早、抗えない悦楽に、ただ嫌嫌(いやいや)する子供のように首を振るだけだった。  勃ち上がったノエルの雄が、その時を待ち望んでふるふると揺れている。  腹の奥に溜まる熱も、今にもはち切れそうにノエルの中で暴れ出していた。 「あ、もうっ、だめ、もうっ…!」 「イきそうか?」 「んっ、もう…イきたいっ、イかせてっ…!」  ノエルの蕩けきった頭は、欲望に忠実だった。  キースはノエルの肉茎に手を伸ばした。大きな手で包み込むと、激しく上下に動かす。  ダイレクトな刺激が急速にノエルを追い上げた。涙で視界がぼやけて、頭の中が真っ白になる。 「あっ、イく、も、イくぅっ…!」  キースは一層、深く速いストロークでノエルの内側を突き上げながら、手の動きを早めた。  ノエルの体がびくん!と大きく弾んだ。 「あぁーーー…っ!!」  ノエルの先端から勢いよく白濁が飛び散った。  同時に強烈な快感が体中を駆け巡る。  だが、キースは動きを止めなかった。 「まって! いまイッてる…イッてるから!」  ノエルが制止しても、キースは無視して腰を打ちつけた。  達したばかりのノエルの体は絶頂感を引きずったまま、更なる高みへ誘われる。 「あっ、あんっ、はぁ…ふっ、あぁっ…!」  キースの雄がノエルの快感を引きずり出すように前立腺を抉る。 「いやっ、んっ、ああぁ、あっ、だめっ!」  びくびくと体が小刻みに震えるのが止まらない。甘く濡れた喘ぎ声がひっきりなしに零れても、ノエルにはもうそれを恥ずかしいと感じる余地がなかった。  ただ体中で与えられる官能に酔いしれる。  キースの抽挿が一層、激しくなった。  薄い唇から熱い呼吸が洩れ、汗がひと滴、つうっとこめかみを伝い落ちる。  ノエルの中心は再び硬く反り返り、限界が近いことを示していた。 「あっ、あっ、いいっ、あんっ、いいっ…!」  呼吸が儘ならない。何も考えられなくて、ただ必死にキースの腕に縋りつく。 「ああっだめっ、ああんっ…あっあぁ…っ」  何度も最奥まで突かれ、下腹から熱が迫り上がってくる。 「あ、うそっ、また…イくっ…、ああっ!」  キースはピストンを速めると、ひときわ強く深く貫いた。 「ひぁ、ああぁぁーーーっ!!」  ノエルが愉悦に(まみ)れながら欲情を解放するのとほぼ同時に、キースもゴム越しに熱い精を迸らせた。  くたり、とノエルの体がベッドに沈み込む。  はあはあと、どちらも荒い呼吸を繰り返していた。  ノエルは呆然としていた。自分が前を触らずに絶頂に達したのが信じられなかった。こんなことは初めてだ。  キースと交わって、この体は変わってしまったのかもしれない。  快楽の海に溺れて我を忘れ、隠されていた(さが)を暴かれて。けれど、それにすら歓びを感じてしまった。  ずる、とノエルの中からキースが出ていく。  途轍もない喪失感が押し寄せた。  だが、これで終わりか、とノエルが思ったのも束の間、キースは外したゴムの口を縛って捨てると、新しい袋を手に取った。  吐精したにもかかわらず、キースの雄はまだ力を失っていなかったのだ。  上体を起こしたキースの体はうっすらと上気して、赤みを帯びている。  厚い胸筋と見惚れるほど見事に割れた腹筋は、まるで天才彫刻家が造り上げた彫像のようだ。  そこで、ノエルはようやくキースの傷が首筋を通って更に下へと続いていることに気がついた。一体、どんなことがあれば、そんな傷がつくのだろう。  ノエルが絶頂の余韻でぼんやりしていると、キースは汗で張りつくのが邪魔だと言わんばかりに、無造作に長い前髪を掻き上げた。  その凄絶な色気に魅入られる。  現れたキースの赤い双眸は、ノエルを射殺すように見下ろしていた。  それは、まるで。      獲物を見据える、獰猛な肉食獣の眼。      切り裂かれた被食者の体から滴り落ちる鮮血を映すかのようだ。  ――喰われる。  本能的にそう悟って、ノエルは笑った。  できるなら、喰らい尽くしてほしい。  この体すべて。  血も肉も皮も、骨まで残らぬように。  ノエルはうっとりとした瞳でキースに手を伸ばした。      

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