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第10話

 ノエルと会った翌日、キースはラグズシティ北部にある国際空港に来ていた。  到着ロビーで例の同級生を待っているのだが、飛行機の到着が遅れているらしい。  仕方なく手持ち無沙汰で待っていると、二十分ほどして、やっと人がぱらぱらと出てくる。  その中で、ひときわ目立つ男がいた。  派手なアロハシャツに白いハーフパンツ、それにサンダルを履いて、大きなサングラスを掛けている。いかにもバカンスな装い。  その男がキースを見るや否や、走り寄って抱きついてきたのだ。 「キースーー! 久しぶりーー!!」  そばかす顔でにかっと笑う。 「ああ、てめぇは相変わらずだな」  キースは嫌そうな顔で男を引き離した。  この男こそ、天下のモルフィルグループの御曹司、エヴァン・シーゲルだった。           「お前、そのカッコでファーストクラスに乗ってきたのか?」 「おう、いいだろー?」 「俺には真似できねぇよ…」  キースは駐車場から車を出しながら、げんなりと言った。  今はプライベートなので、自分の車を使っている。念の為の護衛車はキースの後ろを走っていた。 「お前はすっかり社長って感じだな!」 「今日も午後から仕事があんだよ」  そのため今日もスーツだ。グレイッシュブルーのチョークストライプ柄。今はタイを外して、シャツの胸元を開けている。 「よく二週間も休み取れたな」 「ああ、休みっつっても仕事込みだからな」 「まあ、サウスショアの再開発には俺も興味あるし、別にいいけど」 「だろー? ってことでヨロシク!」 「…何で卒業したあとまで、てめぇの面倒見なきゃなんねぇんだ…」 「そう言うなよ。俺とお前の仲じゃん!」 「おかしな言い方すんな」  気安い会話がぽんぽん続く。  二人の出会いは大学一年生の時だ。  同じ経営学部で同じ必修科目を取っていたのだから必然だった。  最初は人を寄せつけないキースに、エヴァンはどう接していいかわからなかった。  だが、クリスマス休暇で実家に戻った時、兄弟との会話で偶然キースの正体を知ってしまったのだ。  モルフィルグループの会長、エイダン・シーゲルも元を辿れば先祖は海賊。  独自の情報機関を持っていて、裏社会にも精通している。  当然、ラグズシティを支配するヴィクトリアファミリーのことも調査対象だった。  エヴァンがキースに興味を持ったのは、自分と境遇が似ていたからだ。  母親は既に亡くなり、赤の他人の養子になったこと。本当の父親を知らないこと。  そして、将来的には大きな責任を背負わねばならないこと。  エヴァンがキースと違っていたのは、義理の兄弟が十人もいることくらいか。  キースのことを知りたくなって、休暇明けからつきまとうようになった。  最初は本気で嫌そうだったが、エヴァンが自分のことを話すと少し心を開いてくれた。  それからは何かとつるむようになった。  自由奔放なエヴァンが気紛れに行動を起こして、キースは仕方なく付き合わされて世話を焼き、結局は二人で楽しんでしまう。  大学の四年間をそんな風に過ごして、今では互いにかけがえのない親友だ。  卒業後もしばしば連絡を取り合ってきたが、お互い忙しい身なので、会うのは実に二年ぶりだった。 「なー、キース。俺、ロブスター食いたい」 「ロブスター? 今は時期じゃねぇぞ」 「えー、楽しみにしてたのにー」 「オイスターで我慢しとけ。フィッシュマーケットの近くにいいレストランがあるんだ。夜、連れてってやる」 「マジ!? やったー!」  感情表現の豊かなエヴァンにつられて、キースも口元に笑みを浮かべた。  この騒々しさが今は懐かしく、ありがたかった。            キースはエヴァンを自分が建てたスタインホテルへと連れていった。二年前は完成前で見せられなかったからだ。 「へぇ、こうなったのか。なかなか立派じゃん!」  しきりに感心するエヴァンをフロントへ引っ張り、チェックインを済ませて、部屋へ案内する。  場所は十六階の西側の一番端。  キースがいつも使っている1601号室のちょうど反対側の部屋だ。 「おぉー、すげぇー!!」  中に入ったエヴァンは感嘆の声を上げた。  そこは部屋の外壁全面がガラス張りになっていた。まるで空中に浮かんでいるようだ。  スタインホテルはジュニアスイートとスイートしかないハイクラスなホテルで、高層階の角部屋は全て、全面ガラス張りなのがセールスポイントのひとつだった。  1601号室だけが違うのは、設計の段階からキース自らが使うことを前提として、防犯を考えてデザインされたからだ。 「でもさ、ちょっと丸見えすぎじゃねぇ?」  少し離れた所にも高層ホテルがある。そこからの視線を気にしての言葉に、キースは壁に掛けられていたリモコンを渡した。 「電動のロールスクリーンで自由に隠せるようにしてる」  エヴァンは渡されたリモコンを操作した。  幅1メートルほどの薄いロールスクリーンが次々と下りてくる。 「マジックスクリーンだ。光を入れつつも、外からは中が見えない」  キースはリモコンをエヴァンから受け取ると、更にピ、ピと操作した。  すると、薄いロールスクリーンの上にもう一枚、幾何学模様が入った濃いグレーのロールスクリーンが下りてきたのだ。 「なるほど、ダブルスクリーンか!」  これにはエヴァンも驚かされた。 「これなら遮光性もバッチリだな。やるじゃねぇか!」  エヴァンの褒め言葉にキースもどこか嬉しげだ。 「どれどれ、あとは……」  エヴァンはミニバーをチェックし始めた。  ミニバーは上下に大きな扉がついた黒のキャビネットにある。  上部の扉を開けると、ウイスキーやスピリッツ類、カップやグラスが並ぶ棚があり、中間の飾り棚部分にコーヒーメーカーが置いてある。 「コーヒー豆は五種類、ティーセット、グリーンティー、ハーブティーまであるのか…」  隅々までチェックしたエヴァンは下部の扉を開けて驚いた。 「ワインセラー付きかよ!」  そう、下部の左側に小さなワインセラーが付いているのだ。収納数は八本と少ないが、細かい温度設定ができる代物だ。  その隣に冷蔵庫もあり、ミネラルウォーターやオリジナルのフレッシュジュース、小さなデザートなどが入っている。 「いやー、言うことないな」 「まだバスルームもあるぞ」  促されてバスルームへ向かう。 「おぉ、バスタブでかいな! 余裕で二人一緒に入れそう」 「誰がてめぇと入るか」 「つれないなぁー。お、アメニティも充実してるな」  エヴァンは洗面台を見てから、タオルを手に取った。 「手触りいい! 吸水性も良さそうだ。シャワーブースも広いし、快適そう」  バスルームを出たエヴァンはベッドにぼんっとダイブした。 「スプリングもいいねー」 「どうだ。俺が建てたホテルは」 「大・大・大合格!!」  びしっと親指を立てて、にかっと笑う。 「本職のお前にお墨付きを貰えれば充分だな」 「なー、マジで俺と一緒に働こうぜ」 「それは断る」 「惜しいよなー、ホント」  エヴァンが心底、残念だという顔をする。  だが、それができない事情も知っているので、それ以上のことは言わない。  しばらくソファに座って互いの近況を報告し合い、今後の予定について話し合った。 「俺は仕事があるから、そろそろ行くぞ」  キースは時間だからと立ち上がった。 「おお、頑張れよ」 「お前はどうする?」 「近場でもぶらぶらすっかな」 「なら、誰か人を付ける。何かあれば、そいつに言え。レストラン、ラウンジ、フィットネス、その他諸々、どこでも好きに使っていい」 「いよっ、太っ腹!」 「てめぇには恩を売っとく方がいいからな」 「素直じゃないなー。俺が大好きって正直に言えよ」 「気色悪いこと言うんじゃねぇ」  うんざりとした顔で部屋を出ようとしたキースだったが、途中で足を止めた。 「一応言っとくが、来週の水曜は予定がある。お前は適当にやってくれ」 「おー、そりゃ別にいいけど。パーティーとかなら連れてってくれよ」 「……個人的な用事だ」 「え、何、もしかして彼女!?」 「……そんなんじゃねぇ」 「何だ、つまんねぇの」 「じゃあ、夜、迎えに来る」 「おう、行ってこい」  部屋を出ていくキースをにこやかに見送ったエヴァンは、そのあと何かを考え込むような複雑そうな顔をしていた。            その夜、約束通りフィッシュマーケット近くのレストランで食事をしたキースとエヴァンは、ゆっくり飲み直そうとキースの自宅へ来ていた。  キースはホテルの方がいいと思ったが、エヴァンがクロードに挨拶したいと言ったからだ。 「久しぶりだな、エヴァン」 「おー、久しぶりー!」 「ラグズシティに来るのは二年ぶりだろう。ゆっくりしていってくれ」 「おう、悪いがキースはしばらく借りるぜ!」  二人の会話を聞いたキースが微妙な表情になった。 「お前ら、いつの間にそんな仲良さげになってんだ?」 「あ、なになに、嫉妬か?」 「バカ言ってんなよ。それよりワインでいいか? それともウイスキー? ビール?」 「ワイン! 赤でボディ強め!」 「了解」  エヴァンの要望で、クロードも含めて三人での酒宴が始まった。  ところが、一時間ほど経った頃だ。  キースに幹部の一人から呼び出しがかかったのだ。  電話を取ったキースは顔を顰めた。 「何だ、今頃」 『それが、スカイ氏が若を呼べと』 「スカイが?」 『相当酔っ払ってて、俺らが何言っても聞いてくれないんすよ』  キースは、はーっと盛大な溜息をついた。 「……わかった。これから向かう」  電話を切ったキースはワイングラスを置いた。 「何だ、トラブルか?」  エヴァンが問うと、キースは嫌そうに頷いた。 「ああ、元市長からの呼び出しだ」 「スカイか?」  クロードが尋ねる。 「スカイ? 誰それ」 「二代前の市長だ。ファミリーにとって最大の後ろ盾だからな、無視できねぇ」  先々代の市長ケイシー・スカイはラグズシティの経済発展に大きく貢献した人物だ。  だが、目的のためには手段を選ばない男で、ファミリーとの繋がりも深く、常に黒い噂がついて回っていた。  スカイは若くしてファミリーのほとんどを取り仕切り、商才もあるキースを特に気に入っている。自分の孫娘と結婚させたいと思っているくらいだ。  そのせいで、こんな風に深夜に呼びつけられることもあり、キース自身は鬱陶しく思っている。  だが、スカイの影響力を考えると無下にはできない。 「悪い、エヴァン」 「いいよ、俺のことは気にすんな」  エヴァンがにかっと笑う。  キースは「あとは頼む」とクロードに言い置いて執務室を出ていった。  残された二人はしばしの沈黙のあと、互いを見合う。  そして、連れ立ってクロードの自室へ入っていった。           「エヴァン、来てくれてありがとう。無理を言ってすまなかったな」 「いいよ。俺も知らせてもらえてありがたい。アイツ、俺には何も言わねぇから」  二人は先程までの酒宴とは打って変わって真剣な表情をしていた。 「それで、親父さんの具合は?」 「ああ、……もってあと一年ほどだと」 「……一年、そんなに悪いのか」 「先月、脳と骨に転移が見つかって」  クロードは苦しげに顔を俯けた。 「……本人が治療を拒否しているんだ」 「っ、何で…!?」 「抗がん剤の副作用が辛いと」  クロードは深い溜息を吐き出した。 「脳腫瘍の方は、放射線での治療に同意してくれたんだが、抗がん剤の治療は受けないと言って、説得しても聞き入れてくれない」 「そんな……」 「抗がん剤の副作用は人によって様々だ。トレヴァーは特に体の痛みが酷いらしい。痛み止めが効かなくて、夜眠れないそうだ」 「…………」  エヴァンには応える言葉がなかった。  エヴァンの養父も長いこと肝臓を患っているが、治療を拒否したことはない。いつも豪胆に笑っていて、辛さは見せない人間だ。 「思うに、トレヴァーは最初から病気を治すつもりはなかったんだと思う」 「まさか…!」  クロードはいつも紳士的だった伯父の姿を思い浮かべた。 「トレヴァーは穏やかな性格で、マフィアのボスには向いていなかった。跡を継いでからは、かなりストレスが溜まっていたと思う」 「だからって…」  実は、本当ならファミリーの跡を継ぐのはクロードの父親のはずだった。心優しいトレヴァーには務まらないと祖父が決めていたのだ。  だが、クロードの父親は彼が七歳の時に当時、対立していた組織の襲撃で殺されてしまった。  そのせいで抑止力を失くしたラグズシティは一時、他のギャングなどが入り込もうとして抗争が絶えなかった。  トレヴァーの努力で徐々に抗争の数は減っていったものの、完全にはなくならなかった。  そして、それはキースがファミリーをある程度、自由に動かせるようになるまで続いていたのだ。 「生きづらかったんだろうな。だから、体の不調を誰にも言わずに放置していたんだろう。……緩やかな自殺と言ってもいい」  クロードの言葉に、エヴァンは顔を歪めた。 「…そんなの…キースが辛すぎる…。アイツは親父さんのために必死にやってきたのに」  キースが直接、父親への思いを語ることはない。  だが、言動の端々からそれは伝わってきていた。同じように養父を慕うエヴァンだからこそわかっていた。 「アイツは何て?」 「まだ諦める気はないと。時間があれば病室へ通って話してる」 「そうか……きっと心ん中では参ってるだろうな」  エヴァンはキースの気持ちを思い、胸を痛めた。平静に振る舞っていたが、どれほどの苦悩を抱えているのか。 「ああ、だから来てくれて助かった。お前がいればキースも気が紛れるし、心強いだろうからな」 「そういうことなら任せてくれ。サウスショアの話を進めて、これからもちょくちょく来るようにするからさ」 「ありがとう、よろしく頼む」  エヴァンとクロードは痛ましい表情で少しだけ微笑み合った。  二人は部屋を出て、酒宴をお開きにした。  ホテルへ戻ろうとしたエヴァンだったが、ふと昼間のキースの言葉を思い出す。 「そういや、キースって今、誰かいい人いるのか?」 「いい人?」 「ああ。来週、個人的な用事があるって言ってたからさ。アイツが仕事以外でそんな先の予定立ててるなんて超レアだもん」  クロードはどう言うべきか少し悩んだ。 「いい人というか、最近、定期的に会ってる相手はいる」 「え、マジ!? どんな子!?」 「女じゃない、男だ」 「えぇっ!! ウソだろ!?」  エヴァンは目を丸くした。 「だって、キースって異性愛者(ストレート)じゃん!」 「ああ、俺も少し驚いてる」 「相手がどんな奴か知ってるのか?」  クロードは頷いた。 「去年の暮れにキースが撃たれただろう。あの時、キースを治療してくれた医者だ」 「マジで!?」 「ああ。あの時は本当に助かった。改めて礼を言う」 「気にすんなって。親友の一大事だ、何でもするさ。で?」 「その医者と、今年の春に街中(まちなか)で偶然会ったそうだ」 「……もしかして、向こうから声掛けてきたのか?」 「そうだ」 「あー、アイツいっつも無駄に男にモテるからなぁー」  エヴァンは大学時代のことを思い出した。  強面のキースだったが、あの頃はどこか陰のある雰囲気を纏っていたせいか、男女ともに密かな人気を誇っていた。  近づき難いのに、放っておけないようなアンバランスさ。  それに加えて二メートルを越える長身と、がっしりとした体躯で、ある種の層からの人気は凄まじいものがあった。  だが、キースはそういう相手を冷淡に切り捨ててきたはずだ。 「何でだろーなー」 「偶然も、三度続けば必然かもしれない」  クロードの言葉にエヴァンは首を傾げた。 「どういう意味?」 「街で会ったあとも、二度、あるバーで会ったんだ」 「それって、相手が張ってたとかじゃなく?」 「ああ、全くの偶然だと思う」  エヴァンは上を向いて、はーっと息を吐いた。 「……それってもう、偶然じゃなくて、運命じゃない?」 「キースは認めないだろうがな」 「え、ああ、そうか。…そうだよな」  エヴァンが得心したとばかりに頷く。 「向こうはどうなのかなぁ」 「ざっと経歴なんかを調べたが、遊びで誰かと付き合うような人間じゃないと思う」 「なら本気?」 「たぶん。というか、向こうが執心している」 「そっか。じゃあ、キースが認めさえすればうまく行くかも?」 「どうだろうな。こればかりは何とも」  エヴァンはきゅっと眉根を寄せた。 「俺としては、キースには幸せになってほしいよ。アイツ、自分の懐に入れた相手には、とことん情が深いからさ」 「……そうだな」  クロードは、ノエルと会ったあとのキースのことを思った。  本人は気づいていないかもしれないが、トレヴァーのことでささくれだった雰囲気が穏やかになっているのだ。  今、キースが平静を保てていることと、ノエルの存在は決して無関係ではない。  だが、キースは頑なだ。  どうなることがキースにとって一番いいのか、長く一緒に過ごしてきたクロードにもわからない。  今はただ、少しでもキースが平らかでいられるよう祈るだけだった。      

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