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第18話
チャイナタウンの南側、一番奥まったエリアに古びた石造りのビルがあった。
一見すると飲食店が入った普通の古いビルだが、看板には漢字が並び、細部には中華風のデザインが施されている。いわゆる中華バロック建築だ。
アタッシュケースを持ち、ビルの前で車を降りたキースは、エマに近くの駐車場で待機するように言い、一人で中に足を踏み入れた。
エントランスを抜け、トンネル状の通路を進んでいくと広い中庭に出る。
中庭に面した全ての階には、バルコニー型の回廊が巡らされていた。赤い柵の部分も中華風のデザインで統一されている。
そして、柵の向こうに等間隔でいくつもの扉が並んでいた。建物の内側が集合住宅になっているのが中華バロックの特徴だ。
キースは二階のバルコニーに続く階段を上り、ある扉の前に立った。
ピンポン、とチャイムを鳴らすと、すぐに中から人が現れた。東洋系の青年だ。
「どちらさまですか?」
「俺はキース・C・マクレガー。ツァオに会いにきた。名前を言えばわかるはずだ」
「…ちょっとお待ちください」
青年がドアの向こうに消える。
程なくして、もう一度、青年が出てきた。
「中へどうぞ」
案内されて、キースは部屋に入った。
入ってすぐの場所が応接間で、そのソファに黒縁の眼鏡をかけた、頭を丸刈りにした男が座っていた。かつて軍属だったことがあり、そこから《軍曹》という通称がついたらしい。
眼鏡の奥の目が興味深そうにキースを見ている。
青年に勧められて、キースは向かいのソファに腰を下ろした。
「まさかヴィクトリアファミリーの新しいボスが直々にお越しとはな」
「余計な挨拶は要らねぇ。今日は仕事を依頼しに来た」
「仕事、ね。どんな情報が欲しいんだ?」
《軍曹》ことアッシャー・ツァオの職業は『情報屋』だ。ツァオの持つ情報はラグズシティに留まらず、近隣都市の表裏で、多岐にわたっている。
だが、キースが欲しいのは『今ある情報』ではない。
「ノイエスのステリオ・パオリーニは知ってるな?」
「ああ、あのバカ息子がどうした」
「今、ラグズシティにいる。奴の居場所、それと一緒にいる部下の情報が欲しい」
ツァオの目がすっと細められた。
「それはオレの仕事じゃねぇな。他を当たってくれ」
この返答は想定の範囲内だ。
キースは持ってきたアタッシュケースをテーブルの上にドンと置いた。
ロックを解除し、ツァオに向けて蓋を開く。
「うわぁ…」
ツァオの横に立っていた青年が驚きで目を見開いた。
アタッシュケースには帯封のされた現金がぎっしりと詰まっていた。
「これは前金だ。引き受けてくれれば、まずこれを渡す」
「……オレが金だけで動くとでも?」
キースは胸ポケットから封筒を取り出した。
中から一枚の写真を抜き取り、ツァオの前に差し出す。
「っ!!」
ツァオの顔が驚愕で彩られた。
驚きはやがて怒りに変わり、膝に置いた手の指がわなわなと震えだす。
写真には面長で青白い顔をした金髪の男が写っていた。
「……どこで、これを?」
「情報源は明かせねぇ。だが、こっちの条件を満たしてくれれば成功報酬として、この男の情報をやる」
「それは正確な情報か? ガセじゃ話にならねぇぜ?」
「もし間違いがあれば、俺を好きにしていい。脅すなり利用するなり、お前にとって損は一つもねぇはずだ」
「随分と自信ありげだな」
エヴァンがモルフィルの威信にかけて調べ上げてくれた情報だ。キースは100%信頼している。
ツァオはしばらく考え込んでから口を開いた。
「調べる内容の詳細は?」
キースはヒューゴから渡されたUSBメモリをテーブルに置いた。
「一番はパオリーニの部下のことだ。ここに監視カメラの映像がある。画像が不鮮明だが、名前、住所、連絡先、経歴や人間関係が知りてぇ。特に母親、配偶者、恋人がいればその相手の情報が欲しい」
「そりゃまあ面倒なこった」
「時間は二時間以内」
「おいおい、本気かよ!?」
「それ以上は待てねぇ」
その後の行動を考えると、二時間がリミットだろう。
ツァオは再び考え込んだ。
だが、キースには引き受けるはずだという確信があった。何故なら二人には深い因縁があるからだ。そして、ツァオはずっとホフマンを探している。
そのためにツァオはある能力を身につけた。どんなネットワークにも侵入する、世界有数のハッキング能力だ。
ツァオがあらゆるネットワークをハッキングし、様々な情報を手に入れているのは、全てホフマンを探すためだ。
情報屋という仕事は、その延長線上にあるに過ぎないのだ。
だが、ツァオはその能力を売り物にはしていない。ハッカーとしての存在が知られると、ホフマンにも伝わってしまうかもしれないからだ。
だから、こうしてラグズシティの片隅で、どこにでもいそうな情報屋を装っているのだ。
ツァオはしばらく黙ったあと、仕方なさそうに溜息をついた。
「……わかった。引き受ける」
「そうか、なら前金を渡す」
キースはアタッシュケースの蓋をして、それをツァオの前に置き直した。
ツァオがそれを手に取り、隣の青年に渡す。
「うわっ、おっもい!」
「金庫の中に入れておけ。それから客人に茶でも出してやれ」
「は、はいっ」
ツァオは応接間の奥のドアを開けた。
暗い部屋の中、壁一面がモニターで埋め尽くされているのが見える。
「まあ待ってな。二時間以内にお望みの情報、全部揃えてやるからよ」
「……期待してるぜ」
ツァオはにやりと笑ってドアを閉めた。
その向こうから『お前ら、気合い入れてかかれよ!』と部下に発破をかける声が聞こえる。
ツァオの部下も精鋭ばかりだ。画像解析や音声認識、デジタル鑑識などのスペシャリストが揃っている。
キースは青年が淹れてくれた烏龍茶を飲みながら、またひたすらに待つ時間を過ごした。
それから一時間五十分後。
奥のドアが開いて、ツァオが姿を現した。
つかつかとキースの元まで歩み寄り、ポンとUSBメモリを一つ渡すと、バサッと紙の束をテーブルに投げ出した。
「ご注文の品だ。確認してくれ」
キースは紐で綴じられた紙束を手に取った。
「急ぎみたいだからな、わざわざプリントアウトもしてやったんだぜ。感謝してほしいね」
恩着せがましい言葉を無視して、キースは書類に目を通す。
そこにはパオリーニの部下八名の詳細なデータが記されていた。名前、住所、電話番号、メールアドレス。そして、キースが最も重要視している情報も。
「内容に問題はねぇな」
「当たり前だ!」
「パオリーニの居場所はわかるか?」
「ほらよ」
ツァオは一台のプリペイド携帯をキースに渡した。
「これに位置情報を追跡できるアプリを入れておいた。奴のIDで登録済みだ」
キースが携帯の電源ボタンを押してみると、ロック画面が表示されなかった。煩わしい手間を省いてくれたらしい。
アプリを起動すると、ラグズシティの地図上に青い線が表示されている。パオリーニの移動履歴だ。
「……上出来だ」
「だから当然だっての!」
キースは胸ポケットから封筒を取り出し、それをツァオに手渡した。
「まいどありー」
ツァオはおどけたように言ったが、その目は笑っていなかった。
「助かった、礼を言う」
キースはそう言い置いて、部屋を後にした。
エマに電話して車を回させ、急いで事務所に戻る。
執務室へ入るとエマから連絡を受けたヒューゴとワイアットが待っていた。
キースはツァオから得た情報を二人に渡し、構成員を集めるよう指示した。
自分の失態でファミリーを動かすことに後ろめたさがあるが、今はそれを考えている時ではない。
ノエルを救うためなら、どんな手でも使う。
キースの中の鬼が目覚めていた。
その日の午後十一時。
事務所の自室で待っていたキースに、ようやくパオリーニからの連絡が入った。
『よお、金の用意はできたか?』
「ああ。ノエルは無事だろうな。顔を見せろ」
『仕方ないな。ほら、ドクター。お前のダーリンが会いたがってるぜ』
ふざけたパオリーニの言葉のあと、画面に映し出されたノエルは再び口にガムテープを貼られていた。
「ノエル、大丈夫か!?」
キースの問いかけに『うんうん』と頷く。
どうやら椅子に座っているらしく、姿勢がきちんとしている。寒さをしのぐためか肩には毛布が掛けられていた。
今のところ、命に別条はないようだ。
だが、そこで画面は真っ黒になった。
『これでいいだろ。場所を言う』
パオリーニが指定したのは、ラグズシティ南西部にある小さな古い港の倉庫だった。
半世紀ほど前、湾内の西部に大きなコンテナターミナルが出来てから、南西部に点在していた小さな港は沿岸漁業用の小型船や個人所有のクルーザーが使うだけになっている。
夜になると人通りがなくなる港もあり、放置されたまま使われていない倉庫も多い。
納得の選定だが、土地勘のないパオリーニが決めたとは思えない場所だった。
「わかった。これから向かう」
『いいか、一人で来いよ。ぞろぞろ手下を連れてでもきたら、恋人の命はないぞ』
「お前の相手は俺一人で充分だ」
『はっ、威勢のいいことで』
言外に気に食わないという雰囲気を出して、電話は切れた。
キースはクローゼットからショルダーホルスターを出して、それを身に着けた。そこに長年使ってきた銃を差し、ジャケットを着る。
ホルスターを着けること自体は久しぶりだ。
表ではただの会社経営者、たとえ護身用だとしても、いつも着けているのは不自然だ。
だから、運転手であるエマが護衛の役割も兼ねている。
それから、ツァオから貰ったプリペイド携帯のアプリで地図を出した。市の南西部に確かに青い点が止まっているのを確認して、携帯をデスクに置く。
自室を出ると、執務室にはキースが信頼を置く若い幹部たちが集まっていた。
夜になって、ようやく事情を知らされた彼らは自分たちも役に立ちたいと意気込んでいたのだが、キースに待機を命じられていた。
「本当に一人で行くつもりですか!?」
「そういう指定だ」
「絶対、無事じゃ済みませんよ!」
「そうです! パオリーニが金だけで大人しく引き下がるはずない!」
オットー、コーディーといった若い幹部たちはキースが学生時代に、ファミリー構成員の家族から自ら選んだメンバーだ。
皆、マフィアの家族として生まれ、社会から疎外されていたのを、キースが時間をかけて心を解きほぐしてきた仲間たち。
それだけにキースへの忠誠心は厚く、敵の元へ単身で乗り込むことに反対しているのだ。
キースは幹部たちに向き合った。
「大丈夫だ。俺は必ず戻ってくる」
きっぱりと言い切る赤い双眸は、キース本来の獰猛さに満ちていた。
幹部たちは一斉に口を噤んだ。
そうだ、本来のキースは敵を前にして怯むことなどない。
留学から戻ってきたキースが表の仕事を始めて、どこか穏やかになってしまったと感じていたが、それは間違いだった。
キースは何も変わっていない。
ただ、隠していただけだ。
その鋭い爪を、牙を、血を啜る猛々しい獣の本性を。
「……ご武運を」
モニークが祈りの言葉を掛ける。
キースは頷いて、執務室を後にした。
地下駐車場へ行き、いつもはエマが運転する車の運転席に乗り込む。
ラグズシティの地図は全て頭に入っているから、あとはパオリーニに聞いた特徴から探すだけだ。
キースは車のエンジンをかけ、ハンドルを握ると、アクセルを踏み込んだ。
――待ってろよ、必ず助けるからな。
キースは強い決意を胸に、前だけを見据えていた。
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