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第25話
「今の電話…」
クロードが通話を終えると、執務室のデスクに座っていたキースが眉間に皺を寄せていた。
「ああ、ファウラーからだ」
「何でノエルがお前に?」
「二年前に連絡先を教えておいた。万が一のことを考えてな」
キースは小さく溜息をついた。
この従兄は全く抜かりがない。
「それでエマは?」
「昼間にマリーヒルズであった爆発事故に巻き込まれたらしい。それでファウラーの所に搬送されたそうだ」
「エマが何でそんな所に…。状況は?」
「体の広範囲に火傷を負って、かなりの重症だそうだ。命も危ういくらいだったと」
「…そんなにか」
「今回は完治するまで絶対に入院が必要だと釘を刺されたよ」
三年前の出来事を皮肉られて苦笑するクロードに、キースも苦笑いを返した。
思えば、あの事件があって自分たちは出会ったのだ。縁とは本当に奇異なものだ。
「俺はモニークに話してくる。明日、病院へ行かせて、これからのことはそれから考えよう。エマがどうして事故に遭ったのかも気になるしな」
クロードが含みを持たせて言う。
キースもそれに頷いた。
エマが仕事を休みたいと言ったのは、つい昨日のことだ。そんなことは今まで一度もなかった。
だからこそ、ただの事故なのかと疑問を感じるのだ。クロードも同じなのだろう。
何にせよ、エマが運ばれたのがノエルの病院だったのは幸いだった。ノエルは自分たちの秘密を知っている。話をしやすいし、こちらの事情も理解してくれるだろう。
何よりノエルは優秀だ。エマのこともノエルに任せておけば安心できる。
エマのことはもちろん心配だが、キースはこれからのことに頭を巡らせた。
報道によれば、マリーヒルズで起きた爆発事故はかなりの規模だ。警察も動き、エマの元へもやって来るだろう。自分も無関係ではないかもしれない。
キースはただならぬ予感に胸騒ぎを覚えたのだった。
エマが運び込まれた翌日、午前中のこと。
ノエルを訪ねてきた人がいた。
たまたま、まだ一件も受け入れ要請がなかったノエルは受付へ向かった。
そこで待っていたのはすらりと背の高い女性だった。
「ファウラー先生ですか?」
「ああ」
「私はモニークと言います。エマの姉です」
「エマの? 実の姉か?」
「ええ、そうです」
言われて、ノエルはモニークをよく見た。
確かに顔立ちが似ている。髪色も同じキャラメルブラウンだ。髪を上に結っているところも同じだし、声も記憶のエマのものとどこか重なる。
「そうか…今回は大変だったな」
「ええ、昨日は午後から急に連絡が取れなくなって、みんな心配していたんです」
みんなとはファミリーのことだろう。
「まさか事故に巻き込まれていたとは思わなくて。教えてくれてありがとうございました」
「俺は当然のことをしただけだ」
「いえ、本当に助かりました」
モニークが深々と頭を下げる。
エマもクロードもそうだが、この街のファミリーは一見するとマフィアとはとても思えないような人物ばかりだ。
「…ここじゃ何だから、面談室へ行こう」
「はい」
ノエルは受付のすぐ側にある、家族用の面談室へモニークを案内した。
ノエルはそこでエマの熱傷の程度や治療内容、現在の状況や、考えられる今後の治療について詳しく説明した。
「それじゃあ、入院はかなり長引くかもしれないんですね」
「ああ。一口に皮膚移植って言っても、あれだけ広範囲だと一度、人工皮膚を移植してから徐々に自家培養したものに置き換えていく方法が確実だ。まあ、その辺の判断をするのは俺じゃないが」
「わかりました。ボスにもそのように報告しておきます」
急にキースの話題が出てきて、ノエルはどきっとしてしまった。それと同時に改めて気になることがあった。
「……これからのことなんだが」
「はい」
ノエルは声を抑えて問いかけた。
「その、事故の規模がでかいし、警察が来るかもしれない。どうするつもりだ?」
モニークも声を潜める。
「名前や顔を知られるのは仕方ないと思ってます。エマは表向きはただの運転手ですし、取り敢えずはそれで押し通せるかと」
「そうか」
「ドクターはエマのことを誰かに話しましたか?」
「いや、誰にも言ってない。知り合いだってこともな」
「ありがとうございます。今後もそのようにお願いします」
「わかった」
示し合わせた二人は改めて向き直った。
「面会できるようになるのは、まだ先なんですよね」
「ああ、もう少し容態が落ち着かないと無理だな。受付で連絡先を伝えておいてくれれば、すぐに知らせられるんだが」
「そうですか。それなら、そうします」
「じゃあ、俺から話せることはこれくらいだ」
「はい、ありがとうございました」
モニークが再び頭を下げた。
ファミリーの幹部というのは皆、こうなのだろうか。それとも、キースのように表と裏を使い分けているのか。
何とも不思議な気分になりながら、ノエルはモニークと別れた。
警察から刑事がやって来たのは、その日の午後のことだった。
控室に通された刑事の顔を見て、ノエルはきつく眉を寄せた。
相手も同じような顔をしている。
「またあんたか、ドクター」
「どういう意味だ。俺は俺の仕事をしてるだけだ」
「まあまあ、お二人ともそのくらいで…」
ノエルに話を聞きに来たのは、三年前の事件の時にノエルが怒鳴りつけたドークスと、その相棒のコリンズだった。
何とも皮肉なものだ。
「言っとくが、患者はまだ面会できないぞ。全身の50%をⅡ度の熱傷で重態だ」
「なるほど。それでまた俺たちを追い返すんだな」
「……何度も言うが、今の状態で感染症を起こせば命に関わる。アンタは何かあった時に責任を取れるのか?」
ドークスがぐっと黙り込む。
刑事は刑事。医者ではないのだから、そう言われれば返す言葉はないだろう。
「俺たちは患者の命を預かってるんだ。無責任なことはできない」
ノエルはきっぱりと言い切った。
「じゃあ、いつ頃になれば面会できそうですかね」
ドークスの代わりにコリンズが質問する。
「ほんの数分なら明日か明後日か。事情聴取となれば、もっと回復しないと無理だ」
「そうですか、わかりました」
コリンズが少し残念そうに頷く。
それを見て、ノエルの中に疑問が浮かんだ。
この二人は恐らく殺人などの凶悪犯罪を捜査する刑事だ。三年前はキースが銃で撃たれた事件だったから当然だが、今回は爆発事故だ。
なのに、何故この二人が担当している?
もしかして、ただの爆発事故ではないのだろうか。一度そう思うと、そうとしか考えられなくなってくる。
だが、今、無理に探りを入れるのは得策ではないだろう。それでなくともドークスからの心証は悪い。
しばらくは静観するしかないか、とノエルは思った。
その夜、ノエルは再びクロードに電話をかけた。
『何かあったか?』
「ああ、実は今日、刑事が来たんだ」
『やっぱりそうか』
「それで、その刑事っていうのが三年前にキースが撃たれた時に捜査を担当してた奴で」
『本当か?』
「間違いない。盛大な嫌味を言われたからな。もしかしたらキースのところにも行くかもしれない」
『そうか、わかった』
「気をつけろよ。あの時、キースは似顔絵を作られてる。会っただけで気づかれる可能性もある」
『なるほど。充分、注意しよう。知らせてくれてありがとう』
「ああ、それじゃあ」
用件だけを伝えてノエルは電話を切った。
爆発事故が、ただの事故ではないかもという疑念は口に出さなかった。言わなくともキースなら気づくだろう。
翌日、ノエルは夜勤の前にICUへと足を運んだ。エマの様子を見るためだ。
二人が知り合いであることは伏せてある。
だから、なるべく人に見られないようにタイミングを見計らって個室に入った。
エマは熱傷用ベッドに横たわっていた。
ブーンという独特の機械音が小さく響いている。
熱傷用ベッドは体圧を分散する特殊なベッドだ。バスタブのような容器に、医療用の極小ビーズを入れ、フィルターシーツで覆ってある。
そして、その中のビーズを空気で流動させることで、患者をまるで宙に浮かせたような状態に保つことができるのだ。
ノエルが歩み寄ると、エマは目を覚ましていたらしく、気づいて視線を向けてきた。
昨日は意識が朦朧としていて、ノエルのことも認識できていないようだった。少しずつ回復しているのを感じる。
「返事はしなくていいから、話を聞いてくれ」
ノエルの言葉にエマは頷いた。
「まずは君の姉が昨日、病院へ来た。明日か明後日には面会できると思う」
――こくり。
「それから刑事が来た。君に事情聴取したいことがあるらしい」
――こくり。
「それと、俺と君が知り合いだってことは秘密にしてある。だから初対面の振りをしてくれ」
――こくり。
「……辛いだろうが、必ず治るから。頑張ろうな」
――こくこく。
エマの状態はだいぶ安定してきている。
命は取り留めたと言えるが、完治までの道程は長くなるだろう。
治療も大きな苦痛を伴う。しばらくの間は一日一回、フィブラストスプレーの噴霧と被覆材の交換が必要だ。感染症予防などのため、熱傷部分の洗浄も適宜行われる。表皮のない部分が露わになると痛みが出るのだ。
ノエルは不安げなエマを安心させるように、軽くその手を握った。
疑問はあるが、自分にできるのは医者として彼女を治療することだけだ。
「じゃあ、また来るから」
ノエルは優しく微笑んで、部屋を後にした。
翌々日、午前中にようやくモニークに面会の許可が下りた。
夜勤明けのノエルはそれを知って、付き添うことにした。
ノエルに案内され、モニークがICUの個室に入る。
モニークはショックで口を覆った。
酸素マスクをした顔には打撲の痕があり、全身を包帯でぐるぐる巻きにされている。両腕には輸液するための管が何本も繋がっていた。
まさに満身創痍だ。
モニークはエマに歩み寄って、そっとその手を取った。
「良かった、本当に良かった……」
その目からぽろぽろと涙が零れる。
気づいたエマは弱々しいながらも、姉の手を握り返した。
ノエルが無言でそれを見守る。
面会時間はまだ五分ほどと制限されている。
時間になって部屋を出たモニークはノエルにまた深々と頭を下げた。
「ドクター、本当にありがとうございました」
「俺は自分の仕事をしただけだ」
「それでも、私は心から感謝してます」
モニークはノエルの手をぎゅっと握り、泣きながら笑った。
モニークをERの玄関まで送る間、周囲に人がいなかったこともあり、ノエルは姉妹の話を聞くことができた。
「私たちは二人きりの家族なんです」
「そうなのか」
「父親がファミリーの構成員だったんですが、私が十一歳の時、私たちを置いてどこかへ行ってしまって。母親は元からいなかったので、二人で取り残されたんです」
ノエルは何と言っていいかわからなかった。
小さな子供を置いて消えてしまうなんて、ノエルの常識ではあり得ない。
反応に困るノエルにモニークは笑顔を見せた。
「そんな時に私たちを拾ってくれたのがボスだったんです」
「…キースが?」
「ええ、ボスもその頃はまだセカンダリーの四年生くらいだったと思いますが、私たちの境遇に同情してくれて。先代に掛け合って、生活面や教育面で支援してくれたんです」
「そうだったのか…」
そういえば、クロードが言っていた。将来の幹部を一から育てた、と。エマとモニークもその一員だった訳だ。
「エマが死んだら、私は実の家族全員を失うところでした。だから、ドクターには本当に感謝してるんです」
「……役に立てて良かったよ」
本当にそう思った。
だが、同時に胸が苦しくなった。
二年前の誘拐事件で、ノエルは医師としての矜持を失っていた。
こんな風に感謝されても、全ては贖罪に過ぎないと思ってしまうのだ。
「また明日、来ますね」
そう言って、モニークは帰っていった。
もう少し容態が安定すれば、エマはICUを出て形成外科の熱傷病棟に移ることになるだろう。二週間以内に最初の手術を受けるはずだ。
モニークともあと何度、会うか。
エマのことはこれからも気にかけていくつもりだが、ER医としてできることは、ほぼ終わったと言ってもいい。
ノエルの心に、ひゅうっと冷たい風が通り過ぎた。
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