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第26話
ノエルとモニークがエマと面会していた頃、キースの元にも訪問者があった。
市警の刑事だ。
秘書のミレーヌが社長室のドアを開ける。
すると、キースを見るなり、刑事の一人がものすごい形相でデスクに詰め寄ってきた。
「お前、三年前の銃撃事件の被害者だな!?」
ノエルの言った通りになったな、とキースは内心で苦虫を噛み潰した。
「入ってくるなり、いきなり何だ」
「とぼけるな! その赤い髪に赤い目、よく見れば顔に傷もある! 違うとは言わせんぞ!」
「…何を言ってるのか、さっぱりわからないな」
「貴様…!」
頬に傷がある刑事は、今にもキースに掴みかからんばかりの勢いだ。
それを、後ろからもう一人の刑事が抑えた。
「ドークスさん、ちょっと落ち着いてください!」
「これが落ち着いていられるか!」
「気持ちはわかりますが、今はその話をしてる時じゃないでしょう?」
「それはそうだが…!」
「まずは今の事件を調べましょうよ」
言われた刑事がぐっと悔しそうに唇を噛む。
もう一人の刑事が穏やかな顔で横に立った。
「失礼しました。僕は市警のコリンズと言います。こちらは先輩のドークス刑事です」
後輩の方が冷静なタイプらしい。
この分だと、いつも苦労しているのだろうと思わされる。
「…取り敢えず、座ったらどうだ。ミレーヌ、コーヒーを頼む」
「はい」
ドークスとコリンズが応接用のソファに座ったのを見て、キースもその向かいに腰を下ろした。
「キース・C・マクレガーさんですね」
「ああ」
「今日はあなたの運転手を務めているエマさんについてお伺いしたいんです」
「彼女が爆発事故に巻き込まれたのは知ってるな?」
「勿論だ」
「そのお話は誰から?」
「彼女の姉のモニークからだ」
本当は違うが、自分とノエルの繋がりをこのドークスという刑事に知られるのはまずい。
「エマさんはあの日、仕事を休まれたんですよね」
「ああ、前日にそういう申し出があった」
「理由は何か聞いてませんか?」
「いや、特には」
「急に休むと言われて、何も聞かなかったのか?」
「プライベートには立ち入らないことにしている」
「それはおかしいな」
ドークスが鋭い視線を向けた。
「二人は付き合ってるんだろう?」
「……どこからそんな話を?」
「情報源を明かすことはできない」
落ち着きを取り戻したらしいドークスが、冷静に言った。
「パーティーやクラブで、お前たちが一緒にいるところを大勢の人間が見てる。隠しても無駄だぞ」
密かな敵意を向けてくるドークスに、キースはやれやれと溜息をつく。
「……付き合っている訳じゃない。全て仕事の一環だ」
「どういうことですか?」
「付き合ってる振りをしてもらっていただけだ。ちゃんと時間外手当も出してる」
それは本当だ。万が一の時のために、そういう細かい部分にも気を使ってきた。まさか本当に役に立つ日が来るとは思わなかったが。
「何故そんなことを?」
「そうしないと、周りが煩いんでな」
「それは言い寄る女性が多いということですか?」
「女とは限らない」
「なるほど…」
コリンズが曖昧な笑みを浮かべる。
そこで部屋のドアがノックされた。
ミレーヌがコーヒーを持って入ってきて、それを三人の前に置いて出ていく。
コリンズがそれを飲んで「あ、これ美味しい」と喜んだ。なかなかに肝の座った青年だ。
「なら最近、お前にしつこく言い寄ってた相手はいなかったか?」
ドークスの目がキースの反応を一つも逃すまいと見ている。
なるほど、それが本題か。
「いや、心当たりはないな」
キースはさらりと言い切った。
ドークスの言動を考えると、爆発事故は恐らくエマを狙ったものと考えられているのだろう。
だとしたら、犯人はエマに恨みを持っていることになる。だが、エマの行動範囲は小さい。
普段はキースの運転手、空いた時間はファミリーの仕事をしている。マフィアの幹部ということもあって友人関係は限られるし、恋人もいない。
ドークスたちはエマの交友関係を調べた上で、キースのところへやって来たのだろう。
「本当だろうな? 調べればわかるんだぞ」
「それなら、気が済むまで調べればいい」
キースはあくまでも平静を保った。
クレインのことはまだ話したくない。話せばスカイと関係があることを知られる。スカイは今も黒い噂の絶えない男だ。
何より、ドークスはキースがマフィアだと確信している。痛くない腹まで探られかねない。
「それなら、彼女が何か人間関係で困っていると聞いたことはありませんでしたか?」
「知らないな。プライベートのことまでは関知していない」
キースとコリンズの目が合う。
心の奥まで見通すような視線を、キースは泰然と受け止めた。
「…わかりました。何か思い出したことがあったら連絡してください」
コリンズはそう言って、名刺を差し出した。
案外、あっさりと引き下がるものだ。
この青年は見た目は優しげだが、思う以上に食わせ者かもしれない。
キースが名刺を受け取ってデスクに戻ると、ドークスが睨みつけてきた。
「……お前がマフィアの一員だということはわかってるんだぞ」
「おかしな言い掛かりはやめてもらおうか」
「……DNAを調べれば明白だ」
キースは薄く笑った。
「そうか。それなら、DNA採取の理由はあるんだろうな」
ドークスは微かに顔を顰めた。
「DNA採取は、事件の被逮捕者にのみ許可される。相当の理由がなければ、警察といえども認められない」
ドークスの眉間の皺が深くなる。
キースに指摘されなくても、ドークスもそれはわかっているはずだ。
「くそっ」
ドークスは悔しげに吐き捨てて、荒々しい足取りで社長室を出ていった。
コリンズが苦笑いして後に続く。
「お邪魔しました。何かあれば、また宜しくお願いします」
コリンズは軽く会釈して去っていった。
ドークスは直情型のようだが、コリンズは侮れないなと思いながら、キースは貰った名刺をケースにしまった。
それにしても面倒なことになってきた。
もし爆発事故が人為的なもので、エマを狙っていたとしたら、その第一容疑者はクレインである可能性が高い。
キースはかねてから考えていた通り、イースターのパーティーで彼女にはっきりと「君とは付き合えない」と告げたのだ。
その時はエマを同伴しなかった。彼女が逆恨みされても困ると思ったからだ。
ただ、「誰か好きな人がいるのか」と聞かれた時、キースはイエスと答えた。その方が諦めがつくかと思ったのだ。
何も間違ってはいない。
キースは今もノエルを想っている。
もう二度と会うことはないとしても、その気持ちはきっとこれからも変わらないから。
クレインはその相手をエマだと思い込んだのだろう。
キースは内ポケットから個人用携帯を取り出した。
今、クレインがどうしているのか知りたい。
爆発事故の重症者は二名と報じられているが、その一人がクレインだとは聞いていない。もしそうだとしたら、キースの耳にも入ってくるはずだ。
キースはワイアットに電話して、クレインとスカイの周辺を調べるように指示を出した。
「また明日、来ますね」と言ったモニークはそれから毎日、欠かさず見舞いにやって来た。
二人きりの姉妹だ。心配で堪らないのだろう。
ノエルの予想通り、一週間経った頃にエマは形成外科へと移っていった。自家培養用の皮膚採取が行われ、すぐに最初の手術を受けた。
相変わらず熱傷用ベッドに横たわり、全身に包帯が巻かれ、打撲痕も残っているが、今のところの経過は順調だ。
エマはERを出たが、ノエルは時間がある限り二人に寄り添った。エマには世話になっていたし、何より彼女たちはキースを支えているのだ。間接的にでも力になりたいと思った。
徐々にモニークとも打ち解け、連絡先も交換し、この日は夜勤の前に話をすることになった。
モニークはノエルに意外な頼み事をした。
「事情聴取に俺が?」
「はい、是非ドクターにお願いしたいんです」
エマは重症で、精神的にもまだ不安定だ。だから、病院側は医師と家族の立ち会いの元で、という条件つきで事情聴取の許可を出していた。
「でも、普通は主治医が立ち会うもんだろ」
今、エマを担当しているのは形成外科のミアノ医師だ。創傷や熱傷などの傷跡を治療する創傷外科の名医として知られている。
「そうなんですけど、ミアノ先生はドクターがよければ構わないと」
ノエルはうーんと唸った。
事情聴取というと、来るのはあのドークスという刑事だろう。あまり気が進まないのは確かだ。
「…駄目ですか?」
上目遣いで聞かれると、どうにも断り難い。
「…わかった。俺でよければ」
「ありがとうございます」
そんな成り行きで、ノエルはエマの事情聴取に同席することとなった。
警察側がすぐにでもと要望していたため、翌日の夜勤前にそれは行われた。
エマの病室に入ってきて、案の定、ドークスは思い切り顔を顰めた。自分も同じ気持ちだと思いながらも、ノエルは無言を貫く。
後から入ってきたコリンズが少し驚いた顔をした。
「立ち会いはファウラー先生ですか」
「ええ、私がお願いしました。ERでお世話になって、一番信頼できる方だと思って」
モニークがそう言うと、コリンズは頷いた。
「そうですか。わかりました」
ドークスとコリンズはエマの横に用意された椅子に座った。その横にモニークが座り、ノエルは足元に立つ。
「初めまして、エマさん。僕は市警のコリンズと言います。こちらはドークス刑事です。今日は宜しくお願いします」
「…はい」
どうやら質問はコリンズが行うようだ。
相手は怪我人なのだから、的確な人選だろうとノエルは思った。
「まず、爆発があった日のことを確認させてください。何故あなたはあの日、あのレストランにいたんですか? あの日は休業日でしたよね」
それは報道でも取り上げられていて、ノエルも気になっていた。
「……ある人に呼び出されました」
エマは小さな声で答えた。
「ある人というのは?」
エマはそこで黙り込んでしまった。よほど言いたくないことなのか。
だが、警察は既に情報を掴んでいた。
「それはクレイン・スカイさんではないですか?」
エマは微かに目を瞠ってから、諦めたように溜息をついた。
「……そうです」
「クレインさんとは、どんな関係ですか?」
「個人的なお付き合いはありません。ただ…」
エマが答えにくそうにしていると、コリンズがそのあとを継ぐように言った。
「マクレガー氏を通して面識があったんですよね」
警察はもう、ある程度の情報を手に入れていた。事情聴取と言っても、実は確認の意味合いの方が大きいのだ。
何も知らないノエルは初めて聞く名前と、キースに関係のある事件だとわかって内心、ひどく驚いていた。
「あなたはマクレガー氏とお付き合いしてたんですか?」
「いいえ」
「でも、パーティーなどに同伴してましたよね」
「それは頼まれたからです。お仕事として、ご一緒させていただいてました」
「では、マクレガー氏に頼まれて、恋人の振りをしていたということですか?」
「そうです」
コリンズがメモを取りながら質問を続ける。
ドークスはエマの表情をじっと見つめていた。一つの嘘も許さないというかのようだ。
「では、爆発があった時のことを教えて下さい。レストランで何があったんですか?」
「……何も」
「何も?」
「ドアの鍵が開いていて、中に入ったらガスの匂いがしました。嫌な感じがして、外に戻ろうとしたら吹き飛ばされて。あそこは半地下になっているので、階段にぶつかりました。痛くて堪らなかったけど、何とか地上まで出ました」
なるほど、それで背面だけ火傷したのか。前面の打撲は階段に叩きつけられてできたものだったこともわかった。
「中に誰かいませんでしたか?」
「…わかりません。よく見ませんでしたから。ただ、視界に人影はなかったと思います」
「そうですか。ありがとうございます」
さすがファミリーの一員だ、とノエルは思った。ガスの匂いだけで即座に逃げようとしたから背面だけの火傷で済んだのだろう。半地下のような閉鎖空間にそのまま居れば、全身火傷で助からなかったかもしれない。
それに受け答えは的確で簡潔。刑事という天敵とも言える相手を前にしても冷静だ。
「ひとつ気になることがあるんですが、何故あなたはクレインさんに呼び出されたことを黙ってたんですか? マクレガー氏に相談しようとは思いませんでしたか?」
「……それは」
エマが口ごもる。
だが、ノエルはその理由を察した。キースを煩わせたくなかったからだろう。
「……まずは一度、お話して、それから相談しようと思っていました」
「クレインさんと何を話すつもりだったんですか?」
「……」
「マクレガー氏のことを諦めるよう、説得しようとしたんですか?」
コリンズの見透かしたような言葉で、初めてエマが苦しそうな顔をした。
コリンズという刑事は優しそうな顔をしているが、本当は容赦がない人間だとノエルは理解した。じわじわと真実に迫ってきて、エマの逃げ道をなくそうとしている。
エマは少し黙ったあと、小さく頷いた。下手に誤魔化すよりも、ここは認めた方がいいと思ったようだ。
「何故、あなたはそうしようと思ったんですか? マクレガー氏は単に雇用主というだけではないということでしょうか」
ノエルはそこで声を上げた。
「その質問は本当に必要か? 患者に余計なストレスを与えるようなことはやめてくれ」
ノエルの抗議にドークスが険しい目を向けた。
「必要だから聞いてるんだ。黙っててもらおうか」
「ストレスは免疫力や治癒力を低下させる。患者の安全を守るのが医者の務めだ」
「そう言って、何か隠そうとしてるんじゃないのか」
「何で俺がそんなことしなきゃならない」
二人のピリピリした遣り取りを止めたのはエマだった。
「社長と私は、プライベートでは関係はありません」
「それならどうして」
「私が一方的に慕っているだけです」
エマがきっぱりと言い切った。
ノエルは驚きで目を見開いた。それはエマがキースを好きだということか――?
「……そうでしたか。わかりました」
ノエルは複雑な気持ちになった。
二年前もそうだったのか。だとしたら、どんな思いで自分たちを見ていたのだろう。きっと傷ついていただろうと思うと、申し訳なさすら湧いてくる。
だが、エマは更に言葉を続けた。
「社長には心に決めた方がいます。その方以外の人とはお付き合いしないとわかっていたので、それをクレインさんに話そうと思ってました」
エマの瞳は真っ直ぐにノエルを見ていた。
その言葉がノエルを突き刺す。
それは、キースが今もノエルを想っていると伝えるものだったから。
ノエルの顔が痛々しく歪む。
「あなたはその相手を知ってるんですか? プライベートでは関係ないと言いましたよね」
「……運転手ですから。偶然、知ることもあります」
「なるほど」
「それ以上のことは言えません。プライバシーの侵害になりますから」
「そうですね。わかりました」
コリンズはそこで手帳を閉じた。
どうやら事情聴取は終了のようだ。
「ありがとうございました。お体が辛いでしょうから、今日はこれで終わりますね」
それにモニークが反応した。
「それは、また次があるということですか?」
「今は何とも。必要があれば、お願いするかもしれません」
「そうですか…」
モニークの声は沈んでいた。ただでさえ刑事相手に気を使うのに、コリンズはじわじわと追い込んでくる。エマの負担を考えると心配だった。
ドークスとコリンズが病室を出ていったあと、しばらく三人は無言だった。
モニークが病室のドアを開け、ちらりと外の様子を見る。ドークスたちが本当に帰ったかどうか確かめるためだ。
ノエルは発する言葉を見つけられなかった。
エマがキースに秘めた想いを抱いているとは思ってもいなかったから。
ノエルが沈鬱な表情をしていると、エマはくすりと笑った。
「さっきのは嘘ですよ」
「え…」
「ああでも言わないと、あの刑事さんは納得しなかったでしょうから。ボスのことは好きですけど、それは人としてであって、異性としてではないです」
ノエルはぽかんとしてから、気まずそうに顔を逸らした。
エマがああ言ったのは、刑事の追及を逃れるためだったのか。勘違いしたのも気まずいが、もっと気まずいのはキースの想いを知らされたことだ。
今更そんなことを言われても、自分にはどうしようもない。
別れを決めたのはキースであって、自分はそれを受け入れるしかなかったのだから。
「ごめんなさい。困りますよね、今更」
モニークが申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
「でも、私たちはボスの気持ちもわかるんです。こんな稼業をしていると、大切だからこそ離れた方がいいと考えるのは無理もないことだと思います」
全てはノエルのため。
わかっているから自分も身を引いた。
重苦しい沈黙が下りる。
それを払い除けるようにモニークが明るい声を出した。
「ドクター、今日はありがとうございました。お陰で何とか乗り切れました」
「いや、俺はただ居ただけだから」
「そんなことないです。私たち二人とも心強かったですよ」
「…それなら良かった」
ノエルはひとつ息を吐くと、二人に挨拶して、その場を後にした。
キースが今も自分を想ってくれている。
それは嬉しい。
けれど、もう二度と会えないのなら、知りたくなかった。
ノエルは自分の影を見つめながら、ERへと向かった。
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