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第27話
キースがワイアットに指示したスカイとクレインの調査は難航を極めていた。
何故なら、クレインが事故のあと、全く姿を見せなくなったからだ。
勤めている会社もずっと体調不良という名目で休んでいる。
スカイ自身は政界を引退したが、そのあとも影からラグズシティの政治に関わっている。だが、こちらも事故後はほとんど外出がない。
何の動きもないと、推測のしようもない。
少しの進展もないまま日にちだけが過ぎていく。
それは警察も同じだった。
エマに事情聴取するかなり前から、実は警察もクレインの情報は掴んでいたのだ。
エマは交友関係が狭く、誰かに恨まれている事実はないと早くに確認されていた。
そんな中で浮かび上がったのがクレインだ。
クレインが度々、キースに会いに行っていたこと。あるパーティーではエマが同伴していたにもかかわらず、キースにべったりとついて回っていたこと。キースの取引先との集まりに、偶然を装って顔を出していたこと。
それらがキース周辺への聞き取りで明らかになっていた。
キース自身も再度、ドークスとコリンズの訪問を受け、その情報の正確性を確認された。
ドークスには散々になじられたが、キースは全て聞き流した。正面から相手をするのは面倒だし、墓穴を掘るようなこともしたくない。
何より重要視されたのは、クレイン自身が友人にキースに夢中になっていると打ち明けていたことだ。
それによって、エマに恨みを持つ動機として充分な可能性があると判断されたのだ。
警察はクレインに任意の事情聴取を申し入れたが、体調不良を理由に断られた。
そして、スカイが市警の上層部に圧力をかけて、クレインへの捜査を遅らせていた。
執務室に集まったキースと幹部たちは現状を打開するための話し合いを持った。
だが、事件捜査のようなことは本来マフィアの仕事ではない。
クレインが雲隠れしていることで疑いはますます強まったが、どう対処するかの結論がなかなか出なかった。
その翌日だ。
エマの事情聴取から戻ったモニークが夜、キースにある提案をした。
「ウイルスメール?」
「はい。クレインにそれを送って、彼女のパソコンを外部から遠隔操作できるようにするんです」
「だが、そう簡単に引っかかるか?」
「ボスからのメールなら、必ず開きます」
――確かに、その通りだ。
キースもその手段は考えたが、クレインのパソコンが警察に押収されるだろうと考えると踏み出せなかった。
「その点は大丈夫です。メールを開いて一定時間が経つと自動的にメールを削除して、データ自体も消えるようにします」
「できるのか?」
「やってみせます」
モニークの目に強い決意が宿る。
大切な妹を害した相手を、このまま野放しにはしておけない。
モニークはそれから丸一昼夜かけて、書きかけだったウイルスのコードを完成させた。
モニークはプログラマーで、実はクレインを調査すると決まった頃から準備を始めていたのだ。
だが、ただコードを書いただけで終わりではない。それを暗号化し、閉じた環境でテストすることが必要だ。
それを更に閉じたネットワークで使用し、挙動に問題がないか調べ、微調整していく。
モニークは他の構成員の力を借りながら、地道な作業を続けた。
そして、コード完成から三日後。
いよいよクレインへメールを送ることになった。
キースはクレインへのメールに、暗に自首を勧める内容を書き綴った。
犯人は君だとわかっている、と匂わせることでクレインが何かしらの行動を起こすことを期待していた。
キースが作成したメールに、クレインがウイルスを仕込んで送信する。
まずはクレインのパソコンがウイルスに感染するのを待った。
どんな結果が出るか、全ては翌日に持ち越された。
翌日、ウイルス感染したクレインのパソコンが遠隔操作できることを確認した。
IT班のハッカーがクレインのパソコンからデータを盗む。
キースは送受信したメール、ネットサイトの閲覧履歴、SNSの遣り取りなどに注目していた。
爆発による重症者のもう一人は男で、クレインではなかった。そして、顔と気道にも酷い火傷を負い、まだ身元がわかっていない。
キースはその人間が実行犯ではないかと睨んでいた。
だとしたら、クレインは何らかの形でその実行犯と接触しているはずだ。
今はマフィアのような犯罪組織に頼らなくても、ネットで容易に犯罪の依頼ができる。いわゆる闇サイトとか、闇バイトと呼ばれるものだ。
キースはクレインが高額の報酬と引き換えに、エマの殺害を依頼したと考えていた。
IT班が盗んだデータの分析をしている間、偶然にもワイアットから有力な情報がもたらされた。
クレインが事故当時、現場近くで目撃されていたのだ。現場のレストランから百メートルほど離れたカフェに一人でいたらしい。
そして、爆発で軽い怪我を負っていた。
病院へは自力で行って、そのことはスカイの力で揉み消されていた。
キースは徐々に事件の核心に近づいていることを感じた。
だが、事件の全貌がわかったとしても、犯人を逮捕するのは警察の役目だ。決定的な証拠を掴んだとして、一体、それをどうすべきか迷いがある。
クレインを何とか説得するか、問答無用で警察に情報を流すか。
どちらにしても、厄介なのはスカイの存在だ。孫娘を溺愛するスカイは、クレインのためならどんなことでもするだろう。
最悪、キースの正体をバラすと脅してくるかもしれない。
マフィアのボスは巨大な犯罪組織のトップだ。正体が知れたら麻薬売買や闇カジノ、キースが特に力を入れている武器の密造と密売など、多くの違法行為の責任を一気に問われることになる。
特にヴィクトリアファミリーのように大きな組織なら、起訴され、裁判になれば終身刑は免れないだろう。
悩むキースが執務室でクロードと今後の動きについて相談し合っていると、そこへモニークが入ってきた。
その表情はどこか晴れやかだった。
「ボス、重要な情報な見つかりました」
モニークがキースに数枚の紙を差し出す。
「クレインが闇サイトで知り合った相手と遣り取りしていたメールです。それ自体は削除されてましたが、データを復旧しました」
キースはその内容に目を通した。
推測通りだ。
クレインは金に困っている男に、一千万リブラの報酬と引き換えに殺人を依頼していた。
相手がエマだとは知らせていないが、そこにはクレイン自身が立てた、詳細な計画が載っていた。
知人のレストランの休業日にエマを呼び出す。調理場のガス管を外して予めガスを漏出させておき、エマが入ってくる時間を狙って、時限式の点火装置を作動させるというものだ。
実行犯には現場の細工や、点火装置の製造と設置を依頼していた。
だが、この計画だと実行犯が重症を負うことはないはずだ。
「どういうことだ?」
クロードが首を傾げる。
「エマはガスの匂いに気づいて、すぐにレストランを出ようとした。犯人はそれを近くで見てたのかもしれねぇな」
「でも、それじゃあ自分も危ないですよ」
「ああ。けど、金に困って相当追い詰められてたとしたら、咄嗟の時に正常な判断ができるとは限らねぇ」
エマに逃げられそうになって、焦って火をつけたのかもしれない。それなら、真正面から爆発を受けて、顔や気道に火傷を負ったことにも納得がいく。
「この実行犯が誰なのか調べてくれ」
「わかりました」
爆発事故がクレインによって故意に引き起こされたものだということはわかった。あとはその裏づけが必要だ。
キースはその後のことは、裏づけが取れてから決めようと考えた。
クレインが事件の黒幕だとわかった翌日、モニークはいつも通り、エマの病室を訪れた。
事件から二週間以上が経ち、エマは目を覚ましている時間が増えた。当初よりも会話もはっきりできるようになり、経過は順調だ。
ノエルはモニークが来ていることを見越して、夜勤前にエマの元にやって来た。
「こんにちは、ドクター」
「ああ、調子はどうだ?」
「今日はいいみたいですよ」
ノエルは当たり障りのない話をしたあと、二人に静かに切り出した。
「……実は故郷(くに)に帰ろうかと思ってるんだ」
「えっ…」
思いがけない告白に、二人は驚きで目を見開いた。
「前々から戻ってこいとは言われてたんだ。俺が卒業した大学のERが人手不足で、俺に来てほしいって話があって」
ノエルの話は真実だ。
しかも、二年前から母親に事あるごとに言われていた。
だが、キースのいるラグズシティを離れ難くて、のらりくらりとかわしていたのだ。
今、それを受けようと思ったのは、エマからキースの気持ちを知らされたからだった。
自分の気持ちだけなら押し殺して、蓋をしていられた。辛くても目を逸して、見ない振りができた。
――同じ空気を吸って生きている。
ただ、それだけで満足していた。
けれど、キースもまだ想ってくれているとわかったら、途端に苦しくて堪らなくなったのだ。
エマとモニークを見ると、キースの存在を嫌でも強く感じてしまう。
意識し始めたら、この街にいることが辛くなってしまった。
平静を保てない。
息が苦しい。
この街で、このまま何もなかったようには、もう生きていけないと思った。
「……それはもう決まってしまったことなんでしょうか?」
モニークがおずおずと尋ねる。
「いや、具体的なことはまだ何も。ただ、二人には言っとこうと思っただけだ」
「……そうですか」
二人が沈痛な表情になる。
ノエルの胸も痛んでいた。
マフィアの一員とはいえ、根は心優しい姉妹だ。ノエルの決断に責任を感じてしまうかもしれないと思うと、伝えることに気が咎めた。
だが、はっきりと口に出すことで、ノエルは自分の決断を確かなものにしたかった。
後戻りのできない状況に自分を追い込もうとしたのだ。
「…最後までついててやれなくて、すまない」
「そんなこと…」
悲痛な顔をする二人にもう一度「ごめんな」と言い、ノエルは病室を出た。
この話はキースにもすぐに伝わるだろう。
けれど、ノエルは一切の期待をしていなかった。ここで引き留めるくらいなら、最初から別れを選ぶことはなかったはずだ。
互いに区切りをつけて、新しい道を進むのだ。
ノエルはそれが一番いい選択だと思った。
だが、モニークはノエルの後を追ってきた。
「待ってください…!」
ノエルの乗ったエレベーターのドアが閉まる直前、モニークが飛び込んでくる。
「危ないぞ!」
「すいません、でも…!」
他にも人がいたため、モニークは一度、言葉を飲み込んだ。
五階から一階へ。
気まずい沈黙が流れる。
一階に着き、エレベーターを降りた二人はERのある別棟に向かって歩き出した。
「…考え直してもらえないでしょうか?」
「…それは無理だ」
「…でも、私たちせいで…」
そこまで言って、モニークは急にその場に立ち止まった。
「どうした?」
モニークが来た方向を振り返り、何か思案している。
少しして、モニークがハッと顔色を変えた。
「さっきの人、クレインです!」
「え…」
「さっきすれ違った看護師、クレイン・スカイです!」
「何だって!? 本当か!?」
「あのブロンド、どこかで見たことあると思って」
ノエルはモニークの言葉を最後まで聞かずに走り出した。
クレインはエマを呼び出した張本人だ。エマを殺そうとした犯人である可能性が高い。
――エマが危ない…!
ノエルはエレベーターホールまで戻ったが、運悪く全て稼働中で、すぐに一階まで来そうにない。
ノエルはエレベーターの裏側にある階段室へ向かった。
全速力で五階まで駆け上がる。
エマのいる熱傷病棟はエレベーターホールから遠い静かな場所だ。そして、遠回りすればスタッフステーションの前を通らなくても行ける。
ノエルは最短でエマの病室へ走った。
勢いよくドアを開けると、目を瞑るエマの横で、両腕を振り上げる看護師姿の女がいた。
その両手にはぎらりと光る刃物が握られていた。
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