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第16話 一月後

 カツラと付き合い始めて一月近くがたった。仕事上、生活する時間帯がまるで違う二人の時間を作るのは難しかった。しかし、お互いが一緒にいたいと思う気持ちが、少しの間でもとなんとか会う時間を作っていた。  タイガは超が付くほど奥手だ。もういい年なのだから、さっさと深い関係に踏み込めばいいのだが、真面目過ぎて今だに中学生のようなデートを繰り返していた。それが『アイビー』であったり、カツラの職場の『desvío』での逢瀬だった。 当初タイガはカツラがどんなことを自分に求めてくるのか不安だった。しかし、カツラはまるでタイガの歩みに合わせるように急いで多くを求めることはなかった。  タイガはカエデしか知らない。カエデとは友人としてかなり親しくなってから一線を越える深い仲になった。そのせいかカツラとは今だにもう一歩が踏み出せずにいた。逆にカツラはどうなのだろうか。彼が交際した人数が一人であるはずがない。タイガはカツラのことを考えると我を失うほどモヤモヤとすることが多かった。それほどまでにカツラに心を奪われていた。  相変わらず『desvío』は繁盛しており、カツラがわざわざタイガの席に顔を見せても、稀に見る美形のカツラと話したがる客も多くゆっくりと話すことはできない。以前はそのことにイラつきさえ抱いていたタイガだったが、今は違う。連絡先も交換し、メールや電話でのやり取りもある。しかも、店で話せない時でも何度もカツラと目が合う。そんな彼のふとしたしぐさでタイガは安心できた。カツラも同じように思ってくれているのだと。  ある日、カツラからメールが届いた。今日はまた店長の気まぐれで、月曜日だか急遽営業することになったと。最近店でゆっくり話せていないから、今夜どうかとのことだった。 「タイガ!お疲れ様。やっと例の案件、落ち着いたよ。旨い酒、飲みたいな。」  フジキはここ最近難しい商談を任されていた。ようやく解決の目処がついたのだろう。タイガは今夜、フジキを連れて『desvío』に行こうと思いたった。彼にカツラを紹介するのもいい頃だ。そこにはあの美しい恋人をフジキに自慢したいという思いもあった。 「フジキさん、今日『desvío』に行きませんか?」 「え?今日は定休日だろ?」 「たまにきまぐれで営業するらしいです。そんなときはめちゃくちゃいい酒が入ったときだそうですよ。どうです?」 「タイガ、お前どうしてそんなネタ知ってるんだ?常連だからか?」 「あの…。実は、フジキさんに紹介したい人がいて。カエデの件ではフジキさんにも心配をかけましたから。俺、もう大丈夫なんで!」 「やっぱりか!できたんだろうなと思っていたよ。大切な人が。前以上に生き生きしているから。よかったな、タイガ。じゃ、今夜行こう。」 こうしてタイガはフジキと二人、『desvío』に行くことになった。  ほんとうは定休日のはずの月曜日ということもあり、店内はいつもよりすいていた。しかし、タイガのように店の外観に惹かれて初めて利用する客もいるようで、程よい感じに席は埋まっていた。タイガ同じみの席は空いている。フジキと二人、いつものカウンター席に腰をかけた。 「いらっしゃいませ。タイガさん、フジキさんも。」 タイガほどではないが、フジキもこの店の常連だ。ウィローともすっかり打ち解けている。元々、波長の似ている二人だから、会話も弾んだのだろう。 「今日はいい酒があるからってタイガに聞いて。一杯目、それもらっていいかな?」 「俺も同じものを。」 「かしこまりました。」 ウィローがタイガたちの目の前で酒を注ぎ始めた。白濁した藤色の酒だった。口に含むとブドウの味がする。鮮烈な味わいだ。 「これはブドウだね?」 フジキが旨いと目を細めながら尋ねた。 「はい。店長の古くから付き合いのある農家さんが、最近酒づくりにも手を広げたらしくて。といっても、こだわりが強い人なんで、この酒できるまでに結構時間かかったらしいですけど。」 ウィローから酒の説明をうける。なるほど希少価値のある酒なのだと感心していると、ウィローは別の客の注文を受けるため、その場から離れていった。 旨い酒を飲みながら腹ごしらえをしようとメニュー表に目を落とした時、背後から声がした。 「いらっしゃいませ。」 タイガは声にはっとし振り向くと、カツラが笑みを浮かべオーダー表を手にして立っていた。

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