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第24話 瓦解
タイガは仕事に没頭していた。引き受けた時は尻込みしたが、今はこの仕事があってよかったと思っていた。
タイガは婚約パーティー後、カツラからの連絡を全て無視していた。もちろん『desvío』にも行っていない。今はカツラのことを考えたくなかった。無心に目の前にある業務に取り組む。でないともう立ち上がれないくらい壊れてしまう。
「タイガ。お前、とばしすぎじゃないか?」
社内の廊下でフジキが声を掛けてきた。
「大丈夫です。仕事がのってきて、いい感じなんで。」
心配するフジキをよそに、タイガは視線を向けずに答える。話している暇もないとうように。
「お前目、血走ってるぞ。ちゃんと寝てるのか?」
「ほんと大丈夫です。心配無用です。」
タイガはフジキを振り切り、急ぎ自分のデスクに戻って行った。
時間がたつのも忘れて仕事をしていたので、その日はタイガが会社に残る最後の一人だった。時計を見ると22時をすぎていた。家に帰ってもなにも食べる気がしない。今夜も風呂に入ってさっさと寝るかと思い、帰り支度を始めた。仕事モードからプライベートモードになると途端に気だるく感じた。最近ずっとこうだ。
タイガはあれから夕飯をとっていなかった。体重は二キロ程落ちていた。あの出来事からちょうど今日で一週間。こうして時間がたって、いちいち今日で何日目なんて意識せずにすむときがくるのだろうか。
ドアを開け外に出た。今日は満月のようで、いつもより空が明るい。
「タイガ。」
自分の名を呼ぶ声にドキリとする。そこにはカツラがいた。今日は金曜日だ。店にとってカツラが絶対にいなければいけない日。今の時間では店はまだ込み合っているはずだ。ここにいるはずのないカツラの姿を目にし、タイガは戸惑った。
カツラはパーティーのときとは違い、いつも通りのラフな服装だ。月明かりを受けて、漆黒のさら髪がつやめいていた。タイガが知っているいつものカツラ。
「どうして、返信くれないんだ?電話にもでないし。」
カツラはタイガの様子を伺うように優しく問いかけるが、タイガはカツラから目を逸らした。
「フジキさんが、今日店にきて。お前の様子がおかしいって。俺のことも避けてるし。どうしたんだ?」
なにも答えないタイガにカツラが詰め寄り両腕に手をかけた。
「タイガ。」
「離せ。」
タイガはカツラの手を払いのけた。カツラはタイガの思わぬ拒絶に不意をつかれ、キョトンとしている。
「タイガ?」
本当は無視してそのままこの場を立ち去りたかったが、こうなった原因を全く分かっていないカツラに腹が立った。タイガは早口でまくし立てた。
「俺、見たんだ。カツラとツバキが。パーティーで。キスしているところ!」
タイガは目をそらしたまま答えた。一瞬の沈黙の後、カツラが弁解する。
「あれは…。ツバキがいきなりしてきたんだ。俺だってびっくりした。」
「それであんなに濃いのができるのかよ!」
タイガはカツラとまだ触れるか触れないか程度のキスしかしていなかった。しかもたった一度きり。カツラの言葉には説得力がない。拒絶することだってできたはずだ。しかしカツラはそうしなかった。ツバキとのキスにしっかりと応えていたのだから。
あの時…。タイガは自分とツバキの扱いの違いを目の当たりにした。思い出すだけでうんざりする。
「それは…。それはツバキが合わせろって。いろいろあったんだ。
「タイガ、悪かった。キスぐらいでそんなに怒るなよ。」
カツラにとっては深い意味はない、何気ない一言だったのかもしれない。しかし、その一言がタイガの逆鱗に触れた。キスぐらい?
「ふざけるなっ!!キスぐらいってなんだよ!あり得ないだろっ!」
タイガは怒鳴っていた。怒りが収まらない。これまでの不審感も相まって一気に爆発した。
「タイガ。だから謝っているだろ。ツバキに気持ちはない。あんなの形だけだ。もう二度としないから。機嫌直して。」
タイガはカツラという人間がわからなくなった。「あんなこと...?形だけ?」自分は本当にしたい人としかしない。頼まれたからなどとはあり得ない。愛する人とだけのとても大切な行為なはずだ。軽い考え方のカツラに腹が立った。
「店あるんだから帰れよ。俺のことは放っておいてくれ。」
カツラに対するタイガの言葉はますます辛辣になっていく。
「ちょっと。なにキレてんだ。」
「これも。返すから。」
タイガは、カバンからカツラの自宅の鍵を取り出した。カツラに渡すが、カツラは黙ってタイガを見つめたまま受け取ろうとしない。タイガはそのまま鍵をカツラの足元に落とした。
「ちょっと待てよ。」
その場を立ち去るタイガを引き止めようと、カツラが腕を伸ばしたが、タイガは彼の手を振り払い早足で去っていった。
月夜には佇むカツラ一人が残された。
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