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第30話 はじまり
カツラはまたあの男が店に来るか気になって仕方がなかった。ウィローから男の情報を仕入れたい気持ちもあったが、変に勘ぐられても嫌だったので我慢した。
男が来たのは週末だった。次に来るのならおそらくまた週末だろう。十中八九、雨宿りで来た客だった。
でも、うちの酒が気に入ってくれたのならまた来るはずだ。なんとも頼りない酒頼みだったがその週末、男は店にきた。まだ雰囲気は暗いが。
予想通り男が週末に来たことにカツラは悪態をついた。場所を動けないカツラは、ウィローを使いまたオススメの酒を奢りだと言って運ばせた。酒を飲む度に男の瞳がぱっと明るくなる。自分のしたことが少しでも男の役に立てているような気がして嬉しかった。
それは彼が来る度に続けられた。俺が君を気にかけている。だから早く元気になってというカツラからのメッセージだった。
男の名前が判明した。彼はタイガといった。
タイガ、タイガと彼の名前を心で反芻する。カツラはタイガのすべてに惹かれていた。そしてありがたいことに思惑通り、今のところ週一ペースだがタイガは店に通い続けてくれている。
酒が効いたとこの店の酒の魅力に感謝する。タイガの表情は日ごとによくなっているように見えた。今や彼が本来持つ明るい表情を取り戻しつつある。タイガは元々人を惹きつける、太陽のような表情なのだ。
カツラはなんの憂いもないタイガの瞳を見たいと思った。自分がタイガと直接話せたらもっと彼の力になれるのに。タイガへの興味は彼を目にする度に募っていく。タイガがいつ店に来るかと待ちわびることは刺激的で楽しいことだった。
タイガの来店が週末の週一ペースから週中も含め週二になった頃、カツラはある決心を固めていた。もうそろそろ様子を見て、直接彼に話しかけようかと。既にどんな話をするのかも考えていた。そんな時、タイガが会社の同僚と思しき男を連れてきた。
タイガと共に来店した男は頼りがいのあるなかなかいい男だ。カツラはストレートに嫉妬した。様子を伺っていると、タイガとはかなり親しそうだ。二人で楽しそうにしているのを見ているとイライラした。
しかし、自分はまだタイガと口をきいたことさえない。
先ほどまでそろそろ直接話しに行こうと決心していた気持ちは一気に消えうせてしまった。
自分から人を求めたことがないカツラは、タイガとどのように接したらいいのかわからなかった。とても臆病になっていた。そんな気持ちでいたため、その日はオススメの酒を出し忘れていた。
タイガと接する機会もなく時間だけが過ぎていく。やるせない思いにため息が増える。カツラにとってはこれまでの交際の経験などあてにできるものではなかった。相手の反応など気にしたことがないからだ。しかしタイガは違う。タイガにだけはとても慎重になっていた。第一印象が大切だと。
数日後...。意外なことにタイガが来店した。普段は定休日のはずの月曜日に。カツラの心は浮き足だった。店の休みを知らないできたなとカツラは嬉しく思った。
先ほどまで急遽臨時営業にした店長に腹が立っていたが、タイガを目にして「ありがとう、店長。」と心の中で叫んだ。
『desvío』の定休日は一度来た客ならば大体は知っている。しかも本日は急に営業になりましたとわざわざ常連にも連絡はしていない。今夜、店は暇だ。
ついにタイガのそばにいける。気持ちを整え目を閉じる。いよいよ話せる。彼はいったいどんな声をしているのだろうか?自分は彼の瞳にどう映る?静かに呼吸を整えタイガを見る。
タイガはメニュー表に目を落としている。
カツラは急ぎ、本日とっておきのオススメの酒を手にとりグラスに注いだ。偶然にも自分の瞳と同じ翠の酒だ。どうかうまくいってくれと翠色にきらめく酒に願いを託す。深呼吸をし、静かにタイガに近づいた。
コト…。
「どうぞ。」
とびきりの微笑みでタイガに酒を差し出した。タイガと目があった。彼はとても驚いているようだ。
カツラの心臓は早鐘のようで、タイガに聞こえてしまうのではないかと気が気でなかった。
タイガはまだ黙ったままだ。カツラは彼の驚きを取り除こうとわざと明るく話しはじめた。
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