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第49話 嫌な男

 あれから数日後、タイガの元にカツラからメールが届いた。 【今日は昼飯の用意ができる。打ち合わせ前に来るか?】  タイガは【早めに行く。】と返信をした。約束通り、カツラがメールをくれたことにタイガは安心した。これからはゆっくりと話ができる。カツラがわざわざ自分のために手料理を振る舞ってくれる事実にやはり特別扱いされていると思わずにはいられなかった。  この間は謝罪だけで終わってしまった。二人で話せる時にカツラへの気持ちを全て伝えたかったのに...。店ではまた邪魔が入るかもしれない。二人でどこかに出かけようとカツラを誘おうか。今の感じならきっといい返事が聞けるはず。タイガの頭の中ではすべてが良い方向に向かっていると確信していた。はやる気持ちで店に向かう。  店に着き裏口を開けるとなんとも良い香りが鼻についた。足音を立てないようにカウンターに向かう。厨房からこっそり様子を伺うとカツラがいた。カウンターでタイガに出す料理を皿に盛りつけている。タイガは呼吸を落ち着けとびきりのいい声で呼びかけた。 「カツラ。」 カツラが振り向く。タイガだと気づきあの優しい微笑みを投げかけた。 「お疲れ。タイガ。」 タイガは有頂天で今日はどんな料理かと覗き込んだ。野菜と魚のマリネだ。先ほどから良い匂いを出しているスープもある。 「旨そうだ!」 タイガの言葉にカツラが微笑む。 「ほら、座って。スープ、熱いうちに。」  カツラの姿を見ながら食事ができる幸せをかみしめる。今日の料理もタイガの好みのものだった。スープも以前好きだと話したことのあるものをカツラが上手にアレンジを加えているようだ。それがより一層味を引き立て絶品の仕上がりとなっていた。 美しい容姿、性格もよく、料理の腕までいい。タイガはカツラの料理を口にする度、ますます彼に惚れていく自分を自覚していた。離れるなんて絶対に無理だ。そんな甘い思いに捕らわれていた。  一線引かれていたことが嘘のよう。タイガの気持ちはすっかり浮かれ、先日の謝罪も受け入れられたこともあり、そのまま深く考えず店に来る前に立てた計画を実行にうつすことにした。 「カツラ。今度一緒に出かけないか?」 カツラは無言だ。タイガは二人の間の空気が変わったことに気がついた。食事の手を止めカツラを見る。 「カツラ?」 「えっ?」 明らかにカツラの様子がおかしい。 「悪い。なにか言ったか?」 予想だにしていなかったカツラの反応にタイガは激しく動揺した。 「だから...。今度出かけないかって。」 カツラは作業の手を止め、手をふきながらタイガを見た。視線が定まっていない。なにか気まずそうだ。一体なにが問題なんだ?タイガは後に続くカツラの言葉を聞くのが怖かった。 「どうだろう。時間、難しいんじゃないか?」 時間なんてどうにでもできる。タイガはカツラとの時間を作るためなら会社を休むことだって厭わない。仕事後、『アイビー』に行ってもいい。タイガはそんなことでカツラに遠慮してほしくなかった。 「時間なんて作れる。カツラの都合のいい時間を言ってくれたら俺があわせるよ。いつがいい?」 タイガは逃してなるものかと一気に畳みかける。しかしカツラからは前向きな反応が伺えない。カツラの瞳は揺れ、呼吸で胸が上下しているのがわかる。 「大丈夫なのか?」 「だから大丈夫って言っているだろ?」 頼むからわかったと言ってくれ。タイガは祈りながらカツラに言い寄った。二人で出かけることができたらその後はきっとうまくいく。そう強く信じて疑わないタイガは引く気は全くない。あともう一押しかと思ったときに激しく裏口が閉まる音が店内に響いた。 誰かと思い二人が裏口から向かってくる足音に視線を向ける。乱暴な靴音とともに現れたのはあの男、トベラだった。 「よぉ、カツラ。」 トベラはカツラにねっとりとした声であいさつをした。そして不意にタイガの存在に気付いた。 「客か?まだ開店前だろう?」 トベラの目は敵意丸出しでタイガを上から下までジロリと見た。 タイガは自分にむけられたトベラの視線に不快になった。嫌なやつだ。 「うちの新しい取引相手。酒屋ではないけど。」 カツラがタイガを紹介した。  タイガはカツラの言葉にショックを受けた。確かに今は微妙な関係かもしれない。でもただの仕事上での付き合いだけではないはずだ。特にこのトベラという男には、自分はカツラにとって特別な存在なのだと知らしめてやりたかった。つい先ほどの会話や今の対応から、二人の関係について認識の差が生じていると感じざるをえない。タイガは能天気な思いに捕らわれていた自分に腹が立った。 「ふうん。カツラ、むこうで話がある。大事な取引の話だからな。聞かれたくない。」 トベラは店内にあるスタッフルームにカツラを連れて行こうとした。タイガの存在は完全に無視だ。 「カツラ。」  タイガはカツラの名を呼んだ。タイガはカツラに行ってほしくなかった。あんなやつと二人で話なんて。それにトベラの目はまるで捕食者のようにカツラを見るのだ。タイガはそれがたまらなく嫌だった。 「行かないと。へそ曲げると厄介だ。もうすぐ店長も来る。」  カツラはそう言い、タイガを一人カウンターに残しトベラが待つスタッフルームに行ってしまった。俺よりあの男を選ぶのかと怒りがこみ上げる。カツラはそんなつもりはないのかもしれないが、タイガは嫉妬を感じずにはいられなかった。 「くそっ。」 あんなやつには絶対に負けたくない。自分のほうがカツラには合っている。タイガは何度もそう心で叫んだ。しばらくするとカツラが言った通り店長が来た。 「いつも時間厳守でご苦労様。どうかした?」 タイガの暗い表情を見て店長が様子を伺ってきた。 「いえ、なにも。今日もよろしくお願いします。」  沈んだ気分をなんとか断ち切り仕事モードに切り替える。その日の打ち合わせが終わり、タイガは店を後にした。  帰るとき、カツラの姿は見当たらなかった。まだあの男と一緒にいるのかと思うと怒りで頭に血が上った。二人でいったいなにをしているのか。本当に仕事に関する話だけなのかとよからぬ想像が勝手に頭に思い浮かぶ。まさか既にあいつとそういう関係なのか?拳を固く握りながら立ち止まり俯いた。 「タイガだろ?」 自分の名前を呼ばれ顔を上げると、目の前にはあの嫌な男、トベラがいた。 「なにか用ですか?」 タイガは今この男に感じていた怒りを隠そうともせずに答えた。 「カツラは俺のものだ。諦めろ。」 こいつはなにを言っている!ふざけるなっ!今まで経験したことのないような怒りを覚える。これ程までに他人を憎いと思ったことはない。 「あんたには関係ない。」 トベラとすれ違い立ち去ろうとするタイガに彼が勝ち誇ったように言った。 「カツラと俺は深い仲なんだ。意味わかるだろ?お前じゃカツラみたいな男は無理だ。」 気が付くとタイガはトベラに殴りかかっていた。しかしトベラに向けて振りかざした拳が止められる。 「お前見境ないな。」 止められた拳とともに顔を近づけられる。ムッとする香水の匂いが鼻につく。 「おぼっちゃん。カツラみたいなやんちゃなやつはお前の手に負えない。あいつは研修先で男女関係なく楽しくやっていたぞ?俺も混ぜてもらった。あいは...。かなりよかった。」  タイガのなかでなにかが切れる音がした。トベラに掴みかかりがむしゃらになぐりかかる。だが、格闘技は相手のほうが上手うわてだった。タイガの拳は一発もトベラには当たらず、体はごみのように払いとばされた。タイガは荒い息遣いのままその場にしりもちをついた。目は血走り、呼吸が荒れている。 「じゃぁな。」 トベラはタイガの姿を見、勝ち誇ったように乱れた服装を直しその場を去っていった。  一人残されたタイガはしばらくうずくまり動けなかった。地面に顔を押し付け慟哭する。彼の頬にはとめどなく涙が流れていた。

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