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第52話 星空の決意

 翌朝早くセリナの部屋を出、自分の部屋に向かった。カツラの表情は暗い。足音を消して廊下を歩く。自分の部屋の前に着くと、なんとそこにはトベラがいた。あれから会わずにいたのにむこうから会いに来るとは。トベラは嫌らしく口角をあげ笑っている。 「こんな時間までお盛んだな、カツラ。」 カツラは無視を決め込みたいが、トベラはカツラの部屋のドアの前にいるので仕方なく口をきく。 「毎回非常識な時間になんです?どいてくれますか?」 冷めた声で言ったがトベラは気にするような男ではない。 「ああいうのが好みか?物足りないんじゃないか?」 カツラは睨みつけた。トベラが何故知っているのか。 「俺も何回か会ったことがある。酒造家同士な。あそこのおやじは面倒だぞ。」 まさかトベラがカツラとセリナが親しくしていることを知っているとは思わなかった。しかも昨夜一緒だったとなぜわかる?カツラはこの男の不気味さを感じた。カツラの反応はトベラを満足させたようだ。 「驚いたか?俺はなんでもお見通しなんだ。特にお気に入りのことはな。」 そう言ってあろうことか唇を押し付けてきた。予想外の行動にカツラも一歩対応が出遅れてしまった。 再びトベラの唇への侵入を許してしまう。腰と頭を強くつかまれ離れることができない。トベラの力は容赦なかった。どれくらいそうしていたのかなんとか顔を引き離す。カツラは今すぐ離れたくて仕方なかったがトベラは額同士を近づけ囁く。 「カツラ。俺は本気だ。お前がその気にさせた。こんな中途半端では満足しない。」 それだけ言って去っていった。 足が震えている。カツラはドアにもたれてそのまま崩れ落ちた。  部屋に入りシャワーを浴びる。口元をなんどもゆすぎながら。「昨夜から最悪だ。」カツラは自業自得とはいえ情けなくて涙を流した。 タイガはやはり特別なんだ。彼は俺を大切にしてくれた。気持ちのまま求めることもなくいつも優しい眼差しで見てくれていた。俺の身も心も彼の全てを欲していた。あんな感覚は初めてだった。  昨夜。カツラはセリナを抱こうとした。もしかしたら彼女となら愛し合うことができるかもしれない。タイガのように愛することができるかもしれない。そう思った。そして二人でベッドにむかいお互い求めあった。しかし、肝心な時にカツラの体がそれを拒んだ。セリナは気にすることはないとカツラに優しく声を掛けてくれた。その後は行為を継続することはできず、そのままただ手をつないで他愛のない話をし、朝まですごした。  セリナに対して罪悪感しかなかった。カツラは自分ではよくわかっていた。何故彼女を抱くことができなったのか。カツラにはタイガ以外はもう無理なのだ。全身全霊で求めているのはタイガだけ。タイガなしでは生きてはいけない。タイガがカツラを拒み、他の者を望もうとも。  カツラは憂鬱な気分を晴らそうと外に散歩に出ることにした。今日の天気は快晴で、どこからか小鳥たちのさえずりが聞こえる。  ブドウ農園のほうにむかう。農園では早朝にも関わらずブドウの収穫をしているのか数人が作業をしていた。適当に座り込みその様子を眺めていると声を掛けられた。 「おはようございます。」 声がする方に顔を向けると作業着のようなつなぎを着た体格のいい男が笑顔で近づいてきた。農園の者かと思い、立ちあがって挨拶をする。 「おはようございます。」 「研修に来ている人ですよね?」 彼の笑顔は朝日に照らされて爽やかだった。キラキラと輝く金髪に青い目をしたなかなかの好青年だ。 「ええ。あの。見ててまずかったですか?」 カツラの質問に男は驚いた表情をした。 「え?いやいや。そんなことはないですよ。ただ収穫作業をしているだけだから。ブドウは一日のなかでも寒い時間に収穫した方がいいので。もうすぐ今日の収穫作業も終わりです。」 カツラは研修での記憶をたどる。「確か習ったような...。」なにやら視線を感じ男のほうを見ると彼はカツラの顔を熱い視線で見ていた。 「ところでもう朝飯食べました?俺たち今から朝飯で。よかったら一緒にどうです?」 「え?」  カツラは突然の誘いに戸惑った。研修も残すところ数日となっていた。最初はお互い様子を探り合っていた研修仲間たちとも打ち解けてきていた。カツラはセリナと長時間過ごしていた。そのおかげか二人の仲を勘違いし、カツラに言い寄って来る者は少なかった。同性にも何人かに君となら大丈夫だと言い寄られたが、店のやり方と同じく上手に断っていた。やはりどうしてもタイガと比べてしまう。彼への気持ちを吹っ切ろうと望んだ研修であったが、思いはなおさら強くなっていくばかりであった。  昨夜から今朝のこともあり、今はもうやめてくれとさすがに顔に出たのかもしれない。彼はその後しつこく誘うことはやめ、あっさり引き下がってくれた。  その日の研修は午後からだった。最初に座った席がそれぞれの座席として定着していた。カツラの隣はセリナである。気まずい思いはあったがそれを出さぬように注意し、先に席についていた彼女に声を掛ける。 「お疲れ。」 セリナが振り返り愛想笑いをしながら答える。 「お疲れ様。あれから眠れた?私、ついさっきまで爆睡しちゃった。」 わざと明るく振舞うセリナを見るのがつらかった。彼女のせいでないことはカツラはよくわかっている。女性として自信を失っていなければいいがと申し訳なく思った。  その日は短い講義で終わり、あとは課題レポートの提出となった。セリナは研修中に仲良くなった他の女性と協力して仕上げるようだ。心なしか避けられているような気はした。それはそれで仕方がないとカツラは一人部屋に帰りレポート作業に取り掛かった。    その後セリナとは付かず離れずといった感じで友人以上の関係に進展することはなかった。彼女からの積極的なアプローチもあれからぱったりなくなっていた。セリナはカツラが彼女のことを抱けなかった本当の理由を知らない。身体的になにか問題を抱えていると思ったのかもしれない。カツラもあえて自分からかその件には触れようとはせず残り少ない研修の時間を当たり障りなくすごした。  そしていよいよ研修最終日を迎えた。その夜、界隈のブドウ農家たちが協力して料理や酒をもてなしてくれることになった。研修内容自体もためになるものであったし、至れり尽くせりのもてなしにこことは取引をしてもいいのではと参加した者たちのほとんどが思っているようだ。ワインの味も非常によく、ぶどうの品質にもとても気をつかっている。カツラも店長に良い取引先相手になると勧めようと思っていた。  カツラも含め、研修に参加した者たちと数人のブドウ農家たちを交え食事をとりながら話をする。楽しい食事会だが一つだけ気がかりなのはトベラも参加していることだった。トベラはカツラに近づいてこようとはしないが、「お前はいつでも俺の射程距離にいる。」と脅しを掛けるような目でカツラを見ていた。  そしてカツラはそれとは別の視線がやけに気になっていた。先ほどからジロジロ見られているような気がするのだ。気付かないふりをしていると、とうとうブドウ農家の一人に話しかけられた。 「君だね?ニレがお熱をあげていたのは?」 ニレ?カツラは聞いたことのない名前に頭が混乱する。このブドウ農家の質問がきっかけになったように他の農家たちもカツラの顔を覗きに来る。そして口々に言いだした。 「美人だ。」「惚れるわけだ。」「たまげた。」「同じ男とは思えない。」などなど...。 研修仲間たちも聞きつけニヤニヤ笑っている。中には「自分はフラれた。」と言っている者も。 セリナと目が合う。お互い目をそらしてしまう。カツラはその場から逃げ出したい思いに駆られた。するとあの男の声がした。 「ちょっと、おじさんたちなにしてるのっ。」 見ると数日前の早朝にブドウ農園で会った男だった。 「彼だろ?ニレの思い人は。」 農家の言葉にニレは顔を赤らめる。カツラと視線が重なり気まずそうに下を向く。そのまま立ち去るかと思いきや、彼は行動に出た。 「あの。もしよかったらちょっと外で話さない?変な意味じゃなくて。ここは少し気まずいから。」 確かにそうだと思いカツラは彼の後について外に出た。  外には満天の星々が頭上に広がっていた。都会に比べ人の明かりが少ない●●●は外から切り離された特別な世界のようだった。時間の流れを感じない。月明りが眩しい。今夜は満月なのだ。 カツラはチクりと胸に痛みを感じた。懐かしい痛み。満月の夜の...。忘れたくない、自分にとっては愛しい痛みだ。タイガに関することはすべてそう。カツラは遠くにいるかつての恋人のことを思い黙って夜空を見上げていた。カツラの美しい瞳はガラス玉のようにキラキラと星空を映している。そんなカツラの横顔に見とれていたニレは同じように星空を見上げて静かに言った。  「君が好きだ。初めて研修場で見たときから。一目惚れだった。」  ニレは初めてカツラを見たときのことを思い出していた。自分と同じ男なのになんて美しい男なのだと衝撃を受けたのだ。ニレは普通に女性が好きなので、普段ならそれだけで終わっていたことだった。しかしカツラが時折見せる寂しい眼差しが気にかかり、いつしかいつもカツラのことばかり考えるようになっていた。農場で再会したときは直接話してみたいと思っていたカツラと偶然にも会え、胸が高鳴ったのだった。 「ありがとう。」 ニレに顔を向けカツラは優しく答えた。 「でも、俺には好きな人がいる。その人が好きで好きでたまらないんだ。ごめん。」 ニレはわかっていたというように一人うなずく。「でないとあんなつらそうな顔はしない。」そう心で答えていた。 「もう少し時間があったらなぁ。絶対に振り向かせる自信あったのに。」 カツラのことを気遣い明るく話すニレ。ニレは話しやすい。確かにもっと早くに知り合っていたら友達になれたのかもしれない。そう思ったからかカツラは無意識につぶやいていた。 「好きな人に嫌われたら...。どうしたらいいんだ?」 ニレは少し驚きの顔でカツラを見る。気持ちを察してくれたのかそれ以上は聞こうとしない。しばらくしてニレが話し出した。 「友達になればいいんだ。いつでもその人の味方になってあげるんだ。一番近いところにはいられないけれど、つながりは持てる。好きな人には幸せになってほしいから...。って俺なら思うかな。」 妙に説得力がある。カツラの胸に素直にストンと落ちた。 「たしかに。」

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