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第1章 後編
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――どうすれば彼に気づかれずにあの男子を殺せるのかを必死で考えている。ずきずき痛む頭で完全犯罪について思考している。
(『経絡感覚』より)
*****
昼休憩に事務員が堂々と動画を見ていたので、こっそりとのぞいた。というか後ろを通るときに眼に入った。
「結構なイケメンでしょ?」
「そうゆうのが趣味なのか」
「好みではないわね」事務員はばっさりと切り捨てた。「絶対に付き合いたくないタイプよ。大切な友人が入れ込んでいたら全力でストップ掛けるわ」
年齢は俺とさほど離れてはいなさそうだった。学生か。自分のプライヴェイトな情報を、恥ずかしげもなく垂れ流している。よほど暇なのだろう。
「いいところは顔だけね。他は最悪よ。でも見てる分にはいいのよね。害がなければ」
「言いますね」
高評価なのかそうじゃないのか微妙なラインだ。
事務員は「動物園と一緒よ」と言ってカップスープを啜った。
午後の業務もつつがなく終わり、事務員はいつも通り定時で帰る。いつもと同じ平日。
新年度になってもやることは変わらない。
大学も3年目。必修科目が減って幾分か楽にはなった。
PCをシャットダウンして、戸締りをしようとしたまさにそのとき。
入り口横付けでタクシーが止まった。嫌な予感がしたが、降りて来た人物は予想だにしない。
「ツネ!?」思わず外に出た。
和装はもうすっかり見慣れたが、何の変哲もない事務所でこの姿はだいぶ違和感。
「仕事終わらはった?」ツネが言う。「宿代、カラダで払うさかい。泊めてくれへん?」
意味が。
わからない。
「あかんの?」
「いや、ちょっと待て。どうした? 急に」思考が追いつかない。
「ああ、そか。トモヨリの眼と耳があらはったな。どないしょう」
「ツネちゃん見られてるほうがコーフンすっでしょうに」視界に白い頭が飛び込んできた。
「やかましな」
頭のてっぺんから足の先まで真っ白なその塊は、機敏に飛び跳ねると建物の陰に消えた。
なんだ?
「ああ、気にせんでええよ」ツネがどうでもよさそうに言う。「ケイちゃんの代わりの護衛やさかいに」
そういえば。
「群慧は?」
「あんだけ眼の上のなんたら扱いしてはったのに」ツネが鼻で笑う。「なんや、さすが勝ったもんは余裕あらはるな」
「そうじゃない。何があった? 何かあったんだろ?」
そうじゃなければ。
ここに。
帰ってこない。
「ツネちゃん、カメラと盗聴器、ぜんぶぶっ壊しちったけど?」白い塊が上から落ちてきた。
まさか。
「ちょっと待て。いま」
眼の錯覚じゃなければ、3階のベランダから落ちてきたように見えたんだが。
「おおきにな。ほんなら」
「ちょっと待て。カメラと盗聴器を」
ぶっ壊したってことは。
「あー」ツネも気づいた。
「あいつに通知が行く」
天を仰いでも壊した事実は変わらないわけで。
遠隔でデバガメされるのとあんまり変わらないんじゃないんだろうか。どちらにせよほどなく義兄が駆けつける。
最高なことと最悪なことが同時にやってきてしまった。
「来らはる前にヤっとこか?」ツネが冗談まじりに言う。
「頭が痛い」
店の戸締りをして3階に上がる。ベランダの窓が開いていたので鍵を閉める。
白い塊はいつの間にかいなくなっていた。
ツネは居心地が悪そうにビーズクッション(巨大)にもたれかかる。
「聞いていいか」俺は斜め向かいの椅子に腰掛けた。
「なんも」
「嘘吐く必要あるか」
「言いたない」
「いまは?」
「でやろ」
この期に及んでまだ。
「信用されてないのか」
「俺かてようわからへん。何が起こってはるんか」
場面転換を期待して席を立った。お湯を沸かして茶を淹れる。
「ほら」カップを手渡す。
「おおきにな。ほうじ茶好きやさかいに」
「知ってて淹れた」
「ほお、そらええわ」ツネがちょっと笑った。
キスするなら今のタイミングだったが。
そこまでの勇気はまだない。
「ケイちゃんはな」ツネがカップを両手で握りしめながら話し出す。「攫われた能登くんを連れ戻すために、勝手に行ってもうたん。止めたんやけど」
「攫われたのか?」能登が。「誰に?」
「わからへん」ツネが首を振る。「俺と同じ顔した、ようわからん奴」
ツネと同じ顔の。
「また兄貴か弟なのか?」
「せやから」
わからない、と。
「ツネちゃん、ご主人のことは言わないどいてくんない?」白い塊が窓から入ってきた。
その窓はつい今しがた鍵を閉めたはずなんだが。
「ああ、俺ビャクローね。主人に言われて、番犬くんの代わりにツネちゃんの護衛しちゃってんだよね」
色を抜いているのかと思ったが、白髪だ。白く長い髪。冷静そうな見た目の割に、落ち着きのない喋り方をする。アンバランスな。
「わからんことが多すぎやわ」ツネがカップをテーブルに置いて、ベッドに仰向けになる。「あかん。お手上げ。なんもできひん」
「やることがないから来たのか」
「やることのうたら来たらあかんの?」
白いのは。
よし、いない。
「宿代、払うんだろ?」
「ええよ。払うたる」
頼むから今だけは義兄に来てほしくなかった。
来なかった。
心配になって、終わったあとでケータイをチェックしたが、本当に何も一切の連絡もなし。
もしや白いのが通知を飛ばす装置までお釈迦にしてくれたのかと思ったが、そう何もかも都合よくは運ばない。
晩飯を済ませて(ツネが宿代のオプションサービスで作ってくれた)(買い出しは俺が行った)、ゆっくりしていたらケータイが鳴った。遅い。遅すぎて逆に拍子抜け。
「実敦 君、ちょっと開けてくれる?」
ほら来た。いつもの。
「義兄さん?」
気のせいだと思うが、義兄の声に余裕が残っていない。
1階の店の奥から上階に上がれるが、直接2階に上がれるようビルの裏に非常階段が付いている。義兄はそのドアの前に立っていた。
光の加減だとは思いたいが、顔がやけに蒼い。
「どうしたんですか?」何も気づかないテイでいよう。
「ちょっとこれ見てくれる?」義兄は勝手に俺のデスクに陣取った。そしてちらりとツネを見遣る。「なるほど。巽恒さんの仕事用のケータイにつながらないわけがわかりました」
おかしい。
絶対におかしい。まず何を差し置いてもそれに対する嫌味をねちねち刷り込まれると構えていたのに。或いは、店や俺の家に仕掛けた千里眼と地獄耳をすべて破壊された苦情とか。
義兄が鞄からタブレットを取り出す。
スタートボタンをタップすると、動画が始まった。
「こんばんは。はじめましての方はどーもどーも。ドクター・ヒーラーこと、比良生禳 です。前回の配信が結構反響あったみたいで。バラして大丈夫か?みたいな心配のお声も多々いただいていたわけですが、この通り、僕は大丈夫です。それとですね、どーしよっかな、いや、最初にどかーんとやっちゃうのもアレでしょ。あーでも、いつも見に来てくれる視聴者の方への感謝の気持ちも込めまして、まずはご報告を。お陰さまで! 捜してた親友君、見つかりました! パチパチパチ!! ありがとう。いやはや、ありがとうございます。いやほんと。こんなに早く見つかるなんて。嬉しい限りですよ。これもひとえにね、いつも応援して下さるファンの」
「長いな」義兄が舌打ちして動画を早送りした。
「――ですね、そんな感謝の気持ちを込めまして」動画再開。「試聴者参加型のちょっとしたゲームをやってみようかと思ってましてー。ははは、そんな難しくはない、はずですが。ああ、勿論見てるだけの方もまったくオーケー。じゃあ始めますね。実は今、僕はいつもと違う場所からお送りしています。背景とか声の響き方とか、いつもと違ったんで、お気づきの方はいらっしゃったかと思いますよ。で、僕が今どこにいるか。それをですね、当ててもらいたいわけです。ね?簡単でしょ?」
このわけのわからない自己満足系動画よりも、義兄がなぜ蒼褪めているのが気になって集中できない。内容が全然頭に入ってこない。
「注意点としては、僕がどこにいるかわかってもですね、突撃凸は控えて頂きたいかなァと。そんだけです。僕に会いたいのは重々わかるんですが、さすがにキャパフリーのオフ会やるには、ちょーっと僕の度胸が足りてないんで、そこらへんご勘弁を。正解がわかった方はですね、いつもの宛先に、ここらへんに、出てるはずなんですが、これこれ、ここに、ずばり!ここ住所でも、フリーマップのスクショでも送ってくらさい。正解者には――」
「ここ」義兄が動画を一時停止した。「たいらが映ってるんだけどわかる?」
画面を拡大してくれた。
メインででかでかと映っている若者の顔面の後ろに、見切れている人物。絶妙なカメラの角度で首から上が映っていないが、義兄が言うのならそれは間違いなく、桓武建設の御曹司なのだろう。
「えっと、それで」それが何か問題が。
「なんで首から上が映ってないかわかる?」
「えっと?」全然わからない。
「首から上を、映せへん状況にあるんかな」ツネが言う。「なんじょうあの御曹司がこんな動画に出てはるんかはよう知らんけど、これ、足付いてへんな」
は?
義兄が「そうです」と小さく肯いて動画を再開させる。
「――なんと、今度こそ僕とのオフ会にご招待! あ、先着一名様限定なんで、そこんとこ、すみませんねェ。ちゃんとタイムスタンプ見ますんで。急いだ方がいいですが、ずるとかカンニングとか不正とか、況してや協力とか、そうゆうの出来ないって思っといてくれたほうがいいですね。んじゃ、はい! たった今からスタート! 締め切りはそうですねェ、勿論正解者が出たらその時点で終わりですけど、次の動画が上がったら、まァそうゆうことだと、察して下さいねー! それでは」
義兄が動画を切った。蒼白い顔は変わらず。
「こらあかん」ツネが沈黙を破る。「不特定多数に送ったはるように見えて、たった一人にしか向けてへん、ふざけた動画やな」
やっとわかった。
あの義兄が蒼褪めていた理由が。
「時間制限があるんですね?」御曹司の余命のカウントダウン的な意味で。
動画が終わった後、吊られた御曹司の足を床に付けてくれていればいいが、まったくもってアテにできない。
なにせ人を後ろに吊るしたまま、平然と意味不明なクイズ番組なんか配信するような輩だ。人間の血は流れていないと見ていいだろう。
「おま、こいつに怨み買うようなことしはったん?」ツネが言う。
「怨みの線は心当たりがありすぎるので横に置きます」義兄が深く息を吐く。「てっきりご実家へお帰りになったと思っていたんですが、実敦君のところにいたんですか?」
義兄は俺には上から命令口調なのに、ツネ相手は敬語で腰が低い。これも意味がわからない。
「俺のことはええやんか」ツネが苦笑いする。「それより、御曹司やろ? こいつ何モンなん? どっかで見たような気ィもするけど」
「いま僕ら界隈でちょっと有名な動画配信者ですよ」義兄がタブレットの画面を切り替える。さっきの若者のポートレイト的な画像。「比良生禳。もちろん本名じゃない。僕は別ルートで知ってますけど、本筋と関係ないので省きます。彼はこの手の動画配信者と一線を画す特徴がありまして。フツーこうゆう動画って、有名になりたいだとか、注目されたいだとか、そうゆう承認欲求の下発信されるのが常ですが、彼は違う。彼の目的は、昔別れてそれっきりの幼馴染を捜すことでした。彼がこれまで公開した動画は、全部で3本。たった3本です。前回の、つまり2回目の動画をお見せします。特に、ヨシツネさんはご覧になったほうがいいでしょうから」
義兄は動画を再生させると、タブレットをツネに預けて、自分はデスクで自分のPCに向かい合った。首にかけていたPC用のメガネをかけて、キーをカタカタ叩く。
「義兄さんは」見なくていいのか。もう見たのか。
「終わったら教えてくれる?」振り向きもしない。
動画は。
比良生禳とやらが小学生のときに起こした事件について面白おかしく語っている。被害者遺族が見たら気が狂うか然るべきところに訴えて極刑を求めたくなるような、倫理観ゼロの外道番組。途中から気分が悪くなってまともに内容を取っていなかったが、この配信の目的を端的にまとめると。
事件後に転校した親友を捜している、と。
そういえば、最初に見た動画の方で、親友が見つかったと報告していたが。
「トモヨリ、こいつと個人的にコンタクト取れへんか」ツネが静かに言う。意図的に感情を抑えているような表情と声音だった。
「だから、いまそれをやってるんです!」義兄が声を荒げた。「いえ、すみません。明らかに僕を名指しで挑発していたもので」
つまり?
「どういうことだ?」俺にだけわかってない。「親友ってのは」
「能登くんやさかいに。こいつが、能登くんを殺そうとした自称親友なん」
「は? なんでそんな奴が」
「向こうが僕らを認識したのは間違いない」義兄がキーを叩きながら言う。「認識したうえで、たいらを人質にとって、あなたを誘き出そうとしてる」
ツネを?
義兄じゃなくて?
「俺を誘き出してどないしたいん?」ツネが言う。
「それは」義兄が初めて嗤った。「ご自分の胸にお聞きになっては?」
「おま、敵なんか味方なんかはっきりしィ」
「敵でも味方でもないですよ。人の所有物を勝手にどうこうしようとしてるのが気に入らないだけです」義兄の指が止まった。「ああ、やっと応じてくれそうです。隣にあなたがいると言ったのが良かったんでしょうか」義兄がスピーカをツネの前に置く。「マイクは内蔵されていますので、画面に向かってお話し下さい」
「おまは?」
「ちょっといま冷静に交渉できそうにないので、お任せします」義兄が不敵に笑う。蒼白い顔も多少血色が戻ったように感じる。
タブレットに。
さっきの若者が映った。顔面のアップ。
「あー、聞こえたはる?」ツネが訝しげに話しかける。
俺はカメラに映らないように横からのぞいた。
「ああ、どーもどーも。あンれ? そーさいサンは?」義兄のことだろう。
「俺に話があるのと違うん?」
「まァそうはそうなんだけどね?」若者が頭を掻く。「人質の意味わかってんのかなァってねェ」
ツネが顔を上げるが、義兄は痙攣的に首を振る。
「手ェ、離されへんらしいわ。会話は聞いたはるえ?」
「ねェ、そーさいサあン、いいのー?」若者が声を張り上げる。「あなたのだいじな?だいじじゃないのかな? まァいいや。美人サン、えっと、なんだったか、びょーなんとかサン。めっちゃ苦しそうですよ?」
義兄は眉間にしわを寄せるが頑なに声を発そうとしない。
口の代わりにキーを叩いている。手元を一切見ずに。
「文字ヅラでゆったってねェ、感情は伝わってきませんよ? ほらほら」若者がちょっと顔を横に倒す。「足の裏くすぐってみましょうかァ?」
やはり義兄は個人的にこの若者の怨みを買ったに違いない。自業自得極まりないが。
「あなたが矢面に立たないとですねェ、美人サンの綺麗な首筋が、ぽっきりと、折れ曲がっちゃうわけです。それでいいならそれまでですけどォ?」
「俺に用があらはるのと違うん?」見かねたツネが口を挟む。「能登くんのこととか」
「あー、そっちもあったねェ」若者の眼がぎょろりとこちらを見る。「今日配信したばっかの動画見てくれた? ク・イ・ズ。あれに正解したら、リウ――つまり、能登教憂の居場所、教えてあげなくもないかなァっつって」
「おまが」
「ザァんねん。俺じゃないんだな。俺じゃないのよ、それだけは信じて? ね?」若者が肩を竦める。「つっても無理そうだし? 別に俺がやっちゃったっていいわけなんだけど。俺じゃないってゆう一番の証拠があんの。ほら、もし俺がリウを攫っちゃったらさ、ライバルの君にこんな有益な情報、教えるとかゆうと思う? 俺もそれなりにリスク侵してるっての、わかってほしーんだけど」
「ほんまの情報を俺に教えるとは限らへんやん。せやろ?」
「なんでそこでご情報流さなきゃいけないわけよ。はー、俺、信用されてナイ? 悲しいなァ。リウのち××でズボズボやった穴兄弟、は違うか、なんだ? 竿兄弟?なんだそりゃ。やべー。意味わかんねェって」若者がゲラゲラ下品に笑って自分の膝を叩く。
ツネの。
なんたら袋がぷっつんする音が聞こえた。
「リウを攫った、君にそっくりな雇い主サマ? そうそう、俺、雇われちゃってんのよ。リウを元に戻すために、ね。これの意味わかる? わかるよねェ?」
「能登くんが思い出したとこで、お前の思い通りにはならへんで?」
「どうかなァ? むしろ俺との熱い日々を思い出して、真っ蒼になってくれるのが今から楽しみで愉しみで」
「クイズの正解、出はったん?」
「出るわけないっしょ? 何のヒントもあげてないんだし」
「端っから俺と、そこできっつう睨んだはるトモヨリに向けた宣戦布告ゆうこと?」
「ハイご明察」若者がにやりと嗤う。「じゃあね、お兄様。極端な自傷行為はホドホドにねェ」
唐突に通信が切れた。
時間差で義兄が床に空気を投げつけた。
ツネは。
「ツネ?」
「そか。あのボン、どっかで見たことある思うとったけど」
「知り合いだったのか?」
ツネは「せやのうて」と言ったきり黙った。
居心地の悪い空気が立ちこめる。
義兄が叩きつけた空気のせいで俺の部屋の空気が淀んだ気がしてならない。
「どうして義兄さんは、ご自分でやり取りをされないんです?」嫌味言ったれ。
「言ったろ。個人的にちょっといろいろあるんだよ。それに、あの手のタイプは合わない。虫唾が走る」
義兄にそこまで言われたら人間として終わっている。
逆に興味が出た。
比良生禳。
ん?
そういえば、俺もどこかで。
「あ」
思い出した。
昼休憩に事務員が堂々と見ていた動画。
いいところは顔だけ。他は最悪。動物園。
なるほど。
さすが、男の評価が的確すぎる。
「トモヨリ、とっとと謝って御曹司解放してもらったほうがええのと違うん?」
「僕の態度如何でたいらが助かるならそうしてます」義兄がメガネを外す。「だいたい、何がどうなってたいらが奴のところにいるのかが、僕にはまったく見当がつかない。接点なんかないはずなのに」
「要はお前が泣こうが喚こうが、ターゲットにならはったさかいに、遅いゆうこと?」
「クイズって言ってたでしょう? あれの場所、実はわかってるんですよ」
「は? そんなら」
「奴がなんて言ってたか、憶えてます?」義兄がタブレットを顎でしゃくる。「直接来るな、地図で示せ、って。あれ、僕ら以外には来るなって、そうゆう意味なんですよ。僕、というより、僕が絶対に行かないのわかってるんで、ヨシツネさんを誘き出したいんです」
それはさっきも義兄が指摘していた。
ツネを誘き出してどうするか。
「ああ、わーった。ええよ。行ったるわ。場所ゆうてくれへん?」
「は? なんでお前が行く必要が」
ツネには狙いがわかったらしい。
俺には全然わからないし、わかりたくもないし、義兄のゴタゴタに巻き込まないでほしい。
「だって罠だろ? なんでわざわざ」
「客ゆうことやろ? 引き換えに能登くんの居場所がわかるんなら安いもんやわ」
「そんなの」
「おまが嫌がったはるんは、俺がお前のもんやと思うたはるからなん? それとも俺の身の危険を心配したはるお節介なん? どっちや」
「どっちだったら行くのをやめるんだ」
「やめへんよ」
「ツネ!」
俺が言ったくらいで止まるなら苦労はないが。
無理だ。
「トモヨリ」ツネがケータイを見せる。「地図」をここに送れと。
「はい」
「ほんなら」
「今からか?」もう22時を回っている。
「気ィの変わらんうちに行ってくるわ」ツネは振り返りもしなかった。
ドアが閉まってしばらくして、義兄が床に仰向けに倒れた。
「義兄さん?」当たり所の悪そうな音が響いたので一応心配の意を表明した。
「アッハハハハハハハハハハハハ」
「義兄さん??」本当に当たり所が悪かったのか。
まさか。
またか。
「最ッ高。なんであの人、自分から罠に嵌まりに行くんだよ。実敦君ももうちょっと必死に止めてくんなきゃ。愁嘆場を期待したってのに」
やっぱりか。
「何しに来たんですか」
「カメラと盗聴器、全部弁償してくれるんだよね?」
またこれか。
最悪だ。
「何か言いなよ」義兄が俺を見上げる。ご満悦の表情で。
「義兄さん、息してると碌なことしないんでちょっと息止めててくれませんか」
「たいらの首吊りショウくらいでまんまと引っ掛かってくれちゃうんだもんね」義兄が細い眼を見開いて嗤う。「別にたいらなんかどうなろうと僕には何の、あ、いや、いなくなると桓武建設の社長とのコネが切れるか。それは困るかな」
あんたは。
いっつもいっつも。
「人の命をなんだと」
「実敦君には言ってなかったっけ? 兄さん――朝頼家の長男を病院送りにしたの、僕なんだよね」
仰向けになっている義兄の首にのしかかった。
義兄の首にかかっていたメガネが床にぶつかる。
「苦しいんだけど? それとメガネ、割れてないよね?」
「ツネに何かあったら、あんたを赦さない」
「赦さないからどうするんだよ」
殴ったって殺したってどうせ義兄は地獄に落ちる。
「あ、興奮してきた」義兄が股間を誇示してくる。「比良が巽恒を抱いてるの見ながら、僕も実敦くんのナカでイこうかな」
「遠慮したいんですが」
「拒否権あると思ってるんだ。へえ、愛する巽恒がどうなっても構わないって?」
電話が鳴った。
俺のじゃない。
「取ってよ」義兄が手を伸ばす。
義兄のケータイを、義兄のズボンのポケットから出して。
義兄の耳に当てる。
「ホンマにここでええの?」ツネからだった。電話口の声が漏れる。
「そうでした。あなたにも解説が必要ですよね。そこ、僕がお貸ししたんですよ。いいところでしょう?」
ツネの呼気に憤りが滲む。
「残念でした。僕らは共犯ですよ。どうです? お楽しみいただけました?」
「あ?帰ったらぶっ殺したるさかいにな」
「はいはい。お待ちしていますよ。では、ごゆっくりー?」義兄が電話を切ってケータイを転がす。「タブレットこっちに置いてくれる? 僕らにだけ生配信してくれるみたいだから」
言う通りにした。ツネが無事かどうか確かめたい。
画面が暗い。
「こっちも暗くしようか」
言う通りにした。ツネがよく見えない。
「自分で慣らして挿れてね」
風が通る。
窓が少し開いている。白い残像が見えた気がした。
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