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第3章 キ険、人を嚇す
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むかしむかし、山に大きな鬼がいました。
鬼は、
村に下りてきては、田畑を荒らし、人を攫い、
七人の仲間と一緒に、悪逆の限りを尽くしました。
そんな鬼たちに業を煮やした村人たちは、
鬼退治のため、
一つの方法を思いつきました。
*
「校長毎年同じ話してるらしいぜ」
「ネタがねぇんじゃねえの?」
「ボケちまって、入学式でまったく同じ話してること忘れてんだよ」
**
君たちには、この話の先を自由に考えてもらいたい。
提出期限は、この学校を卒業するその日まで。
提出がなかった者は、卒業できないと思ってくれていい。
手書だろうと印字だろうと、
原稿用紙だろうとコピー用紙だろうと、形式は問わない。
文章量も問わない。
たった一文でも、小説を一本書いてくれても構わない。
ただし、受付方法だけ、指定させてほしい。
校長の私に直接、
手渡してくれるかな。
第3話 キ険、人を嚇 す
1
「巽恒 くんて、関西から来たの?」学ランの下にパーカーを着ている。
海字磨賀 。通称ルガ。
「珍しいね。うち来るのって、地元の神社仏閣の息子か、地元有名企業の御曹司かの二択なんだけど」学ランの下にTシャツを着ている。
恵尾峰惟石 。通称イッセ。
「言わなあかんか?」
面倒くさいことこの上ない。捏造事情を一から説明することが、ではなく、友だちになりたそうに絡んでくることが、だ。
感じ悪い外様と思わせて嫌煙させる目的で睨んでやったが。
まったく効果がないのか、相当に鈍いのか。
昨日の入学式のあと、テキトーに言ったでまかせ自己紹介がよほどお気に召したのか、単に珍しかったのか。
「この辺寺とか神社とか多いっしょ?」イッセとやらが言う。「あ、ちなみに俺が神社で、こいつが寺」
「家の仕事とか行事とか手伝うとね、親が一筆書くだけで出席扱いになるんだよ」ルガとやらが言う。「テストは免除されないのがちょっと残念だけどさ」
珍獣扱いでもなんでも構わないから、頼むから構わないでほしい。
眠くて眠くて堪らない。なんで朝っぱらから立ちっぱであんな校長の自己満みたいな演説を延々と聞かされて。
だいたい出席番号順に席が並んでいるのに、なぜ、「う」と「え」の彼らが、わざわざ「ふ」から始まる俺の机に群がっているのだ。ほぼ対角線レベルで離れているのに。
一発で追い払う方法求む。
2
俺と巽恒の通うこの私学は、中高一貫の男子校という、一見時代を逆行している雰囲気だが、地元の特性から望まれて設立されたそれなりに人気校だったりする。
開校は約十年前。地元の名士が自らの土地と財を投げうって創設した。
ここいら一体の特性として、まず神社仏閣が異様に多いということ。
そして、金がそれなりにある有名企業が幾分か寄付をしたということ。
この二つから導き出される生徒像は、神社仏閣の息子と、金持ちの御曹司。
中学と高校は棟こそ別だが、同じ敷地内にあるため、交流はそこそこにある。制服がまったく同じ型の黒い学ランだが、詰襟に付けたバッジの色で学年を見分けられる。
中一は黒。
中二は茶。
中三は水色。
高一は黄。
高二は緑。
高三は紫。
中一に関しては、黒の学ランに黒いバッジを付けるため、色なしと呼ばれる場合もあるが、新入生をからかう意味合い以外の何物でもないので、まったくもって推奨されない。むしろいじめを助長するといって、教員側から厳しい指導が入るのでやめたほうがいい。
俺は水色で、巽恒は黒い。
そして、俺を中庭(中学と高校それぞれの棟の間にあるため、生徒たちは“なこ庭”と呼ぶ)に呼び出した男子生徒二人は、両者共に黄色。
「何の用でしょうか、先輩」
この場所は悪目立ちするので、やめてほしいのだが。
「悪い悪い。すぐ済む」
笠岸茂勇 。通称シゲさん。ガラが悪く見た目が厳ついが、話してみると意外と情に脆く、面倒見のよいお節介焼き。
「てゆうかもうどうでもいいから静かにしない?」
滝浄清朋 。通称キヨさん。細身の色白眼鏡から真面目に見られがちだが、その実、頭脳派というよりは。あ、いや、頭脳派には違いないか。精神的な攻撃に特化しているというか。
「誰のために代わりに喋ってやってんだ?」シゲさんが言う。
「だから、大きな声出さないでって」キヨさんの顔が青白い。
のはいまに始まったことではないが、いつもの過剰な覇気がない。
「どうされたんですか? 具合が悪いなら」
「ここ三日まともに眠れてなくてな」シゲさんが顎でしゃくる。「式でも船漕いでやがった」
「なら尚更早く帰ったほうが」
在校生的には、新学期初日。
昨日が入学式で、今日が始業式。
授業もないので、部活がない生徒は午前中で解散と相成る。
軽い鞄を背負って帰路を辿る生徒が続々と通り過ぎる。
キヨさんは樹にもたれて、うとうと。
「おい、大丈夫か?」シゲさんが訊く。
「原因なんですが」
「ああ」シゲさんがキヨさんの肩を支えながら肯く。「お察しの通りってやつだよ。キヨんとこの、泫湟 神社ごと迷惑してるんだ。KRE でなんとかしてくんねえかな。俺も出来る限り協力すっから」
「騒音問題てことですよね?」
この時期は特に多い。
そして、その原因も特定だけなら容易い。いわば毎年恒例というやつで。
「いつもどうしてるんでしたっけ?」
「いんや、初めてだよ。今年はキヨんとこがターゲットてことだろ?」
相手は巡回型の騒音。
ああ、いよいよ今年は順番が回ってきてしまったと嘆き、
ただひたすらに過ぎ去るのを待つしかない。
「わかりました。他ならぬシゲさんとキヨさんの頼みであれば」
「ありがとな」シゲさんが顔の前で手を合わせる。
キヨさんも消え入りそうな声で、「さっすがー」と言ってくれたのが聞こえた。
「いえ、当たらず障らず、ここまで放置したツケでしょう。対策はこっちで考えます」
とは言ったものの。
これは本当にKRE が介入すべき案件なのかどうか。
支部に帰って、昼食後で(食べる前からあくび祭りだった気もするが)眠そうな巽恒を呼んで作戦会議をする。
依頼主は、泫湟 神社。そこの息子のキヨさんの依頼なら、そう拡大解釈して間違いないだろう。
場所も同上。
介入はできるだけ早く。桜が散ったら手遅れ。
明日の授業が終わったら、土日に入る。この週末が勝負か。
「おま、絶対なんでも屋サンと思われとるやろ。なんでもかんでも安請け合いしよるんやないで」
13時過ぎ。
伊舞 が気を利かせてほうじ茶をセルフサービス飲み放題(ポット・急須・茶筒セット)にしてくれたので、巽恒のやる気ゲージがみるみる上がっていくのがわかった。巽恒の扱い方がなんとなくわかってきた気がする。
「騒音かて、そんなんケーサツの出番と違うん? なんじょうぐいぐい出しゃばらはるんか」
「騒音の出処がちょっと厄介でな。未成年の集まりなんだ」
巽恒が眉を寄せて顔を上げた。あっという間に一杯目の急須は空になって熱湯が補充される。
「あ、すみません。若の分がまだでしたね」伊舞が席を立とうとする。
「やらへんで」巽恒が飲み放題セットを抱えてガードする。
「紅茶でいい。いや、自分でやってくる」
伊舞が買い揃えてある茶葉コレクションを漁るのが億劫だったので、手前にあったティーバックをカップに入れてお湯を注いだ。湯の色が変わり切る前に席に戻る。
「せやけど、お前、若ゆうんはどうなん?」巽恒が鼻で嗤う。
「こいつにやめろと言って改善されると思うか?」
「若が社長になるまで続けますよ」伊舞がてきぱきとティーバックを回収していった。「そうしたら晴れて社長と呼べるわけです」
「そんなん決まってはるんなら、いまから社長サンでええやん。なあ?社長サン」
「からかうな。現職のいる前で絶対やめろよ」
「俺まだ会うてへんさかいに。お前の母ちゃんなんやろ? 怖いん?」
「話を戻すが」
今回の依頼について。
「明日、学校が終わったら一泊できる荷物を持って、ここに集合。いいな?」
「まだその未成年ゆうの、なんも聞いてへんけど?」
伊舞がカタカタとキーボードを叩いている音が後ろで聞こえる。
日常の音。
そこにもう一つ、新しい音が交ざる。
「武世来 。武力のぶ、世界のせ、来ると書いて武世来だ。ここいら一帯の悪ガキが集まって、結果的にそこそこの規模になった。そのリーダーというのか、ボス?ヘッド? 呼び名はわからんが、とにかくその武世来を仕切ってる頭が」
俺と巽恒の通う中高一貫校の。
「校長の孫だ」
巽恒がとびきり嫌そうな顔をした。
「なるほど。誰も手ェ出されへんゆうわけね」
心地の良い音。
他人の存在が心地良いのは初めてだ。
「ほんなら、課題は俺が一番乗りやな」
「課題?」
「ああ、こっちの話や。社長サンも、二年前の昨日を思い出したったらええよ」
ところで。
「俺はまだ社長じゃない」
「どないでもええやん。小っさいことぐちゃぐちゃやかましわ」
心地の良い煩 さだ。
3
鬼と呼ばれた。
見た目なのか、正体なのか、その両方なのか。
どっちでもいいか。
「テメェと俺。どっちが強いか。強いほうがここのボスだ」
一人。
「僕は本気だよ。ねえ、話聞いてる?」
二人。
「背が高いと、見えるものが違うと思う。そこから何が見えるの?」
三人。
「あなたの噂は兼々。まあ、お手並み拝見といったところですかね」
四人。
「ねえねえ、面白そうなことやってるって聞いたよ。俺も交ぜてよ」
五人。
「あの子が気に入ってるみたいだったから。私も気になっただけ」
六人。
「年長者がいたほうが何かと都合がいいだろ? 頼ってくれていいんだぜ」
七人。
これで、
八人になった。
それからは、
あんまり憶えていない。
思い出せないのは、
面白かったからか、面白くなかったからか。
つまらなくはない。
つまるようなことが、
あっただろうか。
思い出せないってことは、そうゆうことだ。
そもそも何のために、
こんなことをしてたんだっけかな。
毎年恒例の花見も、
そろそろ飽きてきた。
「どうしたの?」
クウは目敏い。
「つまんなそう」
むしゃくしゃする。
「いいよ」
クウが体重を預けてくる。
「僕を使って?」
「いい」
クウを押し返す。
「え」
クウが悲しそうな顔をする。
「そんな気分じゃない」
クウのことが嫌いなわけじゃない。
クウに厭きたわけでもない。
クウは、それをわかってくれている。
悲しそうな顔をしたけど、すぐにいつもの無表情に戻った。
「気が向いたらいつでも言って?」
青い空に舞う白いそれは、
雪だったか。
それとも。
春は、
いつ来てたんだったか。
まだ、
来てないんだったか。
4
泫湟 神社。
境内をぐるりと囲むように流れる川の行き先は、敷地の半分を占める大きな池。
池の一辺に並んで咲き誇る桜はちょうど満開。
その大木から落ちた花びらが、水面を白く覆っている。
ここで、武世来 の連中は夜桜を愉しんでいるんだとか。
「せやけど、桜が散ったらいななるんやろ? 放置したらあかんの?」
「お前な」社長サンが溜息を吐く。「一週間以上夜中に自分の家の外で赤の他人に複数で騒がれてみろ?」
「殺したなるな」
「だろ?」
なるほど。
それはさぞおつらいこととお見受けし候ってか。
鳥居をくぐって参道を進む。
社務所の前で、社長サンに依頼したという先輩二人が待っていた。
名前と外見的特徴は、事前に聞いていた。
「よく来たね」前髪長めの眼鏡のほう、キヨさんとやらが言う。「あ~あ、おかげでちょっと寝れたけどまだ眠いや」
「寝てていいぞ」短髪の厳ついほう、シゲさんとやらが言う。「来たら起こしてやるから」
「来たら、て何々? シゲやる気満々じゃん。いいね」キヨさんとやらがニヤリと笑う。「もちろん夕飯は自給自足ね」
「おい!?」シゲさんとやらの声が裏返る。
「ウソウソ。冗談通じないなぁ。決戦の前にテンション上げてるだけだよ」
「つーか、戦らん」
社長サンがこっそり教えてくれたが、キヨさんとやらはおそらく本気だったし、シゲさんとやらは長らく拳を封印しているらしい。
やけに、詳しい。のが気になった。
持参した軽食を腹に入れて、さっき下見した花見スポットへ戻る。
「珍しいか? 友だちがいるように見えないだろ?」社長サンが言う。
「友だちやあらへんのやろ?」
「まあ、年も上だしな」
時間つぶしに社長サンが昔話をした。
神社仏閣の息子が9割強、御曹司の割合は圧倒的に少ない。学校側としては手厚く待遇したいが、そこに通う生徒にとっては、煙たい以外の感想は出ない。目立ったわかりやすいいじめこそないものの、腫れものに触られるような距離感を保って扱われ続ける。
常に、いつも、絶えず。
「そんな中、俺に声をかけ続けてくれたのが、あの二人だ」
「別に聞いてへんのやけど?」
恩があると、言いたいのだろう。それも特大の。
「だからあの二人が困っていたら、どんなことでも力になりたい。こんなことで恩が返せるとは思っていないが」
「ええてええて。わーったさかいに。せやから社長サンもとい支部長サンは、お困りごとはなんでもお任せゆうて、どかーんとしとったらええよ。少なくとも会長サン面接通ったバイトくんが、ある知恵絞ってずばーんと解決したる。それでええ?」
「助かる」
しかし、騒音の元を断つには。
武世来とやらをどうにかする必要がある。
話が通じる相手なら、ここまで放置はされない?か。
いや、そもそも話し合いの場を設けていない可能性も。
「夜まで張ってるつもりか?」シゲさんとやらが折り畳める椅子を持ってきた。「夜はちっと冷えるぞ?」
キヨさんとやらはその椅子に腰掛けてうとうと。シゲさんとやらが肩にタオルケットを羽織らせた。
「あの、屋根のあるとこ連れてったほうがええのと」
「俺が見てるから問題ないよ」シゲさんとやらが言う。「それに、ここはキヨの家みたいなもんだから。見届けるまでは動かないと思うぞ」
気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。倒れないように、シゲさんとやらが脇に控えている。
18時を回った。
まだ外は明るい。外気温も問題ない。
風がちょっと涼しいくらい。
「ところで作戦はあるのかい?」シゲさんとやらが訊く。「KREの秘密兵器くんよ」
秘密兵器ときたか。
間違いではないが、そこまで期待されるのも若干重荷ではある。
周囲を見廻っていた社長サンが戻ってきた。「石段の下にぽつぽつ集まってる。迎え撃つか?」
「迎え撃つ!?」キヨさんとやらが甲高い声を上げて立ち上がった。
「迎え撃たない。いいから寝てろ」シゲさんとやらが椅子に座らせる。
「迎え撃たないの? ならいいや~」キヨさんとやらが再び眠りの淵に付いた。
漫才?
「行くか?」社長サンが言う。「来てる」
武世来の頭。
名を。
群慧武獄 。
「校長と似てはるん?」
「お前校長の顔覚えてないだろ?」社長サンが息を吐く。
「それもそうやな」
石段の上の木陰から覗き込む。
わらわらと集まったガキは、ひいふうみい。
二十人強。
その中でひときわ大きな男が眼に入った。
「そいつだ。ああ見えて、お前より年下だ」
見下ろしているのと距離があるので目測にはなるが、高一のシゲさんとやらやキヨさんとやらよりも。
デカイ。
180センチくらいか。
「ちょお待って。年下?」
「ああ、たしか小六だったか。学校には行ってないだろうが」
「不登校の理由は不真面目ゆうことなん?」
「詳しくは知らん。校長に聞いてみろ」
集まった連中が階段を上がり始めたので、桜の木の下にいるシゲさんとやらに合図する。
シゲさんとやらは、キヨさんとやらを揺すり起こして状況を伝える。
キヨさんとやらは、いやいやと首を振るだけ。
やはり、見届けるまでは動いてくれないようだ。
「さて、どうするって? 我らがバイトくんは」社長サンが言う。
「煽るなや。いま必死こいて考えとるんやから」
石段を上がって来る姿が、想像よりも大きくて。
ちょっとビビったけど。
その横顔を見てすぐにビビっときた。
ああ、彼は。
「社長サン、案外似たもん同士かもしれへんよ」
神輿に祭り上げられただけの。
籠の鳥だ。
5
巽恒の奇策とやらの準備として、一旦武世来を桜の下に通した。
これでは事前に待ちかまえていた意味も甲斐もない。
間もなく大宴会が始まった。
キヨさんは一気に眠気が吹き飛んでいまにも殴り込みそうだったが、シゲさんが全力で宥めてくれた。というか力づくで止めてくれた。
何を、
考えている?
「社長サン、お山の大将と一対一になる方法あらへんかな?」
は?
しかも、何を言っている?
「正気か?」
「正気やのうたら何?」巽恒が不機嫌そうな顔を向ける。「血に迷うた挙句の自棄っぱちやと思うとるん?」
「やけに自信ありげだな。勝機は?」
「しょーきしょーきやかましな」巽恒が余裕あり気に笑った。「俺は勝ち目のない戦いはせえへん主義なん。負けるん嫌やしな。そこらへん、見誤らんといて」
「わかった」
承諾するしかなさそうだ。
しかし、周囲を二十人ものお仲間が取り囲む中、大将だけを誘き出す方法か。
「トイレとか行かへんかな?」
宴会といっても、飲食物の持ち込みは一切ない。ゴミを散らかすわけでもない。
ただ集まって、騒ぎまくっているだけ。
いや、騒いでいるのは、大将以外。
大将はただ、座って静かに桜を眺めているだけ。
「社長サン、爆竹とか持ってへん?」
「お前、神社の境内をなんだと思ってるんだ?」
巽恒と二人、柵に隠れて大将の様子を伺っていたが。
ふいに、
大将が立ち上がってこちらをじっと見た。
気づかれた?
急いで屈んだが、姿の透けない柵の向こうが見えているわけがない。
じゃあ、なぜ?
気のせいか?
「社長サン、十五分だけくれへんかな?」巽恒が目線を柵の向こうに固定したまま言う。「十五分経って、戻らへんかったらケータイ鳴らしたって? 全速力で逃げたるさかいに」
承諾できないと止める前に、巽恒が走って行ってしまった。
俺が止めるとわかっていたから返事を聞く前に消えたのだろう。
大将もいなくなっていた。
どういうことだ?
というか、どこ行った?
6
泫湟 神社の境内を流れる川。最も川幅が広い部分は、十メートル程度にもなる。
そこにかかるアーチ状の橋。
欄干は朱く、床板は木で造られている。
そこそこ年期が入っているため、歩けばきいきいと音が鳴る。
「ようわからはったな」
近づかなくても異様な体格の大きさが伝わる。
武世来の大将。
群慧武嶽 。
「ここなら、あいつらも、そっちの連れも来ない」真っ黒の眼が射る。「俺に何か用か」
威圧感はないのに、油断すれば圧倒される。
これは、
いままで出会ったことのない超特大の異物だ。
「なんで、ここに俺が誘い出したんがわかったんか、聞いとるんやけどな」
「なんとなく」
即答ときた。
天性の感性か、単にこちらの意図に敏感なのか。
黒い。
髪も、眼も、服も。
呑まれそうだ。
「あと何日通わはるつもりなん?」
「さあ」
「自分が決めてはるのと違うん?」
聞いているのかいないのか。
どうでもいいのか、どちらでもいいのか。
投げつけた言の葉を、直撃前に根こそぎ吸収される。
「そんなことが聞きたいのか」
お見通しか。
回り道も飾り立ても一切不要。
本質だけを放れば、真っ直ぐに応じる。
底の知れない黒い眼がそう語る。
「大勢で花見するん、迷惑なん。やめてくれへん?」
「わかった」
わかった?
「すぐに帰らせる。それでいいか」
「明日からも来たらあかんえ?」
「二度と来ないし、二度と花見をさせない。これでいいか」
なんだこの、
暖簾に腕押し感。
柳に風と受け流す。
「用はこれだけか」
「守ってくれるん?」
「迷惑をかけているのはわかってた。やめ時がわからなくなってただけだ」
拍子抜けというか。
構えていた武具が剥がれ落ちる。
「じゃあ」
黒い背中が遠ざかる。
「ああ、一個だけ」
足が止まって。
振り返る。
「名前」
選択肢。
本名を言う。
偽名を騙る。
「俺のことは知ってそうだから」
「牛若丸、とか?」
ふうん、と。
その六文字を転がして。
黒い巨体は橋を逆戻りしていった。
恐怖。
違う。
脅威。
違う。
ようやく息を吸うことを思い出した。
ゆっくり吐いて。
背中と腋がじんわりと冷えた。
欄干につかまって、傾いた体重を支える。
上着のポケットが振動している。
そうか、
十五分。
間に合ったのか、遅すぎたのか。
「大丈夫か? どこにいる?」社長サンの声がして。
ちょっと気が抜けた。
「おい? 聞こえてるか?」
むかしむかし、山に大きな鬼がいました。
鬼は、村に下りてきては、田畑を荒らし、人を攫い、
七人の仲間と一緒に、悪逆の限りを尽くしました。
そんな鬼たちに業を煮やした村人たちは、
鬼退治のため、一つの方法を思いつきました。
「話通じるやん」
7
あのあと武世来 は花見をすっぱり切り上げ、ぞろぞろと帰って行った。
用心深いキヨさんの頼みで一泊したが、結局朝までぐっすり。静かな夜だった。
土曜。
キヨさんの家族――泫湟 神社の関係者にもてなされて、朝食を御馳走になり、昼は参拝客も入り混じり、大勢で花見をした。
解放されたのは、夕方。
日曜。
疲労が祟ったか、概ね通常運転だとは思うが、巽恒は昼過ぎまで寝ていた。
バイトは休みとした。
週明け月曜。
臨時職員会議で、朝のホームルームがなくなった。学級委員が形式的に連絡事項を伝達したが、クラスどころか学校中とある噂でもちきりだった。
あの武世来が解散したらしい。
大将がケンカで負けたんだとか。
幹部も散り散りになって、その大将を負かした野郎を血眼で探している。
聞き捨てならない内容もあったが、どうで尾ヒレに胸ビレがついた根も葉もないものだろう。
昼休みに、担任から校長室に来るように言われた。
なにか、したか?
いや、したな。
武世来絡みだろうし、それしかない。
叱責か。
褒められはしないだろうなと予想を立てつつ。
校長室の前に、巽恒もいた。巽恒の担任も一緒に。
巽恒の超絶眠そうな顔を見てちょっと気が抜けた。
校長の声がして、担任二人が恭しくドアを開けた。
「急に呼び出されて吃驚したろう。そう畏まらなくていいよ。取って食うわけでなし」校長はデスクにもたれて立っていた。「3年の岐蘇実敦くん。そして1年の藤都巽恒くん。ああ、先生方は外で」
立ち会う気満々だった担任二人は顔を見合わせた後、一礼してドアを閉めた。大方廊下で聞き耳を立てているだろうが。
「滝浄 さんのところからすべて聞いたよ。私は全校集会で表彰すべきだと提案したんだがね。猛反対にあった」
臨時職員会議は、校長の暴挙を止めるための会議だったのか。
なるほど。道理で朝のホームルームがなくなるほど、時間がかかったわけだ。
我が校始まって以来の正答であり、しかも巽恒至っては入学して一週間も経たずのスピード解答ときた。そう言って、校長は前のめりに語気を弾ませた。
「ありがとう。まずは礼を言うよ。君たちのお陰で」
孫が。
「家に帰ってきた」
武世来解散は、あながち間違いではなさそうか。
「あれだけ拒んでいた学校にも行くと言っていてね。悪ガキ放題で手が付けられなかったのに。何がどうなったのか、息子が、ああ、武嶽の父だが、聞いてもうんともすんとも。だから君たちに直接聞いたほうが、早いんじゃないかと思ってね」
近いのは事情聴取。
適当に誤魔化してもいいが、なにぶん当事者だ。本当のことを包み隠さず伝えたほうが好印象だろう。
「やめてほしい、ゆうたんです」巽恒が口火を切った。
その場にいなかった俺では説明のしようがない。巽恒が目線で任せろと言っている。
じゃあお言葉に甘えて。
結果オーライで詳しい話を聞きそびれていたが、あのとき何があったのか、俺も気にならないわけじゃない。
「みんな迷惑してはるさかいに、花見をやめて帰ってほしいゆうたんです」
「本当にそれだけかい?」校長は虚を突かれたような表情になった。「本当に?やめろと言っただけで?」
「信じられへん思うんはわかるんやけど、俺はやめろゆうただけです」
校長がううむと唸って頭を抱えた。
俺だってそう思う。
でも巽恒がそう言うなら、きっとそうなのだろう。
「やめろと言って止まるなら、私は今日まで一体」校長がそう呟いたとき。
ノックとドアの開閉が同時にあり、担任二人が血相変えて飛び込んできた。
「私は外で待てと言ったはずだが」校長は諌めながらも異常事態を感じとる。「何があった?」
牛若丸という生徒はいないんです、と俺の担任が顔を引き攣らせる中、
巽恒の担任が足をもつれさせながら、勢いよく校長室の窓を開け放つ。
「牛若丸ってやつはいるか!!!」
天を割り、地を揺るがすような低い声が叫んだ。
大人数の教員が校門に詰めかけていた。
しかし、詰めかけるだけで何ら手を打てていない。
半円状にくり抜かれたような中央に、
男が一人。
彼に見覚えがあった。
180センチの巨体。
真っ黒の髪と眼と。
「武嶽?」校長が窓枠を乗り越えようとしたまさにそのとき。
学校中にどすの利いた重低音が響き渡った。
「出て来い! どこにいやがる、俺と」
付き合ってくれ、と。
校長の顔が凍りついたのが、横目で見えた。
全校生徒の前で表彰されなくて本当に良かったと思ったが。
いや、ちょっと待て。
いま、あいつ。
なんて言いやがった?
牛若丸と聞いて、浮かぶ人間はたった一人。
「ほんま、おもろいやっちゃなぁ」巽恒が窓枠に頬杖をついて笑ったのが。
心底不愉快だった。
次回予告
社長サンが仕事放棄したので俺が代わりに。
武世来の元大将、群慧武嶽の電撃告白(?)が校長始め学校中を震撼させたのも束の間。
代わる代わる顔を見せる幹部7名。
「テメェがやらねぇんなら、俺が取る」
血の気の多い1番がタイマンを挑む。
「私の狙いがそもそもここにあったと言ったら?」
血の冷え切った4番がその陰でほくそ笑む。
俺はいまだにKREアフターサービスの戒名が浮かばなくて悩む。
「音も字もカッコええのがええなぁ」
次回 第4話
『キ告収拾 』
果たして、社長サンの機嫌は直るのか。
「認めた覚えはない。出ていけ」
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