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第4章後半

     5  結局学校には行けた(遅刻)が、先手を打ちすぎたメールの意味を社長サンに勘繰られて厄介なことになった。  なにも、  なかった。はず。 「嘘を吐くな。あのでっかいのだろ」 「追い返すのに時間かかってもうて」 「あとで全部説明する、の、あと、はいまだと思うがな」  放課後。  支部に直行した。社長サンも一緒に。というか連行された。  カネやんが笑顔でほうじ茶を淹れてくれるのが、唯一の救いであり癒し。  においを堪能する暇もなく、一気に流し込んだ。 「怒らへん?」 「内容による」 「知らんほうがええて」 「全部説明する、てのは」 「ああもう、やかましな。朝、家の前で待ち伏せされて、返事くれゆうから断ったら、社長サンの命が危ななって」 「なんでそこで俺の命が出てくる?」 「三角関係ってことですよ」カネやんが珍しく会話に参加した。「ヨシツネさん、モテモテですね」  間違ってない。合ってるんだが、いまそれを。  社長サンの前ではっきり言う必要はない。 「は? じゃあお前、まさか俺の命をタテにされて、無理矢理」 「せやから、なんもしてへんし、なんもさせてへんわ。見くびらんといて」 「本当に?」 「俺は潔白やさかい。心配なら見よる?」ワイシャツのボタンを一個外して挑発する。 「わかった。なんもされてないなら、問題ない」社長サンがあからさまに眼線を逸らした。  ゴロゴロと空が鳴っている。  そうか、雨。  ぽつ、と窓に水滴が垂れたと思いきや、あっという間にどしゃ降りになった。 「昨日どっかの新人バイトがサボった分、取り返してもらうからな」社長サンが紙の束をカウンタに積み上げる。なぜドヤ顔で。「いいことを教えてやる。雨降った場合、買い物代行依頼がこうなる。しかも雨の量に比例して依頼件数が増える。最高の稼ぎ時だな」 「は? おま、これ根こそぎ新人に押し付ける気なん? ブラックにもほどがあるやろ」 「安心しろ。今日だけ特別、合羽と自転車を貸与してやる」 「はーそら、お心遣い痛み入りますー」  空が光って、時間差で落ちた。  群慧は急に何かに呼ばれたようにいなくなったが。  どこで雨に打たれているやら。      5+  冷徹に冷酷に、なりきれたらもうちっと楽なんだったと思うよ。人の心がちゃんとあるから。  武世来は面白そうだったからちょっとのぞいてみただけ。  一番面白そうだったオニちんがやめるんなら、俺もやめちゃおっと。て思ってたんだけど。  よからぬことを企んでる人がいるから、見過ごせなくなっちゃって。 「よかったね、俺が傘持ってて」 「あなたと相合傘してるの、結構苦痛なんですよぉ」 「入れてもらっといて文句いわなーい」  モロちんは、駅に着くなり俺からぱっと離れた。右肩が雨でずぶ濡れだった。  雨脚も全然弱まらない。  むしろ強くなってる感ある。雷も派手に鳴ってるし。 「ここまでどうも。幹部の方は皆さん、お節介焼きが多くて有難いことですねぇ」 「あのさー、何やろうとしてんのか知んないけど、オニちん巻き込むことだったら」 「巻き込む? 人聞きの悪い。向こうが勝手に首を突っ込んでくるんですよ、逆です」  駄目だ。俺じゃあ、モロちんの口八丁には勝てない。  精々鎌掛けくらい。でもそれも、モロちんの手の平の上だったりするんだけど。  ほんと、  性格悪いよ。  言わないけど。 「知ってますよぉ。私の性格が悪いことくらい」  だから、そうゆうのが。  嫌われるんだって。  言わないけど。  オニちんに好きな人ができた、なんて、みんなでお祝いしたいくらいのハッピーな出来事じゃん。  喜んでくれてる人が多くてなによりだけど、  そうじゃない人もいるから。  主に、モロちんなんだけど。  いや、喜んでないわけじゃないか。スサちんがオニちんに取って代わったってのがモロちん的には、計画通りなんだし。  モロちんは、いつの間にやらいなくなってた。いつもそう。  いつの間にやら、なんかやってる。モロちんは、そうゆう人。  向こうにしてみたら、こっちが気づかないうちにコツコツ布石打ってるわけだけど、ちまちま過ぎて誰も気づけない。で、気づいたときには手遅れ。美味しいとこをモロちんが残らずぺろりって感じ。  来るべき日は、一体どんなことが起こるのか。  武世来の誰も知らない。  そしてもう一個。気になることがあって。  コーヒーショップの中で、ガラス越しに手招きしてる女子二人。 「あんたここの会計持ってよね」クマちんがレシートを投げて寄越す。 「え、ここ先払いじゃん。合計耳揃えて置いてけってこと?」 「情報料に決まってるでしょ。タダでもらえるとでも思ってるの?」クマちんがリマちに聞く。「リマ、テイクアウト何がいい?」 「クマちゃんのおススメでいいよ」 「さっき甘いのいったし、次はそうじゃないのにしとくわ」  店は出るらしい。  まだ雨ざあざあ降ってるけど。  店の軒下で二人で待つ。 「内緒の話だから」リマちが小さい声で言う。もともとぽそぽそ話す。「あ、傘ない。どうしよう」 「あるじゃない」クマちんが俺の傘を強引に引っ手繰る。「はい、リマ。一緒に入りなさい」 「いいの?」リマちが俺の顔を見る。 「いいよ。てか、そんなビニ傘でよければどうぞー」  俺の好意は他人にいいように使い倒される。よくわかってる。  可哀相な俺はタオルでもかぶりますよ。 「にしても降ってるわね。この靴昨日下ろしたばっかなのよ?」 「どこまで行く?」  二人はいつも仲良さそうで微笑ましいよね。  俺は屋根があるところならどこでもいいけどね。すでにわけわからないくらいびっしょびしょ。  ちょっと歩いて、線路の高架下に入った。駐輪場とか駐車場とかあるとこ。  人は、いない。 「あーもうサイアク。サイアクなバカの顔見て、ずぶ濡れとか」 「ダイダイのことじゃないよ」リマちがこっそり教えてくれた。 「あ、うん」  モロちんのことかな。 「オニの入れ込んでる男のこと、あんた知ってる?」クマちんが紙袋から出したカップを。  まさかの俺にくれた。 「え、いいの?」 「情報料って言ったでしょ? 何聞いてたわけ? 要らないならそこのドブに捨てるわ」 「あーごめんごめん。いっただきまーす」  中は、ホットコーヒー。雨で冷えた身体にありがたい。 「うー、あったまるー」 「あんたの分はあとでちゃんともらうんだから。持ってる情報全部出しなさいよね」 「ねえ、結局奢りなの?自腹なの?どっち?」  雨に濡れすぎて、テンションがおかしな所に入ってる。  けど、そうも言ってられない。  頭のタオルを絞ったら、どえらい量の水が出てきた。顔を拭いて前髪を後ろに流す。 「俺が、知ってるのは」 「あんた髪上げてるほうがマシね。いまからそうしなさよ」 「え、なに、ちょっと人が真面目になった瞬間にそうゆうのやめてー」ヘルプの意味でリマちを見たら。  こくこく、小さく頷いてるし。  俺なんか上げたり下げたりしても面白くもなんともないぞー。 「オニのじーさんのガッコ入ったばっかの中坊ってことと、関西から来たぽいってことと、なんかの伝手でKRE次期社長に取り入ってそこでバイトしてることと」 「バッカじゃない。そんなこと知ってるに決まってるでしょ」カップの角で頭を小突かれた。 「イタ。だって知ってることぜんぶ言えって」 「あたしたちが知らないことで、てのが前提条件なのよ。そんなこともわかんないの?」 「んじゃあ、そっちが知ってること教えてよー」 「出会ったのは、先週末の花見のとき。一緒にいたバカどもが誰ひとり姿を見てないってのが使えないけど、オニがいつもみたいにふらっといなくなって、戻ってきたときに、帰るてゆったからみんな不審に思った、て」 「モロちんから聞いたの?」 「他に誰がいんのよ。日焼けするし、虫はいるし、あたしは花見なんかお断りなの。知ってるでしょ?」 「一目惚れってことなのかな?」リマちが小さい声で言う。 「そーなんじゃない? クウちんとは全然タイプ違うぽいけど」  でも、ぶっちゃけオニちんの惚れた腫れたに関してはどっちでもいい。ここには反対派はいない。  俺ら賛成派が、注意すべきは。 「モロちんが何しよーとしてんのかってことだよね」  雨の音がごうごう激しい。雨の量が多すぎて霧みたいになってる。 「見当付いてる人っている?」  誰も、  なんも言わない。 「だよねぇ。気づかないようにやんのが、モロちんだしねえ」  ピカっと光って。  しばらくして、  音が追いついた。 「モロちん光速だしねえ」 「は、あのバカ早そうよね。てゆうか女相手に使い物になるの?」 「リマちの前でそうゆう話やめようよー。ね?」 「クマちゃん」リマちが指をさす。  黒い車が止まった。車種は詳しくないけど、乗ってる人が誰かはわかった。  運転手のウィンドウが下りて、知った顔がのぞいた。 「おお、みんな揃って。雨宿りか?」ナタカさんが言う。ドアロックを解除する音がした。「よかったら送ってくよ」 「いいんすか? お願いしまーっす」 「あ、でもお前だけずぶ濡れじゃんか。どうすっかなー、シートに空気椅子させんのも忍びないしな」 「ちょ、さすがに車で空気椅子はないっすわー。冗談きっつー」 「いいじゃない、空気椅子。あんたにお似合いよ」 「ビニールシート?」 「お、名案。さっすがリマちゃん、優しいね。ちょいと待ってな」ナタカさんが運転席から降りて、荷台を開ける。「あったあった。よかったなー。天使のリマちゃんに感謝しろよ、ダイ」 「ありがとねー」  俺とクマちんは乗る気満々だったが、リマちが動こうとしない。 「どったの?」 「なんだ? いまさら遠慮なんかする間柄じゃないだろ」ナタカさんが傘を差しながら後部座席のドアを開けるが。 「クマちゃんを連れていかないで」 「ちょっとリマ、何言ってるの?」すでに後部座席に乗ってたクマちんが顔を出す。雨に濡れるのも構わず。 「連れてかないで。クマちゃんを返して」 「連れてくもなにも。家の前まで送ってくだけだ。心配なら一緒に同じとこに降ろしたっていい」 「リマ」 「リマち?」  なんで、  リマちは泣きそうな顔でナタカさんを睨んでるんだろう。  俺は、  まだ知らないことが多い。てこと? 「悪いわね、やっぱあたしとリマはいいわ。そのバカだけ乗せてって」クマちんは車を降りた。「これはもらってくわね」  ちゃっかり、俺の傘とナタカさんの傘をかっぱらって。 「そうか? 乗りたくない奴を無理に乗せるのもアレだしな。じゃあな。気ィつけて」 「ばいばーい」  二人とも手を振ってくれなかった。  車がゆっくり発進する。女子に水を飛ばさないようにするため。  ビニールシートは助手席に敷いた。俺はそこに乗ってる。  なんか、気まずい。 「別に気にしなくていいぞー。リマちゃん、年上の男苦手だろ? そうゆう感じのだって」 「ですよねー。俺てっきり、ナタカさんがクマちんに手ェ出したもんだと」 「ははは。ニンゲンの男じゃ、リクマ様に精力吸い取られてすっからかんだっての。一週間くらいなんもデなくなるらしいぞ」 「ナタカさんが言うと、実体験ぽく聞こえんの怖いっすわ」 「はっはは。想像に任せるわ」  ナタカさんのことは、嫌いじゃないけど。  誰も彼が過剰にカネを持ってる理由を知らない。  親が金持ちってわけでもない。家が裕福ってわけでもない。  でも、高三にしてすでに自分の車持ってて、あちこち乗り回してるのは正直不気味。  ヤバい組織とつながってる、てのが有力な見解だけど。  そのヤバい組織と、武世来をどうしようとしてるのか。  吸収?  衝突?  それとも。 「バカに小難しい顔なんざ似合わねえぞ。テメェはお気楽ムードメーカらしく、へらへらしてろ」 「あの、聞いてもいっすか」  なんだ?とナタカさんは顎を上げた。  ワイパーが目まぐるしく動く。 「ナタカさんは、今回のヘッド交代、どう思ってます?」 「いんじゃねえの? もともと打算とかそうゆう後ろ向きの動機なんざねえだろ。やりたい奴がやって、やりたくねえ奴は降りる。そんな感じで、今日までえっちらおっちら続いてきたんじゃねえか。忘れたのか? 武世来ん中じゃ、お前のが先輩だろうが」  合ってるし、間違ったことも言ってないんだけど。  この人は、  本当のことは絶対に言わない。 「お前の家、どっちだっけ。雨のせいでよくわかんねえな」  雨のせいじゃない。 「さっき本当は、クマちん迎えに来てたんじゃないすか」  ナタカさんは、そもそも俺の家を知らない。  言ってないし、教えてない。 「クマちん連れて、いつもどこ行ってんすか?」  急停車。  赤信号。 「あんま人のプライベート掘んなよ。手加減しねえと嫌われっぞ?」  触らぬ神に、ていう言葉があるけど。  この人は別に、  神じゃないから。 「リクマ女王様に惚れてるわけじゃねんだろ? んなら黙って見ないフリしとけ。年上からの忠告だ」 「リマちにあんな顔させても、すか?」 「お前バカなの?鋭いの?どっちよ。キャラ迷子んなってんぜ」  信号が青に変わる。  雨は、まだ已まない。     6  KREの不動産会社の本業、つまりは物件紹介だとか物件管理だとか諸々は、本社が担っている。  とするなら、KRE鎌倉支部は一体何をしているのか。  簡単に言うと、管理する物件に住むないし店舗営業する顧客の困りごとを解決する。  もっと単純に言うと、なんでも屋。 「まさかお前が自転車乗れないとはな」 「やかましな。乗れへんでも別に困らへんやろ」  社長サンの過保護ぶりからして、新人バイト一人にすべて押し付けるなんてことはあり得なかった。  甲斐甲斐しくついてきて、荷物持ちも率先して手伝ってくれた。  店内の配置と、客の好みを知り尽くした社長サンは即断即決。一ミリのロスタイムもなかった。 「お前これ、いままでカネやんと二人でやってはったん?」 「伊舞は事務だと言ったろう。あいつが依頼を仕分けして、俺が実働で動く」 「ウソやろ。ようやるわ」  要は、雑用。使い走り。  今日は足元が悪い雨天のため、買い物代行が最優先。年寄り、小さい子どもがいる家庭、その他と優先順位を付け、毎度御用達のスーパーと、同じくお馴染みのドラッグストアを回った。  買い物した食品とか生活必需品を、直接ドアをノックして届ける。面と向かってお礼を言われたり、笑顔を向けられるのは、そう悪くはなかった。すべて届け終わるころには、脚が棒のようになっていたが、それとは逆に心のほうは満更でもなかった。  これで雨さえ降ってなければ。 「そういえば、雨の日は初めてだったな。安心しろ。買い物代行は雨天限定だ」 「それも優先順位ゆうやつなん? 仕組みはわからへんけど、まあええわ。早よう帰ろ? くたくたやわ」  と思ったが、ついでに自分の買い物も済ませることにした。 「先帰っといてええで」 「食材代払うから、夕飯作ってほしい」 「皿洗いもな。ええで。いまならリクエスト叶えたるわ」  雨脚は弱まらない。  稲光も忘れたころに轟く。  帰路。  黒い車に水たまりの水をかけられたが、すでにずぶ濡れなのであまり気にならなかった。       6+  人の心なんてものがあるなら、取り出して見せてほしい。  心臓じゃなくて、脳でもない架空の臓器があるのなら。  そしたらたぶん、こんなに痛まないし、つらくもない。 「あ、やべ。ガキに水飛ばしちまったな」ナタカはわざとらしくバックミラーを二度見する。 「ちんたら歩いてるからでしょ?」 「女王様はご機嫌斜めってな」 「もっと飛ばせないの?」 「あれ?窓の外見えてない? すんませんね、これが精一杯ですよ、女王様」 「その下卑た話し方なんとかならないの?」 「はいよ」ナタカはアクセルを踏み込んだ。  リマを家に送った後、歩いているところを拾われた。バカを降ろしたあと、気づかれない絶妙な距離を保って追跡していたに違いない。  そもそも、あたしに用があったのだから。 「リマちゃんに俺から説明しようか?」 「あんた自分がどう思われてるかって、考えたことないの?」 「あるさ。何でも持ってる将来有望なお兄さん?」 「クズ」  荷台にビニールシート積んでる車なんか、碌な所有者じゃない。  後ろめたいことをするための道具が、トランクに詰まってる。 「うちのバカどもに売り捌いたって、大した儲けにならないでしょ?」 「あいつが悪いんだぜ? 俺との約束反故にして、もうやめるとか言い出してくれるもんだから」 「売ったの?」 「いんや。女王様との約束はまだ続いてるしな。そっちも反故にされちゃったら、いよいよ市場拡大も視野に入れねえととは考えてるが」  最悪。  あたしの逃げ場を封じるつもりだ。  あのバカが、全部放り投げたせいで。あたしに全部責任がなすりつけられている。  武世来をやめるのは好きにすればいいけど、こっちまで放棄するのは聞いてない。  あのバカがやめて、一番迷惑を被ってるのも、文句を言う権利があるのも、あたしだけ。 「さぁ、着きましたよ。女王様」  毎回場所が違う。足がつきにくくなるからだろうけど。  荒れたどす黒い色の海を背に、薄暗い木造のバーに入る。表には準備中の札があったが、ナタカは無視してドアを開けた。  油とケチャップの匂いがする。カウンタの内側に人影が見えたが、ナタカはまたも無視して2階に上がる。ぎいぎいと軋む階段が薄気味悪かった。  2階は従業員控室のようで、テーブルと不揃いな椅子以外特に何もない。  ナタカが、内側から鍵をかけた。 「違う違う。女王様が逃げるなんて思ってないさ。余計な邪魔が入らないようにな」 「通報されたら飛び降りるつもり? 下コンクリートだったけど?」 「店主はなんも知らない。客の俺らが勝手に従業員スペースに忍び込んでた、てことにしてる」 「筋書きなんかどうでもいいわ。するなら早くすれば?」 「お、やる気なのがありがたいことで」ナタカはポケットに突っ込んでいた長財布から。  アレを。  取り出してテーブルに並べた。個別に透明な袋に入っている。 「だから、どれなわけ?」 「どれにすっかなぁ。こっちのは」向かって左。「いつもやってるのと同じ。んで隣が」真ん中。「ちょっと量を増やしたやつで、残りのが」向かって右。「まだ早いだろうなあ。誰も試してねんだよ」 「あんたのは?」 「俺は、これと」向かって左。「こっちの」真ん中。「間のやつをやってみようと思ってる」 「あたしも同じでいいわ」 「んじゃあ、これ」ナタカが新しい袋を出して人差し指と中指の間に挟む。「ほらよ」  袋を開けて、口に含む。  いつもナタカがやったのを見届けてからにしてる。それでも効果が出るのは、こっちのほうが早い。 「あんたはニンゲンのクズだけど、一緒にやってるてのがもっと救いようのないクズよね」足元がふらつくので椅子に腰掛けた。 「売りモンの利き目知らないで商売なんかできないだろ。こっちとこっちとどう違うんですか?て聞かれてすぐ答えるようにしとかないとな」 「ばっかじゃない」  部屋の中の輪郭が覚束ない。  倒れそうなのでテーブルに上体を預けた。 「あれ?どうした? 今日早いな」 「知らないわよ。そうゆう日もあるでしょ」  モロギリが。と、ナタカが聞き捨てならない名前を言ったようだったが。  すぐにどうでもよくなった。  どうせ起きたら、ぜんぶ。  忘れてるんだから。      7  KREアフターサービス。  社長サンもとい支部長サンがやってるなんでも屋の戒名だが。 「いちいち付けなくていい。俺の独断でやってるわけじゃないんだ」 「やけどな、これがあるんとないのんで底辺バイトの意欲が上がったり上がったりするさかいに。なんも正式名称にせんでも。こっちで勝手に名乗るん、せや、自称でええから。な?」  社長サンのリクエストはカレーだった。ナスが安かったので、ひき肉とナスのキーマにした。  カネやんは美味しい美味しいと大喜びで、お代わりまでした。細身の外見から想像つかなかったが、なかなかの大食らいなんだとか。社長サンの内部情報より。  社長サンのテキパキとした皿洗いを見守りながら、ふと気になってしまったのだ。  KREアフターサービスでは、あんまりではないかと。 「だから、奇をてらわなくていい。これ以上ないくらいわかりやすいだろ? そうゆうのでいいんだ」 「そんなんおもろないやん。もうちょい、なんや、あらへんの? こう、聞いてビックリ、ずどーんてインパクトあらはる感じの」 「知らん。伊舞、名刺見せてやれ」 「いいんじゃないですかー? ちょうど名刺切れそうだったんですよ。この機会に、心機一転。ヨシツネさんもやる気でいてくれてますし」 「せやろ? さっすがカネやん。どっかの頭の硬い社長サンよか話わからはるな?」 「知らん。勝手にしろ」  いまのは社長サン流、承諾(しぶしぶ)の合図。わかりにくいが、わかるようになってきた。  そうと決まれば。 「音も字もカッコええのがええなぁ」 「よさそうなのができたら教えてくださいねー?」カネやんがパソコンの電源を落として鞄を持った。「それでは、若、ヨシツネさん、お先に失礼しまーす」 「ああ」社長サンが片手を上げる。「おつかれさん」 「もうそないな時間? 俺も帰らな」 「なんか浮かんだか?」 「んー、でやろ。こうビビビっと降りて来てくれるん待ってるんやけど」 「なんだそれは」社長サンが肩を竦める。「一応決まったらまず俺に言えよ? 客に勝手に名乗ったりは」 「あーもーやかましな。社長サンも納得太鼓判の大作生み出したるさかいに。期待しとってな」  そんなこんなで支部をあとにしたのは、20時過ぎ。  いまだに雨は降り続く。  支部の客用傘を借りた。  雨に濡れることがわかっていたので学ランからジャージに着替えていた。着慣れないので嫌だったが、明日も学校があるので致し方なし。  道は洪水状態で、排水もまともに機能していない。門の前に、どこぞから流れてきた木の枝が溜まっていたので足で蹴ってどけた。  つい、きょろきょろと。  右を左を見て。  よし、いない。  さすがに今日は戻ってこないと思いたい。  しかし、玄関の前に。  黒くて大きな男が足を投げ出して座っており。  門の外には確かにいなかった。ので油断していたが。  溜息も出ない。  蹴り飛ばしてやろうか、と思ったが。  寝てる?  覗きこんだ顔がひどく蒼白く見えて。  急いで玄関の中に引きずり込んだ。 「なあ、だいじょうなん?」触った肩が冷え切っていて、つい手を引っ込めた。「生きてはる?」  腹部は微かに上下している。  呼気も僅かだがある。  どうすべきか。  警察?  いや、校長に直電?  お宅のお孫さんが家の前で倒れてたんですが、て?  いずれも現実的でないか。  外から見る分には怪我はなさそうだが、内部はわからない。  とすると、救急車?  電話をかけようとした手を、冷たい手で掴まれる。 「いい」 「いいもなんも、どっかなんかなってたら」 「大丈夫だ。ちょっと休めば動ける。だから」  病院に連れていくな、と。 「あとでどないなっても責任取らへんで?」 「助かる」群慧は眼を瞑ったまま頷いた。  頭のてっぺんから足の先まで雨ざらしのため、玄関に寝かせておくほかない。せめて血が上らないように頭だけ高くして。服を脱がせようにも重くて動かないし、なにより替えの服がない。サイズオーバーにもほどがある。  買ってくるか。  この雨の中?  こんな夜に? 「あんなぁ、身体冷えきっとるさかい。動けるなら、風呂入らへん?」 「いい。放っといてくれ」群慧はいまだ眼を瞑ったまま。眉間のしわの深さが、苦痛を主張する。 「そないなことゆうたかて。朝んなって他人(ひと)の玄関で冷たくなっとったら迷惑極まりないやろ?」 「悪い。本当に、じっとしてるだけでおさまるから」 「なんや苦しいん? 水とか持ってこよか?」  返事がないので肯定と取る。ペットボトル(未開封)の水と、タオルとバスタオルを持ってきた。  タオルで顔と髪を拭いて、首の後ろに敷いた。無意味とは思うが、バスタオルを上半身にかける。  ボトルを手に持たせるも、力が入らず。こちらで蓋を開けて飲み口を近づけた。少しずつ傾けると、ゆっくり喉が動き始めたが、しばらくすると口の端からこぼれる量のほうが多くなってしまい。見兼ねて口移ししようとしたが、口との腕を挟まれて払いのけられる始末。 「自分で飲まれへんやん。拒む権利あらへんで?」 「頼む。いまは」  恥ずかしがっているにしても様子がおかしい。  まるで、自分の口内に残っているかもしれない毒を、他人に移すのをなんとしても防ぎたい、かのような。  毒? 「口、すすげるか?」  玄関に吐かれても困るので、バケツを持ってきた。  ゆっくりと、3回ほど。含んだ水をバケツに戻した。  残り半分以下になったボトルの水は、一気に喉の奥に消えた。  が、むせて結局、バケツの中へ。 「2本目、持ってくるさかいに。それか、あったかいほうがええか?」  返事がないのでペットボトル(常温)を玄関に置いて、ケトルで湯を沸かした。このままでは熱いので、適温に冷ましたものを、カップに入れて持っていく。  群慧は、二本目を半分ほど飲み終わったところだった。 「さ湯持ってきたで?」 「ああ」ようやく片目が開いたが、瞼が痙攣している。  カップを両手に持たせて、傾けるところまで手伝った。  さ湯のほうが飲みやすそうだった。身体の冷えが少しでも緩和されればいいが。 「もういい」と言いつつ、カップの中身は空になった。 「食べたいもんとかあるか? 粥とかすぐ作れるさかいに。ああ、でも先に風呂」 「悪い。ちょっと、ねる」と言いながら、早くも寝息が聞こえてきた。  たっぷり雨水で湿った服のまま、玄関で寝るのはやめてもらいたかったが、深く刻み込まれたはずの眉間は苦痛から解放され、発見時とは比べ物にならないくらいに穏やかな寝顔になっていた。のがせめてもの救いか。  しかし、完全放置して眠れるほど、神経も太くなく。  ゆっくり風呂に浸かりたい疲労感を堪え、からすのなんたら的なシャワーで済ませ、極力玄関から離れずに家事をした。宿題も明日の授業の準備もまったく手につかず、結局。  群慧を見守ったまま、朝を迎えてしまった。  また、お前のせいで学校に行けないじゃないか。      7+  痛まないし、つらくもない。だって俺のことじゃない。  武世来の存在を知ったとき、利用できると思った。だから、年上風吹かせて仲間になった。  入るための条件も儀式もなんもなかった。規律は自由と読み代えられていた。  伝手を辿って、ヘッドに直接加入の意志を伝えただけ。  たった、それだけ。  俺が入った時点で、ヘッドを含め7人。俺が追加で、8人になった。  これが最初のメンバ。始まりの8人。  ヘッドは、オニと呼ばれていた。  鬼のように強いからなのか、鬼のごとく大きいからなのか。誰がそう呼び始めたのかも判然としない。  無口でいて、その割に、全宇宙の法則に対して否を唱えるような眼をした、大きすぎる少年だった。  他7人が幹部。  それぞれの伝手でメンバが増えていくが、基本はあくまで8人。だから幹部てのを作った。これも誰が言い出したのかいまいちはっきりとしない。  スサは単純バカだし。  クウはオニの女?だし。  リマは俺のこと嫌いだし。  モロギリは武世来を使って何かを企んでいるし。  ダイはバカのフリして俺のことをよく見てるし。  リクマはちょっと好みだったから声をかけたら死ねと拒絶されたので。  騙して、アレを使った。  結果として、俺は大金を得て、リクマも根源的に俺に逆らえなくなった。  速攻でオニに感づかれたから適当な理由を並べて協力を嘆願したら。  騙されて、アレを使ったときは。  ああ、こいつは。  とっくにアタマがイカれてるんだと思った。  そのせいか、もともと素質があったんだとは思うが、わけのわからない特技が開花した。 「呼んだか」  呼ばれもしないのに、その場所にやってくる。  理由を聞くと、なんとなく。  最高にイカれてやがる。 「呼んだよ、オニ。もうやめるなんつって、俺は悲しいぜ? お前がやめたら、誰かこいつを使ってくれんだ?」  財布を逆さにして、床にぶちまける。  俺の、商売道具。 「女のデータはもういいんだとよ。お前の、そのよくわからん特殊能力がこの先どうなってくか、気にしてくれてるお偉方が多くてな。もうちょい手伝ってもらえると、俺としては有難いんだがな」 「俺が続けたら、リクマを巻き込まないと約束しろ」 「ああ、いいぜ。リクマどころか、武世来から手を引く。ガキ集団のお守は、お兄さんには重荷だわ」  オニが、床に落ちたソレを拾って。  口に含む。  動画の撮影を開始した。定点だが仕方ない。見切れていても問題はない。命からがら撮影してました感が出て悪くない出来になる。  オニを放置して、リクマを迎えに行く。  余計なのが二匹くっついてた。リマにはバレてるし、ダイにも鎌掛けられる始末。  お前らがどんだけ吼えようが、リクマだけピックアップすれば問題ない。  場所を変えて、リクマに使わせた。  生憎と、俺の量とお前の量は違う。  俺が使い物にならなくなったら、誰がお前を家に送り返すんだ。運転手は素面でいなきゃいけない。  リクマが最高にキモチよさそうになったとき。  内側から鍵をかけたはずのドアが蹴破られた。  オニだった。 「んだよ、邪魔しにきやがったのか。ふらふらじゃねえか。それにずぶ濡れで。随分イイ男になっちまったな」  昼前に使ったからまだ効き目は切れていないはず。  ずぶ濡れのせいで気づくのが遅れたが、脂汗で顔面蒼白。眼の焦点も定まっていない。  こんな状態で、乗り込んで来やがったのか。  愚かの極みだ。 「迎えに来た」 「あ? 誰を」  オニは散らばった服を拾い集めて、リクマに着せ始めた。 「おいおい、何してくれてんだって?」  手と指が震えて、ボタンもままならない。リクマも暴れこそしないが、上の空で協力とはほど遠い。とうとう諦めて、胸と股だけをなんとか隠した。 「見てわからないなら消えろ。約束も守れないような奴は、武世来には要らない」 「要らない? その武世来を捨てたのどこの誰だよ。てめえが捨てた玩具拾ってどうしようが、残った俺の勝手だろうが」 「二度は言わない。俺の前から消えろ。次そのツラ見せたら」 「どうすんだって? ケーサツにでも付き出すか? あ、忘れんなよ?てめえらも同罪だぜ?」  オニはもう何も言わなかった。うわ言を繰り返すリクマを抱き上げて足早に階段を下りていった。 「は、今日連れ帰ったところで、またやればいいだけだからな」オニの後頭部めがけて投げつけたが。  振り返りもしない。 「おい、無視すんなって」後を追って階段を下りる。  店主が蒼い顔してのぞいていたから、札束を放って黙らせた。壊れたドアはそれで弁償してもおつりがくる。二度とこの店は使えないが、元より二回以上同じ場所を使っていないので何ら問題はない。  豪雨が海と地に叩きつける中、  駐車場の俺の車の前に。  ひい、ふう、みい、よう、いつ。  傘もささずに横一列。雁首揃えて。  武世来幹部5人。  スサ、クウ、リマ、モロギリ、ダイ。 「あーあ、暇そうだな、てめえら」  誰も何も言わない。  黙ってこちらを睨みつける。  十個の眼球。 「俺を追放するってか? 短い間だったがな、てめえらのお遊びには反吐が出る」  誰も口を開かない。  こっちは口の中に雨水が入って汚いったらない。唾と一緒にアスファルトに吐いた。  オニが微かに顎を上げたのを合図に、  5人が歩き出した。 「どんだけ雨ん中待ってたかは知らねえが、精々風邪引かねえようにな。あ、バカは引かねえか」  誰も聞いちゃいない。  雨のせいで声が届かなかったんじゃない。  あいつらは、俺と言葉の通じるニンゲンとして扱わないと決めたらしい。  クソ。  ガキどもが。  まあ、今日のところは幹部の数に免じて引いてやるか。  車に乗る。  ずぶ濡れで一秒でも早く発進させたいのに、いつまで経ってもエンジンがかからない。  ボンネットを開けるまでもない。  あいつら、  雁首揃えて大人しく駐車場で待ってたわけじゃない。  俺の車壊してやがった。  ぶち殺してやる。      8  リクマを知り合いの医者のところに連れていった。  回復に時間はかかるが、ちゃんと生きてる。らしい。  みんなでちょっとホッとした。  医者は、武世来が雁首揃えてずぶ濡れなのを気にしていたが、モロギリが適当に話をでっち上げた。  ダイはいつの間にかいないし、  クウに呼び止められたが、正直、他人に構っている余裕はない。  スサがあとは任せろと、送り出してくれた。  リマが付き添ってくれるから心配ないだろう。  俺には、行きたいところがある。  頭ががんがんして、身体がふらふらしてても、足がそこに行きたいと、勝手に動く。  もし明日死ぬとしたら、どうしても会いたい相手ってのがいる。  もしじゃなくて、本当に死ぬかもしれない。  そのくらい苦しい。  苦しくて苦しくて、息を吸おうとしないと息が吸えない。  ちょっとでも気を抜くと、身体が前のめりに倒れる。  もしじゃなくなって、本当に明日死ぬのだとしたら。  会いたい。  もう一度。  もう一度だけでいいから、あの笑顔を見せてほしい。  そうしたら、明日死ぬんだとしても別になんてことはない。  未練もなくぱっと成仏できる。  前がよく見えないのが、眠いからじゃなくて、雨が降ってるからだってのを、ついさっき思い出した。  この向こうにあの家がある。  幽霊屋敷なんかじゃなかった。  まだ帰ってきていないみたいで、家の中が暗い。  外が暗いのか。よくわからなくなってきた。  まあ、いいか。  ここで、ドアの前で待ってれば、そのうち帰って来るだろうから。  そうしたら、この寒さも。  もうちょいマシになってたら。  いい、  が。 「なあ、だいじょうなん?」  眩い光が眼を灼いた。  そのあとのことは、よく思い出せないが、気がついたら。  あの人の家の玄関で寝てて、あの人が。  めちゃくちゃ機嫌が悪そうに俺を睨んでいた。 「おはようさん」  口が貼りついてうまく声が出ない。  頭もうっすらモヤがかかっててすっきりとしない。 「なんや、元気そやな」 「あ、の」  なんでそんなに怖い顔をしているんだろう。  きっと何か怒らせるようなことをしたんだろうと思うが。 「憶えてへんの?」 「あ、え」 「呂律回ってへんね。毒でも盛られたん?」  それは。 「まあ、ええわ。どないでも」見せつけるように大あくびをしてから。「あーあ、今日も学校行けへんわ。毒食らって息も絶え絶えで倒れてはった誰かさんのせいで、ほぼ貫徹やねんな。ほんまに、どっかの誰かさんが死んでたせいでな」 「一晩中看病してくれたってことですか?」 「せやからそうゆうとるやん、さっきっから。なんじょうそないに、ああ、もう、ええわ。怒ってもなんも変わらへんし、眠いだけやさかい。着替えは知らん。せやけど早う帰り。ほな」  早口でまくし立てて、隣の部屋に消えた。襖を荒々しく締めすぎて、ちょっとだけ開いている。  隙間から。  いやいや、これ以上怒らせてはいけない。 「あ、名前」  あとでと言われてそのままにされていた。危うく誤魔化されるところだった。 「すんません、名前だけ」畳を汚さないように、手を伸ばして襖を開けたところ。  そこにはおらず。  勝手に上がったら余計に怒られるだろうし、部屋を汚さずになんとか叶える方法は。  あった。 「名前、教えてくれないと帰れないす!」 「やかましな! ヨシツネや!!藤都巽恒(ふじみやヨシツネ)!」隣の隣の部屋のあたりから、怒鳴り声が聞こえた。「もう、ほんまに。人が寝よ思うて布団入った瞬間にクソデカイ声で叫ぶなや!! 早う家帰りィな!!」  最後通告ってやつだろう。  でも望みが叶ったのでまあいいか。  じゃあ、牛若丸てのはなんだったんだ?  それもどっちでもいいか。  身体に残っている鈍い痛みは、玄関で一晩を明かしたせい。  そうか。  一晩一緒にいたのか。  それだけでもかなりうれしい。  いや、めちゃくちゃうれしい。  昨日は、笑顔が見れれば悔いはないと思っていたけど。  生き残ってしまったお陰で、欲が出てきてしまった。  もっと、いや、できたらずっとずっと一緒にいられる方法を。  考えなければ。     4+4+  ここまで私の与太話に付き合って下さったお礼と言っては何ですが、このたびの武世来首領交代騒動並びに幹部追放のあらましについて、私の主観を交えた解説をば。  お前の主観は要らない?  そんなこと仰らずに。  客観的事実だけを述べろ?  それでは味気ないでしょう? 舌の肥えたあなたではすぐに飽いてしまいます。  ほら、もうどうでもよさそうな顔をしている。  わかっていますよ。相変わらずせっかちな方ですねぇ。  時間はたっぷりあるんですから、そう焦らずに。ゆっくりじっくり聞いてくださいね。  まずは、我らが首領の突然の脱退と言いますか、もうやめた発言の真意ですが。  え? それは知ってる?  おかしいですね。はてさて、どこで情報が漏れたのやら。  ご存知ならば話は早い。泣く子も黙る武世来の首領ともあろう鬼が、あろうことかニンゲンの少年に一目惚れとは。どのあたりがそんなにお気に召したんでしょうね?  もともと直感で生きていたようなものでしょうから、その直感レーダのメモリが振り切れちゃったんでしょうね。  実際この眼で拝見しましたけど、そこまでインパクトのあるような相手ではなかったような。能ある鷹はパターンだったらわかりませんけれど。  私の評価ですか? そうですねぇ。  可もなく不可もなく。それとなく探りを入れてみましたが、こちらが探りを入れているのを完全に見抜かれてしまいまして。いやはや、面目ない。尻尾どころか影すらつかめない有様で。  おかしい? はぁ、どこらへんがでしょう?  私に掴めない尻尾や影というのが、ですか?  随分私の能力を買ってくださっているようでありがたいのですが、私も万能ではありませんのでね。できることとできないことというのが。ふむ。でも、そうですね。  なぜ彼は、私に何も掴ませなかったのでしょうか。  そんなニンゲンは、私には一人しか心当たりがなく。  あれ? おわかりですか?  あなた以外に、いらっしゃるんですねぇ。底の窺い知れない人物が。  そうしますと、大したものですね。彼の評価を上方修正する必要がありますねぇ。  あなたと話していると、私の考えも整理されるので新たな発見があったりするんですよぉ。  気づくのが遅いだけ? それは言いっこなしですよ。  ええと、どこまで話しましたっけ? そうです。噂の関西なまりの少年のことです。  あ、すみません。ちょっと電話が。しばしお待ちを。 「テメェ、いまどこいやがる?」 「それをお答えしたら私に危害を加えようとされるでしょう? お断りします」 「聞き方変えるわ。テメェら全員ぶっ殺してやるから、一人ずつ俺のとこに顔出せや」 「では私がその映えある第一号というわけですか? 光栄な話ですが、謹んで辞退いたします」 「ふざけたことぬかしてんじゃねえぞ。どうせテメェの入れ知恵だろうが。俺の車壊しやがって」 「壊しただなんて人聞きの悪い。大方海のそばに長時間駐車していて錆びたのでは?」 「テメェの言葉遊びに付き合ってる暇はねんだよ。テメェがツラ貸さねえなら、先に女のほうに行く。いいな?」 「いいも何も。私が女・子どもを盾にとられたくらいで、どうとも思わない外道だってことくらい、ご存じでしょうに。何を今更」 「リクマを連れてった医者のとこを、俺が知らないとでも思ったのかよ。実はいまその真ん前に来てんだ。証拠を送ってやっから。ほら、写真」 「これは確かに、そのようですが。困りましたね。何度もお伝えしていますように、私はリクマ様がアレをやりすぎてアタマがおかしくなろうと、リマさんがあなたに力づくで襲われて処女を散らされようと、本当に、心底、どうでもいいんですよねぇ。私を脅すのならもっとアタマを使っていただかないと」 「わーった。テメェを最後にするわ。じゃあな」 「ああ、そうだ。何か勘違いされているようですけど、車を壊したのは私ではありませんよ」 「は? テメェ、今更責任逃れかよ」 「そうではなくて。あのほら、ピラミッドを作ったのはファラオじゃなくて奴隷だったとか、城を立てたのは大名じゃなくて農民だったとか、その手の言葉のカラクリで。ずばり、あなたの車をお釈迦にしたのは、ダイです」 「自分の命惜しさに仲間に罪なすりつけてんじゃねえぞ? あ? 同罪なんだよ、あの場にいた幹部全員」 「ダイが車の修理のバイトしてるのご存知ですか? わざわざこの先を説明しなければいけないほど、あなたも知能がないわけではないでしょう? あの日、車を壊したのはダイで、ダイは車のどこを壊せばどうなるか知ってるんですよ。あの日が豪雨でなければあなたいまごろ、地獄で獄卒相手に噛みついていたでしょうね? どうして自分が地獄にいるんだ、て」 「そら、雨降ってて残念だったな。だがな、車くらいすぐ新しいのを」 「ちなみにその車でいまお出掛けに?」 「それがなんだ」 「なんだ、て。いちいち説明しないとおわかりになりませんか? 車の乗り心地の話をしているんですけど」 「テメェら、また俺の車になんかしやがったのか?」 「したかどうかは私にはわかりませんよ。なにせ私はあなたの新車を見ていないんですから。新車に乗り換えたのだって、いまあなた自身から聞いて知ったくらいですので」 「どうせテメェがダイにあることないこと吹き込んでやらせてんだろ? やっぱテメェを最初にするわ。待ってろよ。すぐぶっ殺してやっから」 「はいはい。道中くれぐれもお気をつけて」  いやはや、莫迦と会話するとこっちの正気の部分が侵食されるので嫌ですねぇ。  あ、お聞きになってました? 私の心配をしてくださっているんですか?  大丈夫ですよ。  よく吼える莫迦の行き着く結末は、あなたが想像する価値すらない。  え、そんなことよりも、鬼を骨抜きにした少年との会話を聞かせろ?  よく私が録音していたのをご存じですね。勿論、構いませんが、あなたの知的好奇心を満たせられるかはいささか自信が。  ああ、はいはい。つべこべ言わずにお聞かせいたしますよ。  はい、どうぞ。 「うちの新ヘッド(仮)は血気盛んすぎて、厭になってしまいますよねぇ」 「自分、仲間やさかいに、応援したらへんの?」 「応援とかじゃないんですよ。オニがケンカで負けたの、見たことないんですから」 「ほんなら新ヘッド(仮)さんはヘッドになれへんのと違うん?」 「負けてもいいんですよ。オニに勝負を挑んだっていう事実さえ残れば。目下、私が証人になってるんですが」 「自分、どっちの味方なん? 冷たいな」 「ドライで中立と言ってほしいものですねぇ。ところで、あなたはどんな手練手管でもってオニを堕としたんですか?」 「この流れでさらっとねじ込まはるね。向こうが勝手に付き纏っとるだけなんやけどな」 「そう仰る割に、ここにはご自分の意志でついてこられましたよねぇ? 何か脅迫されているわけでもなさそうですし。もしやオニを足がかりに、武世来を牛耳る計画がおありだったりします?」 「なんやそれ。被害妄想も大概にしたってな。そないなガキの部活動の部長なったとこで、なんの得もあらへんわ」 「ガキの部活動と仰いますか。ヘッドや幹部のいる前で。なかなか怖いものなしな方とお見受けしますが、そんな調子でオニもガツンとやられたんでしょうかねぇ」 「全部知ったはるやん。そんな気ィしたわ。自分こそ、なんも知らんこたらへんて顔したはるで?」 「そうですかぁ? むしろ何も知らないのでご教授願いたいのですが、KRE次期社長のところには、どのような手練手管で」 「手練手管こだわらはるなぁ。見ての通り、何の変哲もない中坊やさかいに。叩いてもなんも出ぇへんよ」 「そうですか。KRE次期社長には、とある噂がありましてね。根も葉もない言いがかりなんだとは思いますが、ああ、そうだ。これはご存知です? 次期社長の父親について」      *******  家に帰って服を着替えて学校に行く。  学校が終わってから、中学に向かおうとしてた足の方向を変える。  学校は休むと言っていた。  それなら家にいるはず。眠るとも言っていた。  眠りを妨げるつもりなんかない。だからまた玄関の外で待っていることにする。  あ。  違う。  ヨシツネさんのいる場所は。 「せやからゆうとるやん。俺が呼ぶとか関係あらへんの。こいつは勝手に察知して勝手に押し掛けはるん」 「認めた覚えはない。出ていけ」  店の看板は出ていなかった。  ここで、  ヨシツネさんがバイトをしている。  それなら。 「俺に恩を返させてください。ここで働かせてほしいとは言いません。ただ、ヨシツネさんの役に立ちたいんです。パシリでも荷物持ちでもなんでもいいので、俺を使ってください」 「そないに熱心にパシリ嘆願しよってもなぁ。なあ、社長サン」 「何度も言わせるな。帰れ」 「お願いします。なんでもします」  これだけ頭を下げても伝わらないなら、力で示すしかない。 「1週間、俺を使ってみて、役に立たなかったり、要らなかったりしたら」 「わーった。降参やわ。家で出待ちされるんも、ガッコで出待ちされるんも懲り懲りやさかいに。この二つは禁止な? 毎日ガッコ行って、宿題もやって、そんで夕飯までには家に帰るんやで? 約束できるか?」 「はい!! ありがとうございます!」 「勝手に決めるな。ここは俺の」 「まあまあ、社長サン。ロハで使える手駒が増えたゆうことで、な? 俺の特別接待に免じて」 「なんだ?特別接待て」 「日の高いうちは言えへんな」 「よろしくお願いします! ヨシツネさん」 「ああ、よろしゅうな。ええと、グンケイくんやさかいに、ぐん、ちゃうな、けい、ちゃん?ケイちゃん。せや、ケイちゃんでええか?」 「はい。ヨシツネさんが呼んでくれるんなら、なんでも」  鬼じゃなくて、  別の呼び方をされたのは、初めてだ。      次回予告  もうこのコーナー、社長サンが俺に押し付けたのでは?  順調?に従業員?が増える、KREアフターサービス(旧名)。  次の依頼は、学習塾への単独潜入。 「教室ぐるみのカンニングと言いますか、とにかく一度立ち会っていただければと」  塾の責任者は重く捉えるも、生徒のこれからを考えおおごとにはしたくない。 「誰にも迷惑をかけていないし、むしろこうすれば誰ひとり損をしない」  首謀者と思しき中学生は、生真面目な顔で大真面目に言ってのける。  俺は、その顔を見て息ができなくなる。 「なんで。あ、いや、こっちの話やさかい」  次回 第5話 『キ()(おく)べし』  ケイちゃんは顔が知られすぎているのでお留守番。 「一週間何もできなかったら、役立たずでクビってことになりませんか?」

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