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第5章 キ家億べし

     0  行きたかった中学に落ちた。  自分の実力が及ばなかった末の不合格なら納得できるし諦めもつく。  当日体調を崩したというやつで。  挑戦権も得られないまま、ゲームセット。  許せない。  認めたくない。  こんな世界。  *****  ノリウキが心配だ。  全国で指折りに入学が難しいと言われてる私立の中等部の受験日にまさかの高熱を出して、会場にすらいけなかった。  ちょっと心配性すぎる親も兄貴もさすがにかける言葉を失っていた。  俺もちょっとなんて言っていいのかわからない。  慰めるんじゃなくて、そうじゃなくて。  ノリウキがまた前を向けるように。  結果的に俺と同じ公立に行けることになったので、俺はホントは嬉しかった。  だって、  ノリウキは。  俺のたった一人の親友なんだから。  第4話 キ()(おく)べし      1  ケイちゃんが仲間に入って一週間のあいだに、なんの結果も出さなければ、自ら出て行くと約束して。  五日目。  桜もすっかり散った4月中旬。  金曜日。  残り三日。  タイムリミットが近いが、社長サンとしてはこの一週間何もさせなければ自動的に邪魔者を排除できるので防衛戦に徹することにしたらしい。  本当に、  何もさせていない。  宿題をするスペースだけ貸してあげるだけ有難いと思えとばかりに。  何もそこまで邪険にしなくても、とさすがに可哀相になるほどに。  しかし雇われている側の俺が下手に助け船を出せば、こちらに不利益――つまりクビにされないとも限らない。  背に腹は代えられない。  なので申し訳ないが、ケイちゃんには諦めてもらうほか。 「若」事務員のカネやんが、背中越しに、座る社長サンに声をかけた。 「なるほどな。こうゆうことか。イメージがつかめた」  二人は何やらモニタを見て意見を言い合っている。依頼が入ったのだろうか。 「ヨシツネさん、ここなんすけど」ケイちゃんは問題集をこちらに見せる。「これはこっちと同じでよかったんでしたっけ?」 「そうそう、さすがやな。もう覚えたんか」  ケイちゃんは覚えがいいので、教え甲斐がある。いや、そもそもカラカラに干上がったスポンジをバケツに放り込んだらそれはそれは水をパンパンに吸収するか。 「ツネ、いいか」カウンタの奥から社長サンが手招きする。俺がケイちゃんのすぐ横に立って勉強を教えていたその距離感が気にくわなかっただけだろう。 「なんなん? いちいち嫉妬深いな」カウンタの内側に回って、視線の先のモニタを見た。  監視カメラの映像のようだった。音声は切られている。  天井から室内を映している。学校? いや、さすがに学校にあっては問題なので、塾だろうか。  バラバラの制服を来た生徒が5~6人、テーブルを突き合わせて座っている。  授業中なのか、テスト中なのかはわからないが、どちらとしても不適切な光景だった。  昼食の時間であれば何ら問題がないが、講師も演台から何やら注意をしているが。 「なんやの?これ」 「集団カンニングとでも言うのか」社長サンがモニタの中央を指差す。「こいつ、この眼鏡の。これが首謀者だそうだ」  場所は駅チカの学習塾。個人経営の塾長が、先日解決した集団お花見騒ぎの泫湟(げんこう)神社の関係者だったようで、その伝手でお声がかかったようだ。こうやって芋づる式に顧客が開拓されていくのは望ましいが、と社長サンは言うものの。 「は? これをどないするん?」 「依頼内容は、この状況をやめさせてもらいたい、とのことだ」社長サンが脚を組み直す。「何かいい案はあるか?」 「いい案て。さすがになんぼなんでも無茶ぶりすぎひん? こんなん、塾長やら上のヒトから本人やら親やらに懇々言い聞かせるしか」 「いいか? 塾は学校じゃない」社長サンが言う。「それに親に言うのも逆効果だ。なぜかわかるか?」 「せやな。客やな」  通っているのはご子息やご令嬢でも、カネを払っているはその親だ。スポンサ相手に、お宅のお子さんが集団カンニングを持ちかけているのでやめてほしい、とまっとうな経営者なら言えるわけがない。そんなわけはないと怒る親御ならまだしも、はいそうですかと塾を辞めさせるだけでなく、いい加減にしろと名誉棄損で訴えられたりしたら厄介モンスター極まりない。  親御に見せるという最終目的の前に、まずは証拠として授業中の状況を収めたのがこの映像というわけか。 「つまり、誰も傷つけへんで穏便に解決しろゆうことね? 無茶が過ぎるわ」思わず天を仰いだ。「アホちゃうか?」 「まあそう言うな。お前ならできると信じてる」 「社長サン、自分で考えはったらええよ」 「お手上げだ。だからお前に頼んでる」社長サンが俺を見上げる。「できるだろ?」  暴れまくって手が付けられなかった鬼の総大将を、たった一言で大人しくさせた実績なら。社長サンの言い方には最大限の皮肉が含まれていた。  件《くだん》の鬼の元大将は、窓際の席で必死に算数の問題を解いている。  焚きつけられた気がしないでもないが、とりあえず依頼主の元へ向かうことにした。 「俺も行っていいすか?」ケイちゃんがノートと問題集をカバンに放り込む。「宿題終わりました」 「ケイちゃんな、自分、顔知られすぎてるん、知らへん? 留守番な」 「一週間何もできなかったら、役立たずでクビってことになりませんか?」  残り二日か。 「あー、せやな。雨でも降らはったら活躍できるのと違うかな?」と適当に言いくるめて。  19時。  適当に夕飯を済ませて、単独で学習塾へ。  最寄駅から2つ隣の駅だった。切符代はあとで経費として請求するとして。  駅の東側。看板があったので、すぐにわかった。  1階と2階が銀行。  塾は3階だった。 「教室ぐるみのカンニングと言いますか、とにかく一度立ち会っていただければと」塾長と名乗った40代後半の男が教室に案内してくれた。  俺みたいな学ランの中坊が単独で来ても不審がらなかったのは、先日の泫湟《ゲンコウ》神社の花見会で姿を見られていたからかもしれない。  教室は二つ。一つは自習室。3人ほど生徒の後頭部が見えた。  もう一つはすでに授業が始まっていた。  塾長と一緒に教室の後ろから静かに入って、出入り口近くの席に座らせてもらった。生徒たちが一斉に後ろを向いたのでちょっとどきりとしたが、俺としてはやましいことばかりなのではったりをかましていっそ堂々としていた。塾長は俺に授業内容の解説をして(見学というカムフラージュ)そそくさと出て行った。  数学。  机は横4列、縦4列。出入り口付近に2つ(見学用)の全部で18個。俺を除いて、まばらに5人ほど座っている。  講師が一通り講義を終えて、ホワイトボードを真っ白に消した。そしてテストと言った瞬間、カメラで見たような配置に席と机の大移動が始まった。  講師が何を言おうが止めようが構わず、窓際最前列にいた眼鏡の彼のところに残りの4人が集まる。  講師(おそらく俺の目的をわかっている)が、俺をちらりと見て肩を竦めた。ほらね、と言わんばかりに。  かくして、テストは大カンニング大会となった。  チャイムが鳴り、数学の時間が終わった。テスト用紙を回収し講師が教室を出て行くや、生徒たちが談笑に勤しみ始めた。  てっきり大カンニング大会の主催者の周りに集まると思いきや、彼の周りには誰も行かない。  後ろからなので表情は伺えない。  彼はたった一人、問題集を開く。  渡されたカムフラージュの時間割によると、数学の次は英語だった。それで今日の講義は終わる。  俺は席を立って塾長のところを訪ねた。先ほどの数学講師がデスクで突っ伏しているのが見えて哀れになった。 「ご覧になったでしょう?」塾長は数学講師にコーヒーを差し入れながら言う。「テストのたびにこんな感じでして。もう、どうしたらいいのか」 「生徒さんらに悪気はあらへんのやろか」 「ある生徒もいたんでしょうけどね、ほら、赤信号、みんなで渡ればの精神で。みんなやってるからいいと思ったんでしょう。それか自分だけまともにやってるのが馬鹿馬鹿しくなったか」 「そもそもどないな経緯なんですか」 「首謀者の子、能登(ノト)君ていうんだけど」塾長が急に小声になる。ガラス張りの講師控室のすぐ外の自販機で生徒が飲み物を買っていた。生徒がいなくなったのを確認して、塾長が続ける。「彼ね、こんな場末の塾に来るような子じゃないんだよ。あの有名な朱雀(すざく)学院を受験しようっていうレベルの子なんだから。まあ、結果振るわなかったからここにいるんだけどさ。高等部からもチャンスあるからそこでリベンジ果たすっていう目的があるけど、ちょっといまナイーブなんだろうね。落ちたっていう発表から1ヶ月かそこらしか経ってないし。憂さ晴らしのつもりもあるんじゃないかな?」 「ほんならその能登君?ゆうのとじっくり話さはったら」 「したさ」突っ伏していた数学講師が話に加わる。彼は一番若そうに見えた。「一応、僕が担当だからね。そしたら彼、何て言ったと思う?」  ――誰にも迷惑をかけていないし、むしろこうすれば誰ひとり損をしない。 「こんなこと言ったんだよ! 信じられる? もう、俺、何も言えなくなっちゃって」 「私も話をしようとしたんだが」塾長が苦々しい顔で言う。  ――時間の無駄です。そんなことをしている暇があったら自習でもさせてください。 「これね、自習をさせて、ていう主語、彼じゃないんだよ? 自分以外の他の生徒たちに言ったんだ」  つまり、自分以外の学力を上げるための努力を塾側にしろ、と。  じぶんはその努力を手伝ってやっているだけ、だと。 「能登君は、ええと思うてやってはるんやろか」  予鈴が鳴る。英語講師が力なく立ち上がって教室に向かったので付いていった。  英語の授業もまったく同じだった。小テストと言うや否や、同じように生徒が机を突き合わせた。  付和雷同的にカンニング大会に参加している生徒はともかく、首謀者の能登君とやらの本当の狙いが知りたい。  英語の授業が終わって、塾長に適当に挨拶して(明日も来るからと言って)、ビルの階段下で待ち伏せた。  他の生徒たちがわらわら駆け下りてくる陰に。  いた。  が、  え、  なんで?  一瞬、息ができなくなった。  彼の顔は、  絶対に届かない俺の片想いの相手にそっくりだった。      2  結局声をかけられずに帰ってきてしまった。  何の収穫もなかったわけではないが、ターゲットに接触できなかったことがバレ、社長サンに「何しに言ったんだ」と溜息を吐かれた。  翌日10時。  土曜日。 「きょ、今日はしっかりくっきりしたるさかいにな」 「どうした? お前らしくもない」  社長サンに要らぬ勘繰りを入れられたくない。  まさか、  ターゲットが。 「なんで。あ、いや、こっちの話やさかい」 「ヨシツネさん、あと二日す」急にケイちゃんが視界を占拠した。 「なんや、ビックリしたわ」  明日で一週間。 「そうだったな。清々する」社長サンはすでに勝ち馬に乗っている。  今日も明日も天気予報は晴れ。  雨天の買い物代行も出番はない。  完全に詰んだ、だろう。か? 「社長!」ケイちゃんがよく通る声を張り上げる。  カネやんが盆にのせた茶を落としそうになったのが視界の隅に入った。 「勝負しませんか」 「は? テメェ、背水の陣で何ほざいてんだ?」社長サンは青筋でも立てんばかりに機嫌が悪化した。  ケイちゃん相手にはすこぶる態度が悪くなる。とてもお客さんには見せられないひどい姿になる。 「ヨシツネさんが、昨日の依頼を明日中に解決できるか」 「だから、俺は乗ってやるなんて言ってねえよ」 「俺は、できる、に賭けます」ケイちゃんが自信満々で言う。 「何度も言わせんなっつてんだよ!」社長サンが遂に椅子を蹴飛ばした。「俺はやるなんて一言も」  カネやんが盆を避難させて椅子を戻した。 「あなたはヨシツネさんを信じてないんですか?」 「はぁ? 安い挑発してんじゃねえぞ。それにおんなじほう賭けたら賭けになんねえだろうが。馬鹿が」 「じゃあ、ヨシツネさんが明日中に解決できる、に社長は賭けてください。俺は、ヨシツネさんに明日中に解決できる、に賭けます」 「そもそも賭けの前提として、俺が乗るなんて言ってねえし、なんでテメェが助力を捻じ込んでんだ? 足引っ張るの間違いだろうが」 「社長サン、落ち着いてな? ちょお、ちょお待ってな。ケイちゃん。あ、カネやん、ケイちゃんにお茶上げたって?な?」 「りょーかいです~」カネやんは空気を呼んで手を振ってくれた。  賭けはともかく、社長サンをクールダウンさせなければ。こんな修羅場を客に見られでもしたら、KREの信用は一気に急落下する。そんなことになれば俺の永劫パトロン計画が。  支部は1階のみで、2~3階は社長サンの私室になっている。  2階がキッチンとダイニングとリビング。  3階がバスとベッド。  特に3階には、俺しか入れたくない。とのこと。カネやんも2階までしか入らないという。  完全なプライベート空間。  靴を脱がせてベッドに座らせる。俺は可変可能なクッションソファをベッドサイドに引きずってきた。 「どないしたん? 明日でお別れやん。よお耐えはったな」 「お前はどっちの味方だ」社長サンがじろりと俺を見つめる。「そもそも俺は認めた覚えなんかないってのに。毎日毎日勝手に押し掛けて来やがって。俺がどんな思いでお前があの駄犬に勉強教えてるのを見てるのか、考えたことあるか?」  驚いた。  ケイちゃんをして、鬼でなく犬と表現するツワモノがここにいたとは。  さすが、次期KRE社長は怖いもの知らず。 「そらすまんかったな。せやけど別になんも思うてへんで? ほんまにただの駒やさかいに」 「信じられん」社長サンが俯く。 「どないしたら、信じてくれはる?」震えている社長サンの手を取った。  冷たい。 「言うてくれへん? 社長サン」 「俺のこと、どう思ってる?」  けっこう直接的な質問が来たな。 「好きやで」 「どのくらい?」 「せやな、ほうじ茶の次くらいかな」 「随分低くないか」社長サンが顔を上げる。長い前髪が眼にかかっている。  縋るような眼つきだった。 「俺の好きなもんランキングの殿堂入りがいてるん。そこには誰も敵わへんよ。俺を拾うてくれた社長サンも、ころころ俺に懐くケイちゃんも。誰も、誰も敵わへん」 「誰だ?」社長サンの眼線が鋭くなった。  その相手を射殺してやろうという強い眼光だった。 「実家にいてる」 「兄弟じゃないだろうな」 「お世話係、なんかな。俺の専属ゆうより、俺を含めてそこにいた全員の、な。絶対に届かへんの。そいつな、俺の上司とデキてはって。両想いやさかいに。俺なん、割って入れへん。アホやろ? なんでそんなん、好きになったんか」  社長サンの眼に絶望が差したのがわかった。 「じゃあ、俺がどんなに想っても、お前には」 「届いてはいてるよ。せやけど応えられへん。俺のここにはな」自分の胸を差す。「先約がいてるさかいに」  しまった。  落ち着かせるつもりが、ただの死刑宣告になってはいないだろうか。 「お前が俺を選んでくれることはないんだな?」社長サンがこちらを見ずに言う。 「せやね、いまんとこ。無理やね」 「わかった」社長サンが立ち上がる。「俺はフラれたってことか。まだ何も言ってないってのにな」 「せやね。すまんね。せやけどわかっとったよ。それ利用してスポンサになってもろうたんやさかい。卑怯な男やろ? 失望したのと違うん? 放り出すか?」 「誰が。俺を好きにさせるまで放さん」 「もの好きやな。好きにしたって」  それから、どちらともなく1階に戻った。社長サンはものすごくショックを受けたと思うが、外に出すまい、動じまいと踏ん張っている姿が健気だった。  申し訳ないとは思うが、引き続き利用はさせてもらう。  俺は、  そうゆう生き方しかできないから。 「お早いお戻りで」何かを察したカネやんが真っ先に社長サンに声をかける。「ちょうど紅茶を淹れたところです」 「もらう」 「社長! 勝負は乗ってもらえますか」空気をぶち壊す勢いでケイちゃんがカウンタ越しに大声を張る。 「まだいたのか、駄犬」社長サンの情緒がジェットコースタしているのがよくわかる。「自分の有能さを見せつけるのに必死だな、お前」 「認めてくれとは言いません。でも、譲りたくないんです。俺だって、ヨシツネさんのことが好きなので」 「はああ?」社長サンの顔が抽象画のごとく歪んだ。  やめてくれ。  俺のために争うのは。 「正々堂々勝負しませんか? ヨシツネさんがどっちを選ぶのか」 「お前じゃ勝負にならん」社長サンが言っている意味がよくわかった。  あんな話を聞かされた直後では。  誰も勝負にならない、と。身に詰まされた。 「やってみなきゃわからないでしょう? 違いますか」 「お前にはわからん。この話はここで終わりだ」社長サンが紅茶のカップを盆に戻す。「美味かった、カネイラ。ちょっと出掛けてくる。留守を頼む」 「いってらしゃいませー」カネやんがひらひらと手を振る。  社長サンは、本当に出て行ってしまった。  11時半。  成人していたら自棄酒コースになりそうだが。 「勝手にしろってことだと思いますよ?」カネやんが、立ち尽くすケイちゃんに言う。 「ありがとうございます!!」ケイちゃんが大げさに頭を下げて、俺に向き直る。「昼ごはん、何すか?」 「この流れでご飯なん? 神経太すぎるやろ?」  真剣勝負の話ではなかったのか。  この崩し方が、嫌いになれない一因でもある。 「最後の賭けなんで! 頑張ろうと思って!」 「頑張るために俺のメシ喰らいたいゆうこと? わーった。ええよ、作ったる」  これが、最後になるかもしれないし。  そのくらい塩を送るのもやぶさかではない。 「私の分もお願いしますね~」カネやんがニコニコと微笑む。「ちなみにメニューは?」 「まずは買い出しや。ケイちゃん、荷物持ち頼むわ」 「喜んで!!!!」ケイちゃんは嬉しそうにジャンプした。  両手が天井に着きそうだったのを、俺は見逃さなかった。  俺だって、もう少し成長すれば身長くらいにょきにょきと。      3  昼食はケイちゃんのリクエストでハンバーグを作った。生地を捏ねるのが面倒くさかった。けどケイちゃんが喜んでくれたのでまあいいか。  後で怒られるといけないので社長サンの分を冷凍しておいた。  13時半。  塾は18時からなのでまだ時間がある。  いや、もしかしたら。  塾に確認したら、首謀者の能登君は、16時には自習室に入るとのこと。  それにこれは反則かもしれないが、能登君の自宅を聞いた。生徒の住所をホイホイ教えてしまう塾の体制もどうかとは思うが、向こうももう腹を括ったということだろう。好意的に解釈しよう。  能登君の家は、塾からさらに一つ向こうの駅の閑静な住宅街にあった。駅からタクシーに乗った。タクシー代はあとで経費で落とさせる。  怪しまれるといけないので、近くの公園でタクシーを降りた。表札が出ているので間違いない。  能登。  典型的な、庭付き一戸建て。経済状況は、周囲の住居と比較しても中堅てところだろう。  勢いで来てしまったはいいが、さて、ここからどうする? 「いってきます」ちょうど図ったように能登君が家から出てきた。  やばい。  隠れるにしても、ケイちゃんが大きすぎて。 「何か、用?」鋭い視線で睨まれる。「俺の部屋から見えてたんだよ。こそこそやってるの」  やはり、  似すぎている。  まずい。  息の吸い方を忘れて。 「どうも、はじめまして! 俺とこの人は」ケイちゃんが得意の重低音で沈黙を切り裂いてくれた。  あ、  閃いた。 「俺と、このケイちゃんは、KRE(クレ)アフターサービス、通称・家楼(イエロウ)のもんです。依頼主に頼まれまして、ちょっとお話し、ええですか?」 「依頼主? 誰だ?」 「そら言えへんて。守秘義務ゆうんがおうてな」  ケイちゃんの助け舟と、追い詰められた自分の最高の思いつきのお陰で平静を取り戻しつつある。  家楼。  なかなかいいじゃないか。 「君たちに構っている時間はない」能登君が勿体つけて腕時計を見る。「そういえば君、昨日、塾にいたね。ああ、なるほど。そういうことか」  さすがなんたら学院を受験するだけのことはある。その学校のすごさは一ミリも知らないが。  依頼主のことが一瞬でバレた。 「僕にあれをやめさせるように言われたんだろ? やめないよ。誰にも迷惑をかけていないし、誰ひとり損をしていないんだから」  家から母親らしき女性が顔を出した。弁当(夕食)を忘れたから追いかけようと思ったらしい。  能登君が、一瞬でバツの悪い顔になった。  これは、チャンスだ。 「お友だち?」母親が息子とその他を見比べる。 「はい、塾の友だちで、藤都(ふじみや)ゆいます。今日、能登君と一緒に行く約束しとって、迎え来させてもらいました」 「同じく、群慧(グンケイ)です」 「あら、群慧って、経慶(けいけい)寺の?」能登母が驚いたように口に手を当てる。「まあまあ、これはどうも。いつもお世話になってます」  ほら、ケイちゃんの(家の)知名度はこの辺りでもなかなかじゃないか。  無暗に連れ回せない理由がここにあるが、いい方向で使えるなら逆に利用できる。 「母さん、ありがとう」息子が母親から弁当を受け取る。「これはもらってくから、あと気にしないで」 「そうなの? 塾、頑張ってね。藤都君も、群慧君も、どうぞよろしくね」 「いってきます、」 「お前の母親じゃない」母親が家に入ってから能登君が真っ赤な顔で言った。「なんだよ、悪いか。母親に塾の弁当作ってもらってて」 「いや、ええのと違う? 俺なん、母親から弁当なん、作ってもうたことあらへんわ」 「え」  そう言って停止したのは、能登君かケイちゃんか。両方か。 「母を巻き込むな」能登君が足を進める。 「ほんなら時間もらいましょか?」 「自習室が開くまでだ」  16時まで。  充分。  塾の最寄り駅まで移動して、駅近隣のカラオケに入った。土曜日のせいかなかなかに混み合っている。部屋が空くまで15分ほど待機した。  ドリンクバーでジンジャーエールを注いだ。ケイちゃんはコーラ。能登君は温かい紅茶を淹れていた。  部屋内がうるさかったので、まずはスピーカからエンドレスで流れる音楽をミュートした。  席はLの字。  角に俺、奥にケイちゃん。手前に能登君が座った。 「ほんなら、なんじょう、あないなことしてはるんか、聞こか」 「単刀直入だね」能登君が少し面食らったようだった。「時間もないし、言うよ。馬鹿が多すぎるんだ」 「塾長さんに聞いたら、自習すべきゆうて喝入れた、て」 「生意気だと思うか? 事実を言っただけなんだけど」 「事実て」  正論はたいていの場合、振り回す棍棒にしかならない。 「入りたい学校に合格するために勉強してるんじゃないのか?」能登君が言う。「そのために塾に行っているんじゃないのか? それなら努力すべきだろう?」 「その努力が、塾内一位の答案を堂々と丸映しすることなん?」 「努力をするつもりがなさそうだったから、楽をさせて思い知らせてやろうとしただけさ。本番で気づけばいい。自分の実力のなさを」 「ほんで、自分が不合格()ちた憂さは晴れるん?」 「君は俺を責めたいのか? 単に辞めさせたいだけだろ? 辞めるよ、GW明けには別の塾に行く。レベルが低すぎる。もっと雰囲気の良いところを見つけたんだ」 「いつからこないなことしてはったか知らへんけど、塾内一位の答案写し続けた生徒はどないなるん? ここまでの分、学力ゼロやで?」 「でもいいにはなっただろ? もういいかい?」能登君がわざとらしく時計を見て荷物を持とうとする。 「ちょい待ちィ。まだ時間と違うやろ?」呼び止めた。「能登君、俺んとこ来ィひん?」 「え?」黙っていたケイちゃんが間抜けな声を上げた。 「君は何を言ってるんだ?」能登君も少なからず混乱している。「だいたい君は一体何なんだ? KREてあの岐蘇不動産だろ? なんで君みたいな中学生があの大企業で末端のバイトみたいなことをしているのか」 「せやね。鎌倉支部の支部長さんとこでバイトさせてもろうてます。せやけどバイト代は出ェへんさかい。そこんとこ勘忍な?」 「わけがわからない」能登君がメガネのブリッジに触る。「わけのわからないバイトをさせられた挙句、バイト代は出ない? 冗談じゃない。そんなわけのわからないところに」 「せやけど、オモロいえ? 俺はオモロい思うとる。オモロいん、だいじや思うけどな」 「面白くても役に立たなかったら、望み通りに行かないなら面白くないだろ?」 「お、それが本音なん? 初めて本音ゆうてくれはったね」  思い通りに行かない不条理に抗っていたのだろう。  行きたい中学に不合格を突きつけられれば、誰でも投げ遣りになるのか。 「いますぐやのうてもええよ? ゆっくり考えてくれはったら」  能登君が黙り込んでしまった。  俺の持ってきたジンジャーエールはだいぶ炭酸が抜けている。もともとそんなに炭酸が強くなかった可能性。 「ケイちゃんカラオケするん?」 「え、あ、俺は」ケイちゃんは、急に話を振られてビックリしたようだった。しどろもどろになっている。 「せやろな。元お仲間ならともかく」 「具体的に何をするんだ? その、バイト内容は」能登君が口を開いた。 「なんでも。基本、なんでも屋さんやさかい。せやから、塾の集団カンニングを止めろゆう無茶ぶりにも応えるし、暴れまくりよってた不良グループの恒例花見会もストップさせるし」  ケイちゃんがコーラでむせた。  思い当たったことがあったのだろう。 「わかった。気が迷ったら、連絡するから、連絡先を交換してもいいか」能登君がケータイを出した。  よし。  落ちた。 「ほんなら、今日からやめはってね。塾長さん喜ばやるやろな」 「どうだろうね」  カラオケには1時間ほどいた。長めに時間を取ってくれたほうだと思う。  自習室が開くまでまだ30分ほどあったが、これ以上能登君を引き止める方法を思いつかなかった。  楽しかった。  実家にいるあの人と、話しているみたいで。  中身は全然違うが、顔がそっくりなせいか、声も似ているような気がした。 「ヨシツネさん」ケイちゃんが、能登君の背中が見えなくなってから言う。「さっきの能登ってやつ、好きなんすか?」 「はあ?」  野生の勘か?  当たらずとも遠からず。いや、合ってないしだいぶ遠い。はず。 「なんでそうなるん?」 「だって、そんな顔のヨシツネさん、見たことないです」 「そんなって、どないな顔や」 「惚れてる顔です」 「気のせいやろ」 「気のせいじゃないです。もし違うならちゃんと否定して下さい」  ケイちゃんが真正面に立つとなかなかの壁具合で日影ができる。いや、さすがに大げさか。  でも圧迫感は相当のもので。  両肩に手を置かれたら、生半可なプレッシャーではない。 「ケイちゃん、放してェな。ここ、目立つさかいに」  駅前の往来で話すような内容ではない。 「すんません」ケイちゃんがしゅんとする。「気を付けます」  塾に顔を出して、おそらく解決だと塾長に告げた。塾講師控室はあわやお祭り騒ぎになりそうな活気に包まれた。  支部に戻って、社長サンに報告する。 「お前だけの手柄じゃないか」社長サンはケイちゃんを見上げながら言う。「賭けは俺の勝ちだな」 「ホントに解決したんでしょうか」ケイちゃんが静かに言い返す。 「どういう意味だ?」  ケイちゃんの勘は見事に的中した。  その日の22時。  塾長から社長サン宛てに連絡があった。  確かに能登君はもう答案を見せないと言った。が、周りの生徒がそれを許さなかった。なぜ昨日まで見せてくれたのに今日は駄目なのか。納得いく説明をしろと、馬鹿な頭で騒ぎ立てた。  能登君は抵抗したが、その中の一人が、能登君に殴りかかった。  能登君は手を出さなかったらしい。  能登君は、  顔を負傷した。      4  翌日、日曜。  10時。  塾長さんが支部を訪ねてきた。 「親御さんのところに謝りに行ったよ」塾長さんはスーツ姿だった。能登君の家に行ってきた帰りだろう。「本当は昨夜行きたかったんだが、そのまま病院に連れて行ったから。まさか、こんなことになるなんて」  カネやんが二人分の紅茶を用意した。  塾長と、能登君の担当の数学教師の分。数学講師は感情が表に出やすいのか、とても憔悴していた。 「これから我々はどうすればいいと思いますか?」塾長が社長サンに聞く。 「それを私に聞きますか?」社長サンは冷静だった。「警察に届けるかどうか、ですか? の親は何と?」 「怒っているというよりは、とにかく能登君の心配をしていましたね」塾長が答える。「ついこの間、朱雀学院に不合格したばかりでしょう? 心機一転頑張ろうとしていたところに、この仕打ちでは」 「まずは、側をあなた方の塾から遠ざけることですね。もう手を打たれたとは思いますが」 「ですよね。我が校始まって以来の素晴らしい学力の持ち主だったので、今後を期待する意味でも有難かったのですが」  塾長と数学講師が帰って行った。  11時。 「ヨシツネさん」ケイちゃんが切羽詰まった様子で言う。「能登のところに行きませんか?」 「せやかて、いまはさすがに」  ちょうど、能登君からメールが入った。  時間が取れるなら会いたい、と。 「ケイちゃん、やっぱ、なんやら霊感みたいなのん、あらはるん?」 「なんとなく、です」 「行くのか?」社長サンは止めなかった。「うちのモットーは、最後まできっちりだ。それが例え、依頼人からすると迷惑な首謀者だったとしても」 「いってくるわ」  昨日挨拶しておいたおかげで、能登母は俺とケイちゃんを歓迎してくれた。先ほどまで別の友人が来ていたらしい。 「急に呼んでごめん」能登君は自室に入れてくれた。  能登君の人柄を表したような、飾り気のないシンプルな部屋だった。窓際にデスク、参考書の詰まった本棚、しわひとつないシーツで包まれたベッド。中央に丸いちゃぶ台があり、来客がいた痕跡として、空のティーカップが出しっぱなしだった。 「適当に座ってくれ」能登君が座布団をくれた。 「大丈夫なん?」  能登君の顔は痛々しかった。眼の周りの色が変わっており、口の脇をガーゼで覆っていた。  眼鏡も壊れてしまったらしい。昨日とは別の眼鏡をしていた。 「ちょっと痛いけどね。自業自得ってやつだよ」能登君が頬を掻きながら言う。 「呼ばはったんは」 「君の申し出を断ろうと思ってね」  そっちか。  絶対にいけると思ったのに。 「でも声をかけてくれたのは嬉しかった。俺、あんまり部活とか、友だちとかいなかったから」  昨日会ったばかりの自称友人をいきなり自室に招いたのは、親に聞かれたくない秘密の話をする為だけではなかったらしい。  彼は、他人との適切な距離感がつかめていない。 「まあ、ええわ。気ィ変わったらいつでも、ゆうてくれはったら」 「聞こうと思ってたんだけど、関西の人?」 「関東民はそないに俺んこと珍しいんかな?」 「目立つよ。やっぱり特徴的だし」 「京都からな。この4月から引っ越したん。よろしゅうな」 「ちゃんと自己紹介してなかったね」能登君が握手を求めてくれる。「俺は、能登教憂(ノトのりうき)。制服見てもわかんないかもしれないけど、その近くの公立に通ってる」  部屋にかかっていた制服を能登君が目線で示す。会うときいつも着ているブレザーだった。  けっこう大きな手。  よく見ると割とガタイがいい。180センチあるケイちゃんほどではないが。 「君は?」 「ああ、直接は言うてへんかったかな? 藤都巽恒(ふじみやヨシツネ)や。どうぞ、よろしゅう」 「俺は、群慧武嶽(グンケイむえたけ)だ。よろしく」 「よろしくお願いします。高校生ですか?」 「そう見えるやろ? 実は小六なん」 「嘘だろ?」  能登母が紅茶を持ってきてくれた。昼ご飯を食べて行かないか聞かれたがさすがにお暇すると伝えた。  そろそろ12時。 「今日は本当にありがとう。気が楽になった」能登君が玄関まで送ってくれた。「困ったときはまた相談するかも」 「いつでも。そんための家楼《イエロウ》やさかいに。これからもどうぞ御贔屓に」  ケイちゃんがぴょこりと会釈したのを見届けて、外に出る。  残念。  メンバー増員ならず。 「ヨシツネさん」ケイちゃんが言いにくそうに切り出す。  最初はタクシーで来たが、徒歩でも行けなくない距離だったことがあとでわかった。現に能登君は自宅から駅まで歩いていた。 「なんや? 惚れた腫れたの件やったら」 「賭けなんすけど、俺は、貢献できたでしょうか」  忘れてた。  リミットは今日。 「せやな。一緒に来てくれたんは心強かったけど、なんか貢献したかゆうとな」  うまいことフェイドアウトできるかもしれない。  決して邪魔なわけではない。個人的には稀有で欲しい人材ではある。  が、如何せん俺に懸想しているのが唯一絶対の問題であって。 「すまんな。俺にはどうしようも」 「諦めろってことでしょうか」 「社長サンに土下座したっても無理やろな」  俺への気持ちを完全に捨てるというならまだしも。 「諦められるん?」 「無理っす」  だろうな。  社長サンへのご機嫌取りのために、昼食の材料を買って帰った。メニューは麻婆豆腐と玉子スープ。あまり辛くするとケイちゃんが食べられないので加減した。簡単に言うと辛さのグレードを一つ落とした。 「最後の晩餐だな」社長サンが嫌味を言う。 「晩ご飯と違うやろ」  ケイちゃんは特に反論せず黙っていた。  カネやんはいつも通り二食分平らげた。  14時。  昼食が遅くなったのでこんな時間。 「さあ、お前の仕掛けた勝負とやらだが」社長サンが上機嫌で言う。自席で邪悪な笑みを浮かべている。「結果は言うまでもないだろ? お前は何の役にも立たなかった」  ケイちゃんは何も言わない。  どうした? 「ケイちゃん?」 「ちょっと、いってきます」ケイちゃんは突然支部を出て行った。 「負け犬の逃走だな」 「社長サン、言いすぎやで」  15時。  天気予報では晴れだったのに。  急に雨が降ってきた。  と、いうことは。 「買い物か」 「買いもんやな」  社長サンとハモった。  すでにメールがぼかすか届き始めていた。      4*  過保護な親が1時間ごとに様子を見に来て落ち着かないので、勉強するからと言って家を出た。塾側にはしばらく自宅待機と言われたが、図書館では気が散って勉強できない。せめて自習室くらい使わせてくれるだろう。まだ俺の席はあるはず。月謝制で日割りなんかないはずなので。  にわか雨。  16時。  塾はビルの3階。階段を上がろうとしたところ、私服の生徒がずぶ濡れで階段に転がっているのを見つけた。  大丈夫か、と声をかけようとしてやめた。  彼は、昨日、俺を殴ったあいつだった。  怪我をしているようだった。  脚も折れているようだった。  どうしよう。  警察?  救急車?  とりあえず塾に電話した。 「ええ、はい、下りてきてもらったら」  塾長と講師たちは大慌てで救急車を呼んだ。俺は邪魔にならないように隠れてた。第一発見者が誰かだなんて、だいじな生徒が怪我して力なく倒れているのを見たら吹っ飛んでしまったのだろう。  赤いランプの回る白い車がいなくなって、野次馬がそこそこいなくなった頃。  俺は階段を上がって自習室へ向かった。  階段には血が付いていた。  すぐにわかった。  彼は、のだ。  雨が上がった。      4**  15時45分。  雨宿りのために適当に店を物色していたがあきた。  誰かが尾行けて来てる。  明らかに、視線を感じるのに。  振り向くと誰もいない。  あんなに凶悪な存在感なのに。  一緒にいた連れも何も感じないと言う。  あれか?  霊感てやつか?  やべえな。  塾まで時間あるし、もうちょい遊んで。 「おい」  路地裏に連れ込まれた。  雨が、  当たるってのに。  巨大な影がそこにいた。 「あ? なんだよ。何か用?」 「眼に何発? 頬に何発だ?」 「あ?」  答えるより前に顔に衝撃。  殴られた。  闇が、  殴ってきた。 「なにすん」  また殴られた。  やべえ。  逃げないと。  連れは気づいていない。  大通りに出て走る。  闇は光の下では追って来ないだろう。  やばい。  とにかくやばい。  塾の近くで助かった。  自習室はまだ開いてないだろうが、ここに逃げ込めば。 「いいか? テメェは階段から落ちた」  階下から低い重低音が鳴った。  振り返る。  までもなく。  足が滑って。  声を上げれば誰か助けてくれたんだろうが。  なんで?  声が、  出ない。  がたんがたんがたん。  落ちてるのがわかる。  そうか、  俺は。  んだ。  しばらくして救急車のサイレンが聞こえた。      5  18時。  ケイちゃんは結局戻って来てない。  おかげで社長サンの機嫌がウナギ登りで。買い物代行も鼻歌を歌いながら、いつもより足取りが軽そうだった。  そんなにも邪魔か。  まあ、そうか。  昼に買っておいた食材で夕食を作って、3人で一緒に食べた。  19時。  カネやんが事務所の戸締りをしていたので俺も帰ることにした。  夜間切り替えしようとしていた電話が鳴る。  カネやんが営業声で出る。  塾長かららしい。  社長サンが出た。  連絡が遅くなったが、夕方頃に塾の階段で生徒が怪我をした。  階段から落ちたらしい。  昨日、能登君を殴った生徒が。  どことなく嫌な予感がしたのは、社長サンも同じだった。  まさか。  いやいや、急に席を外したからと言って。  いや、でも。  元・鬼の首領なら。  いや、さすがに。  20時。  一秒でも長く一緒にいたそうな社長サンを宥めるために、自宅まで送ってもらった。  徒歩15分程度の距離を。  俺の家の前に、黒い塊が立っていた。  外灯が暗いが、そんなに大きな知り合いは一人しかいない。 「おつかれさます」ケイちゃんは見た目だけならいつも通りに見えた。 「あ?何やってんだ?」社長サンがケイちゃんに詰め寄る。 「待ち伏せはあかんやゆうたやろ?」社長サンを引き剥がす。 「もうすぐ」 「ん?」  ケイちゃんがそう言った直後、  俺のケータイが鳴った。 「ごめん、いまいい?」能登君からだった。「そこに群慧君いる?」 「いてるけど」ケイちゃんにケータイを渡した。 「ああ、うん」ケイちゃんが通話に応じる。「そうか。だろうと思った」  ケイちゃんがケータイを俺に返す。  社長サンに聞かせるためにスピーカにした。 「群慧君にはわかってたぽいけど」能登君が電話口で云う。「あいつが、昨日俺を殴った奴が」  塾の階段から落ちて大怪我をした。  救急車で運ばれてそのまま入院になった。  先ほど塾長から聞いた内容とほぼ同じ。 「これって、何か知ってる?」  背中に、  再度うすら寒いものを感じた。 「群慧くんにありがとうって言っておいてほしいんだ」 「そんなん直接」ケイちゃんにケータイを渡そうとしたが。  いない。  社長サンが忌々しそうな表情で見つめている先に。  黒くて大きな背中が見えた。 「君のとこの、なんだっけ? 家楼(イエロウ)。いいね。楽しそう。誘われたの、もうちょっと前向きに考えようかな」  しまった。  社長サンの顔が「悔しい」から「疑問符」に変わる。 「じゃあ、それだけ。ありがとう」電話が切れた。 「ツネ、なんだ? イエロウ?てのは?」  まずい。  名乗るより先に許可を云々とか言われてた気がする。 「ま、まあ、プロトタイプゆうの? ちょお追い詰められてその場のテンションでな。ええやろ? KREのイメージカラー、確か黄色やろ? そこからぴぴっと着想してな」 「そうじゃない。お前、また誘ったのか?」 「ま、まあ落ち着いてな? フラれてしもうたん。せやから」 「お前誰にでも言ってるのか?」社長サンが悲痛そうに詰め寄ってきた。「どういうことだ? 俺には脈がないとか言っておいて。俺は、昨日、どんな思いで」  このまま大人しく帰ってもらうには、  俺の家に上がらせてしっかり事情を説明するしかなさそうだった。  ああ、めんどくさい。  追記。  ケイちゃんは次の日からあくまで“臨時バイト”という枠でなんとか認めてもらえた。  社長サンは業腹極まりないといわんばかりに床を踏みぬかん勢いだったが、依頼人からだけならまだしも、まさかの首謀者からお礼の言葉を直接聞いたのだから、もはや言い逃れはできまい。  賭けは、  見事ケイちゃんの勝ち。  ところで、能登君を殴った彼は、誰に聞かれても判で押したように、自分は階段から落ちたと主張しているようなので、実際に階段から落ちたということで処理されたらしい。  本当に?  真相は闇の中だが、俺は十中八九ここでいそいそと漢字の書き取りをしている元首領が関係しているように思えて仕方がない。  本人も、能登君も何も言わないのでそれ以上は追及しないが。  けっこう末恐ろしい部分を隠し持っている二人なのかもしれない。  あと、どさくさに紛れて“家楼”はオーケーが出た。  これも、能登君の家の近くの電柱に付いてたKREの真っ黄色の看板のおかげ。      次回予告  能登君にはフラれたものの、能登君の親友ととあるきっかけで知り合った。  昔のことなのであまり開示はしたくない。  お次の依頼は、ちょっと待って。  なんで行きつけになろうとしたお茶屋さんで、立てこもりの人質になってるんだ?  同じく人質になったのは、老紳士な店長と感じのいい店員と、さらにもう一人。 「お互い、トイレ間に合ってよかったですね。お兄ちゃん?」  笑顔の貼りついた胡散臭いクソガキ。 「あなたに会いたかったからに決まってるじゃないですか」  次回 第6話 『キ(ツネ)とタ(ヌキ)の化かし合い』  能登君の親友は機械をいじくるのが趣味だとか。  こみゅにけーしょんカノウ。つなガレマス。

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