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第6章 キ常とタ貫の化かし合い

     0  小さい頃お世話になったおじさんが亡くなった。  俺と弟はとてもお世話になったのでとても悲しかった。  そのおじさんの手紙を、とある中学生が家まで持ってきてくれた。  彼なんと驚くことに、  俺の声が聞こえた。  いや、聞こえたっていうのは正しくないな。  俺は耳がよすぎて自分の声すらうるさいからしゃべらないことに決めた。  だから、文字式メッセージていうメールみたいな文面を直接脳に送ってる。  いままで弟と、ノリウキにしか届かなかったのに。  驚きを飛び越えて、  これは奇跡だとか言っちゃう。  また来てくれると行っていた。  こっちから行っちゃおうかな。    ******  武世来(ぶぜらい)元首領の陥落。  武世来の実質的解散。  武世来を隠れ蓑にしていた薬物市場の壊滅。  そして、個人塾の集団カンニングの解決。  が、この一カ月足らずで関わった事件の多さと重要さに思わず。  口の中が唾液で潤った。 「お前、あそこにいたんだろ? 見てないの?」  金の髪が闇の中でも光る。  僕のはメッキだけど、彼のは地毛。 「全体的に色素の薄い、学ランの中学生でしたね」 「そんなことは知ってるんだよ」腹が立ったのでその綺麗な髪を掴んだ。「その場にいたんなら、他に何かわかったことがないかって聞いてるんだよ」  彼は抵抗しない。  僕が彼の髪を気に入っていることを知っている。  そして、この眼。  綺麗な碧。  よく宝石のようだと言うけど、宝石なんかよりよほど綺麗。  だって、潰せば赤黒いしぶきが飛び散るんだから。 「聞いてる?」 「はい、彼――藤都巽恒(ふじみやヨシツネ)は、塾の中でというより個人的に能登教憂(ノトのりうき)に接触して、彼の心を解きほぐしたというか、自分の側に引き込んだようで」すね、を言わせなかった。  髪を引っ張って、上を向けさせる。  碧の眼に、  ボールペンの先を突きつける。 「もう一回だけ聞くよ。他に何かわかったことはない?」 「ない、です。申し訳ございません」  金の髪ごと床に捨てる。  散らばったペットボトルに背中をぶつけたような音がしたが知らない。  使えない。  いっそ、自分で。  そうか。  そうすればいいんだ。  第6話 キ(ツネ)とタ(ヌキ)の化かし合い      1  カネやんの紹介してくれたお茶屋さんに一人で行ってみた。  行ったのはこれで二回目。  一回目はもちろんカネやんに案内してもらって、社長サンもおまけで付いてきた。  日本茶の専門店ということで、一見さんは入りにくい独特の閉鎖的な雰囲気があったが、一度来た客のことはしっかり認識してくれているようで、売り場担当の店員は、二回目の俺にも丁重に挨拶をしてくれた。  他ならぬ、あの岐蘇不動産ことKRE鎌倉支部のスーパー事務員・カネやんが紹介してくれたという事実が大きいのかもしれない。そっちか。  ほうじ茶だけでなく、緑茶、和紅茶なんかも扱っている。頼めばその場で試飲もさせてくれる。  新茶の季節なので、売り場の主役は眩いばかりの緑色が占領していた。 「これはこれは」奥から店長が出てきて俺の横を素通りして行った。「ご連絡いただけましたらご用意していましたのに」 「ちょっと時間があったの。入ってるんでしょ?」パンツスタイルのスーツがよく似合う髪の短い女性が入り口のドア(手動)を開けた。目算30代かそこら。 「ええ、ちょうど今朝。どうぞ奥へ。すぐにお持ちいたします」  相当のお得意さんなのだろう。顔パスで奥の特別室に案内された。  俺の隣を横切る際に、上から下まで高速スキャンされた気がするが、場違い感が逆に物珍しかっただけだろう。その手の視線は慣れているのでどうということはなかった。  俺がほうじ茶を物色していると、先ほどの女性が売り場に戻ってきた。きょろきょろと店内を見回して俺を見つけると、「ちょっと来なさい」と無理矢理店の奥に連行された。(実際に連行したのは店長だが)  店の奥は、衝立で三方を囲んだ、6畳ほどの和室になっていた。靴を脱いで高そうな座布団に座るように促された。 「あの、なんで」 「ちょうど新茶が入ったの」女性が自信満々に言う。「お茶に興味があるんでしょ? ちょうどいいわ」 「せやから、あの、何がちょうどええのか」 「関西弁?」女性はビックリしたようだった。 「ええ、京都です。この春に引っ越して」 「そういえば、そこの学校ね。見たことある制服だと思ったら」  黒光りする漆塗りのテーブルに、これまた高そうな湯呑茶碗。店長の手で、鮮やかな緑色の茶が注がれる。  とてもいい香りがした。 「今年も最高ね」女性が満足そうに一杯。「急がなくていいから、いつのもとこ。送っておいて」 「畏まりました」店長が丁寧に頭を下げた。 「いいのよ?」女性が俺に言う。 「ほんなら、いただきます」  香りからして美味しいのはわかっていたが、味はまろやかで甘い。  玉露だ。  ほうじ茶党だったが、これだけ美味しかったらたまに緑茶に浮気してもいいくらいだった。 「どう?」女性が期待を込めた聞き方をする。 「うまい、です。せやけど、むっちゃ高いのと違いますか?」  なにせ玉露だ。 「この子にも一つ、持たせてあげて?」女性が店長に申しつける。 「え、そないなことまで」 「遠慮しないで。これも何かの縁よ」  タブレットと手帳を抱えたスーツ姿の男が、女性を呼びに店の奥に入ってきた。 「ちょっと、まだ早いでしょ?」と言いながらも女性はしぶしぶ立ち上がる。「わかってるわ。移動時間的に間に合わないんでしょ。まったく、ゆっくりお茶も飲めないの、なんとかなんないの?」  おそらく女性の秘書だろう。おろおろと女性の上着を受け取るが、特に言葉は発しない。 「ありがとう。急に来たのに準備させて」女性が店長に言う。そして、俺に向き直る。「あなた、名前は?」 「藤都(ふじみや)です。お茶、ありがとうございます」 「へえ、おおきにって言わないのね」女性は興味深そうに笑う。「私はモトエよ。そうね、なんでも好きなの選んでいいわよ。この子の分、私のとこに付けといてくれる?」 「え、お茶までもうたのに。そないな気ィまで遣うてもろて」 「また来るのよ? そのときまた美味しいの飲ませてあげる」そう言うと、女性は秘書と共に颯爽と店を出て行った。  出入り口の扉を開けた秘書が女性を「社長」と呼んでいたのが聞こえた。  こちらも社長さんか。  社長と縁があるのか?      2  結局、昨日は最高級の玉露をもらった上に、買い置きのほうじ茶代まで奢ってもらった。よほど羽振りのいい社長なのだろう。どこの会社か聞いておくべきだった。  モトエさん、とゆったか。  胸部装甲がそこまで頑強でなかったおかげで、隣で茶をしばいても特に吐き気はせり上がって来なかった。  危なかった。さすがに初対面の女性の前でオールリバースは勘弁。  5月頭。  世の中はGW真っ只中。  社長サンのところのKRE鎌倉支部には休日も祝日もなく、毎日相変わらず何かしらの依頼をこなしている。晴れなら出張サービス、雨が降れば買い物代行。  土壇場で閃いた、家楼(イエロウ)という屋号も我ながら口触りと耳心地がよく、名乗りたくてうずうずしているのを社長サンに見抜かれて溜息を吐かれている始末。  ケイちゃんもなんやかんやで引き込めたし、能登君にはフラれたけど脈がないわけじゃないし。 〉〉ねえ、俺も付いてっていい?  もうひとり、  増えたことを除けば。  屋島嗣信(ヤシマつぐのぶ)。  隣の市の中学に通う二年。背格好が小柄なので年下に見えたがまさかの年上だった。  昔関わったからの手紙を託されて、一昨日、届けに行った先で出会った。  彼は元客だった男の甥。  似ているかと問われれば客の顔なんかいちいち記憶していないが、やけに小柄なのが血筋なのだろうかとも思ったりした。 「どこで拾ってきた」社長サンの言い分はもっともだ。  もっともなのだが。 「ま、ちょ、ちょお、行ってくるわ。優先依頼おうたら呼んでな?」  屋島を連れて支部の外へ。おのずとケイちゃんも付いてきた。  支部が大通りに面している壁はマジックミラーなのでこの場所はまずい。丸見えだ。  移動しながら話すとしよう。 「なんじょう、ここ、わからはったんやろ?」  まずはそこから。  昨日手紙を届けはしたが、そのときに発信器でもつけられたか? 〉〉だって有名でしょ? 天下のKREだよ? 「せやのうて」  どうして俺が、KREの一部だとわかったのか。 〉〉関西弁で学ランの中学生って言ったら、ここらへんではそこそこ有名だよ? 「そうなん?」  名が売れて喜ぶべきなのか。 「ま、まあええわ、突き止めるんは簡単やったとしても、なんじょう追って来たん? ご依頼やろか」  緊急で重要そうな依頼が入らないときは管理物件の清掃をしている。支部で社長サンと顔を突き合わせているよりよほど建設的だから。ケイちゃんをあの空間に置いておくのが気まずいとも言い変える。  ローテーション的に、今日は例のマンション。あの胸部装甲の分厚いマンガ家が住んでいる。  なぜよりによって、ここ。  一個飛ばすか。いや、でも来てしまったし。 〉〉依頼は、強いて言うならあるけどさすがに無理でしょ? 「なんやろ」  ケイちゃんと屋島に道具を手渡す。ケイちゃんは鎌で中庭の草狩りを、俺と屋島は箒とモップでマンションの廊下を掃除するという分担。マンションがコの字なので、ケイちゃんの仕事ぶりはこちらから常に見える。監視なんかしなくても問題はないのだが、俺が別の、しかもさっき来たばかりのよくわからない彼と一緒にいることで。 「別に、大丈夫すよ」ケイちゃんが力強く頷く。  そうか。ケイちゃんの嫉妬レーダには引っ掛からなかったか。社長サンのが過敏すぎるだけか。  屋島と一緒にエレベータで最上階まで。掃除の基本は上から下。 「さっきゆうとった依頼」 〉〉うん、おじさんがどうして死んだのか、知りたいって頼んでも無理でしょ?て話。 「心臓止まったからと違う?」 〉〉意地悪なぞなぞだね。うん、ごめん。この話なしで。  俺の言い方でピンと来たのかもしれない。  叔父の死因に俺が関わっていることが。 「ところで、、なんなん? 喋ってへんやろ?」  屋島と話すとき、頭の中にすっと文字が入ってくる。耳から聞こえるわけではなく、直接送られてきた文字列が頭の中にいる。すごく不可思議な感覚がある。 〉〉俺は文字式メッセージて呼んでる。言ったっけ? 耳が聞こえすぎるから喋らないことに決めたんだ。 「不便と違うん?」  この文字式メッセージとやらが届く相手が限られるように思うのだが。 〉〉大丈夫。話したい人、少ししかいないしね。その人に届けば問題ないよ。 「ほんなら届いてはるんやな? その話したい人に」 〉〉弟と、親友と。  屋島が俺を指差した。  モップを動かしていた手が止まったので注意した。5階建てなので頑張らないと午前中には終わらない。  10時半。  すれ違う住人に挨拶しながら、私語は控えめに。マンガ家が突然ドアから出てこないことを願って、静かに掃除を。  男女の争う声が漏れ聞こえてきた。朝っぱらからお元気なことで。 「ああ、いいところに」住人の主婦がこちらに寄ってきた。  胸部装甲はほどほど。眼を逸らせば何なんとか。  耐えるしかない。 「どないしたんですか」 「もうね、毎日朝から晩までこんな感じなのよ」別の主婦が合流した。  こちらは赤子で胸部が隠れているのでありがたかった。全女性は胸部で何かを抱いていてほしい。 「うちもね、疲れて帰ってきた旦那が機嫌が悪くなるのよ。夜も眠れないって。なんとかしろって、私に言われても」また別の主婦がやってきた。  わらわらと、主婦が5人ほど集合して、銘々お困りごとをこぼしてくれたが、まとめると。  なるほど。  武世来のときとまた違った意味合いでの騒音問題か。 「部屋、わからはります?」  305号室。ちょうどマンションの真ん中に位置する部屋だった。  部屋の前まで来たが、これはさすがに。耳を塞ぎたくなるような怒号が飛び交っている。投げた物が割れたような音もひっきりなしに。 「さっき、朝から晩までゆうてはりましたけど」 「つい2週間前だったかしら。このお宅、夫婦で引っ越してきてね。私、すぐ下の家だから音が響いて響いて」最初に話しかけてくれた主婦が言う。 「私はすぐ隣なの。もう、何喋ってるのかまで聞こえるのよ? ここ、あんまり壁薄くなくていいわって思ってのに」赤子を抱いた主婦が言う。怒号の音声に近づいたせいか、ぐずり出した。「ああ、ごめんね。お外行こうね。ごめんなさい、ちょっと行ってくるわね」 「赤ちゃんがいて、こんなの毎日聞いてるんだから本当に参っちゃうわよ」また別の主婦が言う。「ねえ、支部長さんのところでなんとかならないの?」  がしゃーん。  食器が割れたような音が。 「私からもお願いするわ。というか、このマンション全体のお願い」 「出てってくれとは言わないわ。さすがに来たばかりで。ご挨拶されたときはいい感じの奥さんだったから仲良くできると思ったのよ。でも夫婦仲で悩んでらしたのね」  頼むから。  お願いだから距離を詰めないでほしい。 〉〉両方共ホントのことを言ってないね。 「ん? なんやて?」  屋島の文字式メッセージとやらが届いて反応してしまったが、如何せん、主婦たちには聞こえていないし見えてもいない。 「ああ、こっちの話やさかいに。ちょ、ちょお離れてくれへんかな。行ってくるわ」 〉〉俺も行くよ。  主婦たちはまさか直接訪ねていくとは思っていなかったらしく、面食らったように後ずさりした。305号室の周りだけさーっと空間が開いた。呼び鈴を押そうとすると、ドアの陰になる位置に主婦たちが隠れた。 「すんませーん。KRE鎌倉支部」お、名乗れる。「家楼のもんです。ちょお、お話しええですか?」  どかんどかんと床を踏み鳴らす音がして、やや間が合って(ドアスコープをのぞいたのだろう)、インターフォン越しに声がした。「はい? 宗教なら間に合ってます」と言ってがちゃりと切られた。  想定内。 「すんませんけどー、ここの管理のもんです。社員証見ます?」それっぽいのをカネやんに作ってもらった。もう一度呼び鈴を押して喋った。  主婦の方々とはすっかり顔馴染みだが、フツーはドアスコープをのぞいて学ランの中坊が立っていたら警戒するだろう。 「大丈夫すか」ケイちゃんがやってきた。鎌を危なくないようカバーで覆い、タオルで首の汗を拭っている。「手伝いましょうか」  ケイちゃんの物々しいオーラがそうさせるのか、見守る主婦たちがさらにもう一歩後退した。 「騒音問題やさかいに。そっちにも聞こえてたんやろ?」  どーん。  何か重いものが床に落ちた音だ。  ここまでくるとそもそも騒音でなくて器物破損の破壊工作では? 「すんませーん、管理のもんですー。お話ええですかー?」 〉〉女の人は男の人を心配してる。仕事探してるのに面接落ちまくってて。 「ん?」  屋島がドアの真ん前に立って、じっとドアを見つめている。 〉〉ちょっと耳を解放してる。仲裁できるかもしれない。 「ほお、そらええわ」 〉〉男の人はすごく焦ってる。女の人に仕事無理させて二人分稼いでもらってるから。 「ほおほお、よお聞く話やね」  ケイちゃんがゆっくり頷く。 「ケイちゃん、聞こえとるん?」 「なんとなく」 「そか」  お得意のだった。やっぱり超常的な力が彼にはある。 〉〉心機一転頑張ろうと思ってたところで、男の人の借金がわかって。 「修羅場やな」 〉〉女の人は更に無理して仕事入れてるけど、男の人は相変わらず面接に落ちまくる。 「もう別れたほうがええのと違うん?」 〉〉男女の関係はおカネで切るべきなんだけど、まあそう簡単には行かないよね。 「で、事情はだいたいわかったさかいに。解決のほうに行こか」 〉〉お互いがお互いを大切に想ってるってことがわかればいいんだけど。 「屋島クン、占い師ゆうことで突撃せえへん?」 〉〉入れてくれるかな? それこそ宗教だと思われない? 「俺、開けましょうか?」ケイちゃんが指の関節を鳴らす。 「あー、いや、さすがに壊すんは。て、すでに遅しやな。ちょお待っといて」一応社長サンに連絡する。 「なんだ? そっちは仲良く掃除やってるのか」社長サンの声に棘しかなかった。 「あのでっかいマンガ家のいてるマンション。そこの305号室の夫婦がな、部屋ぶっ壊してはるん。せやから近々内装工事が必要んなるさかいに。そんだけ。ほんなら」  電話を切って、ケイちゃんにゴーサインを出す。  俺は、  ちゃんと断った。  凄まじい音と共にドアが破壊され、鍵がひしゃげた。  さすがは元・鬼の首領。 「なんだ?」 「え、なに?」  中から悲鳴のような息を呑むような声がした。 「こんちはー、どうもー、KRE鎌倉支部、家楼のもんですー」曲がったドアの隙間からのぞいた。「お宅さん、ちょいっと周囲に迷惑三昧やさかいに。静かにしてくれへんかな。そのお手伝いに来ました。俺ら入れんでもええから、この占い師屋島クンのよく当たる占い聞いたってくれへん?」  顔を突き合わせられるくらいの大きさに、ケイちゃんが穴を広げる。  ちょこっと見えた部屋内はそれはそれは空き巣や強盗のほうがまだ慎ましいと言わんばかりの様相で。 「この子」屋島クンをドアの前に置いた。「うちの期待の新人やさかいに。占い師ゆうたけど、特技はなんと人の心が読める! そんでお宅さんらの先の未来もばっちり、くっきり」 〉〉あんまり過大広告しないで。 「ええと? せやった。そこに順番に顔見せてくれへん? そしたら屋島クンからの助言を俺が代弁します」  ドアをぶち壊した時点でこっちのペースに引き入れることは完了しているので、このままの流れで最後まで持って行ってしまいたい。要はスピード勝負。相手が正気になる前に片を付ける。 「じゃ、じゃあ、私から」女性が先に顔を見せた。さすが、占いと聞いたら興味が出たのか。 〉〉すごく頑張ってる。でも無茶しすぎて疲れちゃってる。男の人のことがすごく大切だけど、自分と同じくらい頑張ってほしい。でもそれは男の人のペースじゃない。もう少しゆっくり見守ってあげて。  そのまま伝えた。  女の人の眼の色が少し和らいだ気がした。 「お次の方どうぞー」 「要らねえよ、なんでこんな怪しい」  やばい。正気に戻りつつある。 「話聞いてみなよ。物は試しよ」女の人が男の人の背中を押した。 〉〉女の人より頑張る力とペースが弱い。だからすごく疲れやすい。ちょっとずつ進みたいけど、女の人に急かされてイライラしちゃってる。二度と借金は作らないし心も入れ替えたのにそんなにくどくど言われたらやる気なくしちゃう。女の人のことがすごく大切だから、ずっと一緒にいてほしいから、見限られるのを怖がってる。捨てられるんじゃないかってずっと怖がってる。それが暴言や暴力になってる。そうじゃないってこと、伝えてみて。  そのまま話した。  騒音夫婦が、お互いの顔を見合わせる。 「そうだったの? え、なんで? 私が見捨てると思ってたの?」 「は? だってそうだろ? こんな何の役にも立たない男。お荷物でしかねえじゃねえか」 「そんなことない。そんなことないよ。私は」  あとは、大丈夫そうだ。  主婦たちがきらきらと眼を輝かせて花道を作ってくれていた。無事解決と相成り申したって感じか。  さて、問題は。 「工事は外部委託なんだ」時間差で部屋の様子を見に来た社長サンが頭を抱える。「ったく、そういう意味ならそう言え。余計な手間増やしやがって」  12時半。  お昼を作って社長サンのご機嫌取りをした。ハヤシライスとサラダとスープ。  屋島クンも一緒に食べたが、彼は今回のMVPなので社長サン(事情を大方説明済み)は言いたい言葉を食事と一緒に呑み込んでいた。 〉〉これからもお手伝いしていい? 「ええよ。ほんならよろしゅう。ああ、屋島クンゆうのも他人行儀やな。名前、ツグノブくんやったかな。せやったら、ツグちゃ。ツグちゃでどうや?」 〉〉弟はぐーて呼ぶけど、うん。いいよ。呼びやすいように呼んで。 「よろしくお願いします」ケイちゃんが頭を下げる。 「いいか? ここは溜まり場でも部室でもない」社長サンが不機嫌そうな顔で言う。「あくまで、臨時バイト扱いだし、バイトと言ってもバイト代は一切出ない。そこらへんを勘違いするなよ。それから、俺に断りなく勝手にこいつとどこかに行ったりとか依頼をこなしたりとかしないように。わかったな?」 〉〉この人、ヨシツネさんのこと好きなの?  盛大にハヤシライスを噴きそうになった。  こんなの、心が読めるとか云々でなくて、宣伝カーで拡声器使って言いふらしているようなものだ。      3  14時。  俺のほうじ茶ストックはつい昨日満たしてもらったばかりだったが、支部のストックがなくなってきたとのことで、忙しいカネやんの代わりに受け取りに行くことにした。  ケイちゃんが付き添いたくてうずうずしていたし、ツグちゃも日本茶専門店が物珍しいのか付いていく気満々だったが、徒歩5分以内の距離なのでさすがに置いてきた。 「俺も出る。野暮用が入った」支部長サンも一緒に外に。あのメンツと同じ空気を吸いたくなかっただけだろう。  わかりやすすぎる。 「夕方には帰るから、雨降らない限りはテキトーに掃除とかしててくれていい」 「わーっとるわ。最近過干渉と違うん?」  社長サンは口を斜めにしたがそれ以上何も言わなかった。バスに乗って駅と反対側に行った。  さて、一人気楽にお茶屋さんに向かうとするか。  時間帯なのか少し汗ばむ。店内の冷気が有難かった。  お茶のいい匂い。  おかしい。店員が挨拶して来ない。  それと、  やけに静かだ。  店内にもカウンタ内にも、誰もいない。  定休日か?  いや、それだったらそもそも店は閉まっているはず。  表の案内を確認しようと向きを変えたとき。 「動くな」  後頭部に、硬いものが当たった。  息を吐いて両手を上げる。 「まずはケータイを寄越せ。他にPCとか外部につながるようなものはすべて出せ」  言うとおりにした。  私用のケータイ一台。 「これで全部だな? よし、そのままこっちへ来い」  カウンタの内側。  店長と店員が口を塞がれ、後ろ手に縛られて転がされていた。それともう一人。  逆立った金髪のガキが同じようにして転がっていた。 「手を後ろに。そうだ、大人しくしろよ」  指示通りに従った。  床が冷たい。 「こっからどうします?」 「とりあえず、身代金か」  複数犯か。  ひい、ふう、みい。3人。  全員が似たようなジャージを着て、眼出し帽を被っている。真っ黒の集団。  お遣いに来ただけなのに。なぜこんな目に。  すぐ横が金髪のガキだった。最近のガキは親の方針がおよそこれまでとまったく違って、こんな小さいうちから髪を染めるのか。学校も何も言わないのか。言わせないのか。  ガキがもぞもぞと動く。  なるほど。トイレか。 「すんませーん、この子、トイレぽいですー」口を塞いでいる布をずらして声を上げた。漏らしては可哀相だ。 「なんだ、我慢出来んのか」一番大柄な男が近づいてきた。「ほら、立て。一緒に行くぞ」 「あ、俺も」 「お前来たばっかだろ?」大が言う。  犯人側は背格好で大、中、細と呼ぶことにする。 「それが、釣られてもうて。ああ、もう無理やさかいに」 「ああ、もう、ほら。あ、立てねえのか。おい、お前らどっちか立たせてやれ」 「わっかりやしたー」細が介助に入った。 「早く行って来いよ」中がケータイの画面を見ながら言う。 「おい、トイレは?」大が店員に尋ねる。 「従業員用のしかないので、この奥です」身動きの取れない店長が顎でしゃくる。「道なりに行けばわかります」 「ほら、行くぞ」大がガキの後ろ脛を軽く蹴った。  ガキはトイレが限界なのか随分塩らしくしている。それとも単に恐怖で動けなくなっているか。  トイレは個室がひとつのみ。交代で入ることにした。もちろんガキを先に。 「兄さん、こないな(さか)ってへん店、なんじょう選らばはったん?」 「え、俺すか?」細がビックリした様に言う。 「黙れ。人質はそんなこと気にしなくていい」 「せやけど、入るんならもっと儲けてそうなとこか、宝石店とか。カネ目のもんががっぽがっぽしとるとこ狙うんがフツーと違うん?」 「それはそうっすよね」細がふんふんと頷く。  細の懐柔は容易そうだったが。 「うるさい、そんなこと気にしなくていい」  これ以上大を揺さぶると殴られそうだったのでやめた。 「間に合った~」ガキが満面の笑顔でトイレから出てきた。「お次どうぞ」 「ほんなら」  細が俺の縄をほどいて、入れ違いに大がガキの縄を縛った。 「おい、鍵閉めんなよ」大が言う。 「ほんなら開けへんといてな? 俺、見られてると出ぇへんさかいに」 「早くしろ」大がドアを閉めた。  音消しを鳴らして、上着から仕事用ケータイを取り出す。ボディチェックが甘い。  素人か。縄の縛り方も手ぬるい。あれでは簡単にほどける。狙いがわからない。カネが目当てならここを狙わない。とするなら。 「おい、でっかいほうか?」大がどんどんとドアを叩く。 「すんませーん。もうちょい。なんか出口で引っかかっとって。ああ、ほんま、もうちょいなんやけどな」  演技をしながらケータイで連絡する。  社長サンのところと。あ、いや、そこしか連絡できる先がない。  ケイちゃんはケータイを持っていないし、ツグちゃのは聞きそびれた。  あ、カネやんが。 「遅いぞ」ついに大がドアを開けた。「なにしてやがんだ」 「せやから開けへんといてね、てゆうたやん。引っ込んでもうたわ」ズボンを上げるときに、ケータイを下着の中に仕舞う。「自分のせいやで? また俺がトイレ行くゆうたら」 「そのときはまた連れて来てやるから。ほら、戻るぞ」  ガキはおどおどと犯人と俺を見比べている。かわいそうに。こんなところに来たばっかりに。  いや、なぜ?  そもそもなぜガキがここにいる? 「おつかいなん?」転がされたあとにこっそりガキに話しかける。  犯人三人は人質がどうだとか、警察がどうだとか、およそ建設的でない話をうだうだしている。もともと信頼関係のあった三人ではなく、単なる寄せ集め? 寄せ集めで、繁盛していないお茶屋に立て篭もる目的は。 「お母さんに、頼まれて」ガキが泣きそうな顔で言う。半分しゃくり上げている。「なんで、こんな」 「同感やわ。俺かておつかいで来たんやけどな」 「お兄ちゃんも?」ガキの眼に少し光が差した。  この極限?の条件下で自分との共通項が見つかったときの嬉しさは代え難いものがある。海外旅行先で日本人に出会った、のとはちょっとどころかだいぶ違うか。 「そこ、うるさいぞ」大がカウンタをのぞきこんでいた。「静かにできねえのか」 「ごめんなさいごめんなさい」ガキがとうとう泣きだしてしまった。 「あんなぁ、こんなガキんちょつかまえて、良心は痛まはらへんの?」 「相手にするな」中が冷静に言い放つ。「警察と交渉する。お前らはここでガキのお守をしてろ」 「へーい。お気を付けて~」細が軽い返事をする。 「大人しくしてたら無事に家に帰してやる。だから妙なことはするなよ」大が人質四名に念押しする。  店長と店員は早々に諦めたのか何の抵抗も見せない。少しでも有利になるような働きかけもしなければ、悪あがきの身動きすらしない。それが生き残る最善の道といえばそうなのかもしれないが、犯人側が約束を守るとは限らないわけで。  なにか、  引っかかる。  そうと決まれば。 「あ、あかん。ほら、ゆうたやろ、出る。今度こそ、出そうやさかいに」 「始末のつかんガキだな」大が細に言う。「おら、もう一回連れてってやれ。少しでも変な動きをしたら連れ戻せよ?」  撃ち殺せじゃなくて?  いや、それは映画の観すぎか。人質を殺せば別の罪が増える。 「兄さん、ずっと思っとったんやけど、その髪型めっちゃいけてはるな」口に布を噛まされているので喋りにくい。 「だろ?」細が嬉しそうに前髪を撫でる。「テレビ映るといけねえからさ、ちいっと気合入れてきたわ」  思った通り。  細はこの犯罪行為をお祭りだと思って参加している。 「今度全部出して来いよ?」細がトイレのドアを閉める。  鍵は、かけようがかけまいが細から開けることはないだろう。なにせ細は俺をトイレに連れて行って、最後まで用を足させることが役割なのだから。  細を懐柔すれば、目的の端緒が探れるかもしれない。  ケータイの返信が来ていた。社長サンから。  いま向かっている。頼むから無茶をするな。警察も呼んだからすぐに好転するはず。とのこと。  ドーン、という地鳴りのような音が響いた。  警察?  じゃないという確信がある。 「な、なんだ?」細がドアの向こうで怯えたような声を上げた。 「おい、ガキのクソなんか放って来い」大が迎えに来た。「まずいことんなってる。お前も手伝え」  たぶん、  鬼の形相をした戦車が攻め込んできた。 「ヨシツネさん! いま助けます!!」凄まじい声量が耳をつんざいた。  そうか、トイレに窓(上部を半開きにしかできないので出られない)がある。ここから聞こえているらしい。  なんで、  ここがわかったうえに、人質になっていることがケイちゃんにわかったのか。  聞いてもきっと、なんとなく、というお決まりの返答が想像できる。  なんとも頼もしい。  これなら俺がどこぞで野垂れ死にそうになっても地獄の果てまで助けに来てくれるだろう。 「おい、早く出ろ」大が俺を迎えに来た。ドアをどんどんと叩かれる。「鍵かけるなってゆっただろ」 「ああ、すんませんすんません」ケータイをまたも下着の中に隠した。「まだちょっと引っかかっとる感じあるけど、まあマシやね」  カウンタの陰に転がされる前にちらっと見えた店内は、ひどい荒れ具合で。お茶の袋が床にぶちまけられ、踏まれて中身が散らばっているものも少なくない。棚という棚を出入り口に前に置いてバリケードにしている。鬼のような戦車が殴り込まないように、大と細が移動させたらしい。床に引きずったような跡がなかったので、棚にキャスターでも付いていたと思われる。 「兄貴~、俺、もう、動けねえっすよ」細が床にへたり込んだような音がした。 「情けねえな。このくらいで」大が鼻息荒く言う。  中の姿と声が聞こえない。警察との交渉中だろうか。 「お兄ちゃん、大丈夫だった?」ガキは泣きやんだらしい。「なんかすごい音がして、あの人たち行っちゃって」 「もうちょいの辛抱やさかいに。あの音な、きっと助けやと思うえ」ガキの眼を見て頷いた。  本当に小さい。  高く見積もって、小学校中学年だろう。  あ、いや、でかすぎる小学六年生という例もあるから一概には言えない。  気の毒に。これが後々の傷にならなければいいが。 「なんでここがバレた?」中が戻ってきた。あまりにうるさかったからだろう。  ドーン。  ドーン、とドアに体当たりをしている。  ケイちゃんだ。 「バレたって。あ」大がやっと気づいた。「おかしい。おい、あのガキ、関西弁のほうだ。あいつ、変な真似してなかったか?」 「どーっすかね。俺は別に」細が答える。 「もういい。お前には任せられん」大が俺の足元に立った。「おい、お前。ちょっとこっちに立て」  万事休す。  ボディチェックであえなく仕事用ケータイが見つかった。 「最初に言ったよな」大が至近距離で俺を睨みつける。銃に手をかけながら。「そうゆう危ないもんはこっちで預かるって。なんで言うことが聞けねえんだ?」  没収。  ロックがかかっているので通信の中身までは見られないだろう。 「サツが来てる」中が大と細に言う。「交渉に使う。一人でいい。適当に選べ」  大が俺とその他を見比べて、結局俺で視線が固定する。 「お前でいいか」大が俺の首根っこを引っ張る。  店長あたりが代わってくれることを期待したが、やはり知らぬ存ぜぬの他人と化していて。そりゃあ一番かわいいのは自分だが、一応俺は客だし、お客様は神様だし。  いや、そもそも俺を人質の代表として肉壁で晒すということは。  表に警察がぐるりと取り囲んでいた。  のを見ている俺のすぐ脇で、  大と中が店の壁にめり込んだ。 「大丈夫ですか!」ケイちゃんが全力で殴って蹴った。  ほら、  言わんこっちゃない。  店の中にいた細もこの光景を見て腰を抜かした。  警察が突入し、人質は全員保護された。  犯人グループ三名も現行犯逮捕された。  無事解決?  だが、お遣いのほうじ茶が手に入らず、店の片付けが終わるまでは支部で茶を飲めないことのほうが、ショックだったりした。 「なんでお前は行くところ行くところ厄介事に巻き込まれるんだ」社長サンが頭を抱える。野暮用とやらからとんぼ返りしたらしい。「何もなかったからよかったものの。下手すれば」 「あーあーやかましな。もうええやろ、なんもなかったんやから」  心配性もここまでくると重すぎるな。      4  翌日9時。  結局昨日は警察に事情を聞かれて一日が終わってしまった。別室で呼ばれたのであの金髪のガキがどうなったのかまでは知らない。  ツグちゃが興味本位でいろいろ聞いてくるので適当にはぐらかした。そう面白いものでもなかったと言い聞かせて。 〉〉面白いかどうかは俺が判断するよ。  社長サンの計らいで今日は休みということになった。なので事務所に行く必要はない。ツグちゃはメール経由でやり取りしていただけなので、返信をしなければ話はそれで終わる。  外に出ようとしたタイミングで、ケイちゃんがやってきた。家の前で待ち伏せするなと言ったので、俺が出掛けるタイミングを察して合流する方法に切り替えたらしい。 「体調どうすか」ケイちゃんが聞く。 「まあまあやな。後々トラウマみたいなんなったらそんときわかるやろ」  事務所以外に行くところもなかったが、家でうだうだしてるのも落ち着かない。  とすると、行くところは。 「どうも。おはようございます」家の前で声をかけられた。  ぶかぶかのパーカを着て、よれたスニーカを履いた金髪のガキ。  長い前髪が眼を覆っており表情が読めない。 「どちらさんやろか」 「昨日は大変でしたね」ガキが長い前髪を後ろに流す。「お互い、トイレ間に合ってよかったですね。?」  昨日人質だったガキ。  雰囲気が違ったので気づくのが遅れた。 「なんやら用やろか。よくここ」 「わかりますよ。あなたがKREの秘密兵器だってことも。ねえ?藤都巽恒さん」 「中で話そか?」  たまたまあの場に居合わせた気の毒なガキだと思っていたが、二重にも三重にも裏がありそうな雰囲気が滲み出ていた。明らかに昨日は猫を被っていたのだろう。  自宅に入れるのは抵抗があったが、一緒に歩いているところを社長サンに見られるほうがよほどマイナスがでかいので仕方がない。ケイちゃんもいるので肉体的な危険は回避できるはず。  ガキに座布団を放る。 「ありがとうございます。長話していいってことですよね?」 「調子乗るなや」  ガキの名前は、  朝頼東春(ともよりアズマ)というらしい。 「察しがついてるでしょうからさっさと白状しますけど、昨日のアレ、僕がしたんですよ。場所も、犯人も、人質もね。店側には贈り主不明の大金が迷惑料として振り込まれてるでしょうし、犯人は僕に借金があった。人質なんて、珍しい体験をしましたよ。犯人側には絶対に人質を傷つけるなって言いつけといたので。ええ、守ってくれてよかったですね」  二の句が継げない。  なんで。 「なんでそんなことをしたのか、ですか?」朝頼が俺の心を読んだ。「あなたに会いたかったからに決まってるじゃないですか」 「動機は百歩譲ってええとして、やり方が不純極まりないな」  ケイちゃんがずっと臨戦態勢を解かないので、後ろ手に肘で小突いて窘めた。 「ヨシツネさん、こいつは」ケイちゃんが異を唱える。  わかっている。  この手のガキは、  一発殴らないとわからない。 「で?俺に会うて?どないしたいん?」 「僕の物になりませんか?」 「アホやろ。クソガキ」  ケイちゃんが立ち上がりそうになったのを制止する。  どーどー。 「あ、そうですよね。僕、年下に見えてます? こう見えても高一なんですよ?」 「はぁ? 詐欺やろ?」  ケイちゃんの半分は言いすぎだが、身長(タッパ)を比べたらえらいことになる。  百人アンケートをしたら、百人中百人が、ケイちゃんが年上だというだろう。 「こればかりは遺伝というか、僕の生活スタイルが招いた自業自得なのであまりいじらないでいただけますと」  わけがわからない。  わけのわからないのに惚れられるのは慣れているが。 「もう一度言います。僕の物になりませんか?」 「お断りやな。俺は誰のもんにもならへんの」 「魅力的な返答ですね」朝頼がニコニコと笑顔を浮かべる。「こんなにはっきり断られたの初めてで。逆に清々しいですね」 「ほんならおしまいやね。とっとと帰って」 「いくら積んだら、あなたを一晩買えますか?」  さすがにケイちゃんの動きのほうが早かった。  パーカの襟首を掴んで威嚇する。 「テメェ、いま、なんつった?」 「飼い犬のあなたには言っていませんよ。僕はあなたの飼い主に用があるんですから」  動じない。  もはや鬼そのものになりかけているケイちゃんに至近距離で凄まれてまったく臆していない。  なんなんだ。  このガキ、訂正、高坊は。 「そろそろ放してもらえます? 何度も言いますけど、僕はあなたに用があるわけではなくて」 「そんなん掴んどっても面白(おも)ろないやろ? 放したりぃな」 「ヨシツネさんが言うなら」ケイちゃんが朝頼を床に投げ捨てた。 「痛いですね、もっと優しく」 「俺は売りもんと違うさかいに」 「もともとは売り物だったのに?」  なにを。  知っている? 「何でも知ってますよ。何でもね」朝頼が首元を整えながら座り直す。「あなたの相場は青天井。積めば積むほど買える確率が上がる。僕も上納金?を積み立てようかな」 「ほんま、お前もう、帰りぃな」 「買えないってことですね? この信用の低さでは」 「信用がどうとかと違うわ。そもそも俺は」 「KRE次期社長とは、どこまでいきました?」 「せやからね」  面倒くさすぎる。  ケイちゃんに合図して外につまみ出してもらった。  鍵をかければさすがに入っては来れまい。 「おおきにな、ケイちゃん」 「あの、ヨシツネさん」 「聞きたいことあらはるんやろ?」 「え、あ、はい。えっと」ケイちゃんがしどろもどろになって天井と床と壁を見比べる。 「昔な、売りもんだったさかいに。そんときの話は蒸し返さんといて。忘れたいわけと違うけど、思い出したないわ」 「すみません。言いたくないこと言わせて」 「ほんまやで。あのクソガキ」  ひたすらに面倒なことになった。  今日は外に出ずに、家でケイちゃんとにらめっこしていたほうがよさそうだった。      5  顔の売り方はまずまず。好感度なんか最初はマイナスくらいがちょうどいい。  これで、僕のことを色濃く刻んでくれたと思う。  でもあの大型犬が邪魔で一番の目的が達成できなかった。  その腹癒せにもならないが、たいらを抱き潰すことにした。  僕のやり方に慣れてきたのか、最近怯えた眼をしなくなってきたのが生意気でしょうがない。  ちょっと、  きついお仕置きが必要かもしれない。 「あ、アズマさん」  縋るような眼で僕の名前を呼ぶのが堪らない。  どんなにひどいことをされても、僕が相手をしている限り、たいらの罰にはならない。  だから藤都巽恒を滅茶苦茶に抱いて、たいらに嫉妬させようと思ったのに。  うまく、  いかない。  腹が立つ。むかつく。  どんなに暴力的にやっても、暴言を吐いても、(つね)っても、叩いても。  たいらは僕から離れない。  離れるときは僕がたいらを捨てたとき。  絶望して自死を選ぶだろうから。  ああ、自死しているところは見たいかな。 「僕でよければ好きなようにお使いください」たいらが四つん這いになりながら懇願する。「だから、お願いですから僕以外のニンゲンに意識を割くのは」 「お前、いつからそんなこと言える分際になったの?」  白い臀部に赤い跡を付ける。  赤い線に、  白い泡を混ぜて。  気を失ったたいらの前髪を引っ張る。  ああ、なんて綺麗な。      6  余談だが。  ツグちゃがどうしても紹介したいと言って連れてきた親友が。  まさかの能登君で。  世界が狭すぎることを思い知った。 「俺は協力しませんよ?」能登君が言う。「ツグも。こんな怪しい連中とつるまないで」  散々な言い方だ。  でもまあ。  それは追々で。  ツグちゃは機械いじりが趣味だとか。  何かの役には立ちそうで有難い。    次回予告  雨の日限定の大好評依頼・買い物代行は、梅雨時期の特別ルールがある。  毎週月曜の朝7時台の天気予報で、1週間まるっと雨マークがついていた場合、その週は。  毎日、買い物代行決定という従業員泣かせのトンデモルールが。  誰が決めたんだ。社長サンしかいない。  そんな中、猫の手も借りたい梅雨時期の買い物代行に無理繰りあのクソガキが手伝いを申し出た。 「僕と勝負しません? 勝ったほうが梅雨明けにヨシツネさんとデートできるってことで」  絶対に社長さんには聞かせられないゲームが勝手におっ始まった。 「必ず俺が勝ちます」  許可した覚えないんやけどな。  次回 第7話 『キ(おう)(とが)めず』 「なんだそりゃ。お前の名前か?」 「いいんじゃない? オニぽくて」

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