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第7章 キ王は咎めず
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面白くなかった。
全然面白くなかった。
なんにも、ちっとも面白くなかった。
おふくろはオレが小さいころからずっと病院にいて。
おやじはオレが小さいころからずっと病院に通っていて。
じーさんは学校を作るんだとかで忙しくて。ばーさんはそれを手伝ってて。
家はじーさんのアニキやその他ぼーさんがいっぱいいたけど。
オレはいつもひとりぼっちだった。
ひとりぼっちがイヤだったわけじゃない。
寂しかったわけじゃない。
遊び相手がほしかっただけ。
あいつらはすぐにケガをした。
オレの力が強すぎるとみんなが言った。
オレがデカすぎるからだとみんなが悪口を言った。
オレからすればお前らが弱すぎて小さすぎる。
おもちゃも遊び道具もすぐに壊れた。
もっと優しくとみんなが注意した。
知らない。
勝手に壊れるほうが悪い。
そんなときに、
出会った。
「よお。お前、強いんだってな」
スサは、
オレの最初の友だちだった。
*******
夢か。
だよな。
スサとはもう。
第7章 キ王 は咎 めず
1
めずらしく夢を見た。
スサに会いたいのか?
会ってどうする?
武世来 はもうあいつに任せたんだから。
今日も雨。
月曜日。
今週雨が続くと天気予報が言っている。
じーさんのアニキが傘を持って行けとうるさい。
わかってる。
じーさんが家を出るので追いかけた。
「武嶽 、頑張ってるみたいだな」じーさんは満足そうに笑った。「このまま内申さえよかったら、私の学校に入れるからな。それまでは」
わかってる。
ヨシツネさんと同じ学校に行くためだ。
「それと、彼のことだが」じーさんは言いにくそうにした。「こないだ学校でその、好きだとか、付き合ってくれとか言っていた、あの」
なんで?
俺がヨシツネさんに惚れているのはいけないことなのか。
そう言いたげな素振りで。
「他に友だちや、気になる子はいないのか?」
「じーさん、俺、ヨシツネさんとずっと一緒にいるつもりだから」
「そ、そうなのか? でもな、武嶽、他にも」
「他に仲良くしたい人いないから。じゃあ、先行くから」
雨は已まない。
学校も面白くない。
でも勉強をしっかりやるとヨシツネさんと約束したから。
じーさんがうるさいのは今に始まったことじゃないし、せんこーがいろいろ言ってくるのも前からだし、クラスのやつがぎゃあぎゃあ騒ぐのもどうでもいいし。
早く放課後にならないかな。
学校が終われば会える。
迎えに行くなと言われたので、なんとなく頃合いを見計らって事務所に行く。
雨はまだ降り続いている。
夕方5時。
「あかん、あかんえ、こら」ヨシツネさんが悲しそうな声を上げてテーブルに伏せていた。「どないするん? 誰なん?こないな不可能計画立てよったん」
「文句を言ってる暇があったらリストを確認しろ」キソが言う。
いつも偉そうにしやがって。
ヨシツネさんを雇ってるんだかなんだか知らないが、自分の言いなりにしたいだけ。
カネを払って、無理矢理従えているのと変わらない。
「あ、いらっしゃーい」イマイさんが俺に声をかけてくれた。
「ちはっす」
この人はキソと違ってまともな人だ。
「はいこれ。いつものどうぞ」ヨシツネさんのお気に入りのほうじ茶をこっそり俺にもくれる。
いい人だ。
「勉強頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」きちんとお礼を言った。
俺はまず宿題を片付けないといけない。宿題が終わらないとヨシツネさんの手伝いができない。そうゆう約束になってる。
漢字と、計算問題。
「わかる?」ヨシツネさんがこめかみを押さえながら近くに来てくれた。
「ちはっす。はい、大丈夫です。ヨシツネさんのおかげです」
「そか? ほんなら早いとこ終わらせてね。今日、いんや、今週めっちゃ忙しいさかいに。覚悟しぃや?」
「わかりました!」
ヨシツネさんに応援してもらったのでやる気が出る。
うれしい。
俺のこと、見てくれている。
頑張らないと。
時間をおいて、ヤシマもやってきた。こいつも面白半分でヨシツネさんの周りにまとわりついてる。キソみたいに気はなさそうだから放っておいてるが、今後どうなるかわからない。
だって、ヨシツネさんはとても魅力的だから。
だからこそ、人が集まってきてるわけだから。
俺もゆーちょーなことはしていられない。
キソよりも早く、ヨシツネさんと。
「気ィ散ってるね?」ヨシツネさんにはぜんぶお見通し。「まあ、ええけど。できるなら早うしてね? ほんなら、あとで合流な? いってくるえ?社長サン」
いってきますは、
俺には言ってくれない。
「早く行け」キソがヨシツネさんを見ずに言う。
「お気をつけて! すぐに追いかけます」
キソがため息をついているのが聞こえた。
無視して問題を解いた。
殴っても蹴ってもいけない。
暴力はいけない。
なんで?
俺がやると、相手が死んでしまうから。
なんで殺しちゃいけない?
そう聞いたら、ヨシツネさんが困った顔をした。ので、その先を聞けていない。
邪魔な奴、ムカつく奴は殴ったっていいだろう。もし殺してしまってもそいつが弱かっただけだ。そうじゃないのか?
ヨシツネさんは、ぜんぶを教えてくれるわけじゃない。
俺に、自分の頭で考えろと言う。考える手助けならしてくれると言う。
雨の日の買い物が終わったら、聞いてみよう。
なんで、
いけないのか。
雨はずっと降ってる。
宿題が終わったので、ヨシツネさんがいるところまで走った。びしょぬれだとお客さんが困るので、ちゃんとカッパ着て。チャリに乗ってもいいが、ヨシツネさんを置いてきてしまうので徒歩で。
「ああ、相変わらず最高のタイミングやな」ヨシツネさんが両手いっぱいに買い物袋を抱えていた。
すべて受け取る。
全然軽い。
「まだいけそうやな。次」
ドラッグストアの次はスーパー。
ナマモノがあるので、いつもこの順番。
ヨシツネさんがぱっぱと買い物かごに放り込む。もう何度もやってるので無駄がない。早い。ヨシツネさんにそう伝えたら、「社長サンのほうがもっと早いえ?」と苦笑いされた。
そもそもヨシツネさんがやってる仕事はすべて、キソが一人でやってたんだとか。
ウソだろう。
ヨシツネさんでも苦労するような仕事を、キソがたった一人でやれるはずがない。
俺は信じてない。
一人じゃ何もできなくて、イマイさんに手伝ってもらってたに決まっている。
注文したお客のところへは手分けした。俺が行ったことのある家が増えてきた。一度行けば二回目からはすんなり行ける。最初さえしっかりできれば。
地図が、よくわからない。ので、初めての場所はヨシツネさんに一緒に行ってもらってる。
少しでもヨシツネさんの負担を減らしたい。役に立ちたい。必要とされたい。
それもあるけど、
一緒にいたい。
放課後一緒にいられるから、今日一日何があってもガマンできる。聞き流せる。無視できる。
「おつかれさんやな」ヨシツネさんが濡れた前髪を掻き上げる。「早う帰ろ。ほんでシャワー浴びよ?」
シャワー。
ちょっと、
ドキっとした。
「ホントにやってるんですね」下の方から声がした。「雨の日限定の買い物代行ですっけ?」
アパートの入り口の雨よけの下で、小さいガキがこちらを見ていた。髪は逆立ち、目立つ金色。ぶかぶかの服を着て、肩掛けカバンをさげていた。
全身に警戒信号が走った。
こいつは、先月にヨシツネさんの家に押し入ったあの。
「ケイちゃん、相手にせんでええよ」ヨシツネさんが俺の腕を引っ張る。
触ってくれたのはうれしいが。
「下がってください。こいつは」
敵だ。
排除しなければ。
「ご挨拶ですね」ガキが傘を差して追いかけてくる。「僕のことをお忘れですか? 一緒に人質になったほどの親密な仲なのに?」
「聞かんでええで?」ヨシツネさんは目も合わせようとせずに立ち去ろうとする。
群慧武嶽 さん。
ガキは俺の名前を呼んだ。
臨戦態勢を取りながら振り返る。
俺は、
名乗ってない。
「僕と勝負しません? 勝ったほうが梅雨明けにヨシツネさんとデートできるってことで」
「勝手に決めるなや」ヨシツネさんも立ち止まって振り返った。「あんなぁ、俺もケイちゃんもお前に関わるつもりなん、あらへんの。ほな、行くで?ケイちゃん」
「へえ、逃げるんですか?元武世来のヘッドともあろう人が」ガキがバカにしたように笑う。「僕がどこの誰なのか、詳しく聞きたいんじゃないですか? 負けたらそこも白状しますよ? でもね、勝ったらあなたのその位置、僕に下さい」
「要求が変わっとるな」ヨシツネさんが顔に当たる雨を拭う。「訳のわからんことを俺なしで決めるなや」
「わかった」
「ケイちゃん!? ちょ、安い挑発に乗らんといて」
ここまで言われて、はいそうですかと引き下がれない。
それに、
あのとき始末しそびれた後悔もある。
こいつは、
生かしておいてはいけない。
「俺が勝ったら、二度とヨシツネさんに近づくな」
だって、こいつは。
ヨシツネさんを狙っている。
「いいですよ? でもその条件、そっくり返しますからね。あなたが負けたらおんなじですよ? それが守れるなら受けましょう」
「ケイちゃん」ヨシツネさんが心配そうにしているので。
「必ず勝ちます」と言って安心させた。
笑顔になってくれないのは、雨が強くなってきたからだろうか。
なにせ今週はひたすら雨が続くらしいし。
こんなクソガキには負けない。
あとで思い出したのだが、ガキは高校一年だとか。
小さすぎないか?
2
朝頼東春 。
おぼえたくもない名前を思い出す。
こいつは、
先月お茶屋さんの立てこもり事件の犯人を差し向けながら、自分も人質になった。
その理由は単に、ヨシツネさんに会いたかったからという。
もっと他にやり方がないのか、と思ってしまう一方。
この方法なら確実にヨシツネさんの記憶に残れるな、と理解できてしまったからこそ。
敵だ。
絶対に負けるわけにいかない。
「アホやろ。そないなガキの遊びにムキんなって」ヨシツネさんが俺の腕をつねる。
勝負方法は、
明日から日曜までの買い物代行で、より多くの業務をこなしたほうが勝ち。
仕組みも勝敗もわかりやすいが。
「なんじょうそないに不利な方法とらはるんやろね」
もっと自分の有利なステージがあるはずだ、とヨシツネさんは言うが。
キソに知られると厄介なので事務所でこの話はしないことになった。
夜7時半。
今日もヨシツネさんの手作りの料理をごちそうになって、帰り道。いつも俺がヨシツネさんを送って行くのでキソはいい顔をしない。ざまあみろだ。帰り道が同じで近所なんだから当たり前だ。
「勝つんは当然として」ヨシツネさんが言う。
雨はまだ降っている。
「二度とこないな訳わからんことせえへんように釘刺す意味でもだいじんなってくるな。頼むで?」
「はい、ガンバります!!」
ヨシツネさんが俺が勝つことを期待してくれている。
それだけでもう、
勝ったも同然。
夜は興奮して眠れなかった。
もし俺が勝ったら。
もしも、俺が勝ったら。
ヨシツネさんはどうやって褒めてくれるだろうか。どうやって笑ってくれるだろうか。
それを考えて顔がニヤける。
朝。
やばい。
もう朝になってる。
火曜日。
学校にはぎりぎり間に合った。
早くこんなところ卒業して、中学に、ヨシツネさんのいる学校に行きたい。
今日ももちろん雨。
雨だから買い物がある。
いつも行くスーパーの前に、トモヨリが立っていた。小さすぎて見過ごしそうだった。圧倒的に傘のほうが大きい。子ども用の傘で足りる。
「どうも。リストあります?」
「おま、絶対に事務所来よるなよ?」ヨシツネさんが紙を渡す。
「だから大人しくここで待ってたじゃないですか。データでもらえますか?」トモヨリがケータイを見せる。
「そないなことゆうて、俺の番号控える気やろ? そうはいかへんさかいにな」
「僕だったらもっと効率のいい組み方しますけどね。任せてみません?」
「勝負方法違うとるえ? どっちが多くの業務をゆうて」
「どっちが多くの業務、でしょう? だったら依頼リストの整理も、立派な業務に入りません?」
「屁理屈の得意なやっちゃな」ヨシツネさんが根負けしてケータイを近づけた。「これでええ?」
「はい、できました」トモヨリがヨシツネさんのケータイにデータを送り返す。「これが最速ルートです」
「ほんまか?」
本当に疑わしかったが、騙されたふりをしてこれの通りに買い物をしてみた。買い物の手順だけじゃなく、客のところに届ける道順までそれぞれ一本の線で表されていた。
線はぜんぶで三本。
ヨシツネさんと、俺と、トモヨリの分。
「悔しいけど、ほんまやったわ」ヨシツネさんが感心したような声を上げる。「三人で分担したおかげやと思うとったけど、確かに無駄がなかったさかいに。お前、そこそこやらはるな」
すべての買い物終えて、夕方6時を回ったあたり。
たしかに昨日より時間が早い。
「お褒めにあずかり光栄です」トモヨリが片膝を軽く折る。「よろしければ明日以降も、買い物リストが揃った段階でデータをお送りいただければ、こちらで処理しますよ?」
雨はまだ降ってる。
ざあざあと、
耳にこびりつく。
「そか? ほんならそうしよかな。あ、俺が下請けに出したこと、社長サンには黙っといてな?」
それを、
俺に、
言うのか?
「どうです? 僕はお役に立ててますでしょうか」トモヨリがヨシツネさんの隣にねじり込む。
「せやなぁ。まだまだやけど、成長株ではあらはるかもな。ま、ガンバって」
「ありがとうございます」トモヨリがちらりと後ろを振り返る。
俺に、
何か言いたげな視線で。
「せやけど俺は先月のアレ、赦したわけと違うさかいにな。そこんとこ勘違いせんといて」
「そのくらいあなたが魅力的ってことですよ。もしかして、お気づきでない?」
にやりと嗤ったように見えた。
駄目だ。
殴っては駄目だ。蹴っても駄目だ。
殺したら、
もっと駄目だ。
3
水曜日。
雨はずっと降り続いている。
学校にも行って、宿題も終わった。
ヨシツネさんはすでに買い物に出掛けている。
俺も、
追いかけないと。
行く必要あるか?
「行かないのか」キソが俺を見ずに言う。
早く行けという意味なのか、その他の意味が混じってるのか。
なんでか、
鈍くなっていて。
読み取れない。
どこにいる?
いつもならわかるのに。
わからない。
どこにいるんですか?
俺はリストを渡されていない。
ヨシツネさんが出掛けたあと、勝手に追いかけて手伝っているだけ。
どこに、
いますか?
わからない。
キソが出て行けと言わんばかりの雰囲気で睨んでくるのでとりあえず外へ。
傘を忘れた。
雨は降ってる。
ずっとずっと降ってる。
どうしよう。
ヨシツネさんのいるところがわからないから手伝えない。
役に立てない。笑ってもらえない。
勝負は、あいつの勝ちになるのか。
「なにやってんだ?」スサの声がした。
気のせいだと思ったけど、やっぱりスサだ。
スサが、
俺の眼の前にいた。
「傘も差さねえで。ったく、どこまですっとぼけなんだか。ほれよ」スサが傘に入れてくれようとするけど。
「いい」
「いいったって。ずぶ濡れのお前を見かけてそのまんまにしておけねえだろうがよ」
「いい。放っといてくれ」
「なんかあったのか?」
わかるのか。
「お前はわかりやすすぎんだよ。ほら、ここじゃ濡れる。とりあえず屋根あるとこ行こうぜ」
スサに連れられて、駅前の駐輪場へ。
急に振ってきた雨ではないので、雨宿りをしているのは俺たちくらいだった。
「ほら、これで顔くらい拭けって」スサがタオルを放った。
「迷惑かける」
「マジにそう思ってんなら、さっさとゲロって、いつものお前に戻ってくれ」スサが縁石に座る。「マジにどうしたよ。あの関西弁の野郎 にフラれでもしたか?」
フラれた?
ああ、そうか。
「そうかもしれない」
「は? マジかよ」スサが驚いたように声を上げる。
雨の中自転車を使う人はそもそも多くない。駐輪場もがらんとしていて。
静かだ。
雨の音がちょっと遠くなった気がする。
「マジのマジで?」
「じゃないとは思う」
「どっちだよ」
「まだ、もらってない。返事」
違う。
敵わない。届かない。
わかってる。
わかってるんだそんなこと。
でも、この気持ちはどうしようもない。
「悪い。ちょっと」顔を見られたくなくて伏せる。
「あーあー、青春してんじゃねえの」スサが無闇な大声を出す。「青くさくて、こっちが恥ずいわ。ったくよ。俺が知ってるお前はそんなんじゃねえだろ? もっと、なんつーか、堂々としててよ。てかそもそもクウとよろしくやってたんじゃねえのかよ。あっちは遊びだったのか?」
クウには悪いと思っている。
クウは俺にそうゆう感情を向けていた。知っていた。知っていてそのままにしていた。
クウにも、謝らないといけない。
だって、俺がもし同じことをされたら。
殺してしまうかもしれない。
正気ではいられない。悲しくて、つらくて。
「告って、そんで、返事まだってことはまだ望みがあんじゃねえの? これからだろ? まだ出会って2ヶ月かそこらだろ?」
「ライバルが多い」
「あー、なる。なんか、リマのやつから聞いたかも。関西弁の奴、えっと、名前は? なんつーの?」
「ヨシツネさんだ」
「名字は?」
「フジミヤ」
「その、フジミヤが。あ、呼び捨てでいいか?」
構わないので黙っていた。
「フジミヤを雇ってるってゆう、あのKRE の次期社長だったか? あいつまだ中坊だろ? まさか他にもいんのかよ」
「クソガキ」
「クソガキい? お前の他に二人いるってことでいいのか?」
雨が已まない。
雨脚も弱まらない。
「いすぎだろ。どんだけモテてんだよ。お前も、ライバルくらいで弱気になってんじゃねえぞ。お前のいいとこアピっとけアピっとけ」
「俺のいいところってどこだ」
「どこって」スサが言い淀む。「そりゃ、いっぱいあんだろうよ。ほら、でっかいとことか」
――グンケイ君は大きいね。
――でも大きすぎてみんなとは遊べないね。
「あとは、ええとな、いっぱいあんだ。いっぱいありすぎて急には出てこねえんだ。ほら、あんだろ?」
「いい。わかった」顔を上げた。「大きいところしかない」
「そうじゃねえっつってんだろ。ったくよ。なんでそんな下らねえことで傷ついた顔してんだよ。腹立ったら殴って、イラついたら蹴って。そうゆうの、ぜんぶぶっ飛ばして来ただろうがよ。なんでお前が遠慮しなきゃなんねえんだ。我慢する必要もねえし。お前が最強だろ? 強い奴が偉いんだから」
「それはこっちの世界じゃ通用しない。それをヨシツネさんに教えられた」
「すっかり牙が抜けちまってんのな。腑抜けてんじゃねえぞ、クソが」スサが俺の肩を小突いた。
俺が元いた世界では力がすべてだった。
でも、ヨシツネさんがいる世界で生きていくには、力は隠さないといけない。使ってはいけない。
なんで?
ヨシツネさんが、こっちに来てくれればいいのに。
あ、そうか。
そうすればいいのか。
「お? どうした? なんか吹っ切れたか」俺が急に立ち上がったのでスサが反応した。
「ありがとう。助かった」
なんで気づかなかったんだろう。
「よくわかんねえけど、すっきりしたんならよかったわ」
ざあざあと耳がざわざわするのは変わらないが、
雨がちょっと弱まった気がした。
「ここでいいか」
「おう。俺でよければまた話聞かせろよ」スサが手を振る。「お前ケータイねえからな。こっちから会うにしても無理目だが」
「でも会えた」
「そうだな。お前の勘を信じるわ。じゃあな」
夢に出てきたってのは、俺が会いたかったってこと。
とすると、今日の夢に出てくるのは。
俺が一番、
好きな人。
4
木曜日。
結局昨日、買い物に合流しなかった。できなかったというほうが正しい。
俺は、
ヨシツネさんがどこにいるのかわからなくなってしまった。
アンテナみたいなのが壊れている。センサーみたいなのが反応しない。
代わりに、
身体の底から力が湧き上がって来る。
これなら、
誰にも負けない。
雨が降っている。
ちゃんと学校にも行った。宿題は学校で終わらせた。
事務所に行ってヨシツネさんにあいさつした。
「昨日どないしたん? 待っとったのに」ヨシツネさんはどことなく悲しそうだった。
俺が行かなかったから俺の分まで仕事をして大変だったのだろう。
「すみません、ちょっと体調悪くて」
「傘置いてったやろ? カネやんから聞いたで? 風邪なん?」
イマイさんが事務所の出入り口付近に傘を持ってきてくれた。今度こそ置いて帰らないように。
「なあ、あのこと気にしてはるんやったら」ヨシツネさんが小声で言う。
「あのことってなんだ?」キソが割って入ってきた。
こうゆうときだけ地獄耳だ。
「俺に秘密を作れると思うなよ」キソが偉そうに言う。
「秘密なんあらへんて。それにな、そうゆうん鬱陶しいさかいにな。しつこい男はモテへんで」
「お前以外にモテる気はない」
「うわあ、ゆうに事欠いて。どないしたらそうゆう」
「ヨシツネさん、話があります」
「なんや? 買い物先でええか? 今日もこんだけ控えとるさかいに」
「俺はヨシツネさんが好きです。愛してます。俺と付き合って下さい」
「せやから、それはお断りゆうて」
「どうしてフるんですか? 俺が嫌いってことですか」
「ケイちゃん、出よか」ヨシツネさんが俺の腕を引っ張ろうとする。
「ここで話せ」キソが呼び止めた。「お前がフるのを俺も見たい」
「社長」イマイさんが言う。「お客さんが来ますよ」
「アポはない。構わん」
「それはそうですが」
「社長サン、買い物さくっと済ませてくるわ」ヨシツネさんが言う。「ケイちゃん、まずはお仕事やさかいに。そのあとでゆっくり」
「答えるのそんなに時間かかるんですか?」
「あんなぁ、せやから何遍もゆう通り、優先順位ゆうんが」
「俺よりもKREのほうが、キソのほうがだいじだって言うんですか?」
しん、と静かになった。
イマイさんが聞こえないふりをしてパソコンに向き直る。
キソが鼻で嗤ったのが見えた。
「ケイちゃん。勘違いしとるみたいやけどな、俺はここのバイトなん。せやから仕事に勝る優先順位はいまんとこあらへんの。で、今週はずっと雨やさかいに。雨の日限定買い物代行が、いまの俺の最優先事項やねん。そこをわかってくれへんとこれ以上話できひんで?」
ヨシツネさんの眼は、真っ直ぐに俺を見てくれていた。
このまま、
買い物なんかさせずに。
連れていきたい。
誰も手の届かないところで。
俺だけのモノにして。
「わーったら、ワガママ言わんと。手伝ってな。あ、宿題が先か」
「終わらせてます」
「そか。ほな、行くで」
スーパーの前にやっぱりトモヨリがいた。
三本の線。
買い物もお届けもさっさと終わらせた。
「昨日はどうしたんですか? 逃げたのかと思いましたよ」トモヨリが嫌味を言っているのがわかったので。
ぶっ飛ばした。
「ケイちゃん!」ヨシツネさんが声を張り上げた。
トモヨリが起き上がってこようとしたところを、水たまりに投げ捨てた。
「ケイちゃん! なにして」
「痛いじゃないですか。あーあ、びっしょびしょ」
ヨシツネさんがトモヨリに駆け寄らなくてよかった。
そうか。
ヨシツネさんもそれを望んでくれているのか。
「眼の前で殴られてるんですよ? もっと心配して下さいよ。ほら、これ、血ですよ」
「安い挑発しよるからやで」ヨシツネさんが言う。俺のほうに駆け寄って来る。「ケイちゃん、どないしたん? 言いたいことがあるんなら口で」
「口で言って、わかる相手ですか」
「それは」
雨がどんどん降ってくる。
アパートからの帰り道の道端。
人通りはあまりない。
誰も見ていない。
いや、見ていようがいまいがどうでもいい。
俺はいまここで、
こいつを。
殺してしまいたい。
「死ね」
振り上げた拳が、肉にめり込んだのがわかった。
骨が、
砕ける音がする。
雨の伴奏で、
弾ける太鼓の音。
「ケイちゃん! やめて。やめたって、なあ」ヨシツネさんが俺の腕に縋りついているのがわかって。
金色の髪が、
泥の中に沈んでいるのが見えた。
やった、か。
「ヨシツネさん、俺」
血のついた手を雨で清めて。
細い身体を抱き締めた。
「ケイちゃん、ちょお、なにして」
傘が歩道に転がる。
「好きです。愛してるんです。だから」
「こないなことしたんか?」ヨシツネさんの身体が震えている。「確かに、こいつは一発殴らんとわからへん奴やさかいに。せやけど、これは」
やりすぎだと。
そう言って、
ヨシツネさんは俺の腕から抜け出して。
ケータイを耳に当てた。
「救急車。お願いします」と言ったのが口の形でわかった。
殴るような雨が、
俺の頭に落ちてきた。
5
金曜日。
トモヨリは病院に運ばれた。ケガの程度は知らない。生きてるのか死んでるのかも知らない。病院にいるということは少なくとも死んではないのだろう。
殺しそびれた。
ヨシツネさんは、昨日のあのときから口をきいてくれない。
どうして。
邪魔者を殺しそびれたから怒っているのだろう。
わかった。
止めを刺せば。
「ケイちゃん」ヨシツネさんが話しかけてくれた。
買い物はすでに終わった。
その帰り道。
雨がざあざあとうるさい。
ヨシツネさんの声が聞こえづらい。
「あのガキ、被害届は出さんゆうてたから安心しぃ」ヨシツネさんの表情は傘に隠れてわからない。「半分以上は身から出た錆やさかいに。自業自得や。せやけどな、あそこまでボコボコにする必要はあらへん。なんで俺が怒っとるんか、わかっとる?」
「俺の告白の返事も下さい」
ヨシツネさんが溜息をついたような間があった。
俺は何か、変なことを言っただろうか。
「わーった。何遍でもゆうたるわ。お断り。ケイちゃんの想いには答えられへん」
「キソのほうがいいってことですか」
「そうはゆうてへん」
信号で止まった。
赤。
「じゃあ」
「俺な、好きな人がいてるん」
「誰ですか」
「ケイちゃんの知らん人」
赤。
「誰ですか」
「俺のな、実家のお手伝いさんや。せやけど、俺の上司とデキててな。ばっちばちの両想いなん。俺の想いは届かへんの。アホやろ。そないな想いを断ち切れへんで、ずっと、ずーっと引きずっとる。この下らん未練を断ち切らん限り、他んことは考えられへん」
赤が、
青に変わる。
「わかりました。俺で忘れてください。忘れさせます。だから」
「無理やで。敵わへんよ。誰にも。もちろん、社長サンにも、あの金髪のガキんちょにも。誰にも敵わへん。俺が勝手に持っときたい、惨めな想いやさかいに。笑うてええで?」
しばらく無言で歩いた。
ヨシツネさんの顔は傘で見えない。俺のほうが大きいから。
同じくらいだったら、小さかったらその顔をのぞきこめるのに。
なんで。
俺はこんなに大きくできている?
なんのために?
邪魔者をぶっ飛ばすため?
「ただいまー」事務所に戻った後のヨシツネさんはいつもの通りのヨシツネさんで。
いつもの通り夕飯を作ってくれて。
いつもの通りキソと仕事の打ち合わせをして。
いつもの通り、俺と一緒に家まで帰った。
「ほんなら、ここで」
「家に寄ってもいいですか」
「襲わへんならええよ」
なんで、
バレてる。
「盛りのついた犬みたいな息やで? 気ィついてへんの?」ヨシツネさんがあきれたような顔で言う。「まあ、茶飲んで落ち着く間くらいなら、ええで。俺の手の届く範囲に入ったらあかんけど」
そうやって優しくしてくれるから。
俺じゃなくても勘違いする。
トモヨリだって無理矢理家に入った。
キソだってそうやって無理に家に押し入っているに違いない。
雨が斜めに降っている。
窓ガラスに当たって、うるさい音がする。
「座りィな。麦茶でええ?」
「はい、なんでも」
玄関を上がってすぐのところにちゃぶ台がある。ヨシツネさんは座布団を二つ並べてから、台所に行った。
家はヨシツネさんの匂いがした。
思わず深呼吸してしまう。
身体が熱くなってきているのがわかる。
抑えないと。
どうして?
ヨシツネさんが抑えろと言ったから?
でもスサなら、
ガマンするなと言うだろう。
そうだ。
言いなりになる必要はない。
クウだって最初は、俺が無理矢理。
「人でも殺しそうな眼ェで、人の家におらんといてほしいわ」ヨシツネさんが戻ってきた。
麦茶とせんべい。
せんべいはヨシツネさんが自分で食べるだけ。
夜8時前。
せんべいをかじる軽快な音が響く。
「落ち着かへんね」
「ずっと想ってるのつらくないですか」
「そのまま返したろか?」
「そこまで脈なしですか」
「そこまで脈なしやゆうとるやん。諦めえな」
じゃあ、キソは。
「社長サンにもゆうてるよ。でもあっちはあっちで諦め悪いさかいに。好きにしてゆうといた。せやからケイちゃんにもゆわな、不公平やと思うて。好きにしてええで。ああ、あと俺を襲ったら関係はそこで終わりやわ。二度と会われへん。バイバイね」
「手、握るのも駄目すか」
「食い下がるね」ヨシツネさんが眼を見開いた。「ほな、どうぞ」
ちゃぶ台越しに、ヨシツネさんの腕が伸ばされる。
そのまま掴んで、床に押し倒した。
畳の上にヨシツネさんが仰向けになる。
「あんなぁ、ケイちゃん。俺さっき」
「襲いません。襲わないから、ちょっとこのままいさせてください」
学ランの下のシャツの下の首筋は蒼白い。
「ちょ、こそばゆいわ」
匂いを嗅ぐ。
いい匂いがする。
余計に興奮してきてしまう。
「なんやらでっかいで?」ヨシツネさんが俺の股間を睨んでいる。
「気にしないで下さい」
「気にせずにおれるかいな。こないな凶器ぶら下げて、すんすん匂いかいで。ほんまに犬やな」
「ヨシツネさんになら、飼われてもいいです」
「訳わからんこと言うとんな」
このまな襲ってしまえれば、どんなに楽だろう。
でもその先が崖のように何もない。
想像してみた。
本当に楽なのはどっちか。
どっちもつらい。
でも、二度と会えなくなるのが一番つらい。
そうなると、ここではガマンするしかない。
スサの言う通りにするわけに行かない。
ヨシツネさん。
あなたのいるこっちの世界は、なんてもろくて儚い。
俺がやろうとしていること、俺のできることはすべてやってはいけなくて。
俺は何もできない。
ヨシツネさんを遠くで眺めているしか赦されない。
それではあんまりではないか。
やっぱり唇くらい触っても。
「ケイちゃん、一昨日来ィひんかったん、俺のいる場所、わからんくなったのと違うん?」
「え」
どうして。
「図星か。せやろな。他に理由あらへんもん。ケイちゃんが、俺を助けるのやめるなんてことあらへんやろ」
なんで。
そんなに。
「俺のこと、見てくれてるんですか」
好きでもないのに。
想いも届かないのに。
「それが友だちゆうのと違うん? 俺、友だちおらんさかいに。ようわからへんけど」
友だち。
俺の友だちはスサだけだ。
クウはちょっと違うけど、
他のみんなは仲間って思ってる。
友だち。
ヨシツネさんが?
「ああ、そか。社長サンもそやけど、俺と友だちになりたいんと違ったな。すまんすまん。さすがにデリカシィなかったわ」
「あなたの、ヨシツネさんの笑顔が見たいんです」
あのとき、
初めて会ったとき。
この家で会ったときも。
「あなたは笑ってない。心から笑えてない。だから、楽しいって、心から思えるようなことがあればって思って」
「それで助けようとしてくれとるん? おおきにな。そないなこと思うてくれとったんか。なんや、こそばいな」ヨシツネさんが俺の腕の間で身じろぎする。
ちょっと、
キそうになった。
「そろそろええか。さすがに限界発射やろ?」ヨシツネさんがするりと抜けて、身体を起こす。「ああ、ダすんなら家帰ってからにしてな? すぐそこやろ?」
「どうしたら笑ってくれますか。それ聞いたら帰ります」
「ケイちゃんのそれ聞いたら帰りますほど信用でけへんもんはあらへんで? わーっとる? せやな。依頼がばんばん上手くいって、社長サンとこの評判がウナギ登りして、俺の評価も上がって、俺が少しでも長う、ここにおれたら万々歳やな。それ以上に望むもんはあらへん」
「嘘です。誤魔化さないで下さい」
ヨシツネさんは麦茶を一口飲んで、後頭部の髪を整える。
「ヨシツネさん!」
「ほしたら俺の想い、届くやろか。そしたら笑えるかもな」
そう言ったヨシツネさんの眼は、
見たことがないくらい、
冷たく暗い色をしていた。
6
土曜日。
トモヨリが入院になったので勝負はお預けってことでいいのだろうか。
今日は学校が休みなので、ずっと事務所に、ヨシツネさんのそばにいられる。
朝9時。
雨はしとしと。
迎えに行くのは駄目なので、それとなく時間を見計らって。
て、できなくなってるんだった。
出掛ける準備をしていると、「友だちが来てるよ」とおふくろが呼びに来た。
友だち?
「久しぶり」クウだった。「スサに聞いてね。ちょっと心配になっちゃって。時間ある?」
「部屋じゃなくてか?」
「うん、落ち着かないでしょ? いい?」
事務所が開くのが10時で、ヨシツネさんが家を出る時間が9時半だから。
「少しなら」
「じゃあ歩こう?」
境内を突っ切るとじーちゃんのアニキに小言を言われるので、見つからないように遠回りして、九九九段ある観光客が通らない修行用の階段に来た。
ここを降りると、ヨシツネさんの家がある。
霧が濃くて、今日は屋根が見えない。
「足元気を付けろ」
「ありがと。相変わらず優しいね」クウがにっこりと笑う。「迎えに行くの?」
「スサの奴、変なこと言ってなかったか」
「言ってないよ。フラれたなんて、だ~れも」
「言ってたな」
「あ、言ってたね」
こうゆうところがクウらしい。
まどろっこしいことは極力しない。
「大丈夫?」
「フラれただけだ。諦めてない」
「けっこうキてるんじゃない? キツそう。昨日眠れてないでしょ?」
帰ってから、睡眠じゃないほうは盛り上がってしまったが。
そうゆうことじゃない。
「僕でよければ」クウが俺に体重をかけてくる。
「危ないから離れてくれ」
「つれないね。ごめん、僕もなかなか諦められなくて。君さえ幸せなら、て頭では思っててもさ。やっぱり一度好きになった人は、そう簡単に諦められないよね」
1割くらい下りたか。
霧のせいでいまいち感覚がずれる。
「ライバルが多いとも言ってたね」
「筒抜けだな」
「ごめん、実は全部聞いてる。ああ見えてスサがさ、力になれなかったんじゃないかって気にしてたから。スサはスサで役割があって、僕には僕で役割があると思うんだよね。恋愛成就に関しては、僕もスサも門外漢だけど、一緒にいた日数は、スサや僕が長いわけだし。力にならせてよ」
「悪い。心配かけて」
「て思うなら、もっと胸張って。スサにも言われたんじゃない? 好きな人にフラれたくらいでしょげてないでよ。強くてカッコいいオニを僕に見せて? そうしたら安心して帰れるから」
そうは言われても。
ああはっきりと脈なしと言われて、眼中にも入れてもらえていないとなると。
「好きなままいてもいいって言われてるんでしょ? ならまだ諦めないでいいんじゃない? ライバルが多かったらそのライバルを蹴落とすくらいにカッコよくいればいいだけ。簡単じゃん。だって、僕は、オニよりカッコいい人を知らないよ」
「それはお前の」
「少なくとも世界に一人はオニを本気で好きな人がいるんだから、自信持ってってこと。まだまだ人生長いんだから、この先何があるかわかんないよ? ずっと一緒にいれば情も移るし、それこそカッコいいな、て思ってもらえるかもしれないし。まだ大丈夫だよ! だから、落ち込まないで」
「落ち込んでるように見えたか」
「それはもう。世界の終わりみたいな顔で出てくるんだもん。元恋人って言っていいのかわかんないけど、僕は心配しますよ」
気づいたら、
あと数十段。
「悪かったな。あ、ごめん」
謝るなと言われた。
「いいよ。そうゆうとこも含めて好きなんだから」
ヨシツネさんの家が見える。
「じゃあ、お邪魔虫の僕はこの辺で。雨続いててうっとうしいけど、オニに会えてちょっと気分爽快かな」
「ありがとう」
「ううん、どういたしまして。じゃあね」
クウの背中を見送った。
ちょうど、ヨシツネさんが家から出てきた。
「おはようございます」
「誰かおらへんかった?」ヨシツネさんがクウの歩いていった方向を見る。
「仲間が顔を見に来てて」
「ああ、そか。ええの?」
「話は終わりました」
「ほんなら行こか?」
雨はだいぶ弱まってきている。でもまだ予報通りに降りそうだ。
KREアフターサービス、家楼 (ヨシツネさん命名)名物・雨の日買い物代行には、梅雨時期限定のルールがあるらしく、月曜日の7時の天気予報で、一週間丸々雨マークだった場合、その週は毎日買い物代行実施となる。
ああ、それで、ヨシツネさんがくたびれたようにテンション下がっていたのか。
「アホすぎるやろ? そんなん、ゆうたもん負けやん」ヨシツネさんが言う。「しかもな、予報は雨でも実際には降らん日かてあるやん? それでも梅雨んときはやるんやて。こんなん、ハードワークで6月死ねるわ」
ヨシツネさんがなぜこんなに文句を言っているのかと言うと、明日の予報が変わって、日曜は梅雨の合間の晴れになるらしく。
「あり得へんて。なんじょう晴れの日に買い物代行せなあかんの。アホくさ」
ヨシツネさんがこうなっているときは相槌も同調も要らない。
ただ言いたいだけなので、思う存分言ってもらえばいい。
10時。
事務所には、ヤシマとノトも来ていた。
買い物代行の注文は、当日の夕方5時で締め切る。それまでは別の依頼をこなすようだが。
「ケイちゃんは留守番な」ヨシツネさんがとんでもないことを言ってきた。「なんでって顔しとるってことは、余計に反省が必要ゆうことやさかいに。これに反省文まとめてな? 書き終わったら俺がチェックしたるよ」
「何に対する反省ですか」
「いろいろあらはるやろ? それが思い出されへんゆうことは、反省文の枚数増やさなあかんな。あ、社長サン、今日お客さん来よるん?」
「来ないが、そうゆうのは家でやれ」キソが言う。
「まあそう固いことゆわんと。昼食も夕食も好物作ったるさかいに。許したって?な?」
「いいです。家で書きます」
「ケイちゃん。ここで、書いて? わかった?」ヨシツネさんが真っ直ぐ俺を見て言ってくれる。
「わかりました」
「おい、俺は許可してないが?」キソが言う。
「オムライスと、あとはなんや? なんでもゆうたって?社長サン。リクエスト。早う」
キソが根負けして、俺は事務所の片隅で一人、反省文とやらを書くハメになった。
原稿用紙が10枚。
多すぎる。
そんなに書くことはない。はず。
「ほんなら、リスト溜まるまで他のとこ行ってくるわ。ツグちゃと能登君も来はる?」
ヤシマは眼を輝かせて肯き、それを見たノトは諦めたように首を振った。
「ほな、二人とも行こか?」ヨシツネさんが満足そうに言う。
俺も行きたい。
ヨシツネさんたちが出て行ってから、イマイさんがこっそりほうじ茶をくれた。これでガンバってね、ということらしい。ちょっとだけ元気が出た。
時間差でキソも出掛けた。俺と一緒の空間にいたくないだけだろう。
俺だってそうだ。出て行ってくれてよかった。息が詰まる。
反省文。
何を書けば。
ヨシツネさんは納得してくれる?
そもそもなんでヨシツネさんは怒っている?
それがわからないと。
怒らせるようなこと。
トモヨリが怒っているならわかる。ケガの落とし前というやつだから。
でもトモヨリがケガしたことでヨシツネさんが怒るのはわけがわからない。
だからこれじゃない。
昨日の帰りに家に押し入って襲おうとしたこと?
いや、でもヤってないし。においかいだだけだし。
ダメだ。
考えれば考えるほどわからない。
水曜日に手伝いに行かなかったこと?
「苦戦してる?」イマイさんが声をかけてくれた。「お茶のお代わりどう?」
「ありがとうございます」
ほうじ茶は落ち着く。
ヨシツネさんがよく飲んでいるから真似して飲んでみたけど美味しい。
「反省文て言ってたっけ?」イマイさんが丸椅子を持ってきて座った。
ここだけ仕切りで区切られている。
お客が来ないとき、俺はここで勉強している。
「まだ真っ白だね」イマイさんが苦笑いする。
「わかんないんです」
「反省文て、書いたことあるの?」
「ないです」
「じゃあ余計にわかんないよね。お昼にヨシツネさん戻って来るし、聞いてみる?」
「いいえ、自分で考えろってことだと思うんで」
「そう? ならそうしてみよっか。ごめん、邪魔したね。お茶のお代わりは時々行くね。若に見つからないようにこっそりね」
「ありがとうございます」
キソは気づいている。気づいていて見逃してくれている。
むしろヨシツネさんのほうが怒りそう。好きなお茶を俺も飲んでしまっているので。
これのことか?
いやいや、違うだろうさすがに。
結局、お昼になっても真っ白のまま。進み具合をヨシツネさんが見に来たけど、真っ白だったのでがっかりしていた。あきれたかもしれない。
「あんなぁ、そないに難 しいことゆうてへんで?」ヨシツネさんが言う。
「悪いことをしたってことですか」
「せやなぁ。俺が駄目ってゆうとること、憶えとる?」
暴力はダメ。
「暴力?」
「わかっとるやん。それを」
「俺は悪いことはしていません」
「ケイちゃん」
「犬の世話もいいが、先に飯にしてくれ」キソが割り込んでくる。「腹が減ってくらくらする」
「ちょお待っといてな。すぐ作るさかいに」ヨシツネさんが言う。「ケイちゃんも一旦休憩しよか?」
昼食は、キソのリクエストのオムライス。作るたびに玉子の巻き方が上手になっている。
美味しい。
一緒にいれば、いつもこれが食べれるのか。
どうにかしてずっと一緒にいられないものか。
午後1時。
ヨシツネさんとヤシマはまたどこかに出掛けて行った。ノトは塾があるからと帰った。キソは難しい顔をしてパソコンと睨めっこしている。イマイさんは1時間置きにお茶をいれてくれた。
暴力がダメだとするなら、反省文は。
トモヨリに暴力をふるったことを反省する内容になる。
絶対に書きたくない。
意地でも書かない。
あいつは死んだっていい。ヨシツネさんを危険にさらした上に、ヨシツネさんをカネで買おうとした。
ヨシツネさんはトモヨリをかばっている?
いや、そうは思えない。
とするなら、暴力をふるったこと自体についての反省?
それなら、まあ。
書けるかも。
鉛筆を握る。
ガンバって書いたら、ヨシツネさんは褒めてくれるだろうか。
雨は小雨になってきた。
夕方5時。
今日の分のリストが上がって、ヨシツネさんとヤシマは買い物に出掛けた。土日は注文量が多いので、キソも後から追いかけた。キソは自転車で行くので後からでも追いつく。
俺は、まだ書けていないので留守番。
付いていきたかったが、書き終っていないので耐えた。
ガマンしてばっかり。
ガマンが足りない。これも書いとく。
約束を破ったこと。
暴力をふるったこと。
ケガさせたこと。
これからどうするか。
約束は守る。
暴力はふるわない。
言いたいことがあったら口で言う。
できた。
さすがに10枚は書けなかったけど、書いて消してで用紙が汚くなったので、5枚くらいムダにした。
「お疲れ様です」イマイさんが拍手してくれた。
これから追いかけても。
あ、いや、わかんないんだった。
ホントに?
やってみる。
ダメだった。わからない。
「すんません、ちょっと寝てもいいすか」
疲れた。
「いいよ。ただ、サイズが」イマイさんが言う。「こっちの椅子持ってけばなんとかなる?」
「丸まるんで、大丈夫す。あざっす」
ヨシツネさんが帰って来るまで、眠るとする。
夢で、
誰かに会ったような気がした。
黒い。
でもあったかい誰か。
「ただいま」ヨシツネさんの顔が眼の前にあった。「疲れたやろ? そのまんまでええで」
「おかえりなさい」
ヨシツネさんの手元に、俺の書いた反省文があった。
「どうすか?」
「初めてにしてはええのと違う? せやけど、ここ、漢字間違うとるな」
「直します」
「せやな。直して」
夜7時。
「夕飯どないする? みんな食べてもうたで?」
「もらいます」
「持ってくるわ」
雨は。
よく見えない。
ヤシマは先に帰った。キソがイマイさんと難しそうな話をしている。
「どうぞ」ヨシツネさんが持ってきてくれた。
ナスとひき肉のキーマカレー。
これもキソのリクエスト。
「いただきます」
「ちょお、からいかもしれへん」
「美味しいです」
休みの日は二食も手作りを食べさせてもらえる。
本当にうれしい。
「すみませんでした」
「言わんでも、反省文見たらわかるで?」ヨシツネさんが言う。
「わかるんですか?」
「ガンバって書いたん、わかるわ。内容ゆうより態度を見とったさかいに。もうええよ。食べたら帰ろか」
夜7時半。
ヨシツネさんと一緒に家に帰る。
「ああ、明日晴れかと思うとイライラしてくんな」ヨシツネさんが言う。
雨はもうほとんど已んでいる。
ヨシツネさんが傘をたたんだ。
俺も真似した。
ヨシツネさんの家の前まで来た。
「ケイちゃん、お疲れさんやったな。俺と一緒にいたいなら、約束は守ってね。ほんなら」
「あ、あの」
「なんや?」
「ガンバったので」
屈んで、ヨシツネさんの唇を。
手が。
腕が。
「俺からちゅー奪うん、一京年早いわ」
もう少しだったのに。
でも至近距離で顔を見れたので。
それはそれで。
7
日曜日。
たいらが見舞いに来た。
ヨシツネが来てくれるのをずっと待ってるんだけど、その気配すらない。
イライラしたので、病室(個室)でたいらに跨らせた。
いつもと場所が違うので多少は盛り上がったけど、身体が思うように動かないのでつまらなかった。
つまらない。
ほんとうに、つまらない。
殴られたことは怒っていない。
ヨシツネの眼の前でやってくれたので、むしろ感謝している。
ああこれでまた、記憶が鮮烈に刻まれただろうから。
罪悪感とか憶えてくれたら申し分ない。
ふと、カレンダーを見る。
そうか、来月は。
「楽しそうですね」たいらが見当違いなことを言った。
腹が立ったのでカレンダーを投げつけた。
顔には当たらなかった。
顔は避けた。
その顔だけは、僕のお気に入りなんだから。
** *****
「お前ら、好きな漢字考えて来ただろうな」1が言う。
「うん、僕は来 。未来の来。いい字でしょ?」2が言う。
「俺は、世 。世界の世だ。カッコいいだろ?」1が言う。
「オニは?」2が言う。
「俺は」
武 。
「なんだそりゃ。お前の名前か?」1が言う。
「いいんじゃない? オニぽくて」2が言う。
「んじゃあ、俺らの全部合わせると」1が言う。
武
世
来
「ぶせらい?」2が言う。
「ぶぜらい、だ。そのほうが言いやすい」1が言う。「な? お前もそれでいいだろ?」
その日、
武世来ができた。
次回予告
KREから土地を買って総本山を構えた新興宗教団体・白竜胆 会。
そこから社長サンのところに直々に招待が来た。
教祖の誕生日会をするから来てほしい、と。
なんで俺も付き添わないといけないのか。
社長サンの家の事情は、気にならないわけではないが、完全に部外者だろうに。
「お前にも知っておいてほしい。俺の母親と父親のことだ」
思い詰めたように語る社長サンの横顔は、夏空の下でも曇ったまま。
次回 第8話
『キに寄りて魚を求む』
別に社長サンの母親と父親が誰だろうと俺には関係ないだろうに。
「知っといた方がいいですよ。KRE一番のスキャンダルなので」
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