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傷跡 2-7

『はぁ……はぁ…… はぁ……』 荒れた吐息が聞こえる。自分のものだろうか、それともーーー… 誰かの手が、頭を撫でている。 ーーーー誰…………? 髪の毛から滑り落ちたは、そのまま、耳元へとゆっくり降りてくる。 頬、唇に触れた冷たい指先は少し震えていて、どこか躊躇しながら、またゆっくりと、耳、首元へと移動する。 ーーーなに………? ーーー気持ち悪い……なに、これ………… 『はぁ……はぁ……はぁ……』 ーーー誰か…助けて………… 「…………うっ……」 ーーーーここは、どこだろう…? ゆっくりと目を開けた夕人は、横になったまま、顔を左右に動かした。    グレーの布張りの天井……小さなライト、ーーー。 ーーー車………? 「気がついたかい?」 声の方に目をやる。そこには、運転席のハンドルに手をもたれかけて座ったまま、自分の様子を伺う風間の姿があった。 助手席の革張りのシートは水平にリクライニングされていて、夕人はそこに寝かされていた。 「あ、あれ……俺………?風間…さん、なんで…」 事態が飲み込めない夕人が身体を起こそうとすると、風間はそれを止めた。 「無理して起きない方がいい、きみ、熱中症になりかけていたんだよ。 そこ、保冷剤で首元、もう少し冷やしておいた方がいいよ」 夕人は自分の首元に手をやった。タオルに包まれた保冷剤が、首元、脇の横に挟んであった。 「きみ、塾を出て少し歩いたところ、横断歩道の前で倒れたんだよ。 帰る前、なんだか様子がおかしかったと思って、心配になってすぐに追いかけたんだ。 ーーー本当に良かったよ」 「そ……そうだったんですか……すみま、せん… ご迷惑を…」 夕人が謝ると、風間はどこか意味深な笑みを浮かべる。 「相模くん、きみ、ダメじゃないか。無理したりしちゃ……。きみはね、もっと、周りに頼らないといけないよ。 きみみたいにか弱い子は……んだからね」 「え………?」 どうしてそんなことを言うんだろう、と夕人は疑問に思った。 確かに、水分補給を怠って熱中症になりかけてしまい、倒れてしまったことは夕人本人の過失が原因で、それを責められるのも仕方がないのはわかる。 また風間に対して、助けてもらったことに恩も感じていた。 だけど、この時の風間の口ぶりは、まるで、に言い聞かせているような……たかが塾講師と生徒という関係性でしかない2人の間柄で、そんな風ないわれをするのはおかしい、と違和感を感じた。 「あの…俺、帰ります。助けてくださってありがとうございました…。もう、大丈夫なんで…」 夕人がそう言って身体を起こして、車のドアハンドルに手をかけようとした瞬間だった。 『……ガチャッ!!』 「ーーーーー!」 風間は運転席の車内キーを操作して、ドアのロックを掛けた。 「……ダメだよ、また倒れたりしたらどうするんだい?これから僕が、ちゃんと家まで送ってあげるよ」 「え……いや、そんな……悪いです…」 風間は車のエンジンを掛けて、シートベルトを装着した。 「親御さんにも、きちんと連絡しておいたから、心配しなくて大丈夫だよ。 きみのお母さんも、“よろしくお願いします”って言ってたよ」 ーーー家に、連絡してくれてたんだ…。 母に連絡をしてくれているというのを聞いた夕人は少し安心をして、ここはひとまず風間の言葉に甘えることにした。 風間が車のエンジンをかけて、アクセルを踏み込む。 「きみのお宅までここから30分はかかるから…寝ていていいよ。着いたら起こしてあげるからね」 「あ……はい…………」 “家に帰れる”と安心したおかげか、風間の言葉にまた睡魔に襲われる。 薄れゆく意識の中で、いくつも、違和感を感じていることを反芻していた。 ……なぜ、風間は車で助けに来てくれたのか?様子がおかしくて心配して追いかけたのなら、歩いて行く方が早いはずなのにーーー。 ……案内したことのない自分の自宅の場所を知っていて、所要時間まで把握しているのはなぜーーー? ……誰かに、身体を触られていたような……あの感覚。 あれは、夢………?それとも………?

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