48 / 113
道標 1-2
5月の連休が終わり、世間はすっかりと慌ただしい日常が戻りつつあった。
大通りの交通量の多さ、足早に行き交う人々。
バス停でいつもと同じ時間のバスを待っていた夕人は、通学鞄の中で音を鳴らすスマホに気がついた。
ーー何だ?…メッセージか………。
高校入学を機に最新機種に変えてもらった携帯は、あまり電子機器に詳しくない…いわゆる機械音痴の夕人には正直扱いづらく、最低限の連絡手段としてしか機能していなかった。
スマホの画面を開くと、送信元は“速生”となっている。
ーーー速生から?なんでまた……。
“起きた?バスちゃんと乗ったか?”
ーーーえぇ…どれだけ心配性なんだよ……。
ふぅ、とため息をついてから画面をタップする。
“いまから乗る”
“なら良かった!気をつけてこいよ〜そういえば今日朝1で英語小テストあるらしいぜ”
“しってる”
“さすが!勉強した?どこ出るか知ってたら教えてくれない?それか先週の英語のノート写させて、お願い!”
“ダメ”
“そこをなんとか、夕人さま、ジュースおごるから”
「ーー…ってレス早いな!部活しろよ!」
夕人は思わずバス停で一人叫んだ。
そしてすぐはっとして周りを見渡す。両隣でバスを待っている年配のサラリーマンの男性、若いOLが驚いてこちらを見ている。
ーーーはっず………速生、お前のせいだぞ……。俺はたから見たら独り言やばい痛いやつじゃん…。
夕人が顔を赤くして俯いていると、やっと目的のバスが到着した。
バスに乗り込み、夕人は1番前の座席の前の手すりにもたれかかって、外を眺めた。
車内はそんなに混んでおらず空席もちらほらと見られたが、せいぜい15分ほどの乗車時間で、わざわざ座る席を確保する方が面倒だと思い、1人で乗る時は自然とその場所が降車までの定位置となっていた。
窓から見える景色、街路樹の新緑がとても綺麗で、スケッチしたいなぁ……と眺めていた時だった。
後ろから肩をトントン、と叩かれて夕人は振り向いた。
「おはよう、相模くん」
「あ……えっと、瀬戸……部長………さん。」
「あぁ、瀬戸でいいよ。
相模くん、朝はいつもこのバス乗ってるんだ?」
そこにいたのは、夕人が高校入学して迷わず入部を決めた美術部の、部長を務める瀬戸 和樹 だった。
「……おはようございます。はい、いつもこれに乗ってます……けど」
“だから何?”と言わんばかりに、無表情のままオウム返しで返事する夕人の無愛想ぶりに、瀬戸は苦笑いしつつ、
「へえ……俺は、いつもこれの一本前のに乗るんだけどさ、今日はちょっと寝坊しちゃって。
初めて乗ったんだけど結構この時間のはゆったりしてるね」
瀬戸は細身の長身で、体格はそんなに良くないにしても、線の細い独特な見た目と雰囲気の持ち主で、一部の生徒から人気が高かった。
それはもしかしたら彼の持つ芸術性スキルからくるものなのか、瀬戸は絵画だけに留まらず、造形、彫刻など美術全般の能力をまわりから高く評価されていた。
「あの……よく、俺の名前…覚えてますね。
まだ部活、そんな数えるほどしか出てないのに……」
入学して間もない頃に行われた体験入部で初めて美術部部室を訪れた時、部長を務める新三年生の瀬戸の挨拶と部の紹介を聞きながら、過去の部員たちの作品の展示を見てまわった。
その中で一番、瀬戸の描いた油絵の抽象画がひときわ目に留まりーーー……他人にあまり興味のない夕人でも、瀬戸の名前と顔は印象に残っていた。
ただ、他に一年生の入部希望者は男女合わせて10名ほどいたため、まさか自分が、その部長に顔と、名前まで覚えられてるとは思いもしなかった。
「いやぁ……だって、相模くん目立つから。うちのクラスの女子たちや、部員の子達もはしゃいじゃってさ。
“一年生の王子が美術部入るって!!”って、キャーキャー言ってたよ」
「えぇ……へぇーー……そうですか」
夕人はその言葉を聞いて、心からげんなりした顔をする。
それを見た瀬戸は、少し不思議そうな顔をしていた。
『次はーーー、市立第一高校前。お降りのお客様はーー……』
「………降りないんですか?」
「え?いや、降りるよ!降りれないと困るよ」
夕人と瀬戸は一緒にバスを降りて、学校へ向かって歩き始める。
「相模くんは、あまり、誰かからモテたり、騒がれたりするのが好きじゃないんだね?
とても綺麗な整った見た目をしてるから、こういうのは今に始まった事ではないんだろうけど…」
「はぁ……まぁ。正直この顔で昔から得したと思えること、ほとんどなかったんで」
並んで歩きながら、正門をくぐった。
ーーなんで俺、美術部の部長さんと一緒に登校してんだろ……?
夕人が不思議に思いながら少し歩く速度を早めようとしていた時だった。
「相模くんは、自画像を描いてみるといいかもしれないね」
「……自画像、ですか?」
「そう。写真に撮った自分や、鏡に映る自分もいいんだけど………そういうものに捉われずに、自分はどういう顔で、どういう姿なのか。
想像して描くんだ。一体どういう姿で在りたいのかーー…
内なる自分、秘めたものや無意識に閉ざしている部分が見えてくることがあるよ。
別に”自分を好きになって欲しい”とかそんな高尚なことを説くつもりはないから、まあ、あくまで参考にね。」
「はぁ………」
ーーーなんか……真理っぽい。この人、結構すごいかも。
純粋にそう思った。
「参考にします、どうも…ありがとうございます」
夕人は初めてきちんと瀬戸の顔を見て、笑顔で答えた。
「いや、
こちらこそバスの中からずっと話に付き合ってくれてありがとう、楽しかったよ。
また、部活で会えるのを楽しみにしてるよ、それじゃあ」
そう言うと瀬戸は三年の校舎の方へ向かって歩いて行った。
ともだちにシェアしよう!