52 / 104

道標 2-3

放課後の美術部室。 「ーー…では、今年の市立第一高美術部からの、市開催芸術文化祭への出展物のテーマは“油絵”で進めることに決まりました。 部員の皆さんは、各自作品製作に取りかかってもらい、期日までにーーー…」 美術部部長の瀬戸と、部顧問の教師が説明するなか、夕人は、クロード・モネの画集を眺めていた。 部員たちは『何描く?』『油絵苦手なんだよな…』などと話しながら、片付けを終わらせた者から部室を出て帰って行く。 「……あの、瀬戸さん。」 「ん、なに?相模くん」 夕人は、教壇横の椅子に座って書き物をしている部長の瀬戸に話しかけた。 「その、芸術文化祭に出す絵って、模写でもいいですか?」 「ああ……勿論、いいと思うよ。 今回の出展は別にコンクールとかとは違ってあくまで自由課題で、強制じゃないから。 何描くの?あ……もしかして、モネ?」 瀬戸は夕人が手に持ったモネの画集に目をやった。その言葉に頷いて、画集の中の“睡蓮の池と日本の橋”のページを開いた。 「睡蓮シリーズ、いいよね、頑張って。楽しみにしてるよ」 「……はい。 あの、今日、少しデッサンだけ終わらせて帰ったらダメですか?」 周りを見ると、部員は皆帰宅していて、部室に残っているのは瀬戸と夕人の2人だけだった。 テスト期間前ということもあり、とりあえずしばらくの間までは美術部の部活動は自由参加とされているためだ。 「……わかった、じゃあ俺、顧問の先生に言っておくから、帰る時は職員室に声だけかけてくれるかな? “描きたいタイミング”って、あるもんな。 それ大切にした方がいいから」 “暗くなる前には帰るんだよ”、と言って帰り支度をして部室を出て行く瀬戸の言葉に頷いて、夕人は1人、椅子に腰掛けた。 真っ白の、ペーパーカンバス。 木炭を手に取り、デッサンを始めようとした夕人は、手を止めた。 「“自画像”………か……」 部長の瀬戸に、この前登校時に言われた言葉を思い出していた。 ーーー自分の、内なるもの、秘める何か……。 ーーー俺は自分で自分のことを、どう思ってるんだろう。 幼少期からこれまで、それこそ容姿について夕人を褒める者はいても、貶されたことなど一度もなかった。 だけどそれを自分はどう思ってきた? 褒められて正直悪い気はしない、だけど……… ーーー見た目なんて、所詮はただの“容れ物”だ。 こんなにも、無愛想で、誰にでも心優しくなんてできない、人を信じることに臆病な自分を……好きになるやつなんて、普通は……… その時、夕人の頭の中に思い浮かんだのは、 ーーー速生………。 夕人ははっとした。 ーーーな、なんで速生のこと考えてるんだ、俺……。 ふと美術部室の窓から見えるグラウンドに目をやると、運動部部員たちが発する、様々な音が聞こえてくる。 陸上部のランニングする足音、テニス部のラケットで硬式ボールを打ち返す音、野球部のバッティング練習のかけ声ーーー… ーーーバスケ部は、体育館だもんな。 きっと今頃、速生も、たくさん汗をかきながら楽しそうに走り回っているんだろう。 夕人はひとり、くすっと微笑んだ。 そして、開いていたモネの画集を閉じて、部室の棚に仕舞い、もう一度、椅子に座った。 ーーー俺にはいま、ただ自分にできることを、やるだけだ。 夕人は、もう一度木炭を手に取り、カンバスに線を描き入れ始めたーーー……

ともだちにシェアしよう!