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第32話

 三笠の隣に座る蒼空は、さらに語った。 「それから半年後に、山之内は母親に暴力を振るったんです」  三笠に話す蒼空の顔がますます曇る。 「それで、俺が止めようとしてやり合って……アイツはナイフを手にしました」  話を聞く三笠にも、緊張が走る。 「そ、それで?」 「それで……揉み合ってた時に切られちゃったんです」 「そうだったのか……」 「長くてすみません」 「いや、それで、それから通報とかは?」 「いえ、してません。別に大したことなかったし、家のことだから……」  そう言う蒼空の腰に、三笠は手を伸ばした。 「こんなに傷が残ってるのに……」 「まぁ、そうですね。病院にも行かなかったんで」  蒼空はハハと苦笑した。 「それで、僕は中学を卒業したら家を出ようと思ったんです。母親も一緒に」  ベッドのシーツを、蒼空はギュッと掴む。 「でも、母親はアイツを一人にできないと言って、留まりました。何度も、アイツとは別れてくれって言ったんですけど……」 「そうだったのか……その後は?」  三笠も以前の捜査である程度聞いていたが、蒼空から聞くのは初めてだった。 「俺は一人で暮らすようになったんですけど、母親も心配だったんで、こまめに家に買えました。お金は、母親の援助と自分のバイトで……」  蒼空の苦労を思うと、三笠の胸が痛んだ。 「あと、それだけじゃなくて、アイツとのことで、俺は人に触れられるのが苦手になりました。それもあって、好きだとかの感情が分からなかったんです」  蒼空はシーツを掴む手を強めた。 「辛い思いをしてきたんだね。俺にも……消えない過去はあるよ……」 「え?」  驚きに、蒼空は目を瞬かせた。 「俺が警察官になりたての頃、お世話になっていた先輩がいたんだ。俺も割と慕ってたんだけど……その先輩と組んで一年が過ぎた頃に突然……先輩は俺に迫ってきたんだ」  前に訪ねてきた東郷のことだ。今となっては、東郷のことは苦い思い出となっている。  仮眠室で寝ていたら、いつの間にか入室してきた東郷が触ってきたのだ。その時は未遂に終わったが、別の日には取り調べ室でも他の署員らの目を盗み触ってくるようになった。 「おまけに先輩は、飲み会で泥酔させた俺をホテルに連れ込んだ。先輩が好きなわけじゃなかったけど、ことあるごとに求めてくるようになった」  三笠も東郷には逆らえなかったのだ。いつしか三笠は、誰にでも身体を開く男になっていた。  最初は嫌悪感しかなかったのに、あんなに東郷を憎んだのに……。東郷に耐え切れなくなった三笠は職場を異動したが、身体だけは快楽を忘れられなかった。 自棄になり、快楽だけのために男を漁り貪った。相手がどんな人間かなんて関係ない。ただ溜まった何かを発散できればそれで良かったのだ。 「俺はそんな奴だよ。君に出会うまではね。言わないでおくこともできたし幻滅したかもしれないけど、ちゃんと俺のことは知っておいて欲しくて」 「俺は、過去に何があったかなんて気にしません。今の俺を、これからの俺を愛してくれればそれでいいです。……三笠さんは?」  不安そうな眼差しで、蒼空が見詰めてくる。その目に吸い寄せられるように、三笠は彼を優しく抱きしめた。 「俺も、今の蒼空くんが傍にいるならそれでいい。俺が、君の心の傷を癒したい。嫌な過去を思い出すことがないように、精一杯愛するよ」 「三笠さん……」  蒼空も呼応するように、ギュっと三笠の背中を抱き返す。 「本当に、俺なんかでいいんですか?」 「君がいいんだ。いや、君じゃなきゃだめだ。これからも、俺と一緒にいて欲しい」 「僕もです……。あなたなら、信じられるから」  蒼空の言葉に堪らなくなった三笠は、蒼空から身を離すと彼の顔を両手で挟み、唇を重ねた。ありったけの思いを込めて。

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