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第53話
「久々の外の空気が美味しいです」
車の助手席に座った蒼空が呟いた。
「だろ?これからは毎日吸えるよ」
「はい。体が鈍っちゃったんで、運動もしなきゃいけませんね」
「え?それなら、俺との夜の運動が思う存分できるぞ?」
三笠が運転席でニヤリと笑うと、蒼空は顔を真っ赤にした。いちいち分かりやすい反応が可愛い。
「な、何言ってるんですか!真っ昼間に......」
「分かってるよ。まだ本調子じゃないし、しばらくはお預けな」
隙を狙って、三笠は蒼空の頬に不意打ちのキスをした。
「三笠さん......」
「でも、調子が戻ったら容赦しないよ?」
熱を孕んだ目を向けると、蒼空は俯いて「はい」と答えた。
十五分ほど車で走ると、蒼空の自宅に到着した。蒼空が住んでいるのは二部屋あるアパートだ。三笠のマンションから車で五分の場所にあり、行き来がしやすくなっている。
「何か、凄く久々に帰ってきたので、懐かしいかも」
「そうだよな。あ、荷物ここに置いていい?」
三笠が問うと蒼空は「はい」と答えたので、リビングのソファーに大きなバッグを置いた。蒼空もその隣にもう一つのバッグをどさりと置く。
「せっかくだし、今晩退院祝いしようか」
「え、俺まだ酒飲めませんよ?」
「うん。だから、ノンアルで乾杯しようよ」
「あ、そっか……それなら大丈夫ですね」
「うん、俺が仕事帰りに飯と一緒に買ってくるよ」
「すみません。ありがとうございます」
恐縮する蒼空が頭を下げる。
「いいんだよ。じゃ、俺は仕事に戻るから。ゆっくり休んでて」
それから三笠は署に戻った。私用での外出は、あっという間に終わった気がする。
夜にはまた蒼空に会えるのだし、残りの時間も頑張れるだろうか。
「悪い、遅くなった」
ちょうど外出から戻ってきた様子の雪田に声をかけた。
「三笠さん、川上は家に戻りましたか?」
「あぁ。明後日から復帰するそうだ」
「良かったですね、ホント。同僚が怪我するの辛いっすよ、やっぱり」
「そうだな。こんな仕事だから仕方ないが、起こって欲しくないな」
それが三笠の本心だ。今回は蒼空が危険な目に遭ってしまったが、本当は仲間には誰だって負傷して欲しくないのだ。
「本当っすよね」
「俺がいない間に何もなかったか?」
事件などが起きていたなら電話が来ていたはずだが、三笠は敢えて尋ねた。
「ないっすよ。新しいヤマもないんで、過去の案件調べてました」
「過去の?」
「はい。二カ月前に起きた、ひったくり事件が未解決じゃないすか」
「あぁ、覚えてるよ。若い女性がバッグのひったくりに遭ったヤマだな?」
バイクに乗った犯人にブランドもののバッグを取られた女性は、はずみで転倒してしまった。その際に女性は左腕を骨折していた。
「そうです。被害者、退院したのかも気になるんすよね」
「確かにな。捜査し直してみるか」
犯人はフルフェイスのヘルメットを被っていた上に、事件当時は暗がりで目撃者も見つけられなかったのだ。
時間は経過してしまったが、できるだけ早く解決したい。
「分かりました。じゃあ、早速病院に行ってみますか」
「そうだな。あ、いや。その前に電話をしてみよう。既に退院しているかもしれないしな」
「そっか......確かにそうっすね」
三笠は席に落ち着くと、すぐに被害女性である花田香織の携帯電話にかけた。
「北署の三笠です。ご無沙汰しております」
『お久しぶりです。どうかされましたか?』
「その後、お加減はいかがかと思いまして」
『あぁ。わざわざお気遣いいただきありがとうございます。お陰様で、つい先日退院したんですよ』
花田香織の声は弾んでおり、元気そうで良かったと三笠も安堵する。
「そうでしたか。おめでとうございます」
『ありがとうございます。まぁ、まだ無理はできませんけど、普通に生活をして良いと言っていただけました』
「それは何よりです」
『それで......犯人は見つかったのでしょうか......』
それは被害者にとって、当然の疑問だ。
「時間がかかってしまい、申し訳ありません。私たちも全力で捜査しておりますので、もう少しお待ちください」
花田香織は金品も捕られているが、カードなどは既にストップさせている。現金もさほど高額を持ち歩いていたわけではなかった。それでも、大切なバッグがどうなっているのか気になるのだろう。二ヶ月も足取りが掴めないとなると、自分たちの非力さを痛感せざるを得ない。目の前の被害女性に対しても、面目が立たない。
『あのー......バッグはもう戻ってきませんよね。かなり経っていますし......』
「見つかるとは断言できませんが、力を尽くしますので......」
『分かりました......』
「では、何か分かりましたらまたご連絡させていただきます」
『はい、お願いします』
電話が切れた後、三笠は事件について思い返した。
事件後、花田香織は犯人について黒っぽいバイクに乗っており、ヘルメットのカラーは赤だったと言っていた。それ以外は特に覚えていることはなかったようだ。一瞬の出来事だったし、暗くなっていたこともあり犯人を認識する余裕などなかっただろう。
ヘルメットを被っていたということで、男女の区別もつかない。そうしたことから、捜査は難航したのだ。
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