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第54話
それから一時間後、職場に花田香織から電話がかかってきた。先ほども電話したばかりだが、どうしたのだろうか。
「どうしました?」
『すみません、お忙しいところ……』
「いえ、いいんです」
『実は、犯人は……左手の甲辺りに薔薇のタトゥーをしてました』
「え、タトゥーですか?」
それは、三笠もまだ聞いたことがない情報だった。なぜ今になって言ってきたのだろうか。
『えぇ。あの時は夜だったんですけど、街灯に照らされたタトゥーがちょうど見えたんです。当時は気が動転してて言えませんでしたが、さっき思い出したんです』
犯人の手がかりなのに、忘れたというなら不自然だ。しかし、パニックになればそういうこともあり得るのだろうか。
何はともあれ、大事な手がかりとなることは間違いない。
「証言をありがとうございます」
『いいえ。それでは』
電話を切ると、三笠はふとある病気のことを思い出した。以前、知人から解離性健忘症について聞いたことがあった。それは強いストレスに苛まれた時に生じるという、解離症状の一つなのだそうだ。花田香織も、その解離性健忘症なのではないかと思ったのだ。
病気かどうかは定かではないが、今になって重要な記憶が戻ったというのだろうか。
考え事をしていると、雪田が出先から戻ってきた。
「あぁ、お疲れ。何か情報は掴めたか?」
「花田香織さんっすけど、精神科にもかかっていたみたいです」
「精神科?」
「はい。解離性健忘症でした。あの事件で発症したみたいっすけど、入院中も骨折と並行して治療を受けてたんですよ。今も通院してるらしくて」
「そうだったのか……」
本当に彼女は記憶の一部を失っていたということか。なら彼女は、どうして自分に症状のことを黙っていたのかと三笠は不思議に思った。
「さっき、彼女と電話で話したけど、症状のことは何も言っていなかったぞ」
「え、そうなんすか?」
「あぁ。犯人が手の甲辺りに薔薇のタトゥーをしていたことを、思い出したとは言っていたけどな」
そう告げると、雪田は目を見開いた。
「それって、結構良い手がかりじゃないっすか?症状のことは、もう三笠さんにも伝わってると思ったのかも……」
「そうかな……」
他にも大事なことを忘れていたら、捜査にも支障が出るため困るのは困るだろう。
「まぁ、今は手に薔薇のタトゥーをしている人間を探すのが先決っすね」
「大変ですけど」と、雪田は苦笑いした。途方もない捜査になりそうで、三笠も気合いを入れ直す。
「じゃあ、行ってくる」
三笠が椅子から立ち上がると、雪田が少し慌てたように言う。
「あっ、待ってください。俺も行きます」
今はコンビではないが、力になりたいと思ってくれたのだろうか。
「いや、お前は戻ってきたばかりじゃないか。俺一人で大丈夫だから、残ってろ」
後輩を気遣ったつもりだが、雪田は不服そうな顔をした。
「俺ならタフなんで気にしないでください。少しでも役に立ちたいんすよ」
そういえば、雪田の体力は並外れていることを忘れていた。この男は、二日や三日徹夜したくらいじゃ倒れることがないのだ。
「分かったよ。じゃあ、一緒に行くぞ」
「はい!」
嬉しそうに返事をした雪田を伴い、三笠は捜査に出掛けた。
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