55 / 63
第55話
犯人を探すには、途方もない労力を要するだろう。まず三笠たちは、管轄内にある彫り師の店を当たることにした。手の甲に蝶のデザインを彫ったことのある彫り師を探すのだ。そうすれば、犯人に近づける可能性があるからだ。
「ウチじゃあやってないな。他当たってくれ」
一軒目に訪ねた店ではあっさりと否定された。三笠も、早々と見つかるとは思っていない。だから、根気強く聞いて歩くしかないのだ。
「分かりました。ありがとうございます」
お辞儀をして、三笠は店を出た。
その後、立て続けに五軒で犯人に繋がる証言は得られなかった。
管轄エリアのギリギリの場所にある店でも、店主は否定する。
「あー、蝶か……蝶は彫ったことないですね」
「それは間違いないですか?」
「は、はい……」
蝶というと、タトゥーのデザインとしては珍しくないだろう。この都内で一軒も彫ったことがないというのは考えにくい。
「そうですか。分かりました。ありがとうございます」
三笠はそれ以上追求せずに、店を後にした。
店を出る間際に三笠は、店内の壁に蝶のデザイン画が貼られているのを見逃さなかった。
『ここは怪しいな……』
そう思いながらも、三笠は署に戻った。
次の日、蒼空が仕事に復帰した。
「皆さん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今日からまた頑張るので、よろしくお願いします」
蒼空が頭を下げると、チームの皆から拍手が起こる。この日を待ちわびていた三笠も、嬉しさがこみ上げる思いで拍手を送った。
仲間からは、「待ってたぞ」や「お帰り」といった声が飛ぶ。蒼空が仲間たちに愛されていることが分かり、三笠も嬉しくなった。
「ありがとうございます」と頭を下げて、蒼空が席に座る。取り立てて事件は新たに起こっていないため、三笠はひったくり事件について蒼空に切り出した。
「二カ月前のひったくり事件覚えてる?まだ解決していないんだ」
「覚えています。確か、あまり目撃者いなかったんですよね。これから、犯人見つけられるでしょうか」
「犯人は手の甲に薔薇のタトゥーを入れてたって、被害者が新たに証言したんだ」
「え、そうなんですか?」
蒼空もよほど驚いたらしい。
「あぁ。被害者は解離性健忘症らしい。タトゥーのことは、記憶から抜け落ちていたみたいだな」
「なるほど……」
「でも、思い出してくれて良かったよ」
蒼空が「そうですね」と頷いた時、三笠の席の電話が鳴った。
『彫雅堂の新谷ですが』
電話をかけてきたのは、昨日最後に訪れた入れ墨店の店主だった。
「あ、はい。昨日はありがとうございます。どうしましたか?」
『あのー……薔薇のタトゥーのことで、話があるんです』
「何でしょうか」
『ちょっと、店まで来ていただきたいんですが……』
何か事情でもあるのだろうか。
「分かりました。これから直ぐにうかがってもよろしいでしょうか」
『はい。お願いします』
「では、今から参りますので」
犯人逮捕に繋がる情報が得られるのだろうか。期待せずにいられない。
電話を切ると、蒼空が聞いてきた。
「どうしたんですか?」
「昨日、ひったくり事件で聞き込みに行った先の店主からだ。犯人が入れてる薔薇のタトゥーについて話があるらしい」
「え、そうなんですか?」
「うん。早速だけど、これから行こうか」
「分かりました」
それから直ぐに、三笠と蒼空は彫雅堂を訪れた。
「いらっしゃい。来ていただき、ありがとうございます」
恐縮した様子の店主が迎えてくれる。
「お邪魔します」
三笠たちは店の奥に通され、応接セットのソファーに座った。
二人が出されたお茶を啜(すす)ると、店主が徐ろに口を開いた。
「実は……薔薇の絵図を彫ったことがあるんです……」
「そうでしたか。いつだったかは覚えていますか?」
「三年前でした。中性的な感じの男だったと記憶しています」
「男性だったんですね?」
「はい、そうです。あ、ちょっと待ってくださいね」
店主はテーブルに用意されていたファイルを手に取り、目当ての箇所を広げた。
「これが、その人のカルテです」
「間違いないですか?」
三笠が念を押すと、店主は「はい」と答えた。
カルテには確かに、手の甲に薔薇を施術で入れたことが書かれている。客は矢野という男で、年齢は二十七歳だという。
「あぁ、そうだ。その薔薇のタトゥーの写真も撮ってたんですよ」
そう言って店主が見せてくれた写真では、手の甲を存在感のある薔薇が彩っていた。
「見事ですね……」
思わず蒼空が呟いた。
「そうだな。まさに芸術だ」
三笠たちが感嘆していると、店主が切り出した。
「実は、三日前にその客から電話で口止めされたんです。薔薇のタトゥーを入れたことを、黙ってろと」
店主は申し訳なさそうな顔をしている。
「そうだったんですか……」
「この前は、本当のことを言えずすみません……」
「いいえ。話していただきありがとうございます」
三笠たちは矢野という男の情報を控え、店を後にした。
矢野が犯人かどうかは確証はないが、この情報が手がかりになってくれれば良い。
「他には、何か気付いたことなどはありませんか?」
三笠が尋ねると、店主は「後はないですね」と言った。これ以上、この店主から聞き出せることはないだろうか。
「そうですか。ご協力ありがとうございました」
「いいえ。わざわざご足労いただきありがとうございます」
「では、失礼します」
三笠と蒼空はお辞儀をして店を出た。
「手がかりが見つかって良かったですね」
外を歩きながら蒼空が呟いた。
「あぁ。店主が話してくれなかったら、本当に迷宮入りするところだった」
「犯人、捕まえられるでしょうか」
「身元が分かったし、捕まえなきゃな」
「はい」
二人は停めておいた車に乗り、署に戻った。
ともだちにシェアしよう!