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第55話

 犯人を探すには、途方もない労力を要するだろう。まず三笠たちは、管轄内にある彫り師の店を当たることにした。手の甲に蝶のデザインを彫ったことのある彫り師を探すのだ。そうすれば、犯人に近づける可能性があるからだ。 「ウチじゃあやってないな。他当たってくれ」  一軒目に訪ねた店ではあっさりと否定された。三笠も、早々と見つかるとは思っていない。だから、根気強く聞いて歩くしかないのだ。 「分かりました。ありがとうございます」  お辞儀をして、三笠は店を出た。 その後、立て続けに五軒で犯人に繋がる証言は得られなかった。  管轄エリアのギリギリの場所にある店でも、店主は否定する。 「あー、蝶か……蝶は彫ったことないですね」 「それは間違いないですか?」 「は、はい……」  蝶というと、タトゥーのデザインとしては珍しくないだろう。この都内で一軒も彫ったことがないというのは考えにくい。 「そうですか。分かりました。ありがとうございます」  三笠はそれ以上追求せずに、店を後にした。  店を出る間際に三笠は、店内の壁に蝶のデザイン画が貼られているのを見逃さなかった。 『ここは怪しいな……』  そう思いながらも、三笠は署に戻った。  次の日、蒼空が仕事に復帰した。 「皆さん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今日からまた頑張るので、よろしくお願いします」  蒼空が頭を下げると、チームの皆から拍手が起こる。この日を待ちわびていた三笠も、嬉しさがこみ上げる思いで拍手を送った。  仲間からは、「待ってたぞ」や「お帰り」といった声が飛ぶ。蒼空が仲間たちに愛されていることが分かり、三笠も嬉しくなった。 「ありがとうございます」と頭を下げて、蒼空が席に座る。取り立てて事件は新たに起こっていないため、三笠はひったくり事件について蒼空に切り出した。 「二カ月前のひったくり事件覚えてる?まだ解決していないんだ」 「覚えています。確か、あまり目撃者いなかったんですよね。これから、犯人見つけられるでしょうか」 「犯人は手の甲に薔薇のタトゥーを入れてたって、被害者が新たに証言したんだ」 「え、そうなんですか?」  蒼空もよほど驚いたらしい。 「あぁ。被害者は解離性健忘症らしい。タトゥーのことは、記憶から抜け落ちていたみたいだな」 「なるほど……」 「でも、思い出してくれて良かったよ」  蒼空が「そうですね」と頷いた時、三笠の席の電話が鳴った。 『彫雅堂の新谷ですが』  電話をかけてきたのは、昨日最後に訪れた入れ墨店の店主だった。 「あ、はい。昨日はありがとうございます。どうしましたか?」 『あのー……薔薇のタトゥーのことで、話があるんです』 「何でしょうか」 『ちょっと、店まで来ていただきたいんですが……』  何か事情でもあるのだろうか。 「分かりました。これから直ぐにうかがってもよろしいでしょうか」 『はい。お願いします』 「では、今から参りますので」  犯人逮捕に繋がる情報が得られるのだろうか。期待せずにいられない。  電話を切ると、蒼空が聞いてきた。 「どうしたんですか?」 「昨日、ひったくり事件で聞き込みに行った先の店主からだ。犯人が入れてる薔薇のタトゥーについて話があるらしい」 「え、そうなんですか?」 「うん。早速だけど、これから行こうか」 「分かりました」  それから直ぐに、三笠と蒼空は彫雅堂を訪れた。 「いらっしゃい。来ていただき、ありがとうございます」  恐縮した様子の店主が迎えてくれる。 「お邪魔します」  三笠たちは店の奥に通され、応接セットのソファーに座った。 二人が出されたお茶を啜(すす)ると、店主が徐ろに口を開いた。 「実は……薔薇の絵図を彫ったことがあるんです……」 「そうでしたか。いつだったかは覚えていますか?」 「三年前でした。中性的な感じの男だったと記憶しています」 「男性だったんですね?」 「はい、そうです。あ、ちょっと待ってくださいね」  店主はテーブルに用意されていたファイルを手に取り、目当ての箇所を広げた。 「これが、その人のカルテです」 「間違いないですか?」  三笠が念を押すと、店主は「はい」と答えた。 カルテには確かに、手の甲に薔薇を施術で入れたことが書かれている。客は矢野という男で、年齢は二十七歳だという。 「あぁ、そうだ。その薔薇のタトゥーの写真も撮ってたんですよ」  そう言って店主が見せてくれた写真では、手の甲を存在感のある薔薇が彩っていた。 「見事ですね……」  思わず蒼空が呟いた。 「そうだな。まさに芸術だ」  三笠たちが感嘆していると、店主が切り出した。 「実は、三日前にその客から電話で口止めされたんです。薔薇のタトゥーを入れたことを、黙ってろと」  店主は申し訳なさそうな顔をしている。 「そうだったんですか……」 「この前は、本当のことを言えずすみません……」 「いいえ。話していただきありがとうございます」  三笠たちは矢野という男の情報を控え、店を後にした。  矢野が犯人かどうかは確証はないが、この情報が手がかりになってくれれば良い。 「他には、何か気付いたことなどはありませんか?」  三笠が尋ねると、店主は「後はないですね」と言った。これ以上、この店主から聞き出せることはないだろうか。 「そうですか。ご協力ありがとうございました」 「いいえ。わざわざご足労いただきありがとうございます」 「では、失礼します」  三笠と蒼空はお辞儀をして店を出た。 「手がかりが見つかって良かったですね」  外を歩きながら蒼空が呟いた。 「あぁ。店主が話してくれなかったら、本当に迷宮入りするところだった」 「犯人、捕まえられるでしょうか」 「身元が分かったし、捕まえなきゃな」 「はい」  二人は停めておいた車に乗り、署に戻った。

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