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第80話

言われていることは理解できても、 目の前の現実に追いつけない感覚が広がる。 あまりに想像できなかった事態がいま、 現実に、自分に、目の前で起きているのだ。 付き合おうなんてお互い言わなかった。 けれどオレたちはいま、 間違いなく付き合っている。 恋人だよねなんてお互い言葉にしなかった。 けれどオレたちはいま、 間違いなく恋人同士だ。 ずっと一緒にいようとか、 いつまでも離れないとか、 そんな言葉たちを オレたちは互いに言ったりしたことはない。 けれど、オレたちは二人してわかってる。 もう、ずっと一緒にいるんだってこと。 もう、離れることなんてないんだってこと。 だからこの・・・ 一緒に指輪を買おう ってのがあまりに普通の金曜日の、 突然の、 まさかのプロポーズだとしたって、それを・・・ オレたちは互いに確認などしないのだ。 「予定は?」 「えっ?」 「だから明日と来週の。杏野の予定。」 どこか照れた顔をして、 けれど視線をこちらに向けた蓮ちゃんは、 まっすぐに、なんにも迷わずオレを見るから、 また、思わずゴクリと唾を飲んだ。 つまりは確認だった。 「一緒に暮らそう」なんて確認じゃない。 これは蓮ちゃんからの 一生を共に過ごしませんか という、 そういう・・・よく考えなくても、 とんでもない確認なのだ。 「っ・・明日・・・」 一瞬だけ間が空いた。 それはびっくりして喉がコクンとなったからで、 決して迷ったからじゃない。 だってなんにも迷ってなんかいないから。 去年の冬。 28が目前だったあの、 蓮ちゃんが来るはずのなかった金曜の夜に。 この男とはじめてキスをして抱き合うまでに、 オレは今回の人生の一生分、 すでに悩んで迷って悶えていたのだから。 「明日は蓮ちゃんの引っ越しを手伝って、来週は・・・ 蓮ちゃんと一緒に指輪を買いに行く・・・」 努めてゆっくりと、 けれど一気に言ってはぁっと息が漏れた。 「ん・・」 返事とも返事でないともとれる声を発して、 蓮ちゃんの視線がすっと外れる。 時間が止まってしまったような錯覚。 けれども蓮ちゃんが、 手元でゆらゆらさせてたグラスを口へ運んで、 グラスの中にあった液体をすべて喉の奥へ流し込んで、 そうしてその喉仏が動くのを見つめながら、 ああ、時間が止まっているわけじゃないんだな・・・ なんてことを独りで思う。 それでも、 自分の周りだけ空気が止まっているような、 そんな感覚にどこか胸が詰まる。 でもそれは決して、イヤな息苦しさではなかった。

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