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総治郎の経歴

──さて、今日はU駅の劇場まで行って、劇が終わった後はその辺の店で何か食べるとするか 3年ほど前に購入したセダンを運転しながら、総治郎は今日の予定を頭の中で反芻していた。 総治郎は、ここ5年くらいはまともに働いていない。 事業が軌道に乗って繁盛してきた際に、ビルを何棟か建てた。 最初のうちはテナントもあまり入らず、維持費も結構にかかって難儀したが、今はどこのテナントも埋まって、そこから得る家賃収入により不労所得が入るため、働く必要はない。 それこそ、若い頃は寝る暇も食べる暇もないほどにバリバリ働いていたが、今は会長とは名ばかりの閑職に就き、出勤するのは月に数日程度。 それ以外の時間はスポーツジムで体を動かしたり、趣味の美術館巡りや観劇に時間を費やす悠々自適の日々。 2世3世のアルファとて、ここまでの生活を維持できている者は滅多にいない。 通常、アルファは両親もしくは親のどちらかがアルファであることが多く、人によっては先祖代々アルファという人もいる。 しかし、総治郎は違う。 総治郎の両親はベータだし、出自も至って普通の家庭であった。 今は亡きベータの両親は、総治郎の生まれ持った能力を少しでも活かそうと腐心して育ててくれた。 父も母も、手取りは決して高いものではなかった。 それでも一生懸命働き、塾や習い事に通わせて、値の張る参考書や勉強道具なんかを買い与えてくれた。 その甲斐あって、総治郎は小中高、大学も名門と呼ばれるところに入れたし、無事に卒業もできた。 大学を卒業した後は大手工具メーカーに就職し、30歳を過ぎた頃に退職して起業。 会社の業績は上がったり下がったりを繰り返しつつ、倒産の危機に瀕したこともあったが、その都度なんとか持ち直した。 そこから業績を盛り返して、繁盛させることができるようになり、そして今に至る。 この間にも、恋人がいた時期はあった。 しかし、多忙ゆえに長続きはせず、決まった恋人ができては別れて、できては別れてを繰り返しているうち、気がつけば40半ば。 そこからは数年間、まともに相手がいない状況が続いたし、それが50歳の今まで続いてしまうと、もはや諦める気持ちの方が勝った。 直生との結婚話が持ち上がったのは、まさにそんなときだった。 起業した当時に世話になった投資家のひとりから、縁談を持ち込まれたのだ。 「成上さん、結婚はまだですか?」 久しぶりに会った投資家の間中(まなか)は、中華料理屋での会食中にそんなことを聞いてきた。 50にもなって独身ともなれば、さすがにこの手の話題を振られることは滅多にないのだけど、そのときは勝手が違った。 「結婚ですか、この歳になって今さら考えられませんねえ」 総治郎はフカヒレを箸でつまみながら、どうしてそんなことを急に聞くのかと疑問に思った。 「恋人ですとか、気になる方はいらっしゃいますか?」 「いません」 えらく深追いしてくる間中の言動を不思議に思いつつ、総治郎はフカヒレを口に入れた。 「そうですか」 「……あの、急にどうされたんです?」 総治郎はフカヒレを飲み込んで、間中の質問の意図を探った。 「あ、すみませんね、プライベートなことをアレコレと。あー、なんです、わたしの知り合いがね、お子さんの嫁ぎ先を探してるっていうから…成上さんはどうかなと思いまして」 間中は一度箸を置くと、燕の巣のスープが入ったボウルを手に取った。 「ああ、なるほど」 「いかがです?一度会ってみるだけでも…」 間中が燕の巣をレンゲですくいながら、冗談なのか本気なのかわからない口調で聞いてくる。 「結構です。わたしは成金だし、もう50ですし、結婚相手というなら、ほかに若くていい人がいますよ」 「うーん、そうなりますよねえ…」 言うと間中がスープを口に入れた。 その表情はあまり明るいものではなく、どこか困っているようにも見えた。 「あの、その方と何かあったんですか?」 間中の様子を不審に感じた総治郎は、おそるおそる尋ねてみた。 「その人というのがねえ、花比良さんっていうんですけど、お子さんにピッタリの結婚相手を探しているというよりは、家の再興がしたいみたいなんですよ」 燕の巣を飲み込んで、間中はううんと軽く咳払いした。 「再興、というのは?」 「花比良さんは地方名家のご主人でして、ちょっと前まではいくつかの飲食店の経営やってたんです。あと、土地を持ってたんですよ。で、その土地転がしでもそれなり儲けていたみたいなんですが…」 スープが入ったボウルを置いて、間中が言い淀んだ。 「あー…商売が立ち行かなくなったんですか?」 「そうです」 総治郎は当てずっぽうで言ったのだけど、これが当たりらしかった。 「経営してる飲食店ってねえ。一見さんお断りの高級料亭なんですよ」 間中が今度は水餃子を箸でつまんだ。 「そりゃ、継続は難しいでしょうね」 「でしょう?こんなご時世ですから」 間中は水餃子を一口かじると、湯呑みに入ったお茶を飲んだ。 ここ最近の平均収入だとか、1人あたりの賃金は下がりつつある。 10年ほど前に、この国全体を襲った不景気のせいかもしれない。 その不景気の煽りは総治郎も受けたし、そこからの巻き返しにかなり苦労した記憶がある。 現在、国全体の経済状況は持ち直したものの、やはり国民ひとりあたりの生活水準は下がっている。 そんな折では、料亭なんて行く機会も自然と減る。 地方ならなおさらだ。 「花比良さんもねえ、一見さんお断りって縛りはやめて、団体の観光客なんかもOKにしてみたんです。でもまあ、大半の人は料亭なんて馴染みがないから集客は見込めないし、古参のお客さんの高齢化も進んでなかなか来なくなっちゃって…それで、10軒くらいある店のうち3軒は畳んじゃったんです」 「高級料亭が3軒も店を畳むとなると、なかなかの痛手なんじゃないでしょうか?」 総治郎は飲食店の運営に関しては専門外であるけれど、商売の知識はある。 それをもってすれば、間中の知人のその後は、だいたい予想できる。 「そうなんですよ。大衆向けのチェーン店ならね、3軒くらいは大した痛手にはなりません。料亭なんかと比べたら、1店舗あたりの売り上げがそんなにないですし。大衆、とりわけ若い人は新しい物が好きだから、また新しい店舗をどっかに作ったり、ある程度のリニューアルを図ればまた集客は見込めます。でも、花比良さんの店はそうもいかなくて…」 「ネット販売ですとか、仕出し弁当の卸売りとかは?」 答えはわかっていたが、総治郎はあえて聞いてみた。 「ネット販売はねえ、すでに別の料亭や割烹店が市場を独占してますから、老舗の出る幕はほぼないに等しいわけです。あと、都心の百貨店に仕出し弁当を卸してはいたんですけどね、それも売れ行きが落ちました。やっぱり収入が減るとねえ、正月に食べるおせちや法事で出す弁当のランクも落としちゃうわけです。今どきの消費者はお金がないから、「今回は奮発しよう!」なーんて言ってられないワケで…」 「難儀なもんですね…」 総治郎は顔も知らない地方名家の主人に同情した。 飲食店の運営は専門外でも、商売の大変さは嫌というほど知っているからだ。

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