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親友に相談

「え?ちょっと!花比良さん!!」 これには間中も本気で驚いたらしい。 花比良氏の言葉に、あからさまに動揺していた。 「その…大変お恥ずかしながら、先にお伝えした通り、うちの経済状況は芳しくなくて…店舗を手放して、土地を一部売りに出しまして。それでもなかなか再建の見通しが立たずじまいで……」 花比良氏が震える声で話す。 どうやら、これ以上は何も話せないらしく、しばらくだんまりになった。 「…従業員は今のところひとりも辞めさせずに済んでいますが、それだって、いつまで保つかはわからないんです。このままだと、何人かを強制的に解雇させるしかなくなります。もしそうなったら…今まで頑張って働いてくれたし、何も悪くないのに、申し訳なくて…」 話すこともできなくなった夫に代わって、花比良夫人が続けた。 花比良夫人の話を聞くと、総治郎は胸が痛んだ。 この夫妻の苦悩は、嫌でもわかる。 総治郎だって、会社が傾きかけたときは毎日悩んで苦しんだし、従業員を辞めさせずに持ちこたえたのは本当に奇跡的といえた。 「直生の下には、まだ高校1年生の息子がおりまして…アルファで男の子だから、この子が跡継ぎになるんですが、うちがこのままでは大学進学はおろか、最悪は路頭に迷わせてしまいます…」 調子を取り戻した花比良が、また口を開いた。 「何より、直生が不憫です。あの子はお嫁に行くために育てられたようなものなのに、嫁ぎ先がなくなったら…」 花比良夫人の瞳がじんわり潤む。 今にも泣いてしまいそうだ。 「それこそ、うちがこんなことになったばかりに、一度婚約を破棄されてしまって…そのときはかなり落ち込んでいました。それからだって、会うのすら断られ続けたせいですっかり塞ぎ込んでしまって…この上で断られたら……お願いします!どうか、直生を、直生をもらってやってください!!」 花比良氏が畳に額と手のひらをつけて、土下座を始めた。 「お願いします、成上さん!」 花比良夫人も同じように土下座し始める。 「顔を上げてください!」 総治郎は戸惑った。 「落ち着いてくださいよ、花比良さん…」 間中もすっかり困惑していて、どうしたらよいのかと言わんばかりにおろおろしていた。 「あの、直生さんは、直生さんはどう思ってるんです?一番大事なのは、彼の気持ちじゃないんですか?いきなりこんな中年に嫁ぐなんて…」 冷静を装いつつ、総治郎は尋ねてみた。 思えば、本人のいないところで本人の結婚を決めるのもおかしな話であろう。 「直生はもう、どこに嫁ぐ覚悟もできていると言っています、ですから、成上さん…」 花比良氏が畳に額と手のひらをつけたまま答える。 「成上さんにご迷惑をおかけしないよう、きつく躾けますから…」 花比良夫人も同様で、なかなか引き下がる気配がない。 その後も花比良夫妻は「結婚したら所有している土地をすべて渡します」とか「株券もいくらでも出します」などと言って、聞かなかった。 話し合いは数時間にも及び、総治郎はとうとう折れてしまった。 これが、総治郎と直生が結婚した経緯である。 他人から見れば、まるで理解できない話であろう。 本人のいないところで、金があるだけの中年男との結婚を親が決めるなど、もはや異常としか思えない。 結婚が決まってすぐ、総治郎はこの旨を約30年来の親友竹馬大成(ちくばたいせい)に話すことにした。 場所は大衆向けの安い定食屋。 結婚式まであと10日というときに、焼き魚や漬物なんかつまみながら、2人は向かい合わせに座って話し込んでいた。 「家の経済状況を理由に、25のオメガの息子を金持ってる50のアルファのオッサンに嫁がせるって、それってよお…」 湯呑みを片手に、大成は口の端をヒクつかせた。 「わかってる、皆まで言ってくれるな」 総治郎は額を押さえた。 「完全にオヤジものAVの世界だよなあ」 言って大成は、ずずずと煎茶をすすった。 「言うなっつっただろう!」 大成のあまりにも明け透けな言い様に、総治郎は思わず大きな声を出してしまった。 店内にいる何人かの客が、こちらに視線を移す。 それが恥ずかしくなった総治郎は、誤魔化すように一度ごほんと咳払いした。 「せめて、向こうがあと10歳くらい歳上だったり、お前が10歳若かったらなあ…」 「俺が一番思ってるよ、それは」 総治郎はアジの開きを箸でつまんで口に入れた。 「25歳差と15歳差ではなあ…この隔たりはデカイぞ」 ──まだ言うのかコイツ… いい加減にして欲しいと総治郎は思ったが、大成の要らんこと言いは今に始まったことではない。 こんなことでいちいち怒っていたらキリがないから、大成の言葉を半ば無視するような形で、総治郎は話を続けた。 「それは向こうだって百も承知だ」 「それはそうだとしても、お前はどうなんだよ?」 使い古されたテーブルの向こうから、大成が総治郎を指差した。 「俺?」 「お前はそれでいいのか?押し付けられたようなもんだろうに」 大成が訝しげに総治郎を見つめてくる。 「乗りかかった船だ。最低限の面倒は見るし、要望があれば、できうる限り応えるつもりだよ」 総治郎は味噌汁をすすって飲んだ。 麹の香りが鼻腔をくすぐり、食欲をそそってくる。 歳を取って食欲は減退したが、ここで食べるものは何かもが美味しいと感じる。 この店には、総治郎がまだ会社員だった頃によく世話になったし、今でも懐かしくなって、こうしてときどき来ている。 「全財産よこせよー、とか言われてもか?」 大成が茶碗に盛られた白米をかき込むように口に入れていく。 この親友は若い頃から、食べ方が豪快だ。 「あの子がそんなことを言うタマだとは思えないがなあ…」 お見合い中の直生の様子を思い出そうとするものの、そのときの記憶がなかなか出てこない。 「ナオキくん、だっけ?そもそも、その子はどうなんだ?親が自分のいないところで、自分の結婚相手を勝手に決めたことに対して、どう思ってんだろうな?」 「そのへんも聞いたよ。直生くんは、もうどこに嫁いでも何も言う気はないって話してるそうだ」 数週間前、結婚式の日取りや式場について、話し合いの場が設けられた。 そこにも直生はいたが、総治郎や花比良夫妻が何を言っても、自分の希望や反論の言葉を述べることはなかった。 そもそも、ほとんど言葉を発していなかった気がする。 花比良家の経済状況を鑑みて、費用はこちらが出すと言ったときに両親と一緒に放った「本当に、ありがとうございます」と、話し合いが終わった際の「これから、よろしくお願いしますね」のこの二言くらいだ。 ──本当に、あの子は本心が見えないな… 我が儘のひとつも言ってくれれば、こちらだって動きやすいのだけど。 総治郎の煩悶は尽きない。

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