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家事代行の中野
「変な前置きをするのも面倒だから、単刀直入に聞くぞ。昨日のアレは何だったんだ?」
テーブルにつくなり、総治郎は尋ねてみた。
「それは…」
直生が赤面した。
──さて、どんな答えが返ってくるのやら
直生の赤面の意味を探りつつ、答えを待った。
しかし、なかなか返ってこないので、自分から発破をかけてみることにした。
「実家の親御さんに、何か言われたのか?」
「え…?」
「既成事実を作ってこい、とか」
「ち、違います!そんなじゃありません!!」
直生があわてふためいた。
思えば、こんなに取り乱した姿は初めて見る。
「じゃあ、アレは何なんだ?すごい格好だっな。アレは、きみが考えて着たのか?」
「はい…」
直生の顔の赤みが、一気に濃くなり、範囲も広がった。
耳まで真っ赤だ。
「なんでだ?なんであんなことをしたんだ?」
「なんでって…その、」
直生が赤面したまま、しどろもどろに声を漏らす。
「その?」
「ちょっと、話が長くなるんですけど、構いませんか?」
「うん?ああ、いいぞ」
長ったらしい話をするために早くに帰ったのだ。
むしろ大歓迎だ、という気負いさえあった。
「わたし、実は子どもが欲しくて…」
「こども…」
意外な回答に、総治郎はポカンと口を半開きにした。
「そうです、わたし、子だくさんのお母さんになるのが夢でして…」
「それで、あんなことを?」
子だくさんの母親になりたい、というのはわかった。
問題は、なんともいえない格好で迫ってきたことだ。
アレは何なのか。
「あー、アレは何ていうか…あの、わたし、ここに来た当初、まず中野さんと話したんです」
「中野さんと?」
確かに、直生がここに来たときに「家のことは家事代行の中野さんに任せなさい」と言ったが。
なぜこの話の流れで中野さんが出てくるのだろう。
「ええ、中野さんにね、いつも総治郎さんはどこでどうしているのかとか、あと、食べ物は何が好きとか、ご趣味は何かとか、いろいろ聞いたんです」
「…なるほど」
律儀な直生であるから、洗濯や炊事も自分でやろうとしたのだろうか。
だとしたら、それもやらなくて良いと伝えておこう。
「総治郎さん、普段は演劇ですとか美術館や博物館いかれてるんですよね?」
「え?ああ…」
総治郎の肩がピクッと震えた。
「中野さんから聞いたんですよ、それで、その後は大体ジムに行ってるって」
今度は唇の端が震えた。
──つまり、俺が仕事してないことを知ってる⁈
背中に嫌な汗が流れる。
今の今まで、わざわざスーツに着替えて、わざわざ夜遅くか早朝に帰るようにしていたのに、すべて筒抜けだったのだ。
そして、直生はすべてをわかった上で送り出してくれていたのだ。
──中野さんに口止めすべきだった!
えらいことしてくれた、とも思ったが彼女を責めることはできない。
赤の他人ならまだしも、結婚して間もない妻が、長年世話になっている家政婦に、夫について詳しく話を聞こうとするなど、大して不自然なことではない。
彼女は聞かれたことに対して、しっかりと受け答えをしただけだ。
むしろ、正しい対応をしたのだ。
「それでね、中野さんに、総治郎さん、ほかにいいひとがいるんじゃないかって聞いてみたんです」
──は?
またしても、まるで見当のつかない話が飛び出してきた。
直生曰く、総治郎の帰りが遅いのは、ほかに誰か相手がいるからではないかと考えたかららしい。
なるほど少々ながら、合点のいく話ではある。
その疑問に対して中野は、次のように答えたという。
「いやあ、見たことも聞いたこともないですねえ。あれぐらいのお歳で地位もあるアルファの人って、案外ストイックですし」
中野はあっけらかんと答えてみせた。
「そういうものでしょうか?」
中野はそう言うものの、直生は少し不安だった。
本当に、総治郎には誰もいないのだろうか。
「何か気になることでもあるんですか?」
他人の感情に聡い中野は、直生の不安を察したらしい。
「はい、あの、ひょっとして総治郎さん、わたしのこと嫌いなんでしょうか?」
「何でそう思うんです?」
「避けられてる気がするんです。総治郎さんはいつも帰りが遅いし、会話もまるでないし、ごはん作ろうとしても断られるし、「何もしなくていい」って言われました。コレって、何もするなってことなんでしょうか?」
中野に心中を見抜かれたような気持ちになった直生は、思っていたことを正直に話した。
不思議なもので、この女性と話していると、何でも話せる気がしてくる。
「うーん、ちょっと遠慮してるんじゃないですか?」
一通り話を聞いてくれた中野は、頬をぽりぽり掻きながら答えた。
「遠慮してるって、わたしにですか?」
「そうです。旦那さまと奥さま、年齢差が大きいでしょう?旦那さまは恋人がいた時期はあったみたいですけど、50歳まで独身だったワケで…」
「それはそうですけど、それが何です?」
その時点で直生は、中野の言うことがまだ理解できていなかった。
「自分はもう50なのに、こんな若い嫁もらっていいんだろうか、って遠慮してると思うんです。それに、世間体も気になるんだと思いますよ」
「世間体?」
自分と結婚したことと、世間体がどう関係しているのか、直生はそこが気にかかった。
ひょっとして、総治郎からしてみれば自分は人様に見せるのが恥ずかしい妻なのだろうかと少し心配になった。
「そうです。何でしょうね、50代の旦那さんと20代の奥さんっていうのはね、人によっては眉をひそめたくなるもんなんですよ」
「そういうものなんですか?」
直生は年齢差なんて、気にしたことはないから、想像もつかなかった。
「そういうもんです。まあ、なんです。人様からエロ親父みたく思われるのが、旦那さまには堪えるんでしょう」
「エロ親父だなんて…わたしはそんなこと思ったことないのに……」
中野の話を聞いた直生は、なんだか総治郎が気の毒に思えてきた。
「思う人は思うんですよ。奥さまはまだ若いから、あんまり実感ないかもわかりませんがね」
「…わたし、どうしたらいいんでしょう?」
想像もしていなかった話をされて、直生はどうしたものかと思った。
「うーん、なんとも言えませんけれど、奥さまの要望には、できるだけ応えるつもりだとおっしゃってましたよ」
「そうなんですか?」
「ええ、欲しいものがあれば買いますし、行きたいところがあれば自由に行かせるつもりだそうですよ」
中野がにっこり笑ってみせた。
「じゃあ、たとえば…子どもが欲しいと言ったら、聞いてくれるでしょうか?総治郎さん、子どもはお嫌いでしょうか?」
直生はおそるおそる聞いてみた。
「ええ、きっと応えてくれますよ。でも、それなら奥さまからも歩み寄らないと。子どもは夫婦で産み育てることが大前提ですからね!」
「そうですね!」
「ええ、まずは自分から何らかのアプローチをかけてみてはいかがです?」
中野にこう言われて、直生はこれを実行に移すことに決めたのだという。
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