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お楽しみの朝
直生は服を着込むと、自分の部屋に向かった。
総治郎を起こさないように、そっと静かにドアを開けて、中の様子を確認してみる。
簡素なベッドの上、総治郎が大柄な体を横たわらせ、深い寝息を立てているのが見えた。
直生は忍び足で部屋に入ると、総治郎の隣に寝転がった。
直生の部屋のベッドはセミダブルで、もともと2人で寝ることを前提に作られているものだから、難なく寝転ぶことができた。
大柄な総治郎が真ん中に陣取るように寝ているので少々狭っ苦しいが、それでもよかった。
総治郎が自分の部屋のベッドで寝てくれたことも、総治郎と並んで寝たのも、今日が初めてだから。
直生は目を閉じて、襲い来る睡魔に身を任せた。
すると、どうしたことだろう。
この日は、今までにないほどにぐっすりと眠れた。
翌朝、直生は朝早くに目が覚めた。
時間を確認してみたところ、現在6時半。
総治郎が起きる時間まで、まだ間がある。
隣でうつ伏せになって眠る総治郎は、相当寝入っているようで、彼の口と鼻から規則正しく深い寝息が聞こえてきた。
その呼吸に合わせて、広い背中が上下している。
昨夜の情交で、体力をかなり使ったのだから、無理もないのかもしれない。
──さ、朝ごはん作ろう!
思い立った直生は、総治郎を起こさないようにゆっくりゆっくり部屋を出た。
もっとも、そんなことをしなくても総治郎は起きそうにないが。
部屋を出ると、直生はキッチンに向かい、冷蔵庫に引っかけていたエプロンを取り出した。
「エプロンを買おうと思っている」と相談したところ、中野に勧められた通販サイトで買ったボルドーのフリルエプロンだ。
かわいらしいデザインもさることながら、ちょうどいい大きさのポケットもついている。
また、リボンを前で結ぶタイプなのでつけやすい。
デザインも機能性も優れたこのエプロンを、直生はかなり久しぶりにつけた。
総治郎は滅多に帰らないし、自分ひとりだけだと、手の込んだものを作る気にもなれない。
いまのいままでは、エプロンもつけずに大雑把に作ったものを食べる毎日だっだのだ。
でも、今日ばかりは違う。
中野に聞いた話では、総治郎は出された料理を残すことはないそうだ。
──だからきっと、作ったら食べてくれるよね?
淡い期待を抱きながら、直生は朝食を作りはじめた。
用意したのは、トーストにバゲット。
それに塗るためのオレンジマーマレードにイチゴのジャム、マーガリンにピーナッツバター。
そのほかにはオニオンスープに温野菜のサラダ。
付け合わせにはマヨネーズにオーロラソース、ごまドレッシングと青紫蘇のドレッシング。
総治郎は年齢的なこともあって、どちらかと言えば食は細いほうなのだと聞いたので、量は少なめにしておいた。
もし足りない場合は、自分の分を出そう。
一通り作り終えてから時間を確認すると、そろそろ総治郎が起きてくる時間だ。
総治郎は体内時計がしっかりしているらしく、起きる時間がいつも正確だ。
直生は作ったものをテーブルに並べると、コーヒーを淹れる準備もしておいた。
──いかにも、奥さんってカンジ!
そして、心を躍らせながら、少しの緊張も含ませながら、総治郎の部屋へ向かった。
直生が部屋に向かうと予想通り、総治郎は起きていた。
「おはようございます」
声をかけると、寝ぼけ眼の総治郎がこちらに目を向けた。
いつもは後ろに撫でつけている焦げ茶色の髪はすっかり乱れてしまって、額に垂れ下がっている。
普段は身だしなみに人一倍気をつかい、いつもかっちりとスーツを着込んでいる総治郎しか知らない直生は、それを新鮮に思った。
前髪が垂れた総治郎はいつもより若く見え、上半身は裸。
しかも場所がベッドの上だから、まるで女性向け雑誌の表紙でポーズを決めるベテラン俳優みたいだと直生は思った。
いつか見た雑誌の表紙が、まさにこんな感じだったのだ。
「ああ、おはよう」
総治郎がベッドから下りて立ち上がる。
「まだ、お休みになりますか?」
いつものように、直生は聞いてみた。
「いや、もう起きるよ」
総治郎がいつもと変わらない返事をする。
まだ休む、と返ってきたためしはない。
総治郎は次に、ジャケットとシャツの居所を聞いてきた。
それならもう片付けてある、取り出そうかと直生が告げると総治郎はそれを断り、新しいものに着替えると言い出した。
──お着替えの手伝いをしたかったのにな
総治郎は少し残念がる直生の脇を通り抜けて、自室に向かった。
直生はゆっくりとその後を追い、伝えようと思っていたことを、思い切って口に出した。
「総治郎さん」
「なんだ?」
総治郎は着替えながら、直生に相槌を打ってきた。
「お食事の用意をしましたので、召し上がってください」
──言っちゃった!
聞き入れてくれるだろうか。
内心ドキドキしながら、直生は総治郎の返答を待った。
「……わかった」
少し間を空けた後、総治郎の答えが返ってきた。
こんな誘いを投げかけたのは初めてだったこともあって、総治郎は驚いた顔をしていたが、最終的には了承してくれた。
──よかった!
直生は心躍らせつつ、2人してリビングに向かうと、直生はコーヒーを出すから座っていてくれと総治郎に促した。
──なんかコレも、奥さんらしいカンジがしてステキだな
直生はウキウキしながら、食器棚からコーヒーカップやソーサー、ティーススプーンを取り出して、ドリッパーをセットした。
夫が寝ている間に朝食を作り、それが終われば寝ている夫を起こしにいく。
なんて夫婦らしいのだろう。
こんなこと、今までしたことがない。
「ああ、ありがとう」
総治郎はイスに座ると軽く礼を言って、朝食に手をつけはじめた。
その途中、総治郎が咽せた。
総治郎の食べ方はキレイだったが、少々がっついて食べたものだから、喉につっかえてしまったらしい。
「大丈夫ですか?コーヒーをどうぞ。お口に合わなかったり食べきれなかったら、残しても構いませんからね」
直生はコーヒーが入ったカップを、そっと総治郎の前に置いた。
「ああ、すまないな」
総治郎がカップを手に取り、ゆっくりとコーヒーを飲む。
そこから直生が、今日は遅くなるのかと聞いてみると、今日は早く帰ると返ってきた。
そこからさり気なく、総治郎の向かいに座る。
思えば、こうやって夫婦で向かい合って座るなんてことも、今までほとんどなかった。
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