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やれるだけのことをやる
「でも、直生。よく考えておくべきだとは思う」
「え?」
直生が首を傾げると、髪についた水滴が湯船にポタポタ落ちた。
「子どもを産み育てるのは、簡単なことじゃない。腹を痛めて命がけで産むのは、きみの方だ。それと、子どもは産んだら終わりじゃない。産んだからには、少なくとも18年も面倒を見なくちゃいけない。途中で投げ出すなんてことはできない」
「…はい」
直生の表情筋が強ばる。
「それと、俺がトシってのも考えといた方がいいかもな。こんなことあまり言いたくないが、年齢的に見ても、先に死ぬのは俺だ。そのときに子どもがまだ小さかったら、苦労するのはきみだぞ?きみと子どものために遺産は残しておくが、その遺産の管理をしながら子育てしていくことになる」
「…そうですね」
「あと、子どもが起こした問題は、基本的に親が背負うんだ。誰かにケガをさせたり、事件事故を起こしたら、代理で謝りに行くのはきみと俺だ」
「…わかってます」
「死ぬかもしれないんだぞ?それでもいいのか?」
総治郎は念を押した。
「もちろんです、総治郎さん。そこまで考えてくださって、嬉しいです」
直生は今度は、にっこり笑ってみせた。
その様子に、総治郎はわずかばかり不安になった。
それでもいいと言ってはいるが、事の重大さは理解できているのだろうか。
それ以前に、総治郎は別な不安も抱いていた。
風呂から上がった後、総治郎は直生に先に寝室に行くように言って、電話をかけた。
相手は大成で、今日あったことを相談したかったのだ。
「どうしたものかな」
「どうって、別にいいんじゃねえか?」
電話越しのくぐもったような声は、どこか気だるげだった。
「真剣に相談してるんだけどな…」
「オレは真剣に考えて答えてるって。子どもが欲しいって言われたんだろう?それで、お前はできるだけ、カミさんの要望には応えたいと思ってるんだろう?いいじゃねえか、子どものひとりやふたりくらい。カミさんと一緒に子育てがんばれよ」
「子どもが成人するとき、俺は70だぞ…」
総治郎は成人したまだ見ぬ我が子の隣に、年老いた自分が立っている様を想像した。
それは、なかなか滑稽な絵面だろうなと総治郎は思った。
きっと他人が見たら、親子ではなく祖父と孫だと思うに違いない。
「某俳優なんか、還暦過ぎてパパだぜ?すげえよな。見た人はたぶん、父親とは思わねえぜ。みんながみんなおじいちゃんって言うはずだよ」
総治郎のその想像を、大成が言い当ててみせた。
「…芸能人は別じゃないか?」
「うーん、まあ確かにな。でも、何が問題なんだよ?考えてもみろよ。お前より年上で父親になってる人なんかまあまあいるし、経済的に難しいことはないだろ?」
「お前に父親なんてムリだやめとけ、とか言われると思ってたぞ」
「そりゃあお前、お前が産む側ならちょっとは考えるよ。お産って命がけだもんな。でも、お前は産ませる側だろ?産むのはカミさんだし、そのカミさんはまだ25だろ?」
大成の声が、真剣味を帯びてきた。
「それはそうだが…」
その真剣味に、総治郎は軽く気圧されそうになる。
大成は、普段は間が抜けているけれど、真剣なときは怖いくらいの気迫がある。
「お前さ、ちゃんと父親できるか自信がないんだろう?」
言われて総治郎はドキリとした。図星だ。
こういうときの大成は、恐ろしいくらい勘が鋭いのだ。
「そうだな、まったくもってその通りだ。もし子供が生まれたら、その子とどう接したらいいのか、さっぱりわからん」
本音が出た。
同時に総治郎は、帰り際に出くわした子どもたちを思い出した。
判断能力や危機感が弱いせいで、走っている車にも平気で近づいていくような彼らである。
総治郎は、そういった場面を幾度も目にしてきた。
親が目を離したスキにひとりでどこかへ行ってしまう幼児、赤信号なのに平気で横断歩道を渡る小学生、公共の場で泣き喚く我が子をあやしながら周囲にすまなさそうな顔をする若い母親。
今までは他人事だったし、「子どもを持つ親というのは大変だな」くらいにしか思わなかった。
その「親」という存在に、いま自分がなろうとしている。
「総治郎、「備えあれば憂いなし」って言葉知ってるか?もちろん、知ってるよな?」
「……知ってるが」
急に何を言い出すのか。
バカにしたふうではない、いたって真面目に、大成は話し出した。
「子どもが生まれる前にさ、いろいろ準備しとけよ。必要なものは何かとか、生まれたら何すりゃあいいのかとか、ネット使うなり雑誌やら本やら読むなりして、徹底的に調べとけ。それなら、子どもができてからあわてずに済む」
「…そうだな」
なるほど、大成の言うことは一理ある。
「お前、まだまだ余裕あるんだろ。生まれてもないんだから。その間に、できることを考えろよ。ダンナは比較的ラクなもんだぜ?カミさんは吐くわフラつくわ体重いわ痛いわで何の罰ゲーム?ってカンジだしな」
「…そうだな」
大成の話を聞いて、総治郎はなんだかホッとした。
2人の子を持つ大成の言うことだから、説得力も充分だ。
「そういえば、お前は?お前は子どもができたって知ったとき、最初に何をした?参考にしたいから、聞かせてくれ」
「え?オレ?えーと……そうだな、なにしたっけ?」
さっきの真剣味はどこへやら、大成は困惑気味に言い淀む。
「お前、ぜんぜん頼りにならねえな」
スマートフォンの向こうで、あわてふためいているであろう大成に、総治郎は呆れかえった。
「やかましいわ!15年前の話だぜ?そう簡単に思い出せるかよ!!」
「なーんにもしてなかったんじゃないのかあ?何なら、カミさんの妊娠中にほかのヤツと遊んでたんじゃあ?」
「んだと、てめえ!それ、ちょっとした名誉毀損だからな!!あ、思い出した」
冗談半分にイヤミを言うと、大成が大声で反論してきた。
「おう、何してたんだ?」
「カミさんと2人で、子どもの名前考えてた」
「そこ?」
児童手当の手続きについてとか出生届けとか仕事の引き継ぎだとか、そういうことを想像していたので、総治郎は面食らった。
「いやー、名前って一生ものだし、重要だよ?」
「それは、そうだが…」
大成の言っていることは間違いないが、もっと重要なことがあるのではないかと総治郎は訝しんだ。
「意外と多いらしいぞ、子どもの名前で揉める夫婦。父親か母親かどっちかが、何の相談もナシに勝手に名前つけて役所に持っていったせいで、大ゲンカになりましたってパターン。よくあることみたいだ」
「なるほど」
もっと重要なことがあるのではという疑念は残るが、無用な争いを避けるためなら、名前についての話し合いも必要かと総治郎は納得した。
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