29 / 37

夫婦で買い物

──それにしても最近の俺、とことんバカになりつつあるな… 直生と初めて結ばれてから今までの自分を振り返ると、つくづくそう思う。 フェロモンに当てられると、途端に理性が飛んでしまって、頭がきちんと回らなくなる。 そうして事が終わった後になってから、やっと冷静になって、なんとも気まずい気持ちになる。 いい歳をして、なんと情けない話だろうか。 直生と自分は、肉体関係も婚姻関係もあるが、自分たちはあくまでも利害から繋がっている。 少なくとも、総治郎はまだそう思っている。 今のところ、子どもが欲しいという望みは叶えてやるつもりではいるが、もしその前に直生に相手ができたなら、潔く身を引くつもりでいる。 「総治郎さん、お次どうぞ!」 直生がシャワーを浴びた後、総治郎に促した。 シャワールームから出てきた直生は、髪が濡れていて、体が火照っているからか、白い肌がほんのりピンク色に染まっている。 「…ああ、入るよ」 長居は無用とばかり、総治郎は汗を軽く流す程度にとどめて、シャワールームを出た。 直生をあまり長く待たせるわけにもいかないし、退室時間も迫りつつあった。 「総治郎さん、今日はありがとうございます。楽しかったです!」 ホテルを出た瞬間、直生が上機嫌でお互いの腕を絡めてきた。 自然と、直生の体温が伝わってくる。 「そうか」 それなら安心だ。 半田の気づかいが、思わぬ形で功を奏したわけだ。 今度、彼を食事に誘おうと思ったところ、聞き慣れない足音が響いてきた。 「失礼します。お話を伺っても?」 足音の主は、その場を歩いていた若い男性警察官で、彼は総治郎を見るなり、疑わしげな態度で歩み寄ってきた。 結果、総治郎は精神に結構なダメージを食らって、帰り道を軽く落ち込みながら歩くハメになった。 「総治郎さん、元気出してくださいよ」 最寄りに着いたとき、直生が気づかわしげな態度で手を握ってきた。 「うん、まあ…」 それに対して、総治郎は曖昧に応えるだけだった。 総治郎の元気がなくなるのも無理はない。 先ほど、人生で初めて職務質問を食らったのだから。 ちなみに、警察官が職務質問した原因は、ほかならぬ直生だ。 幼顔で華奢な直生を連れてホテルから出てきた総治郎を見て、警察官は「中年男が未成年をホテルに連れ込んでいる」と勘違いしたらしい。 幸い、直生が身分証を所持していたので、それを提示した上、「自分たちは夫婦だ」と言ったので、あっさり解放されたのだけど。 しかし、そのときの警察官の「本当に夫婦なのだろうか?」と言わんばかりの視線が忘れられない。 要するに、他人から見れば自分たちは夫婦に見えないし、何なら、かなりいかがわしい関係にも見えるのだろう。 職務質問を終えた後、警察官はすまなさそうな顔をして「大変失礼しました」と言って、去っていった。 一応は謝ったのだし、何より彼がそうする気持ちはわかってしまうので、責めたり怒ったりする気力は出なかった。 ──そりゃあ、50のオッサンがこんなの連れてたら、援交だかパパ活だかを疑うよな 総治郎は改めて、直生の顔を見た。 大きな瞳に長いまつ毛、ふっくらした柔らかな唇、丸い頬。 白い肌は、年相応にきめ細かく艶めいている。 ここで総治郎は、あることに気づいた。 直生が実年齢より幼く見えるのは、生まれつきの幼顔もあるが、服装が服装だからだ。 かかかか サックスブルーのカーディガンに、白い無地のフランネルシャツ、黒いジーンズ。 この服装は清潔感がある反面、学生のようにも見える。 要するに、直生の年齢とはあまり合っていないのだ。 「直生、新しく服を買わないか?」 「え?」 直生は手を握ったままキョトンとした様子で、総二郎を見上げてきた。 「きみ、おんなじ服ばっかり着てるだろう。いま着てる服も、けっこう古いやつなんじゃないか?」 「そうですけど…」 突然、話題を切り替えた総治郎を、直生はキョトンとした顔で見つめた。 「じゃあ、今から買いに行こう。この辺にはブティックがたくさんあるから、そこで買おう」 「え?でも、私はこれで充分ですし」 直生がカーディガンの裾をつまんだ。 何年着ているのかわからないそれは、生地がすっかり伸びきってしまって、ティッシュみたいに薄くなっていた。 「念のためだ。それに、これから子どもが生まれるとなると、服を買う余裕はなくなると思うぞ。 子どもの世話に追われるからな。 その子どもがある程度大きくなったとなると、今度は母親同士での付き合いができる。そんなところで、こんな伸びたカーディガン着るわけにはいかないだろう」 総治郎は、もっともらしい理由を述べた。 実際、子どもが生まれた後のことなどは一切わからない。 これはあくまで、直生に学生みたいな格好をやめて欲しいから出た逃げ口上なのだ。 「そうですね、それなら、買っておいたほうがいいですね」 総治郎の思いつきを、直生はあっさり聞き入れた。 あまり欲を出さない反面、聞き分けがいいところが、この妻のありがたい部分だった。 「じゃあ、まずはあの店に行こう。きみくらいの歳の子向けの服があったはずだ」 総治郎は、少し向こうにある若者向けブランドショップを指差した。 ブランド名はなんと読むのかもわからない。 休日になると、若者が店員と話していたり、買い物する様子がショーウィンドウ越しに見える、オシャレなブランドショップだ。 「わかりました」 総治郎が歩き出すと、直生がそれに続く。 結婚する前は素通りしていたこの店に、まさか自分が入ることになろうとは。 「なんか、ちょっと入りにくい感じがします」 店の前まで着いたとき、直生が恥ずかしそうな顔で総治郎を見つめた。 直生はどちらかと言うと地味で野暮ったいというか、オシャレにはあまり関心がなさそうだ。 服に無関心な人間はよく、「オシャレな服屋に入るときの服が無い」と言う。 総治郎も若い頃はそんな調子だったので、直生の言わんとしていることは大体わかる。 服屋の店員も他の客もオシャレなのに、自分だけがパッとしない。 そんな状況に耐えかねて長く店内にいられずに断念してしまって、結果、いつも着ている服で落ち着いてしまう。 おそらく、直生もその手合いだろう。 「大丈夫だ、一緒に入ろう」 不安そうな直生の手を引いて、総治郎は店内に入った。

ともだちにシェアしよう!